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文献名1聖師伝
文献名2よみ(新仮名遣い)
文献名35 祖父の再生よみ(新仮名遣い)
著者大本教学院・編
概要
備考
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ページ 目次メモ
OBC B100800c05
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本文  喜三郎さんは七歳になる頃までは山へ行くにも、川へ行くにも隣家へ遊びに行くにも、腰のまがった小さい爺さんが自分のそばについているので、自分の家にはお祖父さんもお祖母さんもいるものだと思っておられました。ところがにわかに見えなくなったので、ものを言わぬ祖父さんはどこへ行ったかと祖母に尋ねると、祖母はおどろいて「それは祖父さんの幽霊が、祖父さんは坊の一歳の冬に死なれた」といわれ、こわくなって一人で隣りの家にも遊びに行かなくなったことがありました。喜三郎さんが六歳のとき、過っていろりの火の中にころげこんだことがありますが、その時にもお祖父さんがどこからとも知らず走って来て、火の中からひき出して助けてくれたということであります。
 吉松さんは至って潔癖で、野良へ出て畑を耕すにも、草切れ一本生やさぬようにした人で、たまたま一株の雑草があると、それをその場でぬいて土の中に埋めてしまえばよいものを、わざわざ口にくわえて、東から西まで一あぜを耕し終るまで放さず、あぜの終点まで行ったところでこれを畑の外の野路へ捨てる癖がありました。
 ところが、喜三郎さんの弟の由松さんが生まれた時に、吉松さんの顔にそっくりなので、家の人たちはお祖父さんの生まれがわりであろう。また大きくなったらバクチ打ちになって、両親や兄弟を苦しめるのではないかと心配していました。由松さんが四歳になった夏、畑へ父母が草ひきにつれて行って畑の中に遊ばしておきますと、四歳の由松さんは畑の草を引きぬいては口に喰わえ、口に一ぱいになると、畑の外へもって出て捨てるのを見て、いよいよ吉松さんの生まれがわりに間違いないということになったのであります。この由松さんは十三・四歳の頃から、そろそろと小バクチを打ち出し、一旦は屋敷も小町田も全部なくなり、小さな家は明治三十四年旧二月、火事にあって財産全部灰にしてしまいました。
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