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文献名1大地の母
文献名2第5巻「蚊龍の池」
文献名3開祖初会
著者出口和明
概要
備考
タグ データ凡例 データ最終更新日----
OBC B138905c07
本文の文字数27241
本文のヒット件数全 4 件/寅天堰=4
これ以外の情報は霊界物語ネットの「インフォメーション」欄を見て下さい 霊界物語ネット
本文  亀岡と八木の境に、大堰川の清流を引いた寅天堰があった。古老の伝によれば、天正年間以後の八木村に寅天長者といわれる金持ちがあり、堰を作って大堰川の水を千代川や金岐まで達せしめたという。明治の頃、寅天長者の末孫と伝えられる眼の不自由な寅さんが下山の裾に淋しく住んでいたが、明治二十六、七年没して、跡は絶えた。八木の垣内にある共同墓地は、寅天長者の屋敷跡で、二本残る老松は、隆盛当時の庭木であろうといわれている。
 下山を背に、寅天堰に面して、藁ぶきの小さな茶店があった。八木の名物である唐板や飴もおいていた。
 唐板は小麦粉に砂糖を入れ何かの味を加えた安物菓子であるが、美味京の八つ橋をしのぐと土地の人は誇った。だがこの菓子も明治後期には姿を消し、今は製法さえ伝えられぬという。名物の飴は薬草の地黄の汁を加えて練ったもの。京都伏見稲荷門前の名産の飴も、おそらく同じ製法であろう。
 山陰街道を往来する人たちは、床几に坐って川風に吹かれ涼を入れつつ、これらの茶菓を味わう。格好の小憩所であった。
 茶店の女主人、福島寅之助の妻久は、朝の清掃を終え、かぶっていた手拭いをはずした。葭簀越しに、川波がきらきら光っていた。
 葭簀の外を足早に行きすぎかけ、立ち止まって、思い直したように茶店に入ってきた旅の若い男があった。男は街道の老松を見上げた。久が茶を入れて出しても、まだ気をとられたように、老松の梢を眺めていた。
「お客さん、どこへ行かはります」
「西や……」
「どちらから来ちゃったんです」
「東や……うん、穴太」
 久の脳裡に、「この神を判ける者は東からあらわれるぞよ」の筆先の一文が強烈によみがえっていた。
 ――東から来て西へ行く。
 他人が聞けば何とも素気ないその言葉を反芻しつつ、久は男の面を吸いよせられるように見つめた。無頓着につけた貧しげな旅装束に似ぬ白皙の肌。切れ長の深い瞳。ただの百姓や車力、商人にはない気品が漂っている。
「あの松に、何ぞ見えまっしゃろか」
 久は、試してみたかった。男はようやく、よく質問したがる中年の茶店の女主人を見返した。ふっくらした丸顔をそらせて、久は執拗だった。
「さっき街道でも、あんたはん、立ち止まって見てはったあの松ですわな。枝ぶりがよろしおすやろ。あの松の枝に何か……」
 上田喜三郎は、人なつっこく笑って、
「ここを通りかかった時に、金色の光がぴかっと目に入ったんや。川波の反射のせいかも知れんと立ち止まって見たが、確かに、あの松の枝の辺りが賑々しい。神霊の宿る霊木にちがいない思うて、ここに休ませてもらいました」
「やっぱりなあ、母さんの言うちゃった通りや。この茶店を出したおととしの秋、母が来て、こう言うたんですわな。『この松の枝には金の装束つけはった神さんが鈴なりになっておられる。拝めるかい』、うちにはただ松の枝としか分かりまへん。三年の間ここを通らはる旅人さんを見てきましたけど、あの松に心を止めて下さる人はあらしまへなんだ」
 久は意気込んで続けた。
「あんたさんの商売をあててみましょうか。鑑定師はんでっしゃろ」
「まあ、そんなような……つまり神を審神している者や。あちこちで神がかりを調べましたが、どいつも狸や狐の怪しげな奴ばかりでしたわい。けどよう分かったのう」
「この前、四、五人連れで休まはった時、印地の狐か狸を調べに行くような話をしてはりましたやろ」
 そう言えば、あの時は話に夢中で、茶店の女主人の存在は意識になかった。
「ちょっと見てほしいものがあります。待っとくれやっしゃ」
 久は奥の間から一枚書きの書きつけ数枚を持ってきて、大切そうに喜三郎に手渡した。
「わたしの母は綾部の本宮に嫁入った出口直という者ですが、六年程前から艮の金神さんがかからはります。『この世は強いものがちの世、けものばかりの世になりておるから三千世界の立替え立直しせんならん。早うこの神の身上を判けよ』と叫んでますのや。これは文字もよう読めん母の手を使うて、神さまが書かしなさったお筆先です。見とくれやす。この筆先をどう思うてや」
 筆先を読みくだす喜三郎の表情の動きを一つも見逃すまいと、久は身を乗り出す。その熱っぽい気迫に押されて、幾度も見直した。
 拙い文字である。が、見ているうち、稚拙を越えた何かがあることに気づいた。墨をたっぷりつけた肉太の筆致。等しい筆圧、等しい速度で一気に書かれたものであろう。春の海を見るような大らかさ、温さ、それでいて力を秘めた厳しさ。確かに常人の筆ではない。
 黙然としている喜三郎にしびれを切らして、久は明治二十五年からの出口直の帰神状態を、早口で喋り出した。
「けれど、母にかかっている神さまを見判けてくれなさる人は、誰もありまへん。母が金光教で便利がられとるのも、艮の金神さんのためやのうて、ひどうお霊験がたつ、その病気治しの力のためです。ところが神さんは、たびたび筆先で示さはります。『わしの身上を判けてくれる者は東から来る。その者がくれば、艮の金神の道は開ける』、わたしが茶店をここに出したのも、暮らしのためとはいえ、本当はその東から来る人を探してあげたいと思うたからですんやな。三年待っても思いあたる人はおらなんだ。いまさっき、あんたはん、どちらから来たとお言いやした」
「東や……東から来て西へ行く」
「西のどこへ……」
「さあ、乾へ行け、お前を待つ人がおるいう神さんのお告げやった……」
「乾なら綾部の方角にあたりますで。わたしは三年も待ってましたわな。母さんなら、六年も、いまも、待ってます」
 久は叫ぶように宣言した。
「昨年の旧六月二十七日の筆先に『綾部大望ができるによりて、まことの者を神が綱をかけておるから、魂をみがきて神の御用を聞いて下されよ。今では何もわからぬが、もう一年いたしたら結構がわかるぞよ』と示されてます。そうやさかい、今年こそ神さまが綱をかけちゃった人が出て来てやと思うてましたが、それがあなたでしたんやなあ」
 数限りない人々が数限りなく交錯し合うのが人生というもの。幾度交錯しようが何の意味もない出会いもあれば、すれ違ったばかりに火を発し互いの生き方を変えることだってある。福島久と出会った今が、喜三郎の後半生ばかりか、直やその一族、多くの人の運命を決定的に支配する瞬間になろうとは、知るよしもない。しかし綾部や出口直という固有名詞が、喜三郎の意識に妙に粘着する。
 生まれ故郷の曽我部(穴太)、青春の一時期を埋没させた第二の故郷園部、そして出口直の住むという綾部。いずれも部がつく。まだ見ぬ綾部の地があるいは第三の故郷、神が命じ、わが魂の行きつくべき西の地点であるかも知れぬ。
 直という名前も妙に符節を合わせていた。喜三郎の小学校の校長が出口直道、少年喜三郎に代用教員となる道をつけてくれた人である。最初に書生奉公に行った斎藤源治の養母が直であり、斎藤家の実力者であった。そして獣医学と牧畜の手ほどきをした井上猶吉。
 おのが人生の節々になおの字がつく人があらわれる。あるいは出口直もまた……。
 身の引き締まる予感であった。
「折を見て行きましょう。綾部いうたら、十五、六里はありましょうなあ」
「おおきに。きっと行っとくれやす……これでわたしの重荷がおりましたわな。やっと安心して、茶店をきれいに明け渡すことができますで」
「茶店を明け渡す?……」
 久は嬉しげに言い足した。
「へえ、ここにも汽車が通るそうですで。鉄道会社の人が、こんな茶店でも買いに来てはります。内国勧業博覧会のお客さん目あてにここに茶店を出した当時は、よう繁盛しましたんえ。けど、終ったらたいしたことはございまへん。ちっちゃな子が二人もおりますさかい、茶店だけでは食べられるものやおへんなあ。主人が俥曳いて稼いでくれますさけ、何とか息がつげますのや。それがあんた、鉄道会社の人がこの五十坪の土地と茶店を、なんとまあ、二百円で買ういうとりますんやで。三年前にここの土地を買うて茶店にした時は、全部の費用を入れても五十円そこそこやったのに……」
「三年で四倍になったなんて、結構なこっちゃんか」
「なにが結構ですかい。わたし、二百円が千円でも売らんいうたんやな。鉄道屋が、わたしらにも断わらんと、勝手に地図に線引いちゃったんや。二百円は土地の値段やのうて、いうたら地図の上の線にかかった点の値段でっしゃろ。そんな阿呆なことが通るなら、まじめに働く気がしますかいな」
「そらそやのう」
「それに金さえ積めば、誰でも言いなりになると思うたかて、そうはいくかいな。『わたしらは艮の金神さまのおいいつけで、ここに店を出したんや。東から来るお人を母さんところへ連れていくまで、茶店の御用は終ってしまへん。その人が来るまでは動けしまへん』と言うたら『その人はいつ来る』と鉄道屋はせめはります。『いつ来るかわたしらに分りまっかいな。もう三年も待っとりますけど』言うたら怒っちゃって、あんた、こうおどしちゃったんやで。『もし汽車がここをよけて走ってみい。便利な汽車ができたら、みな歩かんと乗らはる。誰もこの街道を歩いて旅する人もないやろ。汽車ちゅうもんは、雷みたいな音を出して、真黒い煙を吐き出しながら、どてらい勢いで走るんじゃ。傍を走られたら、茶店の茶碗はころげる、赤児は泣く、そうなるとこの茶店は五十円どころか、二束三文にもならんがよいか』わたしは納得でけんことには承知せん性質ですよってに、『それでもよう売らん』言うてことわりましたえ」
「鉄道屋も困ったやろ」
「へえ、主人は俥夫ですけど侠気のある人ですよって、鉄道屋はんに泣きつかれたんやろ。夜になるとこう言いますのや。『お久や、お前の言うことはもっともや。けれど、もしここを売らなんだら、鉄道は川を渡って向こう岸にぐるんとよけて通るか、山を大方削りとって通らんならんやろ。そうなると鉄道の費用もごつう嵩むし仕上げも後れる。鉄道を利用するお客の迷惑はどてらいものじゃ。鉄道はどうでも、この山と川の迫るここを通らんなんのやさけ、あきらめて引き揚げようかい。このご時勢では、東から来る人も、汽車に乗ってまっ直ぐ綾部までつっ走らはるかも知れんでのう』……ああ、がんばっていてよかった。もうちょっとあんたが来はるのが遅れたら、どうなってましたやろ」
 久は心から吐息した。
 喜三郎は、冷えた茶を飲み干し、茶代を置いて立った。久が外まで送って出た。せり出した下山の裾と大堰川の堰との間には茶店の他は、狭い山陰街道の道幅があるばかりだ。その街道の川っぷちに半身をのり出している老松を惜しむように、久が言った。
「この松も、茶店と運命は一緒ですんや。汽車が通る時は邪魔やさけ、捨てられるげな。いうたら、今日でお役は終ったんですやろ」
 福島久の異常なまでの母への信心。一人で鉄道を向こうに回し、戦い抜かんばかりの気概。西へと歩みを移す喜三郎の胸にも、未知の世界へ踏み入れる希望と不安が激しくからみあっていた。

 園部では、まず獣医である従兄の井上猶吉を訪ねた。猶吉の家は以前の袋町(現船井郡園部町美園町)から園部大橋と宝福寺橋の間、園部川の北の小さな借家に移っていた。東隣に、金光教の園部教会がある。
 猶吉は久しぶりの対面にも頬をふくらして開口一番、「神さん拝むんなら、なんで妙霊教会を信じへんねん。妙々いうのが嫌いな奴は来るな」と、喜三郎を追い出した。
 その日は南陽寺岡田楚玉禅師のもとに一夜を明かした。南陽寺は、喜三郎が牧畜を止めて園部を去った翌二十九年、政治集会に寺を貸したその晩に全焼してしまい、すっかり様子が変わっていた。
 和厚はいなかった。火災のしばらくのちに、家出したのだ。火災のため寺が負債に苦しむのを見て、独学で自活しようと決意したのであろう。十四歳の身で、大阪福島で五百羅漢の寺の住職をしている叔父(楚玉の弟徳英)を頼っていったという。
 楚玉禅師は喜三郎の話に聞き入り、「仏教の世は終った。これからは神の道が栄えるだろう」と嘆じた。
 喜三郎の足は園部にとどまった。なじみの薬屋藤坂惣三郎、その向かいの菓子製造内藤半吾を訪ねて、霊学について語り、その術を披露するうち、二人とも熱中して、そのとりこになってしまった。向かい合わせの家同士で喜三郎の身を引っぱりあい、互いに譲らぬ。
 板ばさみになって困っていると、新しく入信した上本町の奥村徳次郎(四十三歳)が、座敷の提供を申し出た。裏の八畳間の離れは、園部川に臨んでいて清涼ではあるし、居心地がよかった。川を隔てて井上猶吉の家と向き合っている。
 主人徳次郎は若い頃須知で奉公し、のち、ランプ・ホヤ等の行商人となって、京都市や府下一帯を廻り、昨年、ここに喫煙具の店を持ったところであった。行商で鍛えた体はいかにも細かったが、意志も体も強靭だった。
 妻さい(三十六歳)は数人の子をもうけたあと、病弱となり、流産癖がついて、浴びるほどの薬をのみながら効果はなかった。子持ちの主婦の持病は、一家の難儀にちがいなかった。
 喜三郎は、さいを床の間に坐らせ、鎮魂した。さいの目から見る喜三郎は、面白いことばかり言って人を笑わせるのが好きな、ほんの子供じみた若者であった。真面目くさって病気治しを頼む夫徳次郎の手前、仕方なく起き直ったのだ。それでも、何やらとなえごとが始まり出すと、ついおかしくなって、あわててうつむいてしまった。
「灯明の火を」と、喜三郎は側に坐って見ている徳次郎に命じた。
 徳次郎が言われるままに灯明の火をさし出す。何と喜三郎が炎に唇を当てて、すうっと大きく吸い込んだではないか。声をのんでいる徳次郎に灯明を戻すなり、喜三郎の体がとんで、さいの頭上を越え、炎が音をたてて走った。ぎゃっとさいがのけぞった。炎は喜三郎の唇から、さいの背中に向けて吹きつけられていたのだ。瞬時、喜三郎はさいの頭上をとんでかえり、元の席に座していた。
「これでよし」
 喜三郎は、徳次郎をかえりみて強く言った。徳次郎は手にした灯明を危うく落とさんばかりであった。思いもよらぬなりゆきに震えながら、妻のそばにいざり寄った。うつ伏している妻の背に焼けこげはなかった。抱き起こすと、さいは目をあけ、こわごわ背中に手をまわしてさぐった。
「どうや、背が軽うなったやろ」
 喜三郎は、いたずら小僧の目になって笑っている。ほんとうであった。次の日から床を上げて、さいは晴れ晴れと働き出していた。
「そういえば、いつも背中に重たいかたまりがへばりついとるようやったのえ」と、さい。
「恐れ入ったでえ。魂消たの何のって。それから家内は、三人も引き続いて子を産んだんでっせ。ともかく、喜三郎はんの霊術だけはすごい。確かなもんです。いっそあの世界統一やの、世の立替え立直しやの、ほらみたいな話はやめにして、心霊術一本でやりなはったら大成功疑いなしやが……惜しい、惜しい」
 後年まで、夫妻がそう語っている。
「牛乳屋の喜三やんが、神さんにならはった」
 面白がって、町の人たちがなぶり半分に集まって来る。信仰する者も増えてきていた。盛り上がって来る機運を逃したくなかった。
 早朝、喜三郎は、霧深い園部大橋の欄干に倚って、園部川を下って行く筏群を見やっていた。故郷を離れてきて一月近く経っている。寅天堰での福島久との固い約束を忘れたわけではない。しかし園部へ来てからの充実した一月は、この地を抜け出るいとまも与えてはくれなかった。せっかくできかかった信者を放置し、未知の綾部へ足を向ける決心がつかない。藤坂宅よりの帰途、足をのばして橋にたたずみながら、心にひっかかっている西への旅を思っていた。
 当時の園部大橋はまだ木橋であった。喜三郎の背に響きをたてて人力車が行き交う。橋の袂に名物の大橋餅を売る店があり、人力車の帳場が並んでいて、客引きが盛んであった。霧に霞む一丁ほどの上流には船着場があり、黒田あたりから流される筏がどんどん着いていた。宿屋もこの辺を中心に幾つかあった。
 鉄道がやがて園部まで着くというので、この古い城下町も動き出しているのだろう。汽車の煙突からふき出す焔で沿線の山が燃える、家が燃えると、本気で人々は噂していた。「鉄道ができたら客が来んようになる。一家存亡の秋や」と演説をぶって、鉄道反対に結束した宿屋もあるという。根強い反対者たちに押し切られ、園部駅は町から離れた辺鄙な場所に建つらしい。
 どうあろうとも、時代の流れは急速に暮らしを変え、思想を変えずにはおかぬ。園部にも、否、全国到る地点に鉄道は走るだろうし、鉄路に乗って新しい物質文化の波は押し寄せてくるだろう。立ちおくれた精神文化は一層その差を広げ、跛行現象を強めて行くにちがいない。わしのしとることも、彼らにはただ奇妙な術に過ぎない。その霊的現象の不思議さにのみ目を奪われ本質を見きわめようとはしない彼らを、より高い神の道まで引き上げて心を開かせる力が、わしにはまだ足りないのだ――。
「ちょっとすんまへんなあ……」
 声をかけられてふり向くと、人力車をひいた俥夫が立っていた。霧滴にぬれてはいるが、無人の車体がつややかに光っている。
「間違うたらあやまりますけど、あんたは神さまを見判けはる穴太の先生と違いまっしゃろか」
「はあ、上田喜三郎ですが……」
「わし、福島寅之助です。女房の久が八木で茶店をしとります。お久からあなたの特徴をよう聞いとったさけ、すぐ分かりました。街道走りながら捜しとったんですわ。それで綾部へは行ってくれはったけ」
「すんまへん。まだ忙しゅうて、よう行っとらんのや」
「そら、どもならんなあ。艮の金神さんは六年も前に綾部にあらわれて、見判ける者を待ったはるのやで。あんたの行かはるのはもっと西や、西や。それを園部あたりでうろちょろしてもろとったら……」
 もう一声、大声できめつけたげに、寅之助は睨みつけた。ずいぶん一方的な言い種であった。しかしさほど腹が立たぬのは、太い眉の下に光る誠実そうな双眸のせいであろうか。
 寅之助はもどかしげに地へ梶棒を下ろす。
「さあ、乗っとくれやす。綾部までひとっ走りや」
 綾部までと簡単にいうが、園部からでも十余里はあろう。いくつも峠をこさねばなるまい。それをいとわず、今から送って行こうという一徹さ。久と言い、寅之助と言い、それほどまでして母の神を見判けてもらいたいのか。
 喜三郎の迷いが、ふっきれていた。ここで寅之助に出会ったのも神命にちがいない。園部は一時、目をつぶって放って行こう。
「送ってもらわんでも、わしの足で歩きます」
「そんならいつ……」
「今から旅支度して、すぐ発ちます」
「おおきに。すぐですで。頼みますで」
 寅之助は嬉しげに念を押し、勢いよく俥帳場へ走って行く。
 昼過ぎには、西へ向って急ぐ喜三郎の旅姿があった。観音峠の急坂をのぼりつめ、かえりみれば霧の底に園部の街並が沈んでいた。老杉しげる小向山、天神山がすがすがしく鎮まっている。
 峠の石に腰掛けて、汗ばむ肌に涼風を入れる。「元伊勢へ行け」との芙蓉坊の命で勇んでこの観音峠へ登ったのは、つい昨日のような気がする。初めの高熊山入山以来半年あまり、顕界幽界共にめまぐるしく事件が巻き起こったが、やれようやくその渦中から抜け出られたか。
 そんな感慨にふけっていると、羽織袴に肩いからした男が、従者を連れて登ってきた。下司熊次郎だ。従者には見覚えがあった。屋賀で狂言喧嘩をした時の若衆の一人だ。熊次郎は、ばか丁寧に頭を下げた。
「こないだはどうもどうも。喜楽先生、本日はどちらへ」
「ある人に頼まれて綾部へ行きまんのや」
「そうけ、園部では賢い人間ばかりやさけ、だませまへんか。やっぱりなあ。山子するにゃったら、山奥の人間相手が気楽でよろしやろ」と、からんでくる。
 喜三郎が園部中心に布教し始めたので、同じ園部を地盤とする熊次郎が不快がっていることは、人の噂で知っていた。
「なあ、熊はん、へんなこと言わんといてくれ。わしは狐や狸に使われとるんと違うねんで。神さまの道を説くのに、なんで人をだまさなならん」
「へえ、穴太で愛想つかされ、園部で叩き出されたちゅう話でっせ。わしが園部で正しい神の道を広めとるのに、あんたがきてややこし御託宣並べはるさけ、迷惑してたんや。営業妨害もええとこでっせ。けど綾部へ行かはるなら結構なこっちゃ」
「綾部へ行ったかて、二、三日で帰ってくるわい」
「そうはさせるけい。園部は下司市一家の縄張りじゃ、めったに神さん商売させへんで」
「神さんに縄張りが通用するけい。どっちが勝つか力くらべもおもしろいのう。ところであの乳牛、元気にしとるか」
と、喜三郎がからかう。
「そや、喜楽はんのお相手しとれんかった。忙し、忙し、ああ忙し、とにかく先へ急ぐさけ失礼するで」
 熊次郎は従者をせかして、そそくさと立ち去る。乳牛と聞くや否やの豹変ぶりに、喜三郎はふき出した。
 熊次郎の後を追って峠を西に下れば水戸(現船井郡丹波町水戸)の里だ。道の片方に小さな神社があり、境内に数十本の幟がはためいていた。幟には「下司熊次郎さまへ 何々より」と派手な色合いに染め抜かれてある。幟の立つ神社わきの家に「弘法大師御夢想のお湯」と大看板がかかっていた。
 参詣人らしい男をつかまえて、いわくを聞いた。ある日、神社の宮司某を下司熊次郎が訪ね、神がかりして「境内の清水の湧く大杉の根本に大師さまの像が埋まっている。掘り出して祀れば福をやる」と託宣した。半信半疑の宮司は氏子たちを集めて掘って見ると、地下二尺の所から大師像が現れた。「地の中のものまで見えるのはまさしく今弘法さまや」と熊次郎は村人の尊崇を集める。
 熊次郎によれば「むかし、弘法さまがこの清水で湯をわかして入浴し、夢想された。この清水をいただけば立ちどころに御利益がある」そうだ。清水をいただき熊次郎の御託宣を聞く者、今や引きも切らずという。
 苦笑するほかはなかった。宮司としめし合わせて、あらかじめ大杉の下に仏像を埋めておき、神秘めかして掘り出しただけの熊次郎の偽術であり、愚夫愚婦を集めてのあやしげな託宣で、しこたま金をかき集めているのであろう。
 後日談だが、一カ月たたぬ間に熊次郎は園部警察署に引致され、五十銭の科料をとられ、会場は閉鎖される。
 水戸を越え、須知(現丹波町)を過ぎて桧山(現船井郡瑞穂町)の八木清太郎の家で一泊する。清太郎は内藤半吾宅の職人であったが、年季が明けて桧山で菓子製造業を営んでいた。旧交を暖め合い、家族に神の実在を説くと、彼らは喜んで入信した。
 翌朝、八木家の人々と別れて保井谷、三の宮(現船井郡瑞穂町)を過ぎ、榎峠を登った。榎峠は質志峠ともいい、瑞穂町の西北部にある峠、標高三六六・五メートル。曲折激しく質山峠と共に、綾部街道の難所だ。
 柴を背負った女に出会い、綾部までの里程を問うと、「山坂三里」と答える。勇気を出して枯木峠にかかる。足は痛み、草鞋は破れる。峠をようやく登りきり、石坂道をえちえち下ると、杣人に出会った。あれからもう一里はたっぷり歩いたから、あと二里足らずやと思いつつ、再び綾部への道を問えば、「山坂三里半やなあ」と言う。失望のあまり、へなへな坐りこみたかった。
 福島久の話では、出口直は、綾部から八木まで一日行程で歩くという。糸引きの出稼ぎや屑買いで、よほど足腰を鍛えぬいているのだろう。百姓・車力・牛乳配達と、小さい頃から鍛え方では人後におちぬつもりの喜三郎だ。六十余歳の老女に見ぬ先から敗けるわけにはいかない。大原、台頭(現三和町)を必死に越えて草鞋を売る店を見つけ、ようやく新しいのとはきかえた。
「綾部まで確かに三里はあるで」と、店の女はまたしてもこともなげに言ったが、もう失望はしなかった。何とでもぬかせ、行きつくまでは歩くのやと、新しい草鞋をふみしめていた。
 質山峠(須知山峠ともいう。現綾部市寺町)を下ったあたりに茶屋があった。茶屋の裏の杉生の下かげに小さい妙見の祠がある。六年前、母出口直の神がかりのために、まだ十歳の末娘澄が上下の豊助の手にひかれて八木へ行く途中、この妙見堂の奥の滝壼で狂気の姉大槻米が滝に打たれているのを見た所である。もとより喜三郎は知らぬこと。
 茶屋をさいわい床几に腰掛け、疲れた足をもんでいると、七十ばかりのしなびた老僧が茶を運んできた。
「あんた、若い男が、お上人はんにお茶を汲ませるやなんて、ほんまに果報者やで。さぞ御利益がいただけますわな」
 婆が、いやみ半分、すり寄ってきて言った。喜三郎が茶代を二銭はずむと、婆は相好を崩して懐にする。
 由良川が白く光って流れていた。喜三郎は、疲れを忘れて立ち止まった。川面を渡る涼風が、心の中まで洗うように吹いてくる。松の緑も深い綾部の里は、はやうす紫の夕闇に包まれはじめていた。

 紺屋の女房に案内された喜三郎が綾部裏町の伊助の倉の重い引戸に手をかけたのは、その暮れどき明治三十一(一八九八)年十月八日(旧八月二十三日)のことであった。倉の中は暗かった。無人と思えるほどひっそりとしている。
「ごめんやす。出口直はんいやはりますか」
 涼やかな響きの深い声がはね返ってきた。
「はい、おりますで。どなたはんでござりますか」
「わし、八木のお久はんに頼まれて園部からきましたんや。上田喜三郎いう者です」
「まあ園部から……それは遠いところをよう来ておくれなさった。さぞお疲れでござしたやろ。すぐ灯りをつけますさかい」
 ――何と若いきれいな声や。どんな娘さんがおるのやろ。覗いてみたが人影は一つ。 火打石を切る音がして、室内がゆれ、ぼうと明るくなった。喜三郎は、草鞋を脱ぎ、差し出されたすすぎ水で埃まみれの足を洗った。
 十畳一間、正面に小さな神床があり、両脇にお松が供えられている。他にはとりたてて家具もないが、あたりは清潔に整えられている。
 板の間の上敷に向き合うと、声の主は改めてつつましく挨拶をした。茶を入れて差し出す直の、ひっそりとした物腰に滲む高雅な気品。おぼえず喜三郎は姿勢を正し、目をみはった。確かに頭は、眩しいばかりの銀髪であった。その肌は銀髪とわかちがたいまでに白く、清らかに、しみ一つない。茶器をはなれた手が、荒いざらした木綿の着物の膝にきちっと置かれて、まなざしは深く徹るように喜三郎に向かった。
 これがつい先程まで屑買いの悲惨な境遇にあったという、六十四歳の老婆であろうか。
 深山の奥に初めて神と対座した時の幽かなおののきが、喜三郎によみがえった。
「お久は、わたしにかかりなさる神さまを見判けてくれいと申しておりましたかえ」
「はい。東から来る人を待ってなはりました。折ようわしが西むいて、穴太から出てきよりましたさけ……」
「上田はん、わたしの神さまを見判けなはるのは容易なことやござりまへん。あなたはんは何神さまを信心しておいでです」
「わし、今は静岡の月見里稲荷神社附属稲荷講社に所属して、霊学会を起こしていますのや」
 直の表情がくもった。
「稲荷講社……せっかく山坂越えておいでなはったのに、お稲荷さまでは、この神を判けてもらうことはできんのですわな。わたしは時節を待ちていたします。すまんことでござりますけど、お泊めしとうても、お稲荷さまでは、艮の金神さまが荒れなさるとかないませぬでなあ……」
 直は、稲荷講社が狐を祀るものと信じていた。事実、稲荷の名で低俗な狐信心がはびこっていた。気負い立ってここまで来た喜三郎は、子供のようにふくれた。
「そうですかい。そんなことなら来るやなかった。けど子供の使いやなし、このまま帰ったんではお久はんのお頼みにも答えられんさけ、今夜は宿屋へ泊まって、また出直してきますわ。稲荷講社は、お直はんの考えたはるようなものやない。あんたはんが心ならずも金光教の下についたはるようなもんで、わしもただ便宜上のことなんやが……それでは明日……」
 喜三郎は立ち上がった。
「待っとくれなはれ、それではあまりにすげない。八木にも済みませぬ。こんな不都合な所でございますけど、いま神さまにお断わり申して、泊まっていただきますさかい」
「ああ、よかった。ほんまは、あまり銭の持ち合わせがありまへんのや」
 喜三郎は告白して、首をすくめた。
 直は神前に端座して、ともしびのゆらぐ中にしっとりと手を合わせた。静寂、幽遠をこえて、侵しがたい威厳が後ろ姿に満ちてくる。
 喜三郎は、ひそかに審神していた。霊眼に見る直の姿は水晶のように透き徹っていて、手応えもなかった。霊を送っても直は微動もせず、激しい勢いではね返ってくるばかり。
 見きわめもつかぬうちに、二人の若い女性が入ってきて、直の後に坐って礼拝した。祈り終わった直は、しばらく瞑目したなり首を傾げていたが、やっと微笑みをとり戻して喜三郎に言った。
「この人たちは四方純はんに黒田清はんです。熱心に信心しとってです」
 そして彼女らに向かい、
「この若いお方はなあ、いま神さまにおうかがいすると、東から金神さま見判けに来てくれなはった霊学会の先生やと言いなさるのやで――」
 純と清の目がぱっと輝いて、驚いたふうに喜三郎をみつめた。喜三郎はうつむいて赤くなった。女たちの視線がまぶしかったし、それよりも直の神に認められた喜びがこみあげていた。
「とうとう時節が来ましたんやな。うち、足立先生にお知らせして来ますわな」
 純が勢いよく立ち上がった。清も純に従った。夜道へ出ると、純ははしゃいで言った。
「うちなあ、金神さまを世に出しなはる人が東から現われるということ、前から聞いとったんやけど、もっともっと年寄りかと思うてたんえ」
「うちもやわあ。白い髭長うたらした仙人みたいなおじいさん……」
 二人は吹き出して、足もとも軽く走り出した。足立も喜んでくれるだろうと、純は信じていた。
 四方純は、直と共に広前を開いている金光教布教師足立正信と深い仲になっていた。足立の柔和な風貌、貫禄のある恰幅、そして教養など、純のこれまで見て来たそこいらの男には求められない。
 足立は、但馬、奥州と派遣された先々で苦労を重ねるうち、人間の角もとれてきていた。生まれついての性格はともかく、処世術は長けた。再び綾部に戻ってからの足立は、信者の信望を得ることに努力していた。信者たちに絶対の信仰を得ている直に極力とり入ってもいた。しかし布教師でありながら、嫁きおくれた純が自分に憧憬の目を燃やすのを、ほってはおかなかった。男やもめの足立が純を後妻に迎えもせず、ひそかな関係を続けていたのは、他に考えあってのことであった。
 伊助の倉から東四辻の金光教会まではひとっ走りだ。純の報告を聞いて喜ぶと思った足立は、不機嫌な顔になった。
「……それで、そいつはどんな男や」
「稲荷講社の霊学の先生やげな」
「年寄りかい、若いかい」
「それがなあ先生、ものすごう若いんですわな。肌が女みたいに白うて……」
 純が清に同意を求める。
「そうや。男前やなあ」
 清も浮いたように調子を合わせた。
「いやな奴や。生っ白い若僧になに神さまが判かろうやい。霊学の狐になど、用事ないわい。あんたらも、よその風来者に化かされなはんな」
 明らかにまだ見ぬ若い男への嫉妬がある。何かへこます法はないかと一思案の後、足立は筆をとって半紙に一首認める。
「さあ、この歌を持って行って、霊学の狐に見せてやりな。すぐ返しができんようなら、わしに会う資格はない。さっさと帰ってもらうこっちゃ」
 純は歌を胸に抱えて、清とともに伊助の倉へ急ぐ。即座に和歌を作って相手の教養を試すという、足立の心にくいやり方が好きでたまらぬ。この和歌を見たら、きっと霊学の先生は恥じ入るだろうと、それはそれでまた楽しい想像だった。
 喜三郎は、足立の和歌を見て、その意図を察した。
   もみじする赤き心をうち明けて
       語り合うべき時をこそ待て
 筆紙を借りて、一気に返歌を認める。
   真心にしばしとどめて奥山の
       しかと語らん八重の神垣
 純はゆっくりと二度読み上げた。よくはわからぬが、字も歌もどうやら返歌の方がたちまさっているように思える。
 ――足立先生は誤解しとってんや。この返歌を見ちゃったら、気がついてやろ。こんな立派な先生二人が力を合わせて働いてくれちゃったら、艮の金神さまは世にお出ましになろう。
 和歌のやり取りなど、直には分からなかった。が、遠来の客に対して顔も見せずに歌で試すという、足立の思い上がったやり方が悲しかった。
「お純はん、夜道を御苦労やけど、足立先生にどうでも来ていただくように、もう一度行って来とくなはれ。そうや、お客さんにご馳走するものがないさかい、広前の柿でももいできておくれ」
 足立は中村竹吉を呼び出して、密談中であった。中村が足立の老婆と子供を一時引きとって以来、二人は急速に親密になり、何かにつけて肝胆相照らす仲になっていた。 純から喜三郎の返歌を受け取った足立の顔色は変わった。
「中村はん、どう思うてや。筆跡も達者やし、歌もそこそこや。こしゃくな奴、綾部に置いといたら、お直さんたらかして、何しよるか知れんで」
「金光教を乗っ取って、稲荷講社にする腹やでよ。何としても追い返さなあきまへんなあ」
 中村も真剣であった。純はじれったそうに口をはさむ。
「足立先生、別に金光教でも稲荷講社でもかまへんやないの。艮の金神さまさえ世に出てくれちゃったら……ともかく一度会うて、先生の目で確かめてみちゃったらよいのに。お直はんが『呼んでこい』言うてやさかい、すぐ来てもらわなんだら、うちら立つ瀬があらへん」
「やれやれ、お直はんか。ちぇっ、すぐ行くさかい、あんたら先に帰っとって」
 足立は苦笑した。直の言葉に表立っては逆らえぬ。恋人の四方純、腹心の中村竹吉でさえ、出口直に対する信仰は絶対的である。今の地位を確保したければ、彼らの心情を尊重せねばならなかった。
 清と純は提灯を下げて庭に廻り、忘れていたように縁先から断わりを言った。
「ちょこっと柿もらいますで。お客はんにご馳走するもんが他にないさけ」
「なんやとう」
 いらいらした声で、足立はどなった。
「柿もいでいきますわな。もう熟しとる頃やし」
 無性に腹が立った。二人のいそいそした様子まで癇にさわった。足立は縁先にまで出てきて、大人気なくわめいた。
「お前らになら、くれてやらんとは言わん。けどやなあ、どこの馬の骨か知らん奴になぞ、誰がやるかい。そんな柿、みな渋うなっちまえ」
 ばたんと縁の障子を閉めた。清はくすんと笑って、純の耳に囁いた。
「足立先生、荒れてはる。あんたに妬いとってやで」
「そうやろか……」
 純もいたずらっぽく笑い返した。
 純は、足立との関係を黒田清に打ち明けていた。清は位田の黒田直助の三女、東京の蚕糸専門学校を出て、養蚕技手の資格を持った二十二歳のいわば近代女性。当然に結ばれていい純と足立の愛を祝福し、いずれは晴れてと信じていた。
 直と喜三郎は、話がはずんでいた。それを耳にはさみながら、純が手早く柿の皮をむく。ふりむいて喜三郎が言った。
「その柿、わしのためにむいてくれはるのやったら、せっかくですけど遠慮さしてもらいますわ」
「へえ、お嫌いですか」
 純が口をとがらした。
「大好物です、甘柿なら。けどその柿、みな渋うなっとる。食べてみなはれ」
「そんなことござへん。広前の柿は、形はちっちゃいけど、甘いですわな」
 言いながら、純は実を薄くそぎとって口に入れ、妙な顔をした。別の柿もとり、味を見る。
「へんやわなあ、お清はん、この柿……」
 二人は意地になって味見し、吐き出しては顔を見合わせる。
 足立正信と中村竹吉がやって来た。初対面の挨拶から、すでに雲行きは怪しい。足立は喜三郎を軽くあしらって横を向き、中村竹吉が肩怒らして喜三郎の経歴を問いつめる。
 足立は、やがて竹吉をさえぎって、口を切った。
「とにかく福島はんの頼みで綾部まで来てくれはった御好意には感謝しますわ。しかしでんなあ、あんたのお話をうかがってるとまだまだお若い。神さんというものは、山の中でちょこっと修行したり、霊学とかいうもん研究したぐらいのことで、なかなか分かるもんやない。そりゃまあ狸や狐相手なら話は別やで。けど艮の金神さまをあんた……」
「お言葉を返すようやけど、神さまのことは、年の幼長でわかるもんやありまへん。しかし正直いうて、お直はんにかかったはる神さまがどえらいものや、ということはわかるけど、その正体はわしにはわからん」
「そらそうやろ。艮の金神さんは、そこいらの誰にでも判かるようなちっぽけな神さまやおへん。けどまあ、あんたも神さんを調べて歩かはるのが商売やろさかい、綾部まで来て手ぶらで帰れんやろ。ここでは狭いさかい、東四辻の教会で二、三日遊んで帰っちゃったらどうや。その間に、有難い金光教の話、ゆっくり聞かしてあげるわな」
 中村竹吉が、足立の言葉をつぐ。
「金神さんのおかげもこの頃はよう立って、信者もどんどん増えとるとこですわな。艮の金神さんを世にお出しするのは、もう目の前や。ここには立派な金光教会がある。お稲荷はんなど持ちこんでもろても、どだい格がちがうでなあ」
 清が純に囁いた。
「あない言うてやけど、上田先生は、甘いはずの柿を渋柿やいうて見抜いちゃった」
「そら上田先生も偉いけど、甘柿を渋うしちゃったのは足立先生やで。両方が偉い人なら、今までの先生につくのがほんまやないかしら」
 恋人が大事と、純は主張する。足立が黙然と聞いている直に向き直った。
「お直さん、なんぼ八木の口添えか知らんが、とび込んで来た稲荷はんを大事にしやはって、今まで苦労してきたわしらは信用されとらんみたいで、つまらん気がしますわな。この人には気の毒なけど、草鞋銭はこちらで都合しますさかい……」
「かましまへん。わし、明日帰ります。頼まれて来ただけのことや。園部にはわしを必要とする人たちが待ってますさけ」
 喜三郎はぶすっと言った。
 腹立たしかった。まるで金光教を乗っ取りにでも来たような扱いは、心外である。ようやく霊学会の活動が緒につきかけた大事な時をさいて、福島夫妻の誠意に止みがたく、綾部まで足を運んだまでであった。
「そうしなはれ。あんたみたいな有為な若者が、こんな山奥で青春を空費するもんやない。しかし先程の返歌は、なかなかお見事やった。そうや、明日は神さまの話を抜きにして、わしと敷島の道でも語り合おうやないかいな」
 急になれなれしく、足立は相好をくずす。
 その夜、喜三郎は伊助の倉に泊まった。幾峠を越えた疲れが一時に出て、子供のように、直のもとで深く眠った。
 直の四女龍(十九歳)が帰って来たのは翌朝であった。近くの亀甲屋という料理屋に奉公しているという。初めての客にも好意の笑顔を振り向ける素直で優しい人柄がにじみ出ていた。
 その朝、伊助の倉を訪ねて来た娘、東八田村字大安の小室鹿は、泣きじゃくりながら、直に訴えた。小室家は九人家族であったが、どうしたことか父母兄弟が相次いで絶え、最後に残った鹿も病気がち。毎日が淋しく不安で、ただひとり死ぬことばかり思いつめているという。
 直は、鹿の話を聞き終わると、しばらく目を閉じていたが、
「私が行くよりも、ちょうど折よう、よい先生が見えておりなさる。あんたはんの家屋敷にこびりついている穢れじゃが……」
 直は喜三郎にむき直り、
「昨日からえらいすまんことでございました。ついでのことに大安まで廻って、この人のお家を祓うてあげてはもらえまへんじゃろうか」
 足立をさしおき、東から来た若者に鹿をまかせることで、直は喜三郎への信頼を表わしたのかも知れなかった。
「心配ござへんで。この先生に行ってもろたら、すぐに治りますでなあ」
 直の暖かい一言で事実上、鹿の病魔は退散していると、喜三郎は思った。灯がともったように明るい眸になって、鹿は喜三郎を仰いでいた。

 足弱の鹿をいたわりつつ、綾部の町を出はずれてまっすぐ北へ、紅葉の錦あざやかな大安(現綾部市中筋町大安)の小室家に着いたのは、もう昼下りであった。
 小室家は資産家らしい門屋の大きな構えであったが、壁は落ち、雑草ははびこるにまかせて荒れ果て、陰惨な空気がよどんでいる。鬱積した邪気を透視して家の修祓をと喜三郎に指示した直の慧眼に、改めて心服した。隣家の鹿の伯父が出て来て、喜んで迎える。
 喜三郎は床の間を清めて仮奉斎し、祓戸の大神の御降臨を願って、化け物屋敷の如く陰気漂う部屋々々をさっさと祓ってまわった。厨から厠まで余す所なく清め終わると、神前に戻って朗々と天津祝詞を奏上。
 その夜は鹿と彼女の伯父の接待を受けて、泊まることとなった。すっかり気分が晴れたと嬉し涙を浮かべる鹿に神の道を説くうち、喜三郎はふと苦笑した。
 ――奥山のしかと語らむ八重の神垣。
 足立の挑戦を受けてとっさに認めた歌が、はからずも現実をさしていた。しかし喜三郎にとっては、寝苦しい夜となった。年若く孤独に閉ざされた娘心が、一挙に喜三郎に傾いていったから。長くこの家にとどまってほしい、かなりの資産もあれば、養子となって住んでくれと、伯父ともどもに泣きくどかれ、心ならずも引きとめられる。
「あなたの病は去って健康な年ごろの娘さんにかえったのやさけ、良い配偶者を求められる心は自然です。わしは神に仕えようと念願をたてて修行中の身、他に縁ある男性と結ばれて、伊助の倉のお直はんを頼み、明るく幸せに暮らしとくれやす」
 言葉を尽しても聞き入れぬ鹿の慕情をもて扱いかね、三日目の明け方、喜三郎は裏戸を開けて逃げ出すはめとなってしまう。霧深い野路を急いで山坂いくつ、以久田野に出てほっと歩みをゆるめた。由良川のほとり、位田橋のたもとの店よろず屋の床几に腰かけて一息つく。
 よろず屋の主四方与平(四十歳)は魚釣具・風邪薬・喫煙具・荒物・小間物などのよろず雑貨を売るかたわら、煎餅の製造販売もして、ちょっとした茶店を出していた。妻とみ(四十一歳)は、店を手伝う一方、髪結いに歩くという多角経営である。十五歳の長女を筆頭に当歳の四男実之助まで四男三女の子持ちとなれば、食うためには精一杯知恵を働かせねばならなかった。
 明治二十八年に妻とみが、二年を経て夫与平が金光教に入信し、夫婦揃って熱心に伊助の倉にもおまいりしていた。
 夫が入信すれば妻が逆らい、妻が入信すれば夫が反対することの多かった当時、夫婦気を合せての信仰は稀なのだ。与平が入信した時のとみの喜びはひとしおであった。
 煎餅をかじっている喜三郎の風体を見て、与平が声をかけてきた。
「見かけんお人やが、どこに行きはりますんや」
「裏町の出口お直はんとこですわ」
 袴の膝に散った煎餅の粉を払って、喜三郎が答える。与平は嬉しげに膝をすすめた。
「ほう、わしもお直はんにはえっとおかげいただいて、家内ともども信仰させてもろとるのやがええ……」
 妻のとみも顔を出し、思い当たったように言う。
「二、三日前にお純はんがきて言うとっちゃったけど、お直はんの所へ不思議な人が来ちゃったげな。もしかしたらあんたはんのことではござへんかいなあ」
「園部から来た男いうのやったら、わしのことかも知れん」
「園部、そうや、何でも東から来た若い人や言うとった……色の白い……」
 とみはつくづくと見て、
「やっぱしあんたはんや。そういう顔してはる」
「そら珍しいお方や。よう寄ってくれちゃった。こんなとこではなんやさかい、ともかく座敷へ上がって、有難いお話でも聞かせとくれなはれ」
 与平は、せきたてるようにして、喜三郎を座敷へ招じ入れる。とみがいそいそと茶を持ってくる。熱心で純朴な夫婦を相手に、しばし神についての話がはずんだ。
「おじさん、おってか」
 聞き覚えのある声であった。
「お、お純はんか、まあ上がりなはれ。ちょうどよいところに来ちゃったなあ……」
 とみが境の障子を開けた。入って来るなり、四方純は、ぎょっとした風に立ちすくんだ。
「あ、あんた、もうこんなとこへ上がりこんどってや……」
「ほらなあ、お純さんが言うとっちゃった不思議な人は、このお方やろ」
 与平が得意げに言う。純はもどかしく与平をさえぎった。
「あんたはん、足立先生をようだまさはったなあ。敷島の道語り合うやの、明日すぐ帰ぬやの言うとって。大安へこっそり何しに行っちゃったんです。ここにはちゃんと、足立正信いう立派な布教師がおってやおへんかいな」
「かくれて行ったわけやない。小室鹿はんのことは、足立先生にはちゃんと歌を返して始めにことわってあるがな。あとは頼みます。鹿はんと友達になってあげとくれやす」
 息をのんで、純はしばらくだまりこんだ。
「ほんまや、足立先生の言うてんとおり、口のうまい、油断もすきもでけんお人や」
 与平が間に立って、おろおろと純をなだめる。
「そんな……なんぼなんでも、艮の金神さまを見判けに来てくれちゃった大切な先生じゃないかい」
「この人の口にのったらえらいことやで、おじさん。先生は二人もいらんのや。やっとこせまとまりかけた教会に稲荷講社など持ちこんだら、どもなりまへんわな。艮の金神さまは『ようよう足立先生が表へ出してくれてやさかい、誰もこの先生かもたらあかん』言うとっちゃったえ」
 好意的であった純まで、この変わりようである。喜三郎が大安に行った間に、喜三郎排撃の足立の指令は、信者末端まで行き渡ったにちがいない。福島夫妻の頼みだけではなく、神の命じた西北の地綾部に何かしら運命的な憧憬を感じて来たのは、あやまりだったか。無下にされてまでとどまらねばならぬほどの未練はない。さっさと草鞋をはき直し、与平夫婦の止めるのを振り切って、喜三郎はよろず屋を辞した。
 創業間もない郡是製糸の横道を通って、裏町の伊助の倉に立ち寄った。綾部に心残りがあるとすれば、出口直にかくまで孤高の姿勢を保たせる神とは何か、見きわめ得なかったことだけである。
 小室家の修祓を終えた旨を告げ、鄭重に帰郷の挨拶をすると、直は変わらぬ温顔をほころばせた。
「お骨折りをおかけいたしましたなあ。こんな草深い所まで来ておくれなはったが、聞いての通り、金光教の人たちは、あまり喜んでやございまへん。まだ時節が参らんのでございましょう。時が来ましたら迎えの者をやらせますさかい、その時はどうぞ力を貸しておくれなはれ」
 銀髪の頭を下げる。無理解な人たちの中にこの人を残して去る。きりっと胸が痛んだ。
「御縁がありましたらまたお目にかかりますわ。ほんなお達者で」
 ぺこりと頭を下げ、喜三郎はいそいで倉を出た。

 園部を通り越して、一気に八木の寅天堰まで行く。園部には喜三郎の帰りを待ちわびる人たちがいるが、まず頼まれた福島夫妻に綾部行きの顛末を語らねばすまぬと、気がせいていた。茶店には、福島久の他に、折よく寅之助も揃っていた。
「綾部へ行ってきましたで。今帰ってきたとこや」
「そうですか、へえ」
 寅之助はぼそっと答えて、後は知らぬ顔で人力車を磨き立てている。久も苦々しげに横を向いて立とうともせぬ。先日とは打って変わった冷遇に、喜三郎は驚いた。
「福島はん、どないしやはったんです。恩を着せるわけやないが、わしは、あんたらの頼みで綾部まで行ったんや。帰りはわざわざ足をのばして、ここまで報告に来た。御礼は言ってもらわんでもええが、ちょこっと挨拶ぐらい返してくれはったらどうじゃい」
 拭いていた布をぽんと俥に投げ、寅之助は振り返った。昂奮に顔を充血させていた。
「偉そうなこと言いなはんな。上田はん、わしは見損のうたで。あんた綾部へ行って、何してきたんじゃい。さんざ金光教の中をかき廻しくさって……迷惑じゃんか。わしはそんなことまで頼んだ覚えはないど」
「……」
 久は咎める口調でまくしたてた。
「あんたは知らんやろけどなあ、今朝早うに、足立先生が来やはったわな。『なんであんな奴を寄こした』言うて、さんざん叱られてしもた。『上田いう奴は日本一の馬鹿者や』言うたはったえ。あんたのおかげで、せっかくひとつにまとまりかけた教会が、むちゃくちゃに荒らされたげななあ」
「はあ、なるほど……それで足立はんはどこにおってや」
 喜三郎はやわらかく聞いた。
「島原教会の杉田先生に、あんたのこと報告に行かはったわい。ほんまにえらい迷惑じゃが……」
 喜三郎があっさり手を引くとも知らず、誇大に騒ぎまわっているのは彼ではないか。今ごろは京都の杉田政治郎の所で首を揃え、早速金光教としての対抗策をねっているのであろう。足立の狼狽ぶりがおかしかった。
 喜三郎は、淡々と綾部でのいきさつを述べ、「時節が至れば必ず迎えの者を出すから、その時は力を貸してほしい」と直に頼まれたことを語った。
 久は納得した。
「やっぱりこの人は、わたしの見込んだ通りのお人かも知れん。足立先生が我を出して、上田はんを邪魔者扱いしやはったんでっせ。わたしは、はじめから上田はんがお経綸の方に間違いない、言うてましたやろ。そやのにあんたは……」
「なんかしてけつかる。『あんな奴を見損なったばかりにお道の妨害をした』言うて今の今まで悔やんどったんは、お久、お前の方やないけ」
 夫婦の口論を聞きながら、喜三郎はきびすを返していた。寅之助が追って来て無礼を詫び、せめて茶ぐらいと言い張ったが、それも断わって歩みつづけた。出口直にかかった神は、喜三郎が初めて対した強力な神霊にちがいなかった。その審神のための力量不足を、痛烈に省みねばならない。
 ともあれ、出口直との出会いは、深く喜三郎の胸に焼きついて離れなかった。

 ――時節が来たら迎えの者をやらせますさかい、その時は力を貸しておくれなはれ。
 確かにあの若者に、直はそう言った。その自分の言葉に小首を傾げていた。決して口から出まかせを言うつもりではなかったのに……むしろあの若者が去んだことに、ほっと安堵さえしているのに、何故あんなことを……その言葉が胸につかえたようで、直はこだわっていた。金光教を頼りとする心はとっくに失せていたが、さりとてお稲荷さんを頼ってその下に隷属するなど、思うだにしのびがたかった。
 上田喜三郎が綾部を去って四日目、明治三十一年旧八月二十七日、直は没我のうちに書いた筆先をたどたどしく読みあげて、呆然とした。
 ――出口直よ、時節がまいりたから、神のしぐみのいたしてあることが、おいおいと出てくるぞよ。お直のそばへは正真のお方がおいであそばすから、来た人をそまつなあしらい致すではないぞよ。お直はいたさねども、足立どのは男子のことであるし、我も出るし、いまでは分からねども、もうすぐになにごとも分かるぞよ。みな神がしぐみいたしてのことであるから、たれにうつりてまいろうやら、人民ではわからんから……不思議な人がみえたならば我を出さずとひっそりとお話をきくがよいぞよ。……灯台もとくらし、よそから分かりてくるぞよ。それではながらく信神いたしたおかげがないぞよ。頭をかくことが出て来るぞよ。
 翌々日の旧八月二十九日には、
 ――神、表に出してくださりたらば、なにほどでも人は集せるぞよ。あのおん方は、この方が引き寄したのざぞよ。神が守護のしてあること。
 旧九月三十日には、
 ――神のしぐみがしてあることであるから上田と申すものが出てきたならば、そこをあんばいようとりもちて、腹をあわしていたさぬと、金光どのにもたれておりたら、ものごとがおそくなりて間にあわぬぞよ。
 筆先は、直の迷いを吹きはらうように、くりかえし現われていた。
 旧十二月二十六日には、
 ――出口直に明治二十五年に申してあること、この大もうなしぐみのいたしてあることを、世界にひとり知りておると、言いきかしてあろうがな。このことが分かりてくるぞよ。まことの人はこしらえてあるから、このまことの人が出てこんと分からんぞよ。……まことの人を西と東にたてわけて、この金神が神懸りてご用がさしてあるぞよ。
 園部に帰った喜三郎からは、二度ほど手紙がきていた。文字の読めぬ直に代わって、中村竹吉が読んでくれた。
 ――艮の金神を表にお出しするため、一時の方便として稲荷講社に附属してはどうか。あとの段取りは自分が引き受けるゆえ、ためらうことなくお道をひろめてくれるよう。
 竹吉は、文面の大意だけを直に告げた。
「これはちょこっと預からしてもらいますで」
 竹吉はそそくさと喜三郎の手紙を家に持ち帰ってしまった。
 直は、心せくままに、筆先を持って東四辻の教会に出た。
「足立はん、これこの通り、神さまがえらいお急きなさるでなあ、この前に見えた上田という人と和合して、艮の金神さまを早う表に出しておくれなされ」
 足立は、軽く筆先を読み流して直にもどし、苦っぽく言った。
「あの稲荷はんとは気が合いまへん。もう半期(半年)待ちなはれ。そのうち表へ出したげる」
 直は悲しみに震える唇をきっと噛みしめた。
「金光さまにお世話になり出してから、もうだいぶ待ちましたわな。このままでは、神さまの御用が間に合いませんでなあ」
 明治二十七年より五年の間、奥村・青木・塩見・足立と金光教の教師は入れかわったが、直を重宝がり、利用はしても、誰も真心を持って考えてくれた者はいなかった。本宮の中村竹吉、西岡弥吉(四十六歳)を訪ねても、足立と同じ言葉をくりかえすだけ。

 園部上本町の奥村徳治郎宅を拠点に、喜三郎は精力的に霊学会の拡張に専念していた。
 晩秋の朝、喜三郎は園部大橋の欄干にもたれ、丹波特有の深霧に見惚れていた。人生と一緒で、霧の奥、一間先には何があるか見きわめ得ない。と思った矢先、霧を破って従兄の井上猶吉が現われた。牧場で乳をしぼった帰りらしい。
「やあ、お早う」と喜三郎は、親しみをこめて挨拶する。猶吉は白い眼で睨み、「ふん、まだ神ぼけしてくさるのか」と嘲笑う。その冷ややかな声調に、頭から冷水をあびせられた気がする。
「そらないで、猶やん。これでもわしは、世のため人のために必死で神さまの道を進んどるつもりや」
「だまれ、なまくらな逃げ口上など聞くけい」
 猶吉はどなりつけ、短躯に肩そびやかせ、立ち去る。霧に溶ける寸前の猶吉の後姿を見て、思わず喜三郎は呟く。
 ――あ、えらいこっちゃ。猶やんの余命いくばくもない。
 霊界にある精霊はすべて霊衣を着用しているが、現存する人間の精霊もそれぞれ同形の霊体(幽体)の上に霊衣をつけている。しかし霊眼で見た場合、生者と亡者の精霊の区別は、その霊衣で判然とする。生者は円い霊衣を一面にかぶるが、亡者のは頭部が山形に尖った三角形である。しかも腰から上のみ着し、下はない。俗間に「幽霊に足がない」というのも、この理にもとずく。
 生者の徳高き人の霊衣は、きわめて厚く、大きく、光沢が強い。よく人を統御する能力を持つ。徳なき人は逆だ。また大病人は霊衣が薄くなり、頭部が山形になりかける。
 喜三郎が病人を見る時、まず霊衣の厚薄と円角の程度で生死を判ずる。天下の名医が匙を投げた病人でも、霊衣が厚く光が存していれば必ず全快する。また名医が大丈夫だと断定した病人でも、霊衣が紙の如く薄くなったりやや三角形になりかけていると助からぬ。喜三郎の体験によれば、百発百中であった。
 猶吉の後姿に見たものは、光沢を失いかけ薄くなりつつある霊衣であった。それを救うには本人の信仰の徳によるしかない。しかしそういう人間に限って神の道を信ぜず、かえって反発するから始末が悪い。
 ――そうや、猶やんはわしの従兄や。ともかくもわしに獣医学の手ほどきをしてくれた恩師や。どんなに邪慳にされたかて、神の道に救い上げるのがわしの務めや。
 罵倒した相手を追い、橋を越えて北岸に渡る。橋詰めを川沿いに東へ数軒行くと、金光教会と軒を並べた狭くるしい井上家がある。
 猶吉の妻縫が、寝巻姿のまま、腫れぼったい眼で喜三郎を見、不機嫌な顔であごをしゃくった。そのあごの先で猶吉はあぐらをかき、薬包紙にせっせと牛の薬を包んでいる。隣室では三歳と四歳の女の子、生まれて何カ月かの男の子が寝ている。あんなに子ができるのをいやがっていたのに、これだけはどうにもならぬものらしい。
 喜三郎は、座敷に上がりこみ、猶吉のそばに坐った。
「猶やん、神の道をくさすのはかまへんで。けどせめて、わしの言うこと聞いた上でくさしてくれ。なあ、頼むわ」
「きいたふうなこと、ほざくな。奥村に居候しくさって教会も持たんと、なに偉そうなことこくねん。わしんとこはのう、ちゃんと金光教会の隣に住んどるにゃぞ」
「あんなちっぽけな教会、何やちゅうねん。教会のあるなしが問題やったら、将来わしがぶっ建てる教会見てくれ」
「何ぬかす。獣医学も中途でやめる奴に何でけるけい。それよりちょっと手伝え」
「惟神の道と営利事業をいっしょくたにしてくれるな」
「あほか。金がのうて、この世で安楽に暮らせるけい」
「その拝金主義があかんのや。よいけ、猶やん。信仰さえ徹底したら、金みたいなもん、必要なだけ神さんが恵んでくれはるわい」
「へえ、ほんなお前はもろたんこ。そやったら何で、貧乏たらしいねん。論より証拠じゃ」
「それはまだ……つまりわしの信仰が若うてまだ不徹底なさけ……」
 現実を突っこまれると、喜三郎もあいまいにならざるを得ない。それを見すかした猶吉は、かさにかかって攻める。
「そやろそやろ、徹底もしとらんおのれが、わしに道説く資格があるこ。お前が神さん拝んで金持ちになったら、わしかて獣医も牧畜もやめて信仰するわい。あほか、くそばか、こん畜生――」
 そこまでののしられると、喜三郎の頭にもいささか血がのぼってくる。
「分かった。要するに敬神家と拝金主義者では、根本的に意見が合わんのや」
「そんなに嫌いな拝金主義者の家に、なんでのこのこ来さらした」
 ぺっと唾を吐く。危うくよけた。ここで喧嘩したんでは、何のための訪問か分からぬ。ぐっと怒りを押えて、喜三郎は強いて微笑をつくった。
「金儲けするのが悪いとは言わん。けど神さんの道を悟るのかて、悪いとは言えんやろ。わしかて金銭の奴隷になることやめて、やっとこの春から神さんの使いになったとこや」
「神さんのことなら、わしの方がよっぽど知っとるわい。門前の小僧習わぬ経をよむちゅう諺ぐらい、おのれかて知っとるやろ。金光教の隣に住むわしじゃ、釈迦に説法さらすな」
「わしはお前の命を助けたいんや。頼むさけ、神の道に入ってくれ。このままでは……このままではのう」
「わしの命がどないやねん」
「猶やんはわしの従兄や。他人ごとに思えん。そやさけ神にすがれや。今のままやと、あんたの命は十年ともたん」
「な、なんやて、もう一ぺんぬかしてみい」
 顔面蒼白となった猶吉は、立ち上がりざま、部屋の隅の鉄鎚を振り上げた。
「こ、このがき、おどしくさって」
「おどしやないて。ほんまやど。あ、危ない」
 襲いかかる猶吉を危うくよけた喜三郎、土間まですっとんで草履をつっかけ、そこで尻を叩いて逃げ出した。猶吉は「ばかあ、殺してやる」とわめき、鉄鎚を棍棒に持ちかえ追っかけて来る。縫が何やら叫んでいる。
 大橋を半ば南に渡って振り返る。まだ相手は対岸をよたよた走っている。その間隔は約半丁、コンパスの長さからも、もう追いつけまい。喜三郎は立ち止まり、あごをしゃくって笑って見せる。
「くそったれ、舌出して笑いくさったな。ようし、地獄の底まで追っかけて、その舌引き抜いたる」と地団太ふんでいる。
 橋詰めから東に走って奥村の喫煙具屋に逃げ込む。主人の徳次郎にわけを話して奥座敷にひそむと恐怖がにわかに襲ってきて、胴震いが止まらぬ。あの激怒ぶりは常軌を逸している。本当に殺されるかもしれぬ。
 荒々しく、猶吉が奥村の店に踏みこんできた。徳次郎がさえぎる。
「やい、ここに逃げこんだ畜生をつき出せ」
「お門違いやろ。この家には畜生はおらん。畜生に用事があるなら、お前んとこの牧場に行ったらどや。棍棒持ってこれ以上入ったら、営業妨害と家宅侵入罪で訴えるで」と、徳次郎が威嚇している。
 猶吉はしばらくぶつぶつ言っていたが、やがて不承不承に立ち去った。
 奥の間で、喜三郎は改めて徳次郎に事情を語った。うなずきながら聞いていた徳次郎は、心配そうに告げた。
「井上はんは、たしかにこの頃、おかしいらしい。ときどき逆上して、見さかいなく人を追っかけるちゅう噂です」
「そうか、なんとか助けてやりたいが……」と呟きながら、障子窓を明けて川向うの井上宅に眼をやる。
 喜三郎の顔面から血が引いた。対岸の彼の家の縁から、猟銃の銃口をこちらへ向けているのは猶吉ではないか。とっさに窓を閉めて伏すと、どんと銃声が響きわたり、障子が裂けて震えた。

 半狂乱の猶吉が対岸に住む限り、奥村の座敷は剣呑で使えぬ。喜三郎は黒田村(現園部町黒田)の西田卯之助の一室を借り、そこで会合所を設置した。
 黒田村は園部川の流域に位置し、北方の山を背にする。山麓部の東西に七十余戸の人家が並び、東南部に耕地が広がる。西田卯之助の家は曹洞宗観音寺の近くにあった。卯之助は三十一歳、妻とみとの間に二人の幼児があり、父弥左衛門(五十九歳)も健在、弟夫婦とも同居していた。
 黒田の会合所には遠近の人々が次々と訪れ、喜三郎はその応接に忙殺される。それほど霊験が立った。
 卯之助の妹わさ(十九歳)が東本梅村若森(現園部町若森)の中井忠治の長男喜作に嫁いでいるが、重病で寝たっきりだという。その病気治しを卯之助に頼まれ、喜三郎は若森へ出張する。
 若森は埴生の東にある寒村で、中央を園部川の支流本梅川が北西に流れる。川の北東部が山地で、川の南西に耕地と村落がある。中井家は貧しい農家であり、若い嫁に長く病床につかれたのでは、その困窮が思いやられる。
 瀕死の重病といわれたわさだが、霊眼で見ると、霊衣の頭部は円形であった。喜三郎の鎮魂によって、たちどころに回復する。噂はあっという間に広がり、ここでも村人が争って訪ねて来る。あまりの訪客の多さに迷惑そうな中井家の事情を察し、喜三郎は近所の竹村義一家の一間を借り、会合所を設置する。参詣者はますます増えた。
 が、困った問題があった。里という出戻り女が朝夕喜三郎の傍につきまとい、うるさく世話をやく。わずらわしさにことわっても、承知せぬ。やがて喜三郎に妙な素振りを見せ始め、はねつけてもひるまない。女難だ。喜三郎と里の噂がたちまち村中を一巡する。家主の竹村が二人の中を疑い、部屋の提供をことわってきた。
 喜三郎が引き揚げ準備をしていると、村人たちが押しかけて離そうとしない。彼らの頼みでやむを得ず会合所を中井家に移し、村人たちが間に立って里の出入りをきびしく禁じた。
 若森と黒田の両会合所をあわただしく行きかいながら、変転きわまりない明治三十一年の冬は暮れる。半国山おろしの雪風つめたい若森で、二十九歳の正月を喜三郎は迎えた。
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