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文献名1霊界物語 第75巻 天祥地瑞 寅の巻
文献名2第1篇 玉野神業よみ(新仮名遣い)たまのしんぎょう
文献名3第1章 禊の神事〔1895〕よみ(新仮名遣い)みそぎのしんじ
著者出口王仁三郎
概要
備考
タグ データ凡例 データ最終更新日2019-03-23 10:51:30
あらすじ「禊の神事」は、天之峯火夫の神の聖代から伝わるものであり、紫微天界の神々でも、一日も怠らずに今日まで及んでいる。禊は、国を治め、世界を平和にするものであり、また自分の身を正し、家庭をととのえるものである。禊は、さまざまな方式が伝わっているので、ここで簡単に説明する。振魂の行事:最も重要な神事この中にもいろいろなやり方があるが、普通は両手を臍の前で十字形に組み合わせ、渾身の力をこめて神名を称えながら、自分の根本の精神を自覚し、盛んに猛烈に、数十分から数時間、連続して全身を振るい動かす行司である。昔は、天之峯火夫の神の御名が称えられたが、現代の禊では、天之御中主之大神の御名を称える。妄念・邪想を鎮める。身体内の相反し孤立している活動を制御し、自分の根本精神を中心とした全身の統一を成し遂げることができる。禊の間は、食事を減らす。朝夕に一合の粥と三粒の梅干、少量のごま塩以外は食べない。しかし、内部の根本精神が興奮緊張するために、疲れたりやつれたりすることはない。天の鳥船:衆心一和の禊渾身に力をこめる。特に臍のあたりに力をこめ、気合とともに、櫓を漕ぐ動作を百千回反復する。運動それ自体が修練となる。また、気合術の練習にもなる。雄健の禊:神我一体連想の姿勢生魂、足魂、玉留魂、大国常立之尊の神名を唱えつつ、天之沼矛を振りかざして、直立不動の姿勢を構える。一、直立し、左右の両手で帯を硬く握り締め、親指を帯に指し、「生魂(いくむすび)」と唱えながら、力を全身に充足して腹を前に突き出し、体を後ろにそらせる。二、「足魂(たるむすび)」と唱えつつ、力を全身に充足して両肩を挙げ、その後腰、腹、両足に十分に力をこめて両肩を下ろす。三、「玉留魂(たまつめむすび)」と唱えながら、さらに両足に力を充足し、両足のつま先で直立し、その後強く全身に力をこめて、両方のかかとを下ろす。四、左足を一歩斜め前に踏み出す。左手はそのまま帯を握り締める。右手は人差し指と中指をともにまっすぐに立て、外の指は握る(これを天之沼矛にかたどる)。この右手を脳天に構え、真剣以上の勇気と覚悟を持する。雄詰(おころび)の禊:神我一体で禍津見を征服・善導する「イエーッ」と声を発するとともに、右足と左足を踏みつけ、同時に脳天に振りかざした天之沼矛を、斜めに空を斬って、一直線に左の腰元に打ち下ろす。さらに「エーイッ」と発生し、右ひじを脇につけたまま、ひじから前をまっすぐに立て、さらに天之沼矛を脳天に構える。これを続けざまに三回反復する。「イエーッ」の打ち込みは、悪魔を威圧懲戒する作法、「エーイッ」の打ち上げは、悪魔を悔悟させるための作法。伊吹の神事:雄詰に引き続いて行う両手を臍の位に置き、勢いよく十字型に組み合わせ、後に複式深呼吸を三回行う。最後の吸気は全部呑んで吐き出さないままにする。現代では、これら禊の行事の根源は失われ、本当のところは伝わっていないが、大体はこのような形式で、一部の神道家の間には残っている。紫微天界でも、禊の神事を万事の根源と定めたので、太元顕津男の神たちは、玉野丘の玉泉でおのおの禊を修するために集まって、禊祓いに奉仕した。一同は、玉野丘の霊泉の汀に座を定め、禊の神事を修しようと、おのおの禊の歌を歌った。全員が歌い終わると、真鶴山はわずかに震動し始め、アオウエイの音響がいずこともなく高らかに聞こえてきた。
主な人物 舞台 口述日1933(昭和8)年11月02日(旧09月15日) 口述場所水明閣 筆録者加藤明子 校正日 校正場所 初版発行日1934(昭和9)年2月3日 愛善世界社版 八幡書店版第13輯 291頁 修補版 校定版11頁 普及版 初版 ページ備考
OBC rm7501
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本文の文字数4970
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本文  我が神国には、大虚中に⦿の言霊より生れ出で給ひし天之峯火夫の神の、聖代より今日に至るまで伝来せる禊の神事あり。此の神事は紫微天界の神々と雖も一日も怠り給ふ事なく、今日に及べる主要の事柄なり。抑禊は大にしては治国平天下となり、小にしては修身斉家の基本たり。而して禊にも種々の方式伝はれり。吾人は是より諸種のみそぎに就て略述せむとす。
 禊に関する行事の内にて最も至要なる神事は振魂の行事なり。之には種々の方式あれども、普通の場合には、両掌を臍あたりの前方に於て十字形に組み合せ、渾身の力を籠めて神名を称へながら、自己の根本精神を自覚して、盛んに猛烈に数十分乃至数時間連続して全身を振ひ動かす行事なり。神代の禊には神々何れも天之峯火夫の神の御名を称へ奉られたるが、現代にては吾人の禊には天之御中主之大神の御名を称へ奉るなり。
 此の振魂の行事に由りて、精神内包の妄念邪想を鎖鎮すると共に、身体各部の反対的孤立的の活動を制御し、自己の根本精神を中心としたる全身の統一的活動を為すなり。禊の間は日々の食事を減じて、朝夕に一合の粥と三粒の梅干、小量の胡麻塩以外一切を食せざるも、全く自己の根本精神(本守護神)に対する全身の抵抗力を減殺し、偏に心身の統一を計るに便ずる用意なり。然るに身体は其減食のために、疲れ又は病み困難に陥るといふ心配はなし。内部の根本精神が興奮緊張の度を増し来る故に、却て元気全身に充足し、頭脳は冷静明快となり、全身爽快にして神の気分漂ふ。内省して疚しき罪穢もなければ、仮令百千万の強敵現はれ来るとも恐れず、大海高山を突破し、宇宙を呑吐する気概勃発して、一合の粥以外に何物をも食せずと雖も、更に飢餓を覚ゆる事なし。恰も自己は神代の昔に蘇りたる心地となり、日本民族の自性を明瞭に感得するに至るなり。
 次に天の鳥船と称する禊の神事あり。之は神代の神々が天の鳥船に乗り給ひて大海原を横ぎり給ひし大雄図を偲びつつ、渾身特に臍の辺りに力を込め、気合と共に艫を漕ぐままの動作を百千回反復する行事にして、運動夫れ自身に価値あるのみならず、之に依りて気合術の練習も出来、不知不識の間に衆心の一和する禊なり。
 次に雄健の禊あり、生魂、足魂、玉留魂、大国常立之尊の神名を唱へつつ、天之沼矛を振りかざして直立不動の姿勢を構ふる行事なり。即ち、
一に直立して左右の両手を以て帯を堅く握り締め、拇指を帯に差し『生魂』と唱へつつ、力を全身に充足して腹を前方へ突き出し、体躯を後方に反らせ、
二に『足魂』と唱へつつ、力を全身に充足して両肩を挙げ、然る後、腰、腹、両足とに充分の力を込めて両肩を下し、
三に『玉留魂』と唱へつつ、更に力を両足に充足して両の爪先にて直立し、然る後強く全身に力を込めて両の踵を下すなり。
四に左足を一歩斜前方に踏み出し、左手はそのまま帯を握り締め、右手は第二第三指を並立直指し、他の三指は之を屈し(之を以て天之沼矛に象る)之を脳天に構へ、真剣以上の勇気と覚悟とを持する行事なり。要するに雄健の禊は、神我一体聯想の姿勢なり。
 次に雄詰の禊あり。雄詰といふは神我一体として、禍津見を征服し、之を善導神化する発声なり。雄詰は「イーエツ」といふ声を発すると共に、右足を左足に踏み付け、同時に脳天に振りかざしたる天之沼矛を斜に空を斬つて、一直線に左の腰元に打ち下すや否や、更に「エーイツ」と発声すると共に、右肘を胸側に着けたる儘前臂を直立し、然る後更に天之沼矛を脳天に構へ、前後に通じて続けさまに三回反復して行ふなり。神我一体として「イーエツ」と打ち込むは、四囲の悪魔を威圧懲戒するの作法にして、之を反対に「エーイツ」と打ち上ぐるは、悪魔を悔悟復活せしむるが為なり。即ち鬼も神と化し、禍も福と化し、之を吸収同化して共に神我一体たらしめむとするが、大祖神の垂示にして、神人の膨脹的大理想なり。
 次に雄詰を終りて、直ちに両掌を臍の位に置き、勢よく十字形に組み合せ、然る後腹式深呼吸を三回行ふ。而して最後の吸気を全部呑みて呼出せず、之を伊吹の神事と言ふなり。
 現今にては禊の行事其根元を失ひ真相伝はらざれ共、大要右の如き形式にて一部の神道家間に残り居るなり。紫微天界にても禊の神事を以て万事の根元と定められたれば、太元顕津男の神を始め百神達は、玉野丘の玉泉に各自禊を修すべく集り給ひて、修祓の業に奉仕し給ひぬ。
 顕津男の神初め其他の諸神は、玉野丘の霊泉の汀に、各自座を定め、禊の神事を修せむとして、御歌詠ませ給ふ。
 顕津男の神の御歌。

『天渡る月日もうつる玉泉の
  清きは神の心なるかも

 水底の真砂も光る玉泉に
  わが罪汚れくまなく洗はむ

 国土造り御子生む神業の尊さを
  悟りて我は禊仕へむ

 振魂の禊に水底の真砂まで
  揺ぎ出だせり神のまに

 神々の振魂の禊つばらかに
  この水底に写りけるはや

 真鶴の稚き国原固めむと
  玉の泉にまづ禊せむ

 常磐樹の松の梢は水底に
  みどりに栄えて波静なり

 波の面に波紋描きて泡立つは
  水底にすむ小魚の呼吸か

 この清き玉の泉に永久に
  住む魚族はすがしかるらむ

 西南の空より下りし我にして
  この清泉に住みたくぞ思ふ

 その昔鰻となりて仕へてし
  我はなつかし泉の水底

 この水に鰻とかへりて永久に
  我は住みたくなりにけらしな

 及ばざること繰り返し主の神の
  依さしに背かむ事のおそろし

 種々の苦しみなやみを忍びつつ
  今この泉にみそぎするかも

 わが御霊くもりにくもり濁らへり
  この清泉に甦らむかな

 神生みの業初々に終へぬれど
  心にかかる何ものかある』

 玉野比女の神の御歌。

『非時の香具の木の実ゆ現れし
  われは水際にたちばなの神

 瑞御霊やすくましませ岐美が霊は
  玉の泉のごとく清けし

 禊して此国原を固めむと
  思ほす岐美を尊くぞ思ふ

 主の神の御水火かかりし香具の実は
  八十柱比女の神となりぬる

 八十柱神の一つに加へられ
  われは神業に後れしを悔ゆ

 一つ国に一つの国魂生ませつつ
  神代を永久に開かす主の神よ

 一つ国に一つの御樋代定めましし
  主の大神のこころ尊し

 此国の御樋代となりし吾にして
  神業に後れしを今更悔ゆるも

 神生みの神業に後れし過ちは
  わが魂線の曇りなりけり

 曇りたるわが魂線の御樋代に
  如何で国魂神の生れむ

 生代比女神の神言の御子生みは
  主の大神の経綸なるらむ

 生代比女の神いまさずば真鶴の
  国魂神は生れざらましを

 瑞御霊を吾は恨まじ生代比女の
  神も恨まじ惟神なれば

 主の神の依さしたまひし神業を
  軽んじ居たる罪なりにけり

 御樋代と心おごりしたまゆらに
  わが生魂はくもりたりけむ』

 生代比女の神の御歌。

『真鶴の山のみたまと現れて
  吾は知らずに神業仕へし

 瑞御霊水火に生れし吾なれば
  わが魂線は岐美にいつきぬ

 道ならぬ恋ゆゑ吾は諦めむと
  幾度こころを省みしはや

 魂線の縁の糸に縛られて
  岐美の御水火に御子を孕みぬ

 一度の御手に御肌にふれずして
  岐美の真言に想像妊娠ぬ

 玉野比女許させたまへわが心
  朝な夕なに公をおそれつ

 わが思ひ燃えあがりつつ黒雲と
  なりて御空を鎖せしを恥づ

 今よりは是の泉に禊して
  許々多久の罪汚れを払はむ

 主の神の御子に生れませばわが気体
  煙となりて天にのぼらむ

 玉野比女神よ生れます神の子を
  汝が御子として育くみたまはれ

 村肝の心にかかる雲もなし
  わが縺れたるおもひも解けつつ』

 遠見男の神の御歌。

『百神の姿すがしく水底に
  月日とともに冴え渡るかな

 月も日も水面に写る玉泉の
  面は鏡のごとく光れり

 天地の合せ鏡の真清水に
  洗はむ魂に汚れあるべき

 水底に白梅薫り常磐樹の
  松の翠は静にそよげり

 神々の姿も水底にさかしまに
  うつりて清く面かがやけり

 吾は今天と地とに頭辺を
  むかはせて立ちぬ清き汀に

 天と地の中心になるかわが足は
  上と下とにふまへ居るなり

 天地の中心に立ちて国土造ると
  禊の汀にかがやき居るも

 天も地も一つになりし瑞御霊
  この玉水にすみきらひますも

 瑞御霊神の功を今ぞ知る
  御空の月日も下りて浮べば

 この水は生命の清水真清水よ
  この稚国の生命の元よ

 玉野森とこれの泉のなかりせば
  この国原をいかに生かさむや

 二柱比女神の姿水底に
  すがしく映えて四柱となれり

 二柱比女神力を一つにし
  これの世柱とならさせ給はれ

 国土生みと御子生みの神業に仕へます
  世柱比女の神ぞかしこき

 水底に真鶴翼を搏ちながら
  舞へる姿の勇ましきかな

 伽陵頻迦の声も水底に聞ゆなり
  泉は薫る白梅の花

 主の神の降らせたまふも宜なれや
  この玉泉は瑞の御霊よ

 かくのごと清きみたまの岐美なれば
  御子生みの神業やすくますらむ

 永久に濁りを知らぬ玉泉の
  深きは岐美の心ともがな』

 圓屋比古の神の御歌。

『まるまると月の形の玉泉
  写して清き瑞御霊かも

 月と日を浮べて圓き泉なれば
  玉の泉とたたへけるにや

 吾は今この玉水に禊して
  岐美の神業を助けむと思ふ

 そよと吹く風にも縮む水の面の
  すなほに吾は心を洗ふ

 吹くとしもなき風ながら玉泉の
  水面に小波うてる素直さ

 素直なる泉の面の小波は
  瑞の御霊の真心なるべし

 大なる事にも動きささやけき
  事にも動かす瑞御霊かも

 月と日を浮べて清き玉泉も
  そよ吹く風に動かす素直さよ

 この清き直き御霊を照しまして
  国土造りませ瑞の御霊よ

 圓屋比古神は御供に仕へつつ
  岐美が正しき心悟りぬ

 生代比女に真言のらせどあやしかる
  心もたさぬ岐美ぞかしこき

 玉野比女の清き心は玉泉の
  面に似まして深くすませり

 玉の丘にかくも清しき神々の
  国土造りせむと禊ますはや

 天も地も一度に開くこの禊
  神の心とかしこみ仕へむ

 濁りなき玉の泉と村肝の
  心洗ひて御前に仕へむ』

 宇礼志穂の神の御歌。

『天界の鳴り出でし時ゆためしなき
  今日の嬉しさ清しさに居るも

 神生みの神業も漸くなりなりて
  玉の泉に立たす嬉しさ

 生代比女神の禊は真鶴の
  国土を固めの基なるらむ

 玉野比女の清き心は玉泉の
  面に月日の浮べるがごとし

 鳳凰は翼を天に搏ち搏ちて
  今日の禊をことほぎにつつ

 幾度の禊はすれど今日のごと
  すがしき泉にあはざりにけり

 玉野森に数多の泉は湧きながら
  この清しさはあらざりにけり

 八千尋の底まで清く澄みきらふ
  玉の泉の珍しきかも』

 美波志比古の神の御歌。

『玉野丘の麓に謹みて時待ちし
  吾尊くもゆるされにけり

 みはし比古の神にしあれど玉野丘に
  のぼらむ御橋かけ得ざりけり

 わが魂をこれの泉に禊して
  みはしの業に清く仕へむ

 真鶴の稚き国原今日よりは
  甦るべし目路の限りを』

 産玉の神の御歌。

『神々の禊の神業すがしくも
  水底にうつらふ今日ぞ尊き

 澄みきらふ玉の泉にわが魂を
  洗ひて生れます御子を守らむ

 この水は生れます御子の産盥
  産釜なれや澄みにすみきらふ

 澄みきらふ玉の泉の産盥に
  つつしみ吾は御子育くまむ』

 魂機張の神の御歌。

『魂機張命の清水真清水は
  主の大神の御姿なるも

 この清水掬べば千歳万歳の
  玉の生命は笑み栄ゆべし

 神の代の開けし遠き昔より
  まだ見ぬ清き玉の泉よ

 常磐樹の松に巣ぐひし真鶴は
  御子の千歳をことほぎまつらむ』

 美味素の神の御歌。

『甘き水柔かき水清き水
  万食物美味素の水よ』

 結比合の神の御歌。

『天と地と結び合せてすみきらふ
  この玉泉は神の姿よ

 この丘にかかるすがしき玉泉
  光れるは神の御心なるらむ

 天地を結び合せてすみきらふ
  玉の泉にみそぎせむかも

 真鶴の国の鏡と輝けり
  玉の泉の深さ清しさ

 ためしなきこの玉水にわが魂を
  洗ふもうれし岐美に仕へて』

 真言厳の神の御歌。

『言霊の幸はふこれの天界に
  吾はみそぎて真言を生かさむ

 主の神の感応ありしか水の面の
  みるみる波は高まりにけり

 真鶴の国土固めむと禊終へて
  いづの言霊われ宣らむかな

 瑞御霊神を助けて吾は今
  厳の言霊宣らむと思ふ』

 かく歌ひ給ふや、真鶴山は少しく震動し始め、アオウエイの音響いづくともなく高らかに聞え来る。
(昭和八・一一・二 旧九・一五 於水明閣 加藤明子謹録)
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