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文献名1霊界物語 第75巻 天祥地瑞 寅の巻
文献名2第4篇 千山万水よみ(新仮名遣い)せんざんばんすい
文献名3第17章 西方の旅〔1911〕よみ(新仮名遣い)にしかたのたび
著者出口王仁三郎
概要
備考
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あらすじ古来、文学者たちが神世の物語を著すのに、史詩(シャンソン)と伝奇物語(ロマン)の二種類の様式を使ってきた。史詩は歴史と空想の混じったものであり、伝奇物語は、史実を踏まえつつ、それをより濃厚な空想で味付けした物語である。古今東西、神界に言及した多くの歴史物語が存在してきたが、『天祥地瑞』のように言霊を取り扱った書物はいまだかつてなかった。なぜなら、言霊学は深遠微妙、玄妙な学理であるから、並大抵の学者では理解することができなかったのである。私(=王仁三郎)は大胆不敵にも、大宇宙の極元である言霊の活用に基づいて、宇宙の成立から神々の活動について、史詩の形式を借りて、その大要を述べようとしているのである。天地茫漠として修理固成がまだなされていない時代、言霊のはたらきから発する意思想念の世界のことを説明すると、現代人には奇妙に感じることが多い。一定不変の形式をもたないので、神々の姿も、竜体・獣体・山岳など、さまざま違っている。なぜなら、意思想念そのものが現れているからである。一方今日では、人間の形態が定まってしまったので、かえってその人の意思想念がどのようなものか、外から観察することが難しくなってしまった。正しい神の道により知恵正覚を得た人は、精神を看破することができるが、大多数の人には難しい。そこで、主の大神は、ミロクの神柱を地上に下して、正しい教えを天下に施して人類の眼を覚まさせ、光らせ、悪魔の跳梁を絶滅させることで、ミロクの御世を樹立しようとなさっているのである。さて、玉藻山に二人の女神を残して真鶴国を旅立った顕津男の神は、宇礼志穂の神、魂機張の神、結比合の神、美味素の神の四柱神を従者として、玉藻山の千条の滝が集まる大滝川に禊をした。そして、主の大神を伏し拝み、西方の国の国土造り・神生みの神業の完成を祈る歌を歌った。従者神たちもそれぞれ、真鶴国の造営を省み喜びつつ、西方の国への旅立ちの決意を、それぞれ歌った。宇礼志穂の神が案内に立ち、顕津男の神、そして残り三柱の従者神たちがそれに続いた。
主な人物 舞台 口述日1933(昭和8)年11月29日(旧10月12日) 口述場所水明閣 筆録者加藤明子 校正日 校正場所 初版発行日1934(昭和9)年2月3日 愛善世界社版 八幡書店版第13輯 376頁 修補版 校定版325頁 普及版 初版 ページ備考
OBC rm7517
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本文  古来文学者等が、天地開闢以後の史実を説明せむとするに当り、二つの方法を用ゐて来た。其一つは史詩であり、其一つは伝奇物語であつた。而して史詩は歴史と空想との交錯であり、伝奇物語は史的要素を、より濃厚な空想で賦彩したものである。ダンテの詩の如き、又は竹取物語の如きは、総て伝奇物語の形式を取つたものである。中にも史詩は其大多数を占めて居たやうであるが、後世に至つて学者達が散文体に翻訳し、之を広く発表するに至つたものである。併しながら我国は言ふも更なり、泰西諸国に流布さるる史的物語にも、英雄、神、悪魔等を取扱つて居るもの多く、吾が述ぶる『天祥地瑞』の如く、言霊を取扱つた書籍は絶無である。要するに言霊学は深遠微妙にして、凡庸学者の脳髄に到底咀嚼し能はず、又夢にも窺知するを得ざる玄妙なる学理なるが故に、今日迄閑却されて居たのである。一知半解の頭脳をもつては、到底言霊学を題材とする史詩又は伝奇物語は絶対不可能である。私は大胆にも不敵にも、大宇宙の極元たる言霊の活用に基づき、宇宙の成立より、神々の御活動に就いて、史詩の形式を借り、弥々茲にその大要を述べむとするものである。
 未だ天地茫漠として修理固成の光輝かざりし時代の物語にして、言霊の妙用より発する意志想念の世界を説明せむとするものなれば、現代人の目より耳より不可思議に感ずる事最も多かるべし。人間は神の形に造られたりと、総ての学者は言つて居る。故に神は総て人間の形をなしたるものと想像して居る人々が多いのである。然れども意志想念の情動によりて、最初の世界は一定不変なる形式を保つ事の出来ないのは明瞭なる真理である。竜体の神もあれば獣体の神もあり、又山岳の形をなせる神もあり、十数箇の頭を有する大蛇身もあり、千態万様である。何故なれば、意志想念其ものの形の現れであるからである。人間の面貌は精神の索引なりと称ふるも此理由である。併しながら今日にては人間の形態定まりたれば、意志想念によりて其体を変ぜず。唯面貌に変化を来すのみとなつたので、表面より見ては其性格を容易に知る事が出来なくなつて居る。外面如菩薩、内心如夜叉の如き悪魔の横行するのも、善悪共に同一形態を備ふるに至りしより、悪魔に便宜を与へて居るのである。細心に注意する時は、形態は人間なれども、其面貌に、声音に、動作に、悪魔の状態を現ずるものなれども、一般の人間の目よりは、其精神状態の善悪を容易に窺知する事が出来ないやうになつたのである。正しき神の道を踏み、日夜に魂を清め、智慧証覚を得たる真人間の眼よりは、容易に之を観破する事が出来るのであれども、盲千人目明き一人の世の譬に漏れず、大多数の人は欺かれ禍ひにかかるものである。茲に主の大神は、ミロクの神柱を地上に下して、正しき教を天下に布き施し人類の眼を覚させ、光らせ、悪魔の跳梁を絶滅し、以てミロクの神世を樹立せむとし給へるこそ、有難き尊き限りなれ。
 茲に太元顕津男の神は
 玉藻の山の聖所に
 二柱の女神残しおき
 玉野宮居に礼辞
 宣り終へまして悠々と
 駒に跨り鈴の音も
 いと勇ましく百神に
 その御尾前を守られて
 傾斜面の坂路右左
 伝ひ伝ひて下りまし
 千条の滝よりおちくだつ
 谷の清水に禊して
 馬に水飼ひ荒野原
 勇み進みて出でたまふ
 其御姿の雄々しさよ
 百神等は御尾前に
 仕へまつりて霊光の
 輝きたまふ御後より
 畏れ謹み出でたまふ
 紫微天界の国土生みや
 御子生みの旅の物語
 水明閣に端坐して
 東雲社員に筆とらせ
 心いそいそ述べてゆく
 嗚呼惟神々々
 神の御霊の幸ひて
 此の物語いや広に
 いや審かに後の世の
 鏡ともなり塩となり
 花ともなりて世の人の
 御魂に光与ふべく
 守らせ給へと願ぎ奉る。
 顕津男の神は宇礼志穂の神、魂機張の神、結比合の神、美味素の神の四柱神と共に、玉藻山の千条の滝水の集れる大滝川の清流に禊し給ひ、おのもおのも駒に水飼ひながら、主の大神を遥かに伏し拝み、西方の国の国土造り神生みの神業を、𪫧怜に委曲に完成すべく、声も清しく祈の御歌詠ませ給ふ。

『久方の天津高宮の主の神に
  禊終りて願ぎ言申さむ

 真鶴の国土はやうやく固まりぬ
  西方の国土生み守らせたまへ

 玉野丘膨れ上りし神業に
  ならひて我は国土生みせむとす

 もろもろの曲神等を言向けて
  神の依さしの国土生みをせむ

 わが伊行く道の隈手も恙なく
  進ませたまへ主の大御神

 科戸辺の風も静にふくよかに
  わが行く道に幸ひあれかし』

 宇礼志穂の神は御歌詠ませ給ふ。

『わが岐美の御後に従ひ進みゆく
  道の隈手も恙あらすな

 真鶴の国の境の日南河
  向つ岸までおくらせたまはれ

 真鶴の国土はやうやく固まれど
  まだ地稚し駒はなづまむ

 玉藻山千条の滝の集りし
  大滝川の水底は澄めり

 澄みきらふ大滝川の真清水は
  瑞の御霊の心なるかも

 大滝川清き流れに禊して
  わが魂線は甦へりぬる

 水底の砂利さへ小魚さへ透きとほる
  大滝川の清くもあるかな

 駿馬は嘶き鶴は万代を
  うたひて岐美がみゆき送るも

 大滝川岸辺に萌ゆる夏草の
  緑の若草わけて進まむ』

 魂機張の神は御歌詠ませ給ふ。

『魂機張る命の清水よ真清水よ
  千条の滝より落つる流れは

 たうたうといや永久におちたぎつ
  滝のごとあれ岐美の齢は

 永久に涸るるためしはあらたきの
  いや高長に流るる生命よ

 かかる世に生れてかかる楽しさを
  味はひにけり岐美に仕へて

 玉藻山千条の滝の音高く
  響きわたらへ岐美の御名は

 百千草四方に香ひて百鳥の
  声冴え渡る大滝川の辺

 川水に五つの駒の水飼ひて
  進まむ今日の旅面白し

 行く先に如何なる神のさやるとも
  退けたまへ言霊の水火に

 旅立たす岐美の御供に仕へつつ
  わが身わが魂わくわく躍るも

 極みなき望みかかへて旅立たす
  岐美の面わを勇ましく思ふ

 御面は月日の如くかがやきて
  射向ふ神とならせたまひぬ

 わが神は面勝神よ射向ふ神
  如何なる曲もさやらむすべなし

 大野原吹き来る風も柔かに
  みゆきことほぐ響をつたふ』

 結比合の神は御歌詠ませ給ふ。

『大滝川清き流れは永久の
  岐美の生命と澄みきらひたり

 雲の上に浮きたつ玉藻の神山は
  紫の雲に包まれにけり

 紫の雲の上より玉野比女
  生代の比女は岐美を送らむ

 生れませし御子の生ひ立ち楽しみて
  西方の国土に立たす岐美はも

 真鶴山玉藻の山や三笠山は
  真鶴国の要なるかも

 月も日も清く流るる大滝の
  川は底まで澄みきらひたり

 夕ざれば星の真砂の数々は
  水面に清く浮ぶなるらむ

 霊線の結びの力に月も日も
  星も虚空にやすく定まれり

 まだ稚き国原なれど月日星の
  霊線の糸に動くともせず

 天の川南ゆ北に大空を
  くぎりて清き真鶴の国』

 美味素の神は御歌詠ませ給ふ。

『玉藻山玉の泉ゆおちたぎつ
  千条の滝の水はあまきも

 地の上の総てのものを霑して
  育くみ守れ千条の滝水

 神々の食ひて生くべき稲種は
  この川水に育くまるなり

 天の狭田長田に注ぐ大滝の
  川の清水の味はひよきかも

 言霊の水火こもらずば真清水も
  あまき味はひ備はらざらむを

 天地の総てのものら美味素の
  神の守りの味はひもてるも

 神々の魂線までも味はひを
  授けて守る美味素の神よ

 川の辺に鳴く鈴虫の声さへも
  味はひうましく耳に響けり

 おちくだつ千条の滝の響さへ
  耳なぐさむる味はひなりけり

 いざさらば岐美よ召しませ駒の背に
  吾は御供に仕へまつらむ』

 斯く歌ひ終り給へば、太元顕津男の神は、

『美味素神の言葉の味はひに
  我は進まむ駒に鞭うちて』

と宣らせつつ、馬背に跨り、五色の絹もて造りたる御手綱を左手にもたせ、右手に玉鞭を打ち振りながら、駒に翳せる鈴の音もさやさやに、神跡なき若草原を進ませ給へば、宇礼志穂の神は案内の為めと御前に立ち、三柱神は御後に従ひまつり、湯気立ち昇る大野原を、西へ西へと進ませ給ふぞ勇ましき。
(昭和八・一一・二九 旧一〇・一二 於水明閣 加藤明子謹録)
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