王仁DBβ版 出口王仁三郎と霊界物語の総合検索サイト 文献検索 画像検索 単語検索 メニュー開く
表示がおかしくなる場合は、ブラウザのキャッシュやクッキーを削除してみて下さい。

文献名1大地の母
文献名2第7巻「火水の戦」
文献名3弥仙山篭もり
著者出口和明
概要
備考
タグ データ凡例 データ最終更新日----
OBC B138907c10
本文の文字数10644
本文のヒット件数全 2 件/稚姫君命=2
これ以外の情報は霊界物語ネットの「インフォメーション」欄を見て下さい 霊界物語ネット
本文  弥仙山は綾部より東北二十四キロ、京都府何鹿郡東八田村字於与岐(現綾部市八田)にある霊山。標高六百七十四メートル。頂上は尖った三角錐で周囲の群山を抜き、裾野は広くぐんと踏んばる。山容の秀麗さを表現して美仙山とも書き、また霊峰丹波富士、釈迦ヶ嶽、金峰山ともいわれる。先祖代々弥仙山と共に生きてきた地元民は「姿かくして弥仙(見せん)山、姿見せても弥仙山」と、得意げに愛情こめて伝える。
 山頂と山腹に各六坪ほどの社があり、山頂の金峰神社、通称頂上の宮は木花咲耶姫命を祀り、中腹の於成神社、通称中の宮には彦火火出見命を祀り、また山麓の水分神社、通称三十八社には伊邪那岐尊、伊邪那美尊とその御子三十八柱が祀られ、子授けの神として崇敬されている。
 口碑によると、弥仙山は両部山とも呼ばれ、奈良朝時代の大宝年間(七〇一~四)に修験道の祖役小角や同時代の高僧行基らが入山したという古文書があったところから、両部神道(真言宗の金剛、胎蔵両部の教理をもつ神道)の霊山として開かれたと伝える。その後も、冬季を除いて修験者の参詣が絶えず、ために弥仙山を中心に各地に社寺が栄える。
 現在の綾部市上杉に登山道入口らしき仁王門もあったが、戦国時代、織田信長、土岐光秀らの戦乱によって社寺はことごとく焼失、衰微した。神殿の再建は宝永五年。女人禁制の掟は厳しく守られ通して、今日でも地元大股村の女性は登山せぬという。
 十月十九日(旧九月八日)、出口直、中村竹吉、後野市太郎の三人は、茣蓙蓑と笠、晒の脚絆に紙巻き草履の慣例の旅姿で綾部大橋を越え、重く黄ばみ穂のたれた稲田道を一路北へ。梅迫を過ぎると間なしに日吉神社、大石の木下慶太郎の家が近い。
 やがて上杉の木造の陸橋を越え、道は東に折れる。右側に上杉駐在所。綾部から上杉まで三里、上杉から弥仙山まで同じく三里という日暮れの道を急いだ。
 於与岐の村社八幡宮に着いた頃は、半月が冴えていた。
「教祖さま、ちょっと挨拶してきます」
 後野市太郎が社務所に走っていく。直と中村は社前に額づいた。
 八幡宮の神主は相根久兵衛。八幡宮のほかに水分神社、於成神社、金峰神社四社の神主も兼ねていた。久兵衛の息子久左衛門(三十六歳)の妻くにと後野市太郎の父滝三郎は従兄妹であり、後野家と相根家は往来があった。
 市太郎は直の命によって前日交渉してきたとおり、神主久兵衛に中の宮ごもりの許しをひそかに確かめる。
 八幡宮より約半里、伊佐津川の流れに離れずつかず、ゆるい坂をのぼって登山道の入口に着く。道は二又。古びた地蔵尊脇の文字が「右上林、左みせん」。左道に入るなり、うっそうたる大樹が夜空を押し包んでしまった。登り口左に水分神社。
 献灯に映える総けやきの神殿の前にほの浮かぶ赤い色に、直は目を止めた。
「人形の着物ですわな。赤子の着物やら襦袢やらに似せて縫うてあります」
 市太郎の話に直は微笑んで、小さな一枚を手にのせた。来年の春には誕生するであろう澄の子を思うのか。市太郎が静かに話し続ける。
「伊邪那岐尊、伊邪那美尊さまの生んじゃった三十八柱の神さまが祀ってござすさかい、子授けの神さまとしてみな慕うています。子のない人、安産を願う人、子供の健康を祈る人がお参りに来なさる。五月八日のお祭りには、神さまに願うて神前の人形の着物をいただいて帰ります。子のない夫婦は、その人形の着物を肌身につけて、お守りにしてんじゃげな。子供が生まれると、お礼参りに新しい人形の着物二枚こしらえて、ここに奉納します。こんなに人形の着物が積まれているのやさかい、きっと神さまに授かったお子も多いにちがいござへんなあ」
 子に恵まれぬ中村がまぶしげな目で可憐な衣装を見つめている。
 伊佐津川のせせらぎの音にうながされて、水分神社を後に、急勾配の山道にかかった。ここからは女人を禁ず。神主として公然と許可できぬ厳しい不文律がある。人に逢うてはならない。
 六十六歳の直が先頭。呼吸の乱れもみせず歩き続ける。けやき、桧、杉などの大樹を重ねて月影も洩らさぬ細道を、提燈の明かりひとつ手元に、逡巡なく歩を進める。息子と孫の年ほどの二人は、おくれじとつき従うだけで精一杯。
 自然石の石段を五十段ほど登りつめた。中腹に平担地がひらけ、中の宮の於成神社が闇に沈んでいた。
「市太郎、鍵を」と、直の凛とした声。
「はい」
 市太郎は、昨日下調べしていた通りに社の右側面に回る。そこに小さなくぐり戸があった。中村のさし出す明かりに覚悟して南京錠に両手をかけ、力をこめて引きちぎる。神主は女人禁制を守るべき神職の立場上、鍵を渡してくれなかったのだ。
「よし」
 市太郎が低く叫んだ。ぎいっときしんで、くぐり戸が開く。
 提燈に照らされた社殿の内部は三間と一間の神床、その前はやはり三間に一間の冷ややかな板の間。文机が一つ。ろうそくに灯をともした。
 中村が大きく見震いした。恐ろしかった。教祖さまはこの深山の奥にただひとり、神と向き合うてん気か。
 直は板の間に座すと、二人にやさしく声をかけた。
「御苦労はんでございました。これであなた方の御用はすみましたさかい、どうぞ途中に気をつけて帰っておくれなはれ」
 出発前からの約束ごとではあったけれど、中村も市太郎も動けなかった。かすれた声で中村が哀願する。
「教祖さま、それは殺生ですわな。こんな淋しげな所へ教祖さまおひとりなど、とても置いていかれるものですかい。何かあったらどうなさります。せめてひとりでも、夜だけなとこの隅に代わりばんこでおらしとくれなはれ」
 木枯らしが板戸に吹きつけ、がたがたと揺する。荒れた板戸のすき間から洩る風に灯がゆらめく。姥捨山に老母を捨てる気がして、とても立ち去れぬ。
「教祖さま、お願いでございます」
 市太郎も泣き声になって板の間に手をつく。厳しく引きしまった直の顔。急に直の体が大きくひろがって、自分たちが小人のように卑小にみえる。
「御神業の邪魔ですさかい、去んでおくれなされ」
 神気が二人の肌を刺し貫く。
「はい」
「お、お大事に」
 逃げるように戸口へいざった。いつもの優しい直の声が追った。
「これ、提燈を忘れたらあきまへんで」
 二人は外へ出て、震える顔を見合わせた。寒気ばかりではなかった。
 彼らの足音が消えていくと、直は改めて神前に祈願をこめ、いそいそと文机に向かう。墨をすり、筆にたっぷりひたす。それを白紙の上に真っすぐに立てた。走るように筆が動く。神気が溢れんばかりに中の宮を浸した。
 何に怯えたのか、つんざくような野猿の叫びが真近におきる。
 ――大本の仕組みは機の仕組みであるから、縦横が揃わんと、にしきの機であるから手間がいるぞよ。縦横の心揃うたなれば、機はよう織れるなれど、昔からまだこの世に無きこといたすのであるから、骨が折れるのざぞよ。出口岩戸へ入りたる時のしるし、出口の神と現われる。明治三十四年九月の八日に立て籠りたのざぞよ。
 無我のうちに、さらさらと筆は走り続ける。
 その真夜中、戸を叩く音。
「教祖さま、教祖さま」
「お入り」
 壁にもたれ、五分板の上に座してしばしまどろんでいた直は、涼やかな声をかけた。 おそるおそるくぐり戸から入って来たのは、木下慶太郎の父亀吉と森津由松。森津は口ごもりながら、訥々と言い出した。
「ほんまにほんまにすまんこってございます。けどなあ、この亀吉はんが、わしの家に来て、泣きながら言うてんですわな。慶太郎が教祖さまに黙って会長はんと駿河に行った。ほんまに何とお詫びしてよいやら。教祖さまが中の宮にお篭りなさったと聞いて……中の宮は板の間じゃさかい、この季節で夜さりはさぞお寒かろう。気がついた時には、夢中で薦を二枚編み上げとったげな。そいでも薦を持って行ったら、教祖さまの神さまにどえろう叱られるじゃろうなあと心配してやさかい、わしが言うたんですわな。『叱られてもよい。教祖さまのお体が冷えんよう、この薦はとどけんならん』……」
 亀吉が進み出て言った。
「森津はんが『叱られるなら、わしも一緒に叱られよ。罰を受けるなら半分半分じゃ」いうてくれちゃったさかい、わしはつろうてよう来られんとこを、一緒に登ってきたんですわな。息子の罪は堪忍しとくれなはれ。わしがどんな罰を受けてもよいさかい、どうぞ、どうぞ、この薦は敷いとくれなされ」
 木下亀吉は頭を板にすりつけた。
 直は合掌し、
「それはおおきに。これは神さまから授かったものとして、喜んであてさせてもらいます。どんな絹の蒲団より人さまの誠心が一番暖かでございますでなあ」
 木下亀吉は、そっと紙包みを取り出した。
「何もござへんけど、はったい粉を持って来ましたさかい……」
「これは御馳走を……」
 直は押しいただいた。
 木下亀吉と森津由松が晴れやかな顔になって下山すると、直は薦の上にそっと横になり、目をつむる。何枚重ね着しようと夜中の深山の寒気は防げぬのに、直には感じぬのか、すやすやと寝息をたてる。
 夜のしらじら明け、直は起き上がり、神社の外へ出た。石段を降りてわき道に入ると一丈有余の不動の滝があり、滝壷の傍に不動尊が祀られている。この滝が上杉、黒谷、真倉を経て舞鶴湾に注ぐ伊佐津川の源流である。直は肌襦袢一枚になって禊する。
 終わって山頂を目ざす。細く険しい山道を梅の杖を突きつつ約八丁。木花咲耶姫命を奉斎する金峰神社は、山頂の苔むした石垣の上に建つ。
 長い祈願を捧げ終わって下界を見はるかす。北西の山波の向こうに朝日を浴びた舞鶴湾が金波銀波に輝き、さらに遠く日本海が空に溶け合っている。南西は紅葉しきった山道、その山裾から舞鶴街道が白く一筋、綾部に向かって延び、はるか先に四尾山、本宮山のそれらしい姿。北東に目を転ずれば青葉山、西に由良岳がくっきり見える。
 直は後野市太郎から聞いた話を思い出した。
 青葉山、由良岳は弥仙山とほぼ同じ高さ。弥仙山の神が「青葉山、由良岳より高くしたいものじゃ」と言われたので、参拝者は登山口から石を一つずつ運んでくるしきたりができたとか。その石が神社の周囲に石垣を作っている。
 中の宮に戻ると、不動の滝水でごく少量のはったい粉をといた。弥仙山ごもりの間、食事のことなど念頭になかった。絶食は当り前と思いこんでいたのだ。
 ――神さまが許してくださった。
 こうばしく、おいしかった。後は文机に向かって、ただ筆先。
 三日目の朝、四方与平は、境内の桧の大樹に隠れて中の宮の様子を伺っていた。近寄ることは恐ろしくてできなかった。筆先の御用をしている時の直は、人間とは思えぬ知覚をもっている。それでも心配で、とうとうここまで来てしまった。帰るにも帰れず、ただ息を詰めて時を過ごした。
 昼過ぎの頃、左わきのくぐり戸があき、直の姿があらわれる。
 ――ああ、まだお元気や。教祖さま……。
 三日前に出発を見送っていながら、もう長く会わなかったような懐しさ。と、直が確かに四方与平の隠れる方を向いて手招く。見えるはずがない。身を固くしていると、またも手招く。木蔭から出て、おずおずと直の傍に歩み寄った。
 直は嬉しげに笑っていた。
「与平さん、すみませんが、お澄に伝えとくれなされや。神さまがこういいなさるのじゃ。『この世がすっかり暗雲になって、水晶の種がなくなってしまったから、このままでは、この世は泥海になるばかり。それで、今度水晶の種を地の高天原に授ける』。地の高天原というのは、綾部の大本……」
 与平は、興奮に赤らんだ顔でふり仰いだ。
「すると……今、お澄さんのお腹にいなはる子が水晶のお種……」
「はい、五ヵ月ですわな。水晶の種は木花咲耶姫命の御霊。そして、『大本は代々女のお世継、末代、女のお世継とする。男を世継にしておくと、目的を立てる者が現れて仕組みの邪魔をするから、七柱の大神が代わる代わる女と生まれて世を持つぞよ』と言いなさるんじゃで」
「やっぱり、生まれるお子は女の子や」
「女の子、それもだいぶ変わり者が生まれますで。お澄に『この度の帯の祝いは機嫌よう祝うてくだされ』と、伝えておくれなされ」
「ありがたいことでございますなあ」
「この山の上に木花咲耶姫命の祀ってある神社がありますさかい、お参りしてお帰りなされ。それから役員さんたちには、『誰も来ることならぬ』と、もう一度厳しく伝えておくれ」
 与平は恐縮した。そして直から筆先をあずかり、心をふくらませて躍る足どりで山頂さして登っていった。
 四日目の十月二十二日午後、四方平蔵は早昼をすませて、稲刈りの始まった秋空の下を北へと怒った顔で歩いていた。商用でしばらく綾部を離れていた。久しぶりで帰ってきて、鬼三郎、木下の駿河行きと教祖の弥仙山篭りを知ったのである。
 鬼三郎の気ままさにも腹が立ったが、夜具の用意も、食事の配慮もなく、かろうじて木下亀吉の誠心で受けとられた新薦とはったい粉で篭っていられると聞いて、頭がくらくらした。
 温厚な平蔵が、中村竹吉に食ってかかったものである。
「あんたがいながら、なんでこんな無茶なことを止めなんだんや」
 中村はむっとした。
「誰が何といおうと、教祖さまがいったん言いだしちゃったら、止められるもんやないでよ。冠島開き、沓島開き、鞍馬山……どれも無茶やが、誰も止めることはできなんだ。あの時も平蔵はんは留守じゃったかのう」
 皮肉を言われて、平蔵は平静に戻った。確かに中村のいうとおりだ。しかし未練らしく、
「それなら、せめて一緒にお篭りするなりと……」
「それが許されるものなら……平蔵はん、今から行ってみたらどうや」
「おう、行ってこいでかい」ととび出そうとする平蔵を、あわてて中村が止める。
「えらい山や。昼でも暗いのに、その眼ではなあ」
「ほっといてくれ」
 この日はことに夕霧が深かった。山裾で聞いた百舌や目白のさえずりも絶え、やがて視線は鈍色に閉ざされる。熊笹や野茨やどくだみの茂る山道を踏みわけて、手探りで歩んだ。歩むというよりは這っていた。
 石の階段に突き当たった時、思わず手を合わせて感謝した。この上に、中の宮があるにちがいない。
 ようやく登りつめて、中の宮の拝殿にたどりつく。
「教祖さま……教祖さま」
 殺したはずの声が、思わず押えきれぬ叫びになる。
 くぐり戸を明けて、直は不興げに言った。
「誰も来ることならぬと申しつけておきましたやろ。まあ、この暗いのに平蔵さん……」
 平蔵は、必死で一夜だけでも一緒に篭ることを願った。止めどもなく涙が溢れる。まるで、母親に物ねだりをしている聞きわけのない子供であった。
 直はもてあました。
「平蔵さんのその眼では、今から帰れという方が無理ですわなあ。仕方がござへん。神さまにお許しを願うてみます。けれど、ここは荒神さまの御集合場ですさかい、ゆっくりと休んでもらえんかも知れませんで」
 腰の手拭いで丁寧に土足をぬぐい、平蔵は御神前に平伏、直が祈願をこめる。
「一夜だけのお許しがでましたで」
 平蔵が感謝の祝詞奏上。
 新薦の上で、ようやく直と対座することを得た。水で溶いたはったい粉をかいて、二人の夕飯にした。
 おそい夕拝の後、神霊に感合して、直は帰神状態になった。平蔵は社の片隅に平身低頭して拝み続けた。
 十一時、十二時……深山の夜気は深々として迫ってくる。が、直の状態は変わらぬ。夜半の二時頃になって、ウー、ウーッと二声、三声叫ぶと、神霊は鎮まった。
 まだ頭も上げ得ぬ平蔵に、直が言った。
「平蔵さん、今夜はもうだいぶ遅いようですさかい、早く休ませてもらいましょ」
 緊張がゆるむと、尿意を感じた、平蔵は提燈を持って外へ出た。神社の近くでは恐れ多かった。一町余りも離れた所へ下り、用を足した。
 すっかり冷え切って帰ってくると、直は薦を一枚ずつ並べて敷いて、寝る用意をしていた。平蔵は、羽織を着たまま、そっと薦の上に横になってとろとろ眠った。
 日の出前に起床。
「さあ、これからお滝さんへ行って、お水を頂いてきましょう」
 くぐり戸を明けると、まだ薄暗がり。直は平蔵の手をひき、提燈もつけず、慣れた足どりで歩き出した。
 ――これでは、わざわざご迷惑をかけに来たようなものや。
 平蔵は苦笑した。労働で鍛えぬいた大きな直の掌は平蔵の掌を温め、それは魂から全身へと伝わっていた。いつまでも歩いていたいと願った。不動の滝の氷のような山水で禊しても、その温みは消えなかった。
 竹筒に水を汲んで中の宮に戻り、朝拝。平蔵がはったい粉をかいていると、谷間の方角に、めらめらずずーんと地の裂けんばかりの怪音、続いて四辺の山々がぐらぐらと鳴動。向こうの山まで地響きさせて、山彦が寄せていく。
 気を失わんばかりになって、平蔵は直を見る。直は微笑した。
「御守護神がたんとやさかい、賑やかでよろしなあ」
 ――なした豪胆な人じゃいな。
 平蔵は心底から敬服した。自分は、この人を普通の媼に対する風にしか案じていなかったのではないかと、恥じられてならなかった。
 三口ほどのはったい粉を食べ終わると、直がいう。
「わたしは今から神さまの御用がありますさかい、すぐお帰りなされ。決して誰も来ぬように役員さんにもう一度念をおしとくのやで」
 平蔵は、しっかりうなずいた。
「教祖さまは神々さまが御守護なさるさかい、絶対に大丈夫、安心して山を下りますわな」
 帰り支度をして外へ出た。夜は今明け放たれるところであった。霧の底に沈んだ下界の向こうに、綾部の山々の頂が藤色に浮かび出ていた。

 五日、六日と、直は心ゆくまで神と語り、またわが手によって書きしるされる筆先を読んだ。わからぬ所は、幾度も押して神に問い詰めた。
 艮の金神の仕組んだ三千世界大改造の神業。言いおきにも書きおきにもない大芝居の型、あげくのはてに用意されたどんでん返し。その筋書きのあらましを知れば知るほど、直は気の遠くなる思いがする。
 この大望な御用を果すためにこそ、神代の昔から地に落とされ、生きかわり死にかわりして苦業を重ねてきた稚姫君命、つまり、直の身魂なのだと神はいう。しかし、直ひとりで何ができよう。すべてこの世が天地の根本から分れ出る陽と陰、霊と体、火と水の二つからなり、二つが結び合ってさまざまな力や生命を生ずるように、直がぶつかり、火花を散らし卍となって戦って、やがては結び合い、共にみろくの世を生み出すべき身魂がいるのだ。受けて立つ同等の役者が。
「初めの岩戸にこもられたのは天照大神、敵対役が弟の素盞嗚命。二度目の地の高天原の岩戸に入るのは妹稚姫君命の直で、岩戸を閉めたのも、同じ分け身魂の小松林命が神がかる上田鬼三郎であるぞよ」
 ――とすると、この弥仙山の麓に祀られる那岐、那美二尊の三十八柱の御子たち、そのうちから姉と弟、妹が岩戸の御用に使われる。
 自問自答の形で直が食い下がる。
「悪のお役とは何でござりますい。なぜ戦わねばなりません」
「直よ、霊も体も、神からのものなれば、もとより善悪、軽重の差はないのじゃ。しかし結び合って力を生む時、一方を主として他方が従わねば、宇宙いっさいの統一調和はできぬ。まず心が思い、体が従って動くが神律。人の魂は神より受けし直霊であり、省みる性をそなえつつ、神に代わって天地を経綸していく使命を与えられておる。人が地上で生きるためには、赤子が成人していくように、まず体を、さらに魂を育てねばならない。そのために必要な手だてとして、人に自由なる意志を与えた。しかし体を育てるあまりに、人の心は物質界に片よって神律にそむき、次第に神を押し込め、神をないものとし、体主霊従の世界に開けてきた。今にして心を改め、人類が神律によって目ざめねば、この世は自らつくり出した学によって泥海となるばかりじゃ。この世をここまで持ち荒らし、ついには岩戸を閉めた責任をその一身に負い、自ら泥海に入って人類の罪をあがなうのが変性女子の役。その一厘の仕組みは今、直にも言えぬ。この大本はその世界の雛型じゃ。善と悪とをこしらえて力比べをいたすのであるから、一日も早くこの世を乱した悪(体主霊従)のやり方を改めさせ、水晶の世に立て直さねばならぬ」
 風で散る木の葉の行方を目で追いながら、我に返った直はつぶやく。
「先生の御用も辛いお役。これも神のため人のため……」

 十月二十五日早朝、直は頂上の宮に参詣し「下山せよ」との神示を得たが、社前からなかなか去りがたかった。中の宮に帰って最後の筆先を書き終えると、外で物音がした。直が戸口からひょいと顔を出した。当番で宮掃除に来ていた二、三人の村人が遠目に直を見るなり、やにわに竹箒を投げ出して駆け去った。
 ――驚かして気の毒なことをした。
 直は心でわびながら、去るにあたって、塵ひとつ残すまいと社殿内の掃除をする。
 於与岐村はどよめき立った。
「中の宮に白い毛をかぶったもんが動きよった」
「いや、あれは女や、年寄りじゃろ」
「狒狒かも知れん」
「狒狒でも、女でも、どっちゃにしてもえらいことや。この霊山に……」
 騒動が伝わって、ついに狒狒退治となる。村人たちは、手に手に竹槍やら銃をとって、中の宮に押しかける。一方、巡査や神主、麓の四つの村々にも知らせがとんでいた。
 この朝、胸騒ぎがして、後野市太郎は真倉を発って山を登ってきていた。山腹の途中で、ものものしい村人の一隊とぶつかる。
 話を聞いて、市太郎は一行の前に立ちふさがった。
「中の宮に篭っておられるのは教祖さまや。狒狒なんぞではないわい」
「教祖ちゅうのは誰やい。女やろ」
「ここは女人禁制の霊山ちゅうことは知った上か」
 口々につめ寄る村人。
「肉体は女でも、霊魂は男……変性男子でござるわい」
「けったいやのう。男かいな、女かいな」
「ともかく行ってみなんだらわからんわな」
「そこどけい」
 市太郎をはねのけて、殺気立った一同が山路を駆ける。
「待ってくれい。乱暴は許さん。あの人は神さんや。無礼をすなや」
 必死で叫びつつ、市太郎が追いすがる。
 中の宮の前で市太郎は一同を押しとどめ、ひとりで社殿に近づいた。
「教祖さま、市太郎でございます」
 呼ぶ間もなく、くぐり戸が開いて直が全身を現わした。わっと一同が直、市太郎をとり囲む。
「こんな所で何しとっちゃったんや」
 村人の一人が詰問、直はすまして答えた。
「世の中が暗がりやさかい、神さまの御命令で篭ったのでござるわいな」
「錠をこわしとるやないかい。なんちゅう肝の太い女や。女の身でこのお山へ登るさえ、どえらい神罰受けるのに、社の内に入りこむなど……神さまが怒りなされて、こ、この村の衆にどんな難儀がかかろうやら知れん」
「心配はござらぬ。今日から女人禁制を解くと中の宮の神さまが言うてござる」
 その時、息せき切って神主相根久兵衛とその子久左衛門、上杉駐在所の今井巡査が登ってきた。後を追って村の代表者たちがやってくる。大又村の鍋師菊蔵、身内村の滝花丑太郎、ほかに中川原、下村二村からそれぞれ一人ずつ。
「待て、そのお方はただのお人ではないのや」と、久兵衛が声をあげた。
「わけがあって、そのお方を存じておる。この弥仙山に深い因縁のあるお方と判断したさかい、わしが内々でお篭りを認めたのじゃ。掟を破った責任はわしにある」
 後野滝三郎や市太郎から話に聞いて綾部の金神出口直についてはひそかな好意を抱いてはいたものの、見るのは初めての相根久兵衛である。神主として迷惑な立場におち入った久兵衛が、微笑を含んで衆人の中に立っている直を見た瞬間、職をなげうってでもかばおうと腹を据えていた。
「すまぬことでござりました。今日でお篭りさしてもろてから一週間目、神さまの御用は終わりましたさかい、頂上の神さまのお許しを得て帰るところでござります」
 直は、相根久兵衛に感謝をこめて挨拶した。
 今井巡査は職務上、型通りの訊問をした。錠をこわして立ち入った以上、住居不法侵入だ。しかし、物が盗まれたわけではない。そればかりか、社殿内は見違えるように美しくなっている。どう扱ってよいかわからず、ともかく綾部警察署に報告することにした。
「上杉までお送りいたしますわな」
「それはおおきに、そうしておくれなされ」
 鄭重な久兵衛の言葉に、一同は直、市太郎に従って弥仙山を下りて行った。
 その夜、直は木下慶太郎宅で一泊、夕空に溶け入っていく弥仙の山に名残りを惜しむ。
霊界物語ネットで読む 霊界物語ネット
王仁DB (王仁三郎データベース、略してオニデビ)by オニド /出口王仁三郎の著作物を始め、当サイト内にあるデータは基本的にすべて、著作権保護期間が過ぎていますので、どうぞご自由にお使いください。また保護期間内にあるものは、著作権法に触れない範囲で使用しています。それに関しては自己責任でお使いください。/出口王仁三郎の著作物は明治~昭和初期に書かれたものです。現代においては差別用語と見なされる言葉もありますが、当時の時代背景を鑑みてそのままにしてあります。/本サイトのデータは「霊界物語ネット」掲載のデータと同じものです。凡例はこちら。/データに誤り等を発見したら教えてくれると嬉しいです。
連絡先:oni_do@ybb.ne.jp(飯塚弘明)
(C) 2016-2018 Iizuka Hiroaki