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文献名1霊界物語 第76巻 天祥地瑞 卯の巻
文献名2第3篇 孤軍奮闘よみ(新仮名遣い)こぐんふんとう
文献名3第10章 二本松の蔭〔1927〕よみ(新仮名遣い)にほんまつのかげ
著者出口王仁三郎
概要
備考
タグ データ凡例 データ最終更新日----
あらすじ見渡す限り夏草が萌える大野ケ原を進みつつ、朝香比女は馬上に歌を吟じながら進んでいた。昨日の曲津神の来襲と勝利をふりかえりつつ、顕津男の神への思いをつづっていた。比女は駒をひらりと降りると、二本松の樹下にしばし休らった。どこまでも広がる青空の下の草原の木陰で休息を取った朝香比女は、顕津男の神への思いを述懐歌に歌った。日のまだ高いうちに再び馬上の人となった比女は、栄城山を目指して進んだ。顕津男の神が、御樋代神もおらず、スウヤトゴルの大曲津神が待ち受けている西方の国へと向かったことを風の便りに聞き、かの地に思いを馳せた。その日の黄昏頃、比女は栄城山に着いた。栄城山の神々たちは、御樋代神がやってくることを伝え聞いており、山麓の谷川の岸辺まで出迎えに来ていた。機造男の神、散花男の神、中割男の神、小夜更の神、親幸男の神の五柱、いずれもウ声の言霊から生る出でた神々だった。
主な人物 舞台 口述日1933(昭和8)年12月07日(旧10月20日) 口述場所水明閣 筆録者内崎照代 校正日 校正場所 初版発行日1934(昭和9)年3月23日 愛善世界社版 八幡書店版第13輯 549頁 修補版 校定版352頁 普及版 初版 ページ備考
OBC rm7610
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本文の文字数2396
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本文  見渡す限り夏草萌ゆる大野ケ原の露を駒の蹄に踏みくだきながら、朝香比女の神は馬上豊に、小声に御歌吟じつつ進ませ給ふ。
『丹牡丹燃ゆる高地秀の
 宮居の聖所を立ち出でて
 駿馬の背に跨りつ
 果しも知らぬ大野原
 進みて来る折もあれ
 霞ただよふ野の果に
 ひとり淋しも天津日かげは地にかくれ
 黄昏の幕はおそひ来ぬ
 駒の脚並いそいそと
 とある河辺に着きぬれば
 闇はますます深みつつ
 ただ一条の河瀬の色は
 闇に白々横はり
 せせらぎの音幽に響く
 かかる淋しき河の辺に
 駒に跨り佇める
 折しもあれや曲津見は
 火玉となりて河下ゆ
 闇を照らしつ迫り来る
 よくよく見れば火の玉は
 眼一つに口八つ
 各自に口開き
 巨大の蜂を吐き出し
 吾と駒とを襲ひければ
 駒はかしこく水中に
 身ををどらして飛び込みつ
 蜂の禍のがれける
 妾は言霊宣り上げて
 神を祈りつ燧石
 かちりかちりと打ち出せば
 忽ち真火はほとばしり
 あたりを照らす功績に
 さすが曲津見恐れ出し
 煙となりて消え去りぬ
 折しもあれや東の
 空はほのぼの東雲めて
 鵲の声さわやかに
 虫の音清く朝風は
 おもむろに大野ケ原を吹き
 せせらぎの音さやさやに
 響き渡れる暁の
 空より昇る天津日は
 光の限りを光らせつ
 草葉の露を玉と照らし
 中天高く昇ります
 ああ惟神々々
 高地秀山を立ち出でて
 初めて遇ひし曲津見の
 曲の禍追ひ払ひ
 極みも知らぬ夏の野を
 吾ただ一人進むなり
 わが背の岐美は今何処
 一日も早く巡り逢ひ
 積る思ひの数々を
 岐美の御前に打ち開けて
 日頃の恋の意地を立て
 水火と水火とを合せつつ
 神の依さしの神業に
 仕へ奉らでおくべきか
 吾は女神の身なれども
 御樋代神と選まれし
 主の大神が国土生みの
 貴の器ぞ宝ぞや
 鶴は御空に舞ひ遊び
 小鳥は天界の春うたひ
 千草にすだく虫の音は
 わが出で立ちを寿ぎつ
 駒の嘶き勇ましく
 風の響も冴えきりて
 わが行く野辺は広々と
 果しも知らぬ主の神の
 御稜威を此処にあらはせり
 ああ惟神々々
 栄城の山も近づきぬ
 駿馬の蹄休めて今しばし
 吾も憩はむ常磐樹の
 二本並ぶこの樹蔭』
と歌はせつつ駒をひらりと飛び下り、二本松の樹下に暫しを休らひ給ふ。

『久方の御空は高し野は広し
  その真中をわれ一人行くも

 国土稚き大野を駒に跨りて
  行くはたのしも岐美を力に

 目にさはるもの一つなき広野原に
  珍しきかも二本の松

 二本の松の樹蔭に休らへば
  御空に低う田鶴の舞ふなり

 この松は梢こもれり真鶴の
  翼休むる聖所なるらむ

 駿馬は青草むしりわれは今
  生言霊の水火を吸ふなり

 天界に生れて清き言霊の
  水火を吸ひつつ生くる吾なり

 百草の花はいろいろ咲き満ちて
  わが行く道を飾りたつるも

 種々の花咲き匂ふ大野原に
  暫しやすらひ岐美の歌詠まむ

 顕津男の神の神言の瑞御霊
  あつき心のわれには解けむ

 冬の日の氷の如く堅くとも
  熱には解くる瑞御霊かも

 御子生みの神業に仕ふる岐美故に
  わが伊行くとも辞みたまはじ

 おほらかに御樋代神と名乗りつつ
  われは仕へむ岐美の御前に

 その岐美の在処は未だ知らねども
  矢竹心のかよはざらめや

 高地秀の貴の宮居を立ち出でて
  一人旅すも岐美に逢はむと

 曲津見の醜の荒びを言むけて
  岐美に会はむとわが来つるかも

 よしやよし万里の遠きにいますとも
  たづね行かなむ真心の駒に

 わが駒は歩みも速し幾万里
  彼方の空もやすく進まむ

 二本の常磐の松の蔭に立ちて
  岐美と吾とのすがた見るかな

 一本は雄松なりけり一本は
  わが身に似たる雌松なるかも

 落ち散りし松の一葉も二本の
  鉢葉は堅くはなれざりけり

 広々と果しも知らぬ野の中に
  生ふる二本の松めづらしも

 雌雄の松梢手折りてわが髪に
  かざし進まむ遠き大野を

 わがかざす松の梢は岐美がりに
  誓ひまゐらすしるしともがな

 わが行手祝ひて舞ふか真鶴は
  頭上を高くつばさ搏つなり

 安らかにあるべき身ながら恋故に
  われは万里の旅に立つかも

 広々と果しも知らぬ天界を
  一人の岐美に会はむと行くかも

 わが恋は御空の如くはろけかり
  月読の舟のそれならなくに

 比女神の固き心は岩ケ根も
  貫かずしておくべきものかは

 いざさらば再び駒に跨りて
  万里の広野を駈け行かむかも』

 斯く歌ひ給ひ、ひらりと駒に跨り、御空に輝く日の御光を仰ぎながら、またもや御歌詠ませ給ふ。

『高照の山の尾の上を出でし日は
  わが頭辺にかがやき給へり

 高地秀の峰に沈ます頃ほひは
  栄城の山にわれは進まむ

 なつかしき栄城の山よわが岐美の
  祈りたまひし聖所と思へば

 栄城山尾の上の宮居に詣でつつ
  岐美の行方をうかがはむかも

 南の国土を巡りて西方の
  国土にいますと便りは聞けども

 西方の国土には御樋代神あらず
  われは進みて神業に仕へむ

 スウヤトゴルの大曲津見は黒雲と
  なりて日に夜に猛ぶとぞ聞く

 背の岐美を悩ます醜の曲津見を
  吾はやらはむ真火の功に

 鋭敏鳴出の神の神言の教へたる
  真火の力に刃向ふ曲津なし

 曲津見に向ひてこよなき武器こそは
  燧の真火にまさるものなし

 曲津見は陽火をおそれ陰火もて
  国津神等を悩ましをるかも

 そよそよと吹き来る風も芳ばしき
  栄城の山の千花のかをりか

 由縁ある栄城の山に駈けつけて
  岐美の御後を偲びまつらむ

 栄城山遠野の奥に霞みたり
  ひと鞭あててわれ急がばや』

 斯く歌はせ給ひつつ、遥の空にぼんやりと霞む栄城の山を目当に、其の日の黄昏れる頃、朝香比女の神は安々と着かせ給ひける。栄城山の神々は御樋代神出でますと、雁の便りに聞き知りまして、山麓に横はる細溪川の岸辺まで出迎へ給ふ。其の神の御名は機造男の神、散花男の神、中割男の神、小夜更の神、親幸男の神の五柱にして、何れもウ声の言霊より生り出で給ひし神々におはせり。
(昭和八・一二・七 旧一〇・二〇 於水明閣 内崎照代謹録)
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