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文献名1大地の母
文献名2第5巻「蚊龍の池」
文献名3売僧の詐術
著者出口和明
概要
備考
タグ データ凡例 データ最終更新日----
OBC B138905c08
本文の文字数19630
本文のヒット件数全 2 件/芦ノ山=2/葦野山=0
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本文  明治三十二(一八九九)年正月早々、縁起でもない目にあった。
 知人に頼まれ、遠く篠山(兵庫県多紀郡)近辺まで出向いて急病人を治した帰途、日暮れて天引峠にさしかかった。源義経が一の谷に向う途中に通ったのもこの峠。古くは岩坂ともいい〈続古今〉に「いは坂の山の岩根のうこきなくときはかきはに苔のむす哉」とある。
 この峠のかたえの辻堂で焚火にあたっていた二人の男から金を無心された。噂に聞く天引峠の賊と知ったが、喜三郎は謝礼にもらったばかりの金一円を財布はたいて渡してやった。凍てつく深夜、身もふところも寒さに震えつつ若森の里に帰りつく。
 病気治しや布教ばかりでなく、この時期の若い喜三郎は霊的体験を求めて、幾つも教会や憑霊をこまめに訪ね歩いている。
 山城の稲荷山(標高二三二メ―トル)は東山三十六峰の最南端にあり、一の峰・二の峰・三の峰を成すので通称三ケ峰、全山が神奈備として稲荷信仰の本山となっている。伏見稲荷大社はその西麓、宇迦之御魂大神・佐田彦大神・大宮能売大神の三神を祀る。この社はもとは渡来人秦氏の氏神であったが、今は商売人や一般市民の尊崇あつく、参道の両側には土産物店・飲食店などが立ち並ぶ典型的な門前市である。
 お稲荷さんといえば赤鳥居の列を連想するが、伏見稲荷は全山各所に朱塗りの鳥居が立ち並ぶ。特に本殿後方から山腹にかけての参拝路には約二万の鳥居がすきまなく赤いトンネルを作る。鳥居には奉納者の名が信心の底深さを象徴している如くに記されている。だが喜三郎の眼には、いっそそれが人間の欲望の限りなさを強烈な朱と数で象徴しているかに映る。
 ここには神域の清浄さもない。喜三郎が知りたいのは、現世利益を求める大衆のあくなき欲望を餌に肥え太る、稲荷山に巣くう霊術者たちの正体だ。
 稲荷山には多くの境内社、行場にふさわしい滝、迷信者が寄って建てた数知れぬ狐塚があって、「お山詣り」と称する参詣者相手に各所に茶店が出る。喜三郎は本殿わきから根雪の残る北東への道を進んだ。権太夫滝、荒木滝を過ぎ御壱滝に来た頃には、滝壺のあたり、早くも舂く。
 一月の稲荷山は初詣で参詣者が多いが、御壱滝にも人々が群れていた。彼らの熱い視線の注がれる先は、滝に打たれる三、四人の修験者にまじった容貌魁偉の痩せた初老の男だ。
 中年の女性が感に耐えぬ声で、「ああ、真海さま」と身もだえる。真海の名ならば穴太にも聞こえている。俗に狐下ろしを「白さん」、狸下ろしを「黒さん」というが、この山で年をへた真海はあたりに住みつく数多の狐下ろし、つまり白さんの大親分だ。
 興味を持った喜三郎は、人をかき分けて前列に出、しゃがんで見物する。
 陽が落ち、滝壺のそばに置かれたランプの光が、妖しく真海の姿を浮き出させる。やがて真海は滝壺から上がり、白衣に着がえた。世話方がもったいぶった声で群衆に呼びかける。
「さて皆の衆、今宵お参りになったのは、まことに福運の開けはじめでござるぞ。と申すのは、只今より生き神・真海さまの空中浮揚の神術をお目にかける。初詣のおかげは取り徳、どうぞめいめいに背負きれぬほどのおかげをいただいて帰りなされや」
 真海はじろっと暗い目つきで参詣者をにらみ廻した上、やにわにランプの火屋をとり、ぱりぱりと食い始めた。参詣者はあっと息をのむ。おおいを失ったランプの炎は一月の寒風にしばし揺らいで消え、木の間から洩れる淡い月光のみが唯一の照明だ。と、不思議や真海の肉体がつるつるつると浮き始め、地上二間ほどの宙空にぴたりと止まる。この奇蹟に声を上げ、ありがた涙に鼻をすすって泣き出す者さえある。
 滝しぶきを背に月光に浮く真海は、始めて甲高い声で口を開く。
「いるわ、いるわ、いっぱいいるわ、肺病やみが。筑波山の〃いもり〃の黒焼きは肺の妙薬ぞ。さあ、神が授けてとらす」
 宙空から小さな紙包みがぱらぱらと降ってくる。人々は先を争って拾う。頃合いを見はからって世話方が静止の声をかける。静寂が戻った時、あちこちの草むらが動いて、数匹の白狐が這い出した。
 眼をみはる群衆に真海は託宣する。
「われこそは三剣稲荷大明神なり。頭が高いぞ。ひかえーい」
 参詣者がいっせいに平伏す。白狐見たさに頭をもたげる者でもあれば、数人の世話方がすかさず棒で押えてたしなめる。人々は頭を地にすりつけ、般若心経を上げる。その狂熱的な合唱に負けじと、欲ぼけ男女が口々に勝手なことを訴えている。
 喜三郎はふき出しかけ、世話方に棒で打たれて逃げ出し、木の下闇に隠れていた。夜目のきく喜三郎には、彼らの妖術の仕かけが明らかに見てとれる。真海の空中浮揚は滝の前面にせり出す松の大枝を通した針金仕掛で引き上げたものだし、白狐と見せかけたのは、頭から足の先まで狐に似せた白布をかぶる男たちに過ぎぬ。
 子供だましの詐術にのせられ、妖僧・真海を生き神と信じる愚夫愚婦ら。彼らに真海の詐術をあばいて見せるのは易い。が、彼らはあばいた者をこそ逆に非難しよう。生き神真海を人間の座に引き下ろした元凶として。
 彼らは夢みていたいのだ。あばかれた現実をこそ、むりに幻だと思いこもうとしよう。それならそっとしておいてやるまで。ここばかりは人の屑のみ集まる世界の外の世界だ。
 真海はおごそかに宣言する。
「いよいよこの神が福授けるぞ。福ほしくば手つけを出せよ。手つけは千倍、万倍にして返してやるぞ」
 薄闇に浮く白装束の真海にたちまち銀貨包みの雨が降る。真海は神官扇を顔にあて、たくみに銀貨のつぶてを避ける。
 木の間がくれに揺れる提燈の灯に、世話方が何か一声叫んだ。あっというまに真海は地上に降り立ち、はっと白衣を脱ぐと下は墨染の衣、たちまち闇に溶け入る。世話方も白狐たちも素早く消え、跡はわけのわからぬ群衆ばかり。靴音と共に警官が現われ、「早く帰れ」と群衆に指示する。参詣者の後を追って警官も山を下りると、滝の音と松風ばかり淋しく響く。
 あと始末を見届けねばならぬと喜三郎は、かじかむ手足をこらえてじっと現場に待つ。ややあって真海はじめ数人の男たちが提燈照らして現われ、そこここに落ち散った銀貨包みを拾い歩く。篭に集めた銀貨を数えて真海は手早く分配。その分前の多少でこと騒がしく争い合う。
「なぜ警官に気をつけぬ。分前の少ないのはお前らのせいやぞ」と、とがった声で叱る真海。
「針金は引かねばならず、狐には化けねばならず、こっちかてしんどいわ」と、叱られた弟子がふくれてぼやく。
 思わず笑い出す喜三郎、いっせいにふり向く男たち。「誰だ、おい、つかまえろ」と真海がわめく。くっくっとまだ笑いながら、喜三郎は闇の山路を逃げ出した。追手らはこの山路に慣れっこだ。こらかなわじと、とっさに茂みに隠れてえへんと咳ばらいをする。
「わっ、巡査がまた隠れとる」
 一人が悲鳴を上げると、彼らはおじけた野狐そのまま、あっというまに山をかけ登って消え失せた。
 門前の安宿に一夜を明かし、翌朝ものこのこおもろい芝居見物へと稲荷山に出向く。 御壱滝をさらに東に登って白滝まで来ると、四、五人の男女がおぼつかない神言を奏上しながら水を浴びている。中の白髪まじりの背の高い男が指導者らしい。
 滝壺のそばで見守っている中年の男に訊くと、十余年稲荷山に住む稲荷下ろしの頭・服部準造で真海大僧正の弟子だと教えてくれた。さらにくわしい様子を探りかけたところ、当の真海が五人の弟子を引き連れてやってきた。
 真海が疑わしげに喜三郎をにらむ。喜三郎はうやうやしく頭を下げて問いかけた。
「失礼ですけど、あなたさまは世にも名高い真海大僧正さまと違いまっしゃろか」
 とたんに真海の表情から警戒の色が消え、信者に対する優越感が鼻翼をふくらませる。
「おう、そうじゃ。真海はこのわしじゃが、その方の在所は?」
「へえ、わしは丹波の園部の百姓ですわ」
「それぐらいのことは霊感でとくと承知やが、その方がほんまのことを言うかどうか形式的に訊いてみたまでや」
「はあ、なるほど……」
 おかしさをこらえれば両眼から涙がにじむ。笑い上戸の喜三郎は、それをけどられまいと懸命だ。
「真海さまの御高名は、丹波の地まで鳴り響いてまっせ。それを慕うて伏見の里まで来ましたんやが、どうぞわしをお弟子の一人に加えとくれやすな」
 空虚な高笑いのあと、真海は声をひそめる。
「弟子入り希望者が多うて、ことわるのに往生してるのや。弟子にしてやってもよいが、膝つき(入門料)百円出せるかな」
「そらもう百円ぐらい……わしの親父は丹波の大地主やけど、こないだぽっくり死にましたさけ、お弟子にさえしてもらえるんなら千円はおろか一万円でも……」
 一万円と聞いたとたんに真海の態度ががらりと変わったばかりか、顔つきから声音まで微妙に変化する。
「ま、まあ、そこまで道を究める覚悟がおありなら、じっくり相談に乗って進ぜよう。ここでは話にならん、こちらへござれ」
 弟子たちを滝に残し、真海は滝の向いにある奥村稲荷の茶屋ヘ喜三郎を招く。この小さな茶店では最高のもてなしであろう、山海の珍味が運ばれる。一万円どころか一円の金さえ持たぬ身で尻こそばゆく感じながら、御馳走には遠慮なく舌つづみを打つ。
 真海の熱っぽい神がかり談義に相槌打っていた喜三郎は、満腹したところで頃はよしと、さりげなく質問に切りかえた。
「ところで真海さま、この稲荷山には、人間に化ける白狐は何匹ぐらいいますのやろ」
「人間に化ける?それはあなた、白狐は白狐、人間は人間ですよ」
「そうやろか。ほな白狐に化ける人間はどないです」
「……」
 喜三郎は瞳に力をこめて、
「真海はん、ここの白狐は銀貨の分配を争うけ」と、ずばりと言う。
 真海の表情が変わり、みるみる蒼ざめた。何か言おうとするが、言葉にはならぬ。
「松ケ枝の宙吊りの技もなかなか見ごたえがあっておもろかったのう。もう一度ゆっくり見せてんか」
 喜三郎はゆっくり立ち上がる。
 畳を這って真海は喜三郎の足下にひれ伏し、涙声で訴える。
「どうぞお目こぼしを……この冬を留置所に入れられたら、わたしも年やから、命が持ちまへん。今後は気をつけますで、どうぞ許しとくれやす」
 にじり寄って、喜三郎の袖にすがる。喜三郎を完全に探偵と誤解したのだろう。一言も警察を出したわけでなし、誤解するのは先方さまの御勝手だ。ちょっと哀れにもなって、喜三郎は言う。
「御馳走にもなったことやし、今日はこれで帰る。今度来た時は筑波山の〃いもり〃も頂くで」
 卑屈に頭をかく真海を尻目に、喜三郎は奥村の茶屋を出て足早に立ち去る。
 正体がばれて追手をかけられはしまいかと、急に臆病風に吹かれた。あわてていたのか木の根につまずいてこけ、膝頭を破った。血の吹き出る一寸ほどの傷口を手拭でしばって、伝法池の脇道を片足引き引き下る。
 赤鳥居のトンネルの果てしなさにあきれつつ、喜三郎は昨日来の稲荷山での出来事を思い返す。文明の御代とはいえ、その反面にまた迷信が根強くしみこんでいる実態を目のあたり見た。赤鳥居に記された名は、大半が京阪神に住む富豪たちと聞く。稲荷信仰の本質である保食神(五穀をつかさどる神)を忘れ、狐にも心劣る欲深き人々が人為の狐に迷う情けなさ。一日も早く誠の神の道を伝えねばならぬと、喜三郎は足の痛みを忘れて思う。
 桂川の長橋を渡り、ぬかるみをよけて左右にとび交いながら老の坂ヘとかかる。朝に夕に荷車曳いて通いつめた道だったが、雪のぬかるみ坂はひとしお厄介だ。道のわきの子安地蔵を見れば三、四人の腹ぼて女が寒空に震えてうずくまっており、ここにも迷信に縛られる女たちがと、喜三郎の胸は痛む。
 眼鏡橋を渡って、近くの王子天満宮社(くらがりの宮)に立ち寄る。天満宮社の一軒おいて東が出口直の次女琴の嫁ぐ栗山家で、かつて澄がこの裏の井戸まで水汲みに通ったことなど、もとより喜三郎は知らぬ。喜三郎がこの社を訪れたのは、社務所に従兄の洋画家・田村月樵が寄留しているからだ。
 田村月樵、名は宗立、別に大狂・有安十方明等の号があり、明治時代における京都洋画壇の開拓者である。弘化三(一八四六)年に丹波国園部近在で生まれた。明治十三(一八八〇)年、京都府画学校(京都市立美術大学の前身)の教授となり八年間在職、多くの青年画家を育成して京都画壇の発展に寄与した。晩年は知恩院内玄玄院に住してもっぱら日本画を画いて余生を送り、大正七(一九一八)年に七十三歳で歿した。
 従兄とはいえ年が二十五歳も違うので、遊んだりしたような仲ではない。たまに会った時、絵心について教えを受けるぐらいだ。
 久濶を叙すと、月樵は親しげに近況を訊く。喜三郎は「惟神の道に仕えている」と、去年春の高熊山入山以来のことを語った。堂々とした体躯に洋服をつけ、光をたたえた眼、強い意志を現わす結んだ唇にも画道一筋に生きてきた先覚者としての風貌がうかがわれる。この月樵には、喜三郎は師に対するような心になる。
 無言で聞いていた月樵は、ややあって口を開いた。
「喜楽さん、いっそ絵をやってみてはどうかな。あなたは希に見る才能に恵まれていると思う。僭越ながら私が手ほどきしてもいい」
 二年前ならば喜三郎はその誘いにとびついたかも知らぬ。しかし今は、その蠱惑的な言葉にも動かされない。
「おおきに。わしも絵の道は大好きです。けど惟神の道を進むことは神さまとわしとの固い約束ですさけ、背くわけにはいきまヘん」
 月樵は深くうなずき、しみじみと言う。
「初めての道を開くというのは、とても苦しいものや。あなたの参考になるかどうか、私の体験ですが……私は十歳の頃に父に連れられて上京して、南画を学びました。私の夢は、本物そっくりの絵を画くことです。そのために古社寺の名画を見て歩いたが、満足できぬ。応挙を見ても、もう一つ……」
「応挙はんの写実性でも満足できなんだんですか」と喜三郎は驚く。
「そうなんです。私の求めていたのは、真物そのものと違わぬ絵、いわば写真のように正確な絵でしたからね。そこで応挙や多くの画家たちが試みたように、花や鳥や昆虫や果物などを克明精密に描くことから始めたが、どうしても真物そっくりにはならん。あれは文久三(一八六三)年、私の十七歳ぐらいの頃でしたか、誓願寺(京都市中京区桜之町)境内で行なわれた興行ののぞき眼鏡や写真をみて、ほんとうに驚いた。これこそかねてから思っている真物と見える絵だというわけだ。蛸薬師の眼鏡屋に訊いたら、『あれは絵ではない。写真というて、鏡と薬品の力でこしらえたものだ』と教えてくれたのです」
 写真を絵と錯覚するなど、滑稽かも知れぬが、喜三郎には笑えなかった。
「何とかして写真のような絵を画きたい。惨憺たる苦労を重ねたものですよ。ある時、物には陰影があるからそれも描いてみた。画が浮き上がるように見える。ある人にそれを見せると、『いかにも真物のようだが、下の黒いものは何だ』というので、『それは影だ』と答えたら、『どうも影が大き過ぎるようだ』と批評する。とにかく人に何と言われようと、私は陰影をつけることをはじめた。今では小児でも知っていることだが、当時は西洋画も見たことはなし、全く私の独創だったわけや」
 その遠くをしのぶ眼に、一途に生きた若き日の情熱の残り火がこもっている。
「ある時は鼠を飼って写生した。ひどく苦心したのは、鼠の眼球の丸みです。鼠の眼球は丸く光るが、どうしてもその光が表わせない。いろいろ工夫を重ねた結果、眼球に漆を塗ってみてその艶に僅かに満足したものです。洋画のハイライトの技法など、もちろん知るよしもなかった時代のお話です」
 明治五年ごろ、絵入ロンドン・ニュース社の画報通信員チャールス・ワーグマンが横浜に派遣されていることを聞き、月樵はわざわざ横浜まで出向いて教えを乞い、以来、洋画研究に精魂を打ち込む。
 が、もっとも困ったのは油絵具の入手である。徳川末期の蘭画家がしたように、絵具の手製にかかる。岩物(岩絵具)といわれた鉱物絵具を油で練って使ってみたが、色はともかく乾きが悪い。鬢づけ油をまぜてみてもうまくない。そこでペンキ屋で使う乾燥料を入れる。大理石の板と同じ質の棒を用意して絵具を練る。練製はできてもチューブがない。油紙で円筒を作って練絵具を入れて絞り出す。すべてが手探りであった。
「ついつまらぬ昔語りを喋ってしまった。喜楽さん、どの道にせよ、手探りで進む者の喜びと苦しみは同じやと思います。神国の前途のため大望を捨てることなく、どんな苦労があっても信じる道を究めなさい」
 月樵の暖かい励ましが嬉しかった。昂揚した気分のまま、亀山城跡に立ち寄る。鉄道敷設の敷石にほとんどの城垣がつき崩され、切り売りされたという。いとけないころに見た城跡にひきかえ、みるかげもない荒れように涙する。くぬぎ林に吹く風の音さえ寒々しい。
 あれは獣医学を学びに園部へ向う前だから、もう六年になる。もと士族という老翁に「わしが昔の城の姿にきっと戻す」と約束したが、現実のきびしさはいまだにわが住むささやかな巣すら持ち得ない。
 むしょうに産土神が恋しくなった。昨夏、小幡神社で小松林命の神示を受け故郷を飛び出して以来、帰っていない。産土神に祈言を申し上げたい。
 夕暮れの社前にぬかずいた後、敷居の高い思いで生家へ帰った。祖母も母も笑顔で迎えてくれる。八歳になった妹君がまとわりついて離れない。弟由松の姿はなかったが恐らく博奕であろう。
 喜三郎はつとめて明るい話題を探って語り、家族の者を笑わした。自慢できる土産話の何一つないのが悲しかった。
 翌早暁、またも小幡神社に詣で、朝の息吹きを心ゆくまで呼吸し、杜吹く風の囁きに耳を傾ける。参道に足音を聞き、ひそかに社側に隠れた。できるだけ無理解な故郷の人に顔を合わせたくなかったのだ。そっとのぞくと、欲ぼけ親父の斎藤元市である。
 鈴の緒に手をかけがらがら鳴らし、賽銭を投げて、哀れな声を振りしぼる。
「何とぞ産土の神さま、生まれた時からの氏子であるこの斎藤元市の願いを聞いとくれやす。欲なことは申しまへんさけ、いっぺんだけ米相場に勝たして下さいませ。このままでは山も田も家もみんなとられてしまいます。どうぞお助け下されい」
 また性懲りもなく米相場をしているかと思うと、可哀そうになる。いつまでも天津祝詞をくり返して止めぬので、うつ伏して祈るすきに足音しのばせ通り過ぎようとした。だが気配を察したか、元市は頭を上げて後を向く。
「あ、喜楽はん……」
「お早う」と仕方なく喜三郎は声をかける。元市はさすがにばつの悪い顔をして、
「さっきから聞いてたんこ」
「せっかくのお祈りを邪魔したら悪い思てのう。どないやねん」
「貧乏の上塗りばかりや。神さんに見捨てられたか、ありもせぬ銭を相場にかけてはとられ、もう二進も三進もいかん」
 気の毒に思うが、喜三郎とてどうしてやることもできぬ。ありきたりの慰めを言って別れる。
 生家を出発しようとしていると、元市から聞いたのか、旧友の上田和一郎が訪ねてくる。
「おう、喜三やん、儲かるけ」
 最初から冷笑ぎみだ。せっかくの懐かしい思いも、とたんに白ける。
「神さんの道は商売やない。金儲けする気などあらヘん」
「金があれば馬鹿が賢う見える世の中や。量見が違うど。働かずに遊んで暮らそうとするお前はずるい」
「凡俗にわしの心がわかるけい」と言えば、和一郎は大口あけてあざ笑い、百姓せよとすすめる。やがて医脇秀吉という友もきて、同じことを言う。いいかげんに答えていると、そこへ由松と治郎松だ。
「おい、兄貴、何うろうろさらしてけつかるねん。年寄りやお君をどないするつもりや」
 続けて言いかける治郎松に、こりゃたまらんと、祖母や母への挨拶もそこそこに飛び出した。

 一月二十日ごろ、喜三郎は三たび駿河へ向った。若森会合所の神璽を下付してもらうためである。
 若森を夜中発ちし、下駄ばきで凍道を歩く。芦ノ山峠を越えたころに東の空が白みはじめ、夕暮れようやく京都駅に着く。
 夜行列車に乗り清水の月見里神社に着いたのが翌日正午。社殿で祝詞を上げるとなぜともなく胸迫り、涙があふれる。笑顔で迎えてくれる長沢雄楯やその母とよ。故郷に容れられぬ身に駿河の土地、長沢一家の愛情が嬉しい。長沢の妻かんが即席に作ってくれた焼飯がうまかった。
 午後は長沢に連れられ、舟で清水湾を渡り、御穂神社に参拝する。羽衣の松の木かげに立ち、一片の雲影さえない紺碧の空、群青の海を眺めていると、丹波での数々の悩みも嘘のように思える。風強い三保の浦曲の松原をすかして、白雪をかぶった富士の霊峰を拝む。
 長沢が足もとに落ちていた石を拾って喜三郎に手渡し、
「珍しい石笛です。神さまがあなたに賜わったものでしょう」と言う。ありがたく拝受した。
 夜は長沢一家と打ち揃ってくつろいだ。長沢の母とよは八十一歳だがまだ矍鑠、娘ひさと共に朝夕神務にいそしんでいる。とよはしきりに「わたしの子になってほしい」と言いながら、助けを求めるように長沢を見る。長沢は何となくもじもじしている。その態度が初めは解しかねたが、ひさが居づらそうに台所に立ち去るのを見て、ようやく悟った。
 長沢には子供がないから喜三郎を妹ひさの養子婿にと望んでいるのだ。ひさは文久三(一八六三)年生まれだから三十七歳、いまだに独身である。喜三郎より八歳も年上であることが、切り出しかねている理由であろう。彼らの好意は謝とするが、今の喜三郎は結婚どころではない。気づかぬふりで通す。
 翌朝、神璽を奉持して帰途につき、翌二十五日夕暮れに若森の里に着く。里人は大喜びで迎え、さっそく神璽を会合所に祀った。

 節分の頃であった。久しぶりに鷹栖の自宅から裏町の伊助の倉を訪ねた四方平蔵は、帰宅がおくれて、直のすすめるまま泊めてもらう気になった。直は、あたたかい芋粥を炊いて平蔵にふるまってくれた。
 寒い寒い晩であった。倉の横の一面の桑畑は雪に深く埋もれていた。裸の桑の細枝をひゅうひゅう吹き鳴らして、吹雪がかけぬけていく。炬燵にぬくもって吹雪の音を聞きながら、いつか平蔵は眠りについていた。夢うつつに幾度も水音を聞いた。
 夜半の二時頃、はっと目覚めて体を起こすと、またザァーッと激しい水しぶきの音がする。
 ――ほとんどお休みになる間もないくらいの荒行やなあ。もったいない……。
 井戸端に面した障子の隙間から外をのぞくと、星もない闇夜なのに、どうしたことか、くっきりと直の姿が浮いてみえる。ぬれた銀色の髪が頬に乱れて、ごわごわと凍えつくのまで。
 あまりの不思議さに平蔵は神前を振り返り、わっと叫んだ。硫黄を燃やすような青色の火が、いつの間にか神前いっぱいに燃えさかっているのだ。恐れにわななきつつ外を見ると、今しも汲み上げた水桶を直は一気に頭上にかかげている。その時、ぱっと神前の火が消え、直の姿もみえなくなった。あとは凍えんばかりの水音のみが、ザァーッと井戸端にくだけ散った。
 蒲団を頭から引きかぶって、平蔵は恐ろしさにまんじりともせず夜明けを待った。
 翌朝、いつに変わらぬおだやかさで、直は粥をすすめてくれた。箸をとりつつ、おそるおそる平蔵は、昨夜の青い火の話をした。直は笑いながら、
「見えましたかい。寒い夜は、いつも神界で火を焚いてぬくめて下さる。神さまは、そんなにまでしてお護り下さるのですで」
「いったい、昨夜は何べんほど水行しちゃったんですかい」
「七遍ほど行をさせて貰いましたのです」
 こともなげに、直は言った。
 雪晴れのまぶしい陽が昇っていた。平蔵は井戸端に出て見まわすと、ちょうど水が七重の層をなして盛り上がっていた。
 金光教の一信者として早くから熱心な世話役であった平蔵が、はっきり神霊の実在を認めて直の力となったのは、この時からといえよう。

 二月十日は旧暦正月元旦、喜三郎は黒田会合所にいた。この日、なぜか綾部の出口直のことが思い出されてならず、初めて直あてに信書を送った。「共にあいたずさえて神業に従事しよう」と。直は文字が読めぬから、おそらくこの信書は無理解な役員によって握りつぶされるだろうと思いながらも――。
 梅花のほころび初めたある日の早朝に黒田の会合所を出て、喜三郎は宣教に向う。
 芦ノ山峠を越え猪の鼻の茶店で一服。隣の床几に腰かけていた四十がらみの貧相な男が、茶を飲みつつちらちらと喜三郎を観察している様子だ。いやらしい奴やと喜三郎が顔をそむけて番茶をすすっていると、男が話しかけてきた。
「穴太までまだだいぶありますか」
「いや、なんぼも。峠を越えたらじきですわ」
「さよか。わしは摂丹の国境の吉野村から来ましてん」
「遠方からですなあ」と喜三郎は仕方なく調子を合わせる。
「ところであんたはん、なんとなく変わったお人やけど……御商売は?……」
「商売ちゅうより、神さんのお道を説いとります。で、穴太へは何しに行かはるのんで……」
「わしの女房がけったいな病気になったもんやさけ、ちょっくらお詣りに……」
「さよか。穴太寺の観音さんやな」
「そやおヘん。穴太に喜楽天狗ちゅうあらたかな神さんがいやはるそうなで、御祈祷を頼みに行くところですねん」
 喜楽天狗の評刊は摂州にまで響いているらしい。しかし喜三郎がすでに穴太を退散し園部ヘ根拠を移したことは、知らぬと見える。もう少しのことで相手にむだ足を踏ませるところだったし、穴太へ行けば喜三郎の悪評に驚いて園部まで頼みにくることはあるまい。
「あんたは運がええで。穴太まで足のばさんかて、ほれここに……わしが喜楽や」
「やっぱりなあ。初めてあんたを見た時から、天狗はんやないかと思てたんや」
 男は大いに喜び、村上五平と自己紹介し、吉野村まで来てほしいと熱心に頼む。困った人があれば救うのが使命、喜三郎は快諾し、摂丹街道を南へ向った。
 山坂をたどりたどり、摂丹の国境・東加舎村(現亀岡市本梅町東加舎)の柊峠まで来た。国境を示す一本の柊の古木の下で休む。五平は煙管できざみ煙草をうまそうに吸い、柊の枝を見上げた。
「喜楽先生、この柊の葉をよう見てみなはれ。北の方の葉に針があって、南の方の葉にはありまへんやろ」
 たしかに五平の指摘通りだ。革質で光沢のある葉は、北技と南枝でまるきり形状が違う。北枝はふちが刺々で鋭い切れこみがあるが、南枝は針一つない丸葉だ。
「ほんまやのう。なんでこんなんやろ」
「つまりこういうこってすわ。丹波には鬼が棲むさけ、丹波側の北の葉は針で守っているけど、摂州は気のええもんばかりやさけ、その必要がありまヘんのや」
 丹波人が聞けば頭にくるようなお国自慢をする。
 峠を越えた摂州側が吉野村だ。
 山を背にした五平の家は、小さいながら新築で、木の香も新しい。が、玄関をあけるや、熱の匂いが立ちこめ、さらに異様な臭気が鼻をつく。喜三郎は五平に命じて室内すべての戸を開けさせる。
 五平の妻のぶは蒲団から飛び起き、どんぐり眼をむいてあぐらをかいた。陽にあたることのない太腿が白くまぶしい。その前に端座し、神言を奏上する。のぶは舌を出し、口のまわりをべろべろなめ始めた。明らかに憑霊現象だ。
「村上五平の妻のぶの憑き物に訊く。その方は何者じゃ」
「わしか、わしはのう、正一位稲荷大明神……」とのぶがしゃがれた太い声で答える。
「嘘つけ、お前は稲荷やない。正体は豆狸じゃ」
 喜三郎が高飛車にきめつけた。急所をつかれてか、のぶはいっそう眼をむき、舌の先が驚くばかり延びて、自分の顔中なめまわす。唾液で鼻もあごも頬も濡れ光る。おかしさにふき出しそうになるのをこらえ、喜三郎は口を強く結んでにらみつけた。のぶも喜三郎に習い、とがった口をぐっと結んでにらみ返す。おもむろに天の数歌を奏上すると、のぶは苦悶の表情を見せ、ついに自白を始めた。
「こらえてくれ。白状するからその呪文はやめて下されませ。頭がぎりぎり締めつけられて苦しゅうてかなわん。おおせの通りおれは豆狸。裏薮に永らく棲んでいた狸です。この家を新築するために五平夫婦が薮を切ったから、おれら親子夫婦は棲むところがあらへん。しょうなしに、おのぶさんの腹に入りました。喜楽さま、ちょっと待って下され。腹がへって腹がヘって、もう物が言えまヘん」
 のぶは声もかすれてしょんぼりとなる。
「しゃあないやっちゃ、五平さん、飯を食わしたりいな」
 五平が大きな飯櫃を抱えて出すと、のぶがその飯を土間にぶちまける。
「さあ、飯や飯や、一族みんな集まれ集まれ」
 のぶは生き生きと叫び、土間にとび下りて四つ這いでむさぼり食うが、その早いこと。またたくまに飯の山がのぶの腹中に消え去る。それを見ながら五平は両眼に涙たたえて嘆く。
「見ての通り三升飯を三度三度食いよる。これでは貧乏所帯が持ちまへん」
 満腹したのぶを正座させ、喜三郎は鎮魂にかかる。のぶは急にげらげら笑い出し、
「おれは正一位稲荷大明神じゃ、さがれさがれ」
「おい、狸やん、またとぼけるのかい」
「この家は恒富一族が食い潰すことにきめた。他国者はかもてくれな」
 ぷるりと背を向ける。
「そうかい。そんならこの由を神界に奏上するからこっちを向け」
 急にのぶは狼狽し、やたらに頭を下げて泣き声を上げる。
「どうぞそればかりはお許し下さい。そんなことになったら、わしら一族、永遠に浮かび上がることはできまへん」
「どや、狸公、この家にわざわいせんと約束したら、裏庭に祠を建てて祀ってやるが……」
「へえ、わしらを祀ってもらえるなら、もう決してわざわいいたしまへん。どうぞお願いします」
 喜三郎が五平に指示して裏庭に小さな祠を急造し祀ってやると、同時にのぶは回復した。
 五平夫婦が去ろうとする喜三郎を引き止め、ぜひ村人のために神の教えを聞かせてくれと真剣に頼む。喜三郎はそれに応じて四、五日滞在し、近所の者に神の道を説いた。しかし感激した五平夫婦が熱をこめて神の道を宣伝して廻れば廻るほど逆効果。かえって「野狸を鎮める奴は野狸の大親玉だ」と村人たちは喜三郎の退去を迫る。
 この村は熱烈な法華信者の集まりで他宗のことは聞けぬ耳なしの里、神の道を徹底的に排撃するばかりか、ついには群がり寄って家に石を投げ込む始末。
 このままでは五平夫婦は村八分にされる。おのが無力を嘆きつつ、喜三郎は退散を決意する。梅かおる軒にしばしたたずんで五平夫婦と別れを惜しみ、むなしい思いで吉野村を去った。

 宮前村宮川(現亀岡市宮前町宮川)に山本平馬という稲荷下げがいると聞き、霙の降る中、喜三郎は若森会合所を出た。若森から東南へ半里ばかりの距離だから、船井郡と南桑田郡の国境を越えて、喜三郎の足ならほんのひとまたぎだ。
 宮川は半国山(七七四メートル)の東北麓で本梅川のほぼ中央部、左岸に位置し、砥石を産する。山本平馬の稲荷教会は稲荷山という小山の麓にあり、山頂近くに富家稲荷を祀っていた。
 案内を乞うと、白衣姿の長身の山本が顔を出す。年の頃は五十前後とみた。細面に眼がいっそう細い。喜三郎が名乗るや、とたんに警戒の色を強め、細い眼を釣ってにらみつけた。
「上田はん、あんたのことは聞いとるで。ここは尊い天降白狐さまのお棲処や。狸の親玉の来るとこやない。さっさと帰んでくれ」
 最初から喧嘩腰だ。
「そいつは誤解や。わしは狸やない。神さまの誠の大道を開こうとする者じゃ。お前こそ白狐の肉宮やないか」と喜三郎は負けてはいない。
「黙れ、どぶ狸。いま、正体を現わしたるわい」
 山本が玄関の障子を開け放つと、正面に祭壇のある六畳二間ほどの広前が見え、数人の参詣者が興味深げに成行きを見守っている。祭壇わきの大麻をとると、山本はそれを打ち振り打ち振り喜三郎に迫る。唇の両端から白い唾があふれ出し、明らかに憑霊の目つきだ。般若心経を唱え、神言を奏上し、「怨敵退散」と猛り狂う。その姿のおかしさに、思わずにやっと笑いかける。ますます怒った山本は脂汗流して、声を高める。
 玄関先に立ったままの喜三郎が双手を組み、天の数歌を黙誦するや、山本の動作が急にぎこちなくなり、声がかすれ始めた。次第に後ずさり祭壇まできて逃げ場を求めるように左右を見廻すが、さっと大麻から御幣に持ちかえ、だっと突き進む。喜三郎が体をよけると、山本は足袋はだしのまま山上に向って走り出す。ゆっくりと喜三郎はその後を追う。
 雑木茂る細い道だ。十八の石塚があり、その前には干からびた油揚げの小片やごまめが供えられている。全体に山城の稲荷山を模倣していることは明らかだが、山も小さく淋しく、行ずる滝もない。山頂を越えて反対側に下りると、尾上に稲荷の祠があった。
 祠の前で、山本は般若心経・陀羅尼品・天津祝詞と神仏混交的にあげるが、焦るほど声は上ずり、しゃがれてくる。
 霙襖をすかして見れば、山本の白衣姿と重なって、白狐の霊姿が浮かび出る。喜三郎はその背後に近づき、天地の神に黙祷をささげつつ、指を前に組んで、「うん」と言霊を発射、心力こめて数歌を宣る。山本は驚いて飛び上がるや、「こんこん」と狐の声を張り上げて葦駄天走りに教会の方へ逃げ出した。
 喜三郎は十八ケ所の石塚をつぎつぎ巡覧し、天の数歌を唱えて祓って廻る。神の仮面をつけて世を乱す曲津どもを祓い潔めるうち、日が輝いて霙を蹴ちらす。風が梢の霙を落として喜三郎の着衣をぬらし、枯草は裾に冷たくまといつく。
 宮川稲荷教会にはたくさんの信者が集まっている気配だった。変事に急遽、招集されたのであろう。五人の世話方が笑顔をつくって喜三郎を迎えた。
「先ほどは教会の先生が御無礼しました。どうぞちょっと入って、結構なお説教など聞かしとくれやす」
 信者たちまでが出迎えて先程とは打って変わった様子。何となく心に染まぬ思いをしながら、ことわりかねて教会に入った。
 山本が祭壇の前に床を敷き、横臥している。発熱が強く、額にびっしょり汗をかき、「上田はん、許してくれ」と囈言を言う。喜三郎が枕頭に坐って数歌を上げて鎮魂する。山本が頭を抱えて起き上がり、泣き声をしぼり出した。
「かんにん、かんにん……その声聞いたら命が尽きる、ああ苦しい助けてくれー」
 今こそ山本の肉体から曲霊を追い出さんと、さらに語調を強める。と、何やら口走り悶えつつ、野狐、野天狗、野狸の幽体がぽんぽんと飛び出した。世話方や信者たちが顔蒼ざめ、溜息ついて眺めている。
 玄関の方が騒然となり、サーべルの音させつつ村の巡査が入ってきた。突っ立ったまま、喜三郎にとがった声を投げる。
「おい、そこの男、家宅侵入の現行犯で逮捕する。出てこい」
「な、なんやて、そんな阿呆な……」
「教会から訴えがあった。目撃者やら証人はここにたんとおるやないけい」
 むりやり引っぱりこまれて家宅侵入と決めつけられ、喜三郎は唖然として二の句がつけぬ。しょんぼりと気落ちして坐る山本に、巡査は言葉を和らげて問いかけた。
「山本はんに証言してもらおう。こいつを招き入れたのか、勝手に押し入ってきたのかどっちや」
「へい、ことわっとるのに、強引に入ってきました。それだけやない、病人のわしつかまえて悪態雑言の限りや」
 それみたことかとしたり顔の警官に、近くの駐在所ヘ引っ張られる。無言で見送る役員信者たち、喜三郎はまんまと彼らの罠にはまったことに気付く。
 駐在所で訊問を受けた。何と弁解しようが、最初から巡査は聞く耳持たぬ。
 やがて駐在所の裏口に続いた土間から巡査の女房が顔をのぞかせ、夫を招く。巡査は席を立ったが、しばらくして戻ってきて、態度を改めた。
「あんたの疑いが晴れた。御苦労はんやったのう。もう帰ってええで」
 教会に集まった信者の一人が良心の呵責に耐えかね、ひそかに巡査を訪ねて真相を自白したのだという。迷信者の集まりの中にも、一人でも省みる心ある人がまじっていたことを、喜三郎は神に感謝した。
 駐在所を出て、三丁ほど東にある宮川の妙霊教会に立ち寄った。教会長の西田清記は、喜三郎の第一回高熊山修行中、お政後家の乞いに応えて、「喜三郎は惚れた女と東に向けて駆け落ち中じゃ。失踪してから一週間目に葉書がくる」といいかげんな託宣をした人物だ。
 西田は慇懃に喜三郎を迎え、茶菓を饗してくれる。懇談し、夕暮れ、霙の上がったのを幸いに辞去する。
 暗くなって若森会合所に帰ると、信者たちが集まっていた。役員の市松が強ばった表情で発言した。市松は村の有力者であり、宮川にも親戚がある。
「先生が狸憑きやちゅうもっぱらの評判でっせ。今日も宮川で狸の正体を現わさはったそうやな。吉野村でもその証拠を見せはった。悪いけど、この村に狸を置くわけにはいかん。出て行っとくれやす。そやけど追い出したからちゅうて仇んせいといてや、今までのよしみもあるこっちゃし……」
 信者たちの眼の色を見れば、市松の個人的意見に強く押されていることが分る。村の有力者である市松に正面きって逆らう勇気がないだけだ。しかし弁解する気にもなれぬ。
「よっしゃ、分かった。狸憑きやのと誤解を受けたのは、つまりはわしの不徳のいたすとこや。今すぐ荷物まとめて黒田ヘ行かしてもらいますわ」
 この里に未練はなかった。駿河まで出向いて神璽を受け、心をこめて設置した会合所ではあったが、しょせん現世利益第一の人たちばかりで、誠の神の道を理解する人材はないとあきらめかけていたところだ。不毛の地に種をまくようなもの、若森は神定の地ではないと判断した。
 荷物といっても風呂敷包み一つ、寒い夜道を口人峠の山坂越えて黒田へ急ぐ。こっそり別れを惜しむ信者たち一人一人の顔が浮かぶ。どこかに自分の根を下ろす地があるのか。それが目ざす黒田会合所なのか。それとも根なし草のように転々と狐狸のたぐいの中を渡り歩くのが、己れの一生なのか。
 黒田会合所に着いた時には夜が明けていた。一息入れていると、若森の信者代表二人が後を追ってきた。「市松はんが反対してもかまわずに若森へ帰ってほしい」と懇請するが、喜三郎は頑として承知しなかった。

 金光教教師上仲儀太郎(五十六歳)が黒田会合所に喜三郎を訪ねてきた。
 上仲は船井郡桐の庄村垣内(現園部町内林)の資産家。かつて喜三郎が牧畜を指導したこともある旧知の仲だ。その後、金光教に入信し、金光教園部支所の役員をしている。
 喜三郎相手に、上仲は金光教教師らの醜さをこぼした。神道直轄金光教支所の看板を楯に衣食し、全く商売根性に成り下がっている。供え物の多寡で信者への応待が変わり、たまに病気でも治ればそれを神徳と称して搾取する。村で一、二の資産家といわれた上仲家も、おかげですっかり財産をすりヘらしたという。ついで金光教の教理の底の浅さを嘆き、霊学会の教理を求めたいという。
 半日がかりで、喜三郎はじゅんじゅんと教えを説いた。上仲は感動し、ついには、金光教教師を辞して喜三郎の弟子になりたいと申し出た。喜三郎は上仲の入門を許した。
 上仲の屋敷の奥の間に新たに神床を作り、造化三神を祀ることになった。吉日を選び、喜三郎が祭主をつとめて鎮座祭を執行する。祭員には黒田会合所の役員が奉仕する。三十余名が参列したが、金光教教師浅井花はじめ大半が金光教信者である。
 祭典の途中、金光教支所長山中某が息せき切って駆けつけ、祭壇を背に参拝者の前に仁王立ちになって、冷笑した。かなり酒気を帯びているのか、顔面朱色だ。厳粛な空気が乱れ、騒然となる。祭典の続行もならず、喜三郎は祭主の席に着座したまま、事態の推移を見守った。
 上仲が進み出て、やわらかくたしなめる。
「山中さん、ここは御神前です。まずお坐りなさい。おっしゃりたいことがあるなら、お祭りが終ってからお聞きしますさけ……」
「祀ったるのが正しい神さんなら、むろん三拝九拝するわい。けど邪神に頭が下げられるけい」
 上仲はきっとなって山中に詰めよる。
「邪神とは聞き捨てならぬ。この上仲家で邪神を祀ったといわれては世間体も悪い。なぜ邪神か教えてもらおやないか」
「金光大神こそ真の神、違う神を祀るのを迷信というのや。あんたも金光教の教師をしたはった人や。それぐらいの理屈は分るやろ」
「造化三神こそ真の神や。金光大神は愚人のかつぎ出した人造の神やないか」
 山中は額に青筋立てて激怒した。
「神さまのことがあんたなどに分かるかい。金光教の教師の家には、絶対に邪神を祀らせるわけにはいかん」
「教師の役は辞任させてもろた。あんたも認めたやないか」
「辞職したかも知らんがそれは人間界のこと、神さまの方では因縁の綱は切られてへん。ここは金光教の神前じゃ」
「わしは金光教の神さまが悪いとは言わんが、あんたたち教師の行いに愛想が尽きたのや。金光教を信じようと霊学会を信じようと、信教は自由や。かまわんといてくれ」
 両人の争いはますます激しさを加える。見かねた喜三郎は祭主の座を立ち、止めに入るが、山中は「お前みたいな邪神の教師の仲裁は受けるけい」と振り払い、いきり立つ。業を煮やした上仲は、「分らぬ男や、とにかく帰ってくれ」と力に任せて山中を神前から押し出す。非力で小男の山中は玄関口の段差につまずいて倒れる。もみ合っていっそう酒が廻ったのか、起き上がれない。
「話したいことがあるなら、酔いが冷めてから来なはれ」と、上仲は興奮を押えて言うが、山中は「ざ、ざんねんしごく、く、くやしい」と歯ぎしりして涙を流す。
 気の毒に思った喜三郎が抱き起こした。山中は子供のようにいやいやしながら喜三郎の手を振りほどきわめく。
「よくもよくも、おれの得意を奪りやがったな」
「教会は商売と違いまっせ。得意とは聞きはじめや」
 こらえきれずに喜三郎がにやっと笑うと、山中は激昂した。
「こいつ、人の難儀を嗤うたな。おーい、みんな、見たか見たか、やっぱり上田は邪神や、鬼や、悪魔や」
 玄関先に尻をすえてどなっていたが、酔いが全身をすっかり支配したのか、首うなだれて高鼾をかき始めた。
 山中を放置したまま、祭典は続行された。つつがなく終って、直会に入る。造化三神を鎮座した喜びは参拝者の顔にあふれ、お神酒を交わしながら御神徳談にはずむ。自然に話題が山中に及び、金光教信者たちの支所長への不満が口をついて出る。中でも教師の浅井花は、立場上秘めていた今までの不信感をいっきょに吐き出した。
 ふと眼ざめた山中は彼らの罵りを耳にして、吾を忘れた。よろめく足を踏みしめて直会の席の上の浅井花につかみかかる。止めに入る参拝者たち。山中が死に物狂いで暴れるので、一人といえども鎮めるのは容易ではない。杯盤狼籍、茶碗の割れる音、女の金切り声。
 ようやく山中を押えこむと、浅井花が泣きながら叫んだ。
「もうこれではっきり決心がつきました。うちは今日限り教師を辞職させてもらいますで」
 その言葉に、山中は叫び返す。
「おう、そうか。上仲はやめる、浅井もやめる――いっぺんに二人の教師の辞職者を出したんでは、御本部に申しわけが立たん。わしも支所長なんかやっとられんわい」
 これでは収拾がつかぬと、喜三郎が仲裁に入る。ようやく山中も冷静に返り、仲直りの懇親会を開くことになった。会場は扇屋と急遽、決定する。
 扇屋は園部大橋から川へ沿って南へ一丁、さらに黒田ヘの細い旧道を西へ二丁弱の地点にある宿屋だ。向いに四、五抱えもある欅の大木があり、根が表面に大きく扇型にせり出し、よほどの樹齢のためか中が空洞になっている。宿の屋号の由来は、その大木、また根の形状にちなんだという。
 扇屋の二階に三十六人が移動して懇親会が開かれた。酒が出ると座は自然に陽気になる。機嫌を直した山中は、右手に錫杖を持ち、左手に法螺貝かかえ、どら声張り上げて祭文節をうなる。山中は近江の生まれで、祭文の法螺吹き上手だ。でれんでれんと法螺貝の音は道に流れる。他の連中も負けじと思い思いに隠し芸を陳列し、ベっとりと白粉を塗った転び芸者が三筋の糸で彼らをあやつる。
 この紛糾は、上仲・浅井が金光教の信仰を続けるが、霊学会もやめぬという条件で一応治まった。しかし山中の心事の浅ましさにいやけがさした信者たちは、水の流れるように金光教会から上仲の家に集まる。
 上仲と浅井は上仲の屋敷に霊学会園部支部を開設し、宣伝に務めたため、参拝者の途絶えた金光教会に引きかえ、終日、道を求める者たちで賑わった。喜三郎が黒田から出張して教えを説き、遠近の人たちが集い寄る。
 霊学会の隆盛を恨んだ山中は、しばしば酒を呑んで支部に押しかけ、くだらぬくだをまいて参拝者を困らす。神前に坐って、霊学会の教えを求めてきた人たちに金光大神の神徳を説く。彼らが白けるのもおかまいなしだ。上仲にしても、金光教の信仰をやめぬと約束した以上、その説教を頭から押えることはできなかった。
 ある日、山中と上仲の間に金光教と霊学会との教えの優劣について争論が始まった。いつ終るとも知れぬ。喜三郎は閉口し、そっと抜け出して本町の菓子店の主人内藤半吾を訪ねた。内藤は、かつて喜三郎が園部で獣医学を学んでいたころからの知己である。彼も金光教信者の一人、喜三郎が訪問の理由を語ると、内藤は「わたしが仲裁してみよう」と申し出た。喜三郎は内藤を連れて、再び上仲家へ引き返す。
 まだ論争は続いていた。温厚な内藤の言葉にも、山中は屁理屈を並べ立てて聞こうともせぬ。内藤もあきれてついに仲裁を投げ出した。
 この日以来、内藤まですっかり金光教にいやけがさし、霊学会に入信して、離れ家に造化三神を奉斎する。
 山中は金光教の神徳を語るより、霊学会の罵倒が仕事のようになり、ますます人が寄りつかなくなっていく。
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