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文献名1霊界物語 入蒙記 山河草木 特別篇
文献名2第4篇 神軍躍動よみ(新仮名遣い)しんぐんやくどう
文献名3第26章 天の安河よみ(新仮名遣い)あまのやすかわ
著者出口王仁三郎
概要
備考2024/1/29出口王仁三郎全集第6巻を底本として校正。
タグ データ凡例 データ最終更新日2024-01-29 14:24:45
あらすじいつの間に盧占魁が宣伝したものか、蒙古人たちは、日出雄は蒙古興安嶺中の部落の出身で、日出雄の母は流転の後に日本人と結婚し、異父弟の真澄別が生まれた。のちに日出雄は日本で一派の宗教を樹立し、蒙古を救済するべく帰来した、と信じていた。蒙古の元老たちは、日出雄をジンギスカンの末裔と信じていた。日出雄は、万一自分が蒙古の外へ出ることがあっても、弟の真澄別を置いていくから心配するな、と彼らを慰めていた。索倫に引き移ってからは、真澄別が来客の応接に当たり、日出雄は生き神としてみだりにこれを煩わさないような体制になっていた。上木局子は現地の部落民も獰猛の気がみなぎっていたが、日出雄は親しく交わって病人を治したりと、徳化教育を怠らなかった。そのうちにも、上木局子出発の日まで、トール河畔で霊的修行を行っていた。修業開始五日目に、日出雄は神がかりとなって身体より霊光を放射し、神言が口を破って出た。神素盞嗚尊、武速素盞嗚尊と現れて、滅びようとしている神の国の立て替え立て直しを行おうとしている。小人どもががやがやと立ち騒いでいるが、すべて神の仕組んだ神業であるので、いかなる事変が起ころうとも、神に任せて心を煩わせないように。武速素盞嗚尊を先頭に、落ち着く場所は大庫倫である。されど途中は紆余曲折が多い。真澄別には木花姫命ならびに二体の竜神を持って守護させている。守高は天の手力男ならびに二体の竜神を持って守護させている。坂本広一には持国天、名田彦には白狐を持って守護させているが、いまだに修行が足りないので、表には表れていない。この修行中、真澄別の霊眼霊耳に前途に関するさまざまな問題が映じ、聞こえたという。日出雄は一度日本内地に帰還して、陣容を立て直さなければならない。六、七回、倉庫とも感じられる鉄窓の建物が映じ、最後には鉄窓内から女神ののぞく図が見えた。パインタラの留置場、鄭家屯の留置場、日本領事館留置場、奉天日本領事館監獄、広島県大竹警察留置場、兵庫県上郡警察留置場、そして大阪刑務所生活を経て、身体の自由を得るにいたったことの予告であったのであろう。名田彦は修行の際、冷水に身を浸したことにより、持病を再発して途中帰国の途についていた。
主な人物【セ】源日出雄【場】-【名】盧占魁、真澄別、成吉思汗、曼陀汗、何全孝、神素盞嗚尊、建速素盞嗚尊、木花姫命、守高、天の手力男、坂本広一、名田彦 舞台 口述日1925(大正14)年08月 口述場所 筆録者 校正日 校正場所 初版発行日1925(大正14)年2月14日 愛善世界社版234頁 八幡書店版第14輯 633頁 修補版 校定版237頁 普及版 初版 ページ備考
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本文  何時の間に盧占魁が宣伝したものか、蒙古人等は日出雄の生立ちに就て左の如き信念を有してゐた。
『日出雄は蒙古興安嶺中の部落に生れ、幼にして父を失ひ、母は日出雄を抱いて、各地を流転の揚句、日本人と結婚し、遂に日本へ伴ひ行かれしは日出雄六歳の時であつた。其後日出雄は日本にて成長し神の使命を覚つて、一派の宗教を樹立しつつも、故国たる蒙古は常に彼の念頭を支配し、漸く時を得て、滅亡に瀕せる蒙古を救治済度すべく帰来したのである。そして真澄別は彼の母が後添の夫即ち日本人との間に出来た異父弟である』
といふのだ。それかあらぬか、蒙古の元老は日出雄を成吉思汗の再来と信じ、且つ源義経汗蒙古平定後、世界を統一し、其根拠を蒙古外に移せし為、蒙古は再び今日の如き衰微を来す結果となつたのだから、今回は蒙古平定独立の上は、蒙古の地を離れて下さるなと、折に触れて日出雄に哀願すること屡々であつた。そこで日出雄は、若し自分が国外に出かける場合は、異父弟の真澄別を置いて行くから心配するなと答へて、彼等を慰めてゐた。故に索倫に引移りて以来は、活仏其他の人々に応接交渉の必要の時は、何時も真澄別が日出雄に代つて其任に当つてゐた。下木局子滞在中曼陀汗に親交ある活仏等が来訪した場合も、日出雄には単に敬意を表して引下り、真澄別に対し、蒙古の窮状を告げ、赤軍の横暴などを訴へ、真澄別は経典と剣とを両手にして故国救援の第一行動とすることや、蒙古喇嘛の妻帯論などをまくし立て、彼等を喜ばせて居た。そして病人の鎮魂なども主として真澄別が之に当り、日出雄は活神として尊敬せられ、妄りに之を煩はさぬ様にする事が一般の傾向となつて来た。
 上木局子の仮殿に護衛団長何全孝は、或日一人の活仏を伴ひやつて来た。此活仏は北京を振出しに外蒙を横断勧請しつつ、興安嶺地帯に、宏大なる喇嘛廟を建立すべく運動してゐる者で、救世主来降を伝聞し喜び勇んで来訪したのであつた。何団長は真澄別と筆談にて活仏の来意を敷衍し、更に盧の人物に就て左の如く語つた。
『自分は察哈爾の生れで、多年盧占魁に従つて戦場を馳駆致しましたが、今日騎兵戦争に於て盧司令の右に出づる者はありませぬ。先年も察哈爾より大山脈並に大沙漠を横切つて外蒙を斬り従へ、一時大庫倫に根拠を構へ、更に転じて綏遠、山西、雲南迄兵を進めて支那の天地を震撼せしめましたが、盧の居る間は其地は平定してゐますが、一度盧の去つた跡は復元の如く、何時しか盧の制令区域を自然に脱した状態になつて了つて、全く骨折損に終つてゐます。これは盧司令に政治的手腕が欠けてゐる為であります。実際盧司令は武力征服一方の人ですから、今回は征服の跡の政治方面を是非貴方方に御願ひ致しました様な次第です。これは私丈の希望ではありませぬ、司令以下吾々同志の者の等しく希望する所で御座います』
 此木局子一帯の地に、盧占魁は所有権を設定し、上木局子に仮神殿を建立し、之を日出雄の仮寓とする計画が進んでゐたが、軍容整頓事務に逐はれて中々捗らぬので、取敢へず上木局子部落中の最も瀟洒と見受けられる民家を徴発して、日出雄の仮殿に当てたのである。
 上木局子は最近例のチヨロマン民族の根拠地であつたので、現住の部落民も公爺府以西の沿道筋の住民に比し特に獰猛の気が漲つて居る。盧も此地点に気を配りしものか、張彦三、何全孝、鄒秀明の三団長をして、各々其部下を率ゐて、之を護衛警戒せしめて居たのである。併し如何に獰猛な民とはいへ、妄に威圧すべきものにあらずして、日出雄一行は十数戸の民家を時々訪問し、親しく交はり、或は戯れ、或は病人を治し、徳化教育を怠らなかつた。随つて護衛の将卒も武威を揮ふの要なく、実に平和な自治体が自然に形成されてゐたのである。
 斯かる中に洮児河畔の霊的修行は、日課の如く、上木局子出発迄継続された。修行場は洮児河の支流三筋落合の岸辺に約一間半四方の地を卜し、四隅に楊を樹てて堺とし、外蒙地帯に豊富なる岩塩を以て之を浄め、祝詞を奏上し、神に祈りて濫りに冒すべからざる聖域と定められたのである。洮児の流は清きこと水晶の如く、冷たきこと氷の如しで、曹達分の含有量豊富で、洗濯には石鹸不用である。内蒙一帯の地はすべて曹達分に富み、宝裏山附近の砂漠地帯の下の如きは全部曹達が地層をなしてゐると云つて可い位である。
 修行者は日々此洮児の清冽な水で身体を清めるを例とし、守高、萩原、坂本、名田彦の面々も時々参加して居た。修行開始五日目の事であつた。日出雄は神懸りとなり身体より霊光を放射し、左の意の神言が其口を破つて出た。
『ウツフヽヽヽアハツハヽヽヽ面白し面白し、秋津洲より渡り来りし、神素盞嗚尊、武速素盞嗚と現はれて将に滅び行かむとする、神の造りし神の国の立替立直を行はむとす。小人共がガヤガヤと立騒げ共、凡て神の仕組みし神業なれば、如何なる事変の起るとも、神に任せて心を煩はす事勿れ、武速素盞嗚尊先頭に立ち、落着く場所は大庫倫なり。されど途中は迂余曲折多し、必要と認むる事は此肉体に懸りて其都度説き示すべし。真澄別は木花姫命並に二体の竜神を以て守護せしめ、又守高は天の手力男並に二体の竜神を以て守護せしめあれば、必ず其身を汚す事勿れ。又坂本広一には法華教を守護する持国天をして守護せしめ、名田彦は白狐を以て守護しあれ共、未だ修業足らざるを以て、表に現はるるに至らず云々』
 之に依り観察すれば、日出雄は今日未だ大庫倫に向ふ途中の曲折中に身を置けるものとなるのである。尚此修業中、真澄別の霊眼霊耳に前途に関する種々なる問題が映じ或は聞えた相で、其都度之を日出雄に報告すると、日出雄は微笑しながら肯くのが例であつた。其中既に実現せるは左の二つである。
(其一)日出雄は一旦日本内地に帰還して陣容を直さねばならぬ事。
(其二)六七回、倉庫とも感ぜられる鉄窓の建物が或は大きく或は小さく映じ、最後には鉄窓内より女神の覗く図が見えたと云ふ。
 後に至りて勘考すれば、日出雄は白音太拉の支那留置場、鄭家屯の支那留置場並に日本領事館留置場、奉天日本領事館監獄、広島県大竹警察留置場、兵庫県上郡警察留置場を経て、最後に大阪刑務所生活を以て身体の自由を得たる事の予告であつたと見る外はなからう。殊に最後のは大阪刑務所の外観其儘であつたと云ふのだから不思議といふも愚かである。
 因に名田彦は此修業の際冷水に身を浸した結果宿痾を再発し、終に中途帰国の途に就かねばならぬ事となつた。
(大正一四、八、筆録)
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