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文献名1霊界物語 第52巻 真善美愛 卯の巻
文献名2第3篇 衡平無死よみ(新仮名遣い)こうへいむし
文献名3第16章 水車〔1352〕よみ(新仮名遣い)みずぐるま
著者出口王仁三郎
概要
備考
タグ データ凡例 データ最終更新日2023-12-04 08:32:52
あらすじ文助は子供たちを連れて八衢の関所に進もうとしたが、どうしても子供たちの体は石のようになって動くことができなかった。これは、文助が一念悔悟の上は、大神から直接産土の神に命じられて各々霊の安住所へ導かれることになっていたからである。文助はわが子の側にしばらくなりと居りたかったが、何者かに後ろから押されるようで、次第に子供たちから遠ざかって行き、親子は別れを告げた。文助は西北に進んで行くと、水車小屋に突き当たった。何か食べ物を乞おうと門口に立つと、中で粉まみれで働いていたのは、自分の父母であった。父母は、自分たちは文助のために天国の団体から下ろされて、賠償的労働に従事しているのだと語った。母は、文助は多くの人をウラナイ教の教理で地獄に迷わせた罪によって、自分自身も地獄の苦しみを受けなければならないところだった、それを黙って見て居られず、文助や、文助に迷わされた人たちの罪を軽くしたいと、神様にお願いしてここに水車小屋を建てて、我が身を搗き臼にひかれて穢れを落としながら、艱難苦労をしているのだと明かした。文助は両親に向かって心の底から天津祝詞を奏上し、神に謝罪した。そして自分が水車の苦行をするから、両親やわが子を助けていただきたいと熱涙を流して祈願を凝らした。文助の両親はまた、吾が子や孫が天国に救われるように祈っている。そこへ大火団が下り来て中から容色端麗なエンゼルが現れた。エンゼルは、文助の父母が子孫を思う真心が通じ、天国へ帰る時が来たと告げ、自分は三五教の初稚姫だと名乗った。そして文助にはまだ現界で為すべき仕事が残っているので、ここで別れて八衢の関所に行かねばならないと言い渡した。初稚姫は文助の両親を引き連れ、三個の火団となって東南方の空に立ち去った。文助はその姿を見送りながら感謝の涙にくれた。
主な人物 舞台 口述日1923(大正12)年02月09日(旧12月24日) 口述場所 筆録者北村隆光 校正日 校正場所 初版発行日1925(大正14)年1月28日 愛善世界社版203頁 八幡書店版第9輯 451頁 修補版 校定版210頁 普及版89頁 初版 ページ備考
OBC rm5216
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本文  文助は久し振に会うた二人の子供を引連れて、八衢の関所に進まむとしたが、何うしても二人の子供は其時に限つて体が磐石の如くになり、動く事が出来なかつた。之は産土の神の取計らひによつて、かくなつたのである。文助が一念悔悟の上は大神より直接に産土神に伝へられ、それより各霊の安住所に導かるる事になつてゐるが故である。文助も吾子の側に暫くなりと居りたかつた。されど何者にか後より押さるる様にあつて、次第々々に遠ざかり行く。僅に後ふりかへつて茲に親子三人は悲しき別れを告げた。
 文助は只一人、トボトボ薄の穂にも怖ぢ恐れながら、西北をさして機械的に進み行くと、ドンと行当つたのは水車小屋であつた。俄に空腹を感じたので、水車小屋に立寄つて食物を乞はむと門口に訪へば豈図らむや、自分の生前に仕へて居た実父母が、粉まぶれになつて働いてゐた。文助は驚いてよくよく其顔をすかし見た。老夫婦も亦文助の顔を穴のあく程睨んでゐる。やや暫し互に首をかたげ沈黙の幕がおりた。此二人は冬助、おくみと云ふ文助の両親である。十年許り前に現界を去つてここに第二の新生涯に入り、水車小屋の主となつてゐたのである。
冬助『お前は伜の文助ぢやないか』
『はい、左様で厶ります。貴方はお父さま、お母さま、どうしてマア、こんな処で斯様な事をして居られますのか。チツとも合点が行きませぬ』
『ここはお前の目では何う見えるか知らぬが、大変な処だよ。お前の為に吾々夫婦は天国の団体から下されて、賠償的労働に従事してるのだよ』
『ここは水車小屋では厶りませぬか。ヤツパリ霊界に於ても現界同様に水車小屋があるのですかな』
おくみ『お前は若い時から随分我の強いヤンチヤ男で神様の事は少しも耳に這入らず、其天罰で到頭目を病み、種々雑多と手を尽した揚句、しよう事なしに神様の道を信仰する様になつたのだ。併しながら三つ児のくせは百迄と云つて、持つて生れた我情我慢は容易に直らず、ウラナイ教や三五教の取次をして受付に頑張り、いろいろと脱線的教理を伝へたものだから、お前の為に地獄へ迷うて来るものは何程あるか知れぬ。そして不思議な事には、お前の導いた連中は皆此道を通るのだ。お前は沢山の人間を地獄に導いた科によつて、地獄の苦しみを受けねばならぬ処だ。それを親として如何して黙つて見て居る事が出来ようか。親となり子と生れるのも皆深い因縁があつての事だ。それ故自分は下層天国の天人の団体に加へられ夫婦が楽しい生活を送つて居つたが、お前が現界に於て神様のお道の邪魔を致して居るがために、大勢の者が地獄に堕ち行き、子や孫に至るまで中有界に迷うと云ふ事を、エンゼルから聞いたによつて、せめては子の罪を軽くしてやりたい、又世間の人間を一人でも助けて吾子孫の罪を軽くしたいと思うて、神様にお願ひ致し、此荒野ケ原の中央に水車小屋を建てて此通り艱難苦労をしてるのだ。ここを通る旅人は大抵偽宣伝使の教によつて迷うて来るものが多い。自分の息子も其一人だから、何卒吾々夫婦が犠牲になつて、皆様の罪を洗ひ清め、天国へ上らし度いと思ひ神様にお願ひすれば、沢山の亡者の罪穢れ垢等が吾等夫婦の体に堆高く集まり来り、どうしても落ちないので、夫婦が互に搗臼の中に体を沈め、地獄以上の苦みをして皆様のために霊を研いて居るのだ』
とばかりワツと泣き伏す。文助は父母の恩の何処迄も限りなきを感謝し、只両手を合して泣きじやくりするのみであつた。
 文助は水車小屋の中へ這つて見れば大きな二つのつぼがあつて、そこには縦柱の杵が二本互に臼を搗いてゐる。ここは両親が替はる替はる臼の中へ這入つて此柱杵に体の垢を摺り落される修行場である。米や麦を搗く水車とは余程趣が変つてゐる。併しながら、トントンと臼搗きする毎に何処ともなしに白い粉が立つて二人の体は灰を被つた様になつて居た。文助は両親の手を曳き形ばかりの小さい居間に座を占め、両親に向つて心の底から天津祝詞を奏上し、神に謝罪した。そして、
『自分が両親に代り水車の苦業を致しますから、両親や吾子を助けて頂きたい』
と熱涙を流して祈願を凝らした。両親は又一生懸命に、
『吾々は仮令如何なる苦労を致しましても、少しも厭ひませぬ。何卒吾子の文助や孫が天国に救はれます様に……』
と一心不乱に涙と共に祈つてゐる。そこへ宙空を照して此場に下り来る大火団があつた。火団は忽ち五色の色と変じ、其中より容色端麗なる美人が現はれた。之は初稚姫の聖霊である。親子はハツと頭を下げ、
『何れのエンゼルか存じませぬが、此穢るしい冬助の処へ御降臨下さいまして有難う厶ります。就いては如何なる御用で厶りますか、承はり度う厶ります』
『妾は高天原の霊国よりの命によつて、只今此処に現はれたエンゼルで厶ります。冬助、おくみの両人が世人を思ひ吾子孫を思ふ真心が天に通じ、子孫の罪を許され愈もとの天国へ帰らるる事となりました。さア御夫婦殿、妾に跟いてお出でなさいませ、妾は三五教の初稚姫で厶りますよ』
おくみ『何とも申し上げやうのない有難い事で厶ります。併しながら吾々夫婦は如何なる苦労を致しましても少しも厭ひませぬ。何卒伜の文助を天国に救うて下されば、吾々が救はれたよりも何程有難いか知りませぬ。何卒其お取計らひを願ひ度う存じます』
『其願は尤もなれども、神界の規則は動かす事は出来ませぬ。此文助殿はまだ現界に於て尽すべき仕事も残つて居りますれば、再び八衢の関所まで送り、それより現界に返さねばならぬ事となつてゐます。貴方等は先に行つて天国の生涯を送り、子孫の上り来るをお待ちなさるが宜しい』
冬助『然らば仰せに従ひ、冬助お供に仕へませう』
文助『有難う厶ります。何分両親を宜しくお願ひします。私は両親に倣ひ此水車小屋で修行をさして頂きませう』
『神の言葉に二言は厶らぬ。貴方は八衢に向つてお進みなさい。冬助殿、おくみ殿、さア参りませう』
と云ふより早く紫の雲に包み、三個の火団となつて東南方をさして、宙空を掠めて立去り給うた。文助は此姿を見送つて両手を合せ、感謝の涙にうたれてゐる。
(大正一二・二・九 旧一一・一二・二四 北村隆光録)
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