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文献名1霊界物語 第37巻 舎身活躍 子の巻
文献名2第3篇 阪丹珍聞
文献名3第13章 煙の都〔1025〕
著者出口王仁三郎
概要
備考
タグ データ凡例 データ最終更新日2017-09-14 23:28:24
あらすじ松岡天使の命令によって、喜楽はただ一人で初めて大阪の布教を試みようと、汽車に乗ってやってきた。煙突の煙や行きかう人馬の音に圧倒されながら、多田亀の元の妻で多田琴の母である、お国という女の宅を頼ろうと探していた。
多田琴が布教がてらお国の元に行っていたので、協力して大宣伝をしようと思ったのである。
しかし想像だにしない大都会でたくさんの家や通りがあり、住所を探し当てることができなかった。ふと、自宅の隣家出身の斎藤佐一という人が、夫婦で天満橋近くに餅屋をしていることを思いだした。
初めての人力車に乗って、佐一の店に行った。佐一老夫婦とは久しぶりに顔を合わせたが、喜楽が祈祷を始めたことを知っており、お茶を出して親切にもてなしてくれた。
佐一は宿を紹介してくれた。そこに二週間ばかり滞在したら、家屋敷を抵当に入れて借りた持ち金はすっかりなくなってしまった。
大阪への別れに、天満天人様に参拝したところ、小林易断所と書いてある店の爺が声をかけてきた。易者は喜楽が丹波から来たことを当て、今大阪へ出てきたのは時機が早く、十年ばかり丹波で修行を積んだうえで再度大阪に来るように、と告げた。
易者はこれからの喜楽の艱難辛苦は並大抵のものではないが、神様のため、世の中のためだから辛抱するように、と涙ながらに諭した。喜楽は思わず落涙にむせんでいた。しばらくして頭を上げると、小林勇といった老易者の姿は跡形もなく消えていた。
不思議にあってしばらく呆然としていたが、松岡天使の教訓が今さらのごとく胸に浮かんできた。
邪神のすさぶ今の世に、至粋至純なる惟神の大道を研究し、身魂を清め、立派な宣伝使となって世界を覚醒させなくてはならない。神の僕となって暗黒世界の光となり、冷酷な社会の温味となり、身魂を清める塩となり、癒す薬となれ。
四魂を磨き五情を鍛えて誠の大和魂となり、天地の花・果実と謳われ喜ばれ、世のため道のために尽くさなくてはならない。今後十年の間は研究の時期であり、その間に起こる艱難辛苦は非常なものだ。
さりながら少しも恐れるに足らない。神様を力に、誠を杖にして猛進せよ。一時の失敗や艱難で心を変じてはならない。五六七の神の御心を遵奉し、世界へ拡充せよ。神々は汝の身を照らし、身辺に付き添って使命を果たすべく守りたまうであろう。
特に十年間はもっとも必要な修行時代だ、というものであった。
これより社前に額づき、拍手再拝して天津祝詞を奏上した。
主な人物 舞台 口述日1922(大正11)年10月10日(旧08月20日) 口述場所 筆録者北村隆光 校正日 校正場所
OBC rm3713
本文の文字数5172
本文のヒット件数全 1 件/教祖=1
これ以外の情報は霊界物語ネットの「インフォメーション」欄を見て下さい 霊界物語ネット
本文  松岡天使の命令によつて、喜楽は只一人初めて大阪の布教を試みむと早朝吾家を立ち出で、天然笛と鎮魂の玉に皮製の鞄を一つ肩にひつかけ、生首峠を渡り茨木街道に出で、それより汽車に乗つて大阪の地に着いた。
 大阪は煙の都とかねて聞いて居た。初めて大都会を見た田舎者の目には、井中の蛙が大海に放り出された様に面喰つて了ひ、何処を如何行つたら宜いか分らなくなつて了つた。幾百とも知れぬ煙突から立ち上る濛々たる黒煙は、中空に竜の躍るが如く、馬車人車の行き交ふ音は轟々として、雷を聞くかとばかり疑はれ、魂消きつて梅田の駅から当途もなしに南へ南へと進んで行つた。漸く中の島の公園に辿りつき、豊太閤を祀つた豊国神社や、木村重成の誠忠碑の大きな花崗石が、真中から斜に罅き割れて居るの等を拝礼し乍ら、多田亀の元の妻たりしお国と云ふ女の宅を頼らうと、其処らあたりをうろつき廻つた。此お国サンの家には、多田琴が娘の事とて、布教がてら先へ行つて居るので、両人息を合せ此地で大宣伝を試みようと思ふたからである。
 水の都の大阪市、中空は煙に包まれ地は河で囲まれて居る。同じ様な橋が幾つともなく架かつて居る。大阪には殆ど千ばかりの橋梁が市内に架つてるさうだが、橋と名のつくのは僅に二つ三つで其外は皆橋である。天満橋、天神橋、浪速橋と云ふ様に橋ばかりの大都会を、軒別に……お国の家は此処か……と尋ね廻る間抜けさ加減、国を出る時に多田亀にお国サンの住所を詳しく聞く事を忘れて来たのだ。田舎育ちの喜楽は、名さへ云へば小さい田舎の様に直判ると思ふて居たから、住所を詳しく問ふておかなかつたのである。何程広い大阪でも、交番所で尋ねたらお国サンの処ぐらゐは直に判ると早合点して居た。それが大阪へ初めて来て見ればチツとも見当がつかない。交番所へ行つて尋ねて見ても巡査に笑はれるばかり、住所と苗字の知れぬ只お国サンだけでは到底駄目だつた。不図、自宅の隣家に住む穴太の斎藤佐一と云ふ人が天満橋の詰め近く空心町と云ふ処に餅屋をしてると云ふ事を予て聞いて居た。これを思ひ出して尋ねようと考へ込んだ。これは地理をよく知つた車屋に案内さすが一番だと考へ、折柄空俥をひいて橋の詰めにやつて来る俥夫に向つて、
喜楽『空心町の斎藤佐一と云ふ餅屋へやつて呉れ』
と頼んで見た。車夫は、
車夫『空心町は余程道程がありますから廿五銭下さい』
といふ。自分は直に廿五銭を俥屋に渡した。さうして長い天満橋の上を南へ渡り、それから又大きな橋を一つ渡つて又もとの橋の近所へ連れて来られた。其橋詰の少し凹んだ狭い間口の家の前に卸して呉れた。よくよく見れば『実盛餅』と書いてある。あゝ此処だなと頷き乍ら、
喜楽『御免』
といつて中へ這入つた。随分狭い家であつた。初めに俥に乗つた処へ畢竟おろされて居たのである。後で考へて見れば、天神橋を南へ渡り又天満橋を北へ渡り、町中を廻つて元の処へ下されたのであつた。田舎者の事とて、二十八才の青年も人力車に乗つたのは、恥かし乍らこれが初めてであつた。実盛餅の主人は、自分の顔を見て、
主人『あゝ喜楽サンだすか、能うおいでやす。あんたは此頃噂に聞けば偉う信神が出来ますさうな、そりや結構です。マアゆつくり一服して下さい』
と云ふ。
喜楽『ハイ、有難う』
と腰を掛け、扇をパチパチと云はして俯向いて居ると、主人の佐市サンはお繁と云ふ嫁サンに実盛餅を皿に盛らせて、
主人『サアお上り』
と親切に茶を汲んで出して呉れた。お繁サンも亦、
お繁『喜楽サン、マア珍しい、能う来なさつた。折角だから家で泊つて貰ひ度いが、此通り表が二畳敷、奥が四畳半で寝る処がないので、泊つて貰ふ訳にもゆきませぬ。妾が宿屋を案内するから其処で泊りなさい。旅費は持つて来なさつたか』
と尋ねる。喜楽は、
喜楽『実は五十円の旅費を算段して持つて来ました。まだ、四十九円五十銭残つて居る』
と答へると、佐市サンは、
佐市『そんな大金を持つて居ると、掏摸が田舎者だと思ふて盗るか知れぬから、シツカリと内懐へ入れて片一方の手で握りもつて歩きなさい』
と注意し乍ら、川傍の三階建の宿屋へ案内して呉れた。荷物といつたら鞄一つよりない。外へ鞄を提げて、行き当り次第布教に出ようと宿屋を出掛ると、其処の番頭が喜楽の襟髪をグツと握り、
番頭『こりや何処へ逃げて行く、田舎者奴が!』
とえらい権幕で呶鳴りつける。喜楽は吃驚して、
喜楽『ヘイ、私は何処か其処らへ神様の道を拓きに行かうと思ひます。夜になつたら帰つて来ますから、何卒やらして下さい。毎日日日こんな処へ来て、宿賃を払つて遊んで居つては詰りませぬから……』
と云ふと、番頭は少し顔を和らげて、
番頭『そんなら其鞄を置いて行かつしやい、お金は何程持つてる』
と云ふ。
喜楽『ここに四十円あまり持つて居ます』
と答へると番頭は、
番頭『其金を預けて行きなさい。確に預るから……お前サンの様な都会に慣れない人は、何時掏摸に盗られるか知れぬから、もしも盗られたら此方の宿賃まで貰へぬ様になつて了ふ。さうなれば互の迷惑だ』
と少し言葉を和らげて云ふ。そこで喜楽は四十円を此処の番頭へ預けておき、残りの端金を懐に入れて其処等あたりをウロつきまはり、色々の教会を訪問し、稲荷下げを調べたり何かして二週間ばかり何の効果も無く過ごして了つた。さうして多田琴の母親の家は如何しても判らなかつた。夜分になると宿屋へ帰つて鎮魂をしたり、自問自答して神勅を伺ふたけれど、チツとも松岡サンも大霜サンもスカタンばかり教へて本当の事を言つて呉れなかつた。
 二週間経つと宿屋の番当が、
番頭『お客サン、勘定を願ます』
と云つて勘定書を持つて来る。よくよく見れば一日の泊りが二円八十銭で二週間で三十九円二十銭と書いてある。一度田舎の宿で泊つた時二十五銭であつた。何程大阪が高いと云つても一日五十銭出せば大丈夫だ……と思ふて居た田舎者の喜楽は、生命の綱と頼んで居た旅費の大部分が、思ひ掛けなき宿料に皆とられた事に肝を潰し、直に預けた金の中から八十銭返して貰ひ、それを茶代として渡したので、畢竟四十円の金は二週間前に番頭に渡した時見たきり、それが長のお別れとなつて了つた。実際を云へば此五十円は、牧畜業の方では三人の組合で金を如何することも出来ないので、自分の家と屋敷を抵当に入れて借つてきた金である。そこら迂路々々と芝居を見たり落語を聞いたり、見世物や車賃などで七八円の金はなくなつて居た。もはや懐には一円あまり外、なかつたのである。
 此宿屋は玉屋と書いてあつた。河端の極く新しい白木造りの家であつた。此玉屋を立ち出で北区の天満天神さまの鳥居を潜つて、大阪へ別れを告ぐるべく参拝をした。神苑内には丹頂の鶴が金網を張つて四五羽飼つてあつた。さうして六十ばかりの爺が鰌を売つて居る。爺は参拝者をつかまへては、
爺『皆サン、お鶴サンに鰌を献上なさいませ。一盛が一銭です』
と呶鳴つて居る。見れば小さい饂飩の様な鰌が、二匹浅い竹筒に水と一所に盛り並べてある。一銭出しては鰌を買ひ、鶴の立つて居る浅い水溜りへ投げてやると、長い嘴をつつこんで直にとつて食ふ。鶴は目出度い鳥ぢやと聞いて居る。絵に書いた鶴は沢山見たが、生たのは初めてなので、好奇心に駆られて一銭銅貨と交換しては、並べてある鰌の竹鉢を残らず鶴に与へて了つた。さうすると一方の方に白い毛の駿馬が、足摺荒くして板の間をトントントンと叩いて居る。一寸見れば其処にも土器に大豆の煮でたのが七八ツ皿に盛つて、
『一皿一銭お馬さんにおあげなさいませ』
と書いてある。鶴に五杯の鰌をスツカリ与へて五銭はり込んでやつたのだから、此馬にもやらずには居られぬと、五七三十五粒の煮豆を、白銅一枚はりこんで馬に振れ舞ひ興に入つて居る。その時後の方から、
『先生々々』
と呼ぶ声が聞える。誰の事かと思ふて後を振り向くと、白髪の老人が周易の看板を机にブラ下げ、赤毛布をかけて椅子に腰をかけ、此方を向いて手招きして居る。見れば易者が五六人も境内の此処彼処に易断の店を張つて居た。其老人は小林易断所としてあつたから、大方小林と云ふ男であつただらう。その老爺がいふには、
易者『先生、お前さまは丹波のお方でせう。今大阪へ出て来て神様の教を宣伝するのは、未だ時機が早い。一時も早う丹波の国へ帰りなさい。さうして十年ばかり修業を積んだ上、大阪へ布教に来られたならば屹度成功します。今は大切な時だ、軽挙盲動をしてはなりませぬぞ』
と頼みもせぬのに熱心に云つて呉れる。喜楽は、
喜楽『不思議な事を云ふ易者だな、如何して丹波の人間と云ふ事が判つたのか知らぬ』
と思ひ乍ら今度此方から易者に向つて、
喜楽『先生、貴方は神さまの様な人ですな、一体何処の国でお生れになつたのですか』
と問ひかけると老易者は、
易者『俺は若い時から長らくの間、富士講と云つて浅間様の教会に這入り、富士の山で修業をして居つたものだ。さうした処、富士講の丸山教会は、教祖の六郎兵衛サンが神罰を蒙つて悶死されてから、其教会は滅茶々々に壊れて了ひ今は情ないこんな易者になつて大阪で渡世をしてるのだ。実は私は小林勇と云ふ者である。然し乍ら、これは一寸仮の名だ、本当の名は再びお前に会ふて打明かす時が来るであらう。先づ達者にして修業を成さるが宜しい。これからお前サンの丹波に帰つてから十年間の艱難辛苦といふものは、今から思ふても真に可哀相な気がする。然し乍らこれも神様のため、世の中の為めだから辛抱しなさい』
と云ふ声さへも涙に曇つて居る。喜楽は思はず俯伏し、一言も発し得ず落涙に咽んで居た。暫くして頭をあげて見れば、今小林勇と云つた老易者の影は何処へ行つたか跡方もなく消えて居つた。かかる不思議に出会ふた喜楽は手を組み首を傾けて暫し茫然と佇んで居た。
『アヽ今のは神様の化身ではなかつたかなア』
 忘れもせない二月の九日の夜、芙蓉仙人松岡天使に高熊山に誘はれて受けた教訓、今更の如く胸に浮かんで来た。
 其時の松岡天使の教訓は大略左の通りであつた。
『澆季末法に傾いた邪神の荒ぶ今の時に当つて、お前は至粋至純なる惟神の大道を研究し、身魂を清め、立派な宣伝使となつて世界に向ひ、神道の喇叭を吹き立て、世界を覚醒せなくてはならぬぞよ。今に於て惟神の大道を宣伝し、世界の目を醒ますものが無ければ、今日の社会を維持する事は出来ない。惹いては世界の破滅を招来する事は鏡にかけて見る様だ。お前はこれから神の僕となつて、暗黒世界の光となり、冷酷な社会の温味となり、腐りきつた身魂を救ひ清める塩となり、身魂の病を癒す薬ともなり、四魂を研き五情を鍛へ、誠の大和魂となつて、天地の花と謳はれ果実と喜ばれ、世の為め道の為めに尽して呉れねばならぬ。真の勇、真の親、真の愛、真の智慧を輝かし此大任を完成せむとするは、仲々容易な事業ではない。今後十年の間は其方は研究の時期である。其間に起る所の艱難辛苦は非常なものだ。之を忍耐せなくては汝の使命を果す事は出来ないぞ。屡神の試にも遭ひ、邪神の群に包囲され苦しむ事もあるであらう。前途に当つて深い谷もあり、剣の山や、血の池地獄や、蛇の室、蜂の室、暴風怒濤に苦しみ、一命の危い事も屡あるであらう。手足の爪迄抜かれて、神退ひに退はれる事も覚悟して居らねばならぬ。さり乍ら少しも恐るるには及ばぬ。神様を力に誠を杖に猛進せよ。如何なる災害に遭ふとも決して退却してはならぬ。何事も皆神の御経綸だと思へ。一時の失敗や艱難に出会ふた為めに、神の道に遠ざかり心を変じてはならぬ。五六七の神の御心を、生命の続く限り遵奉し、且世界へ拡充せよ。神々は汝の身を照らし、汝の身辺に附き添ふて、此使命を果すべく守り玉ふであらう。特に十年間は最も必要な修業時代だ』
との厳しき神示は深く脳裡に刻まれてあつた。其処へ今又小林勇と云ふ不思議な老易者より同じ様な教訓を受けたのは実に不思議であつた。
 これより社前に額づき、拍手再拝し天津祝詞を奏上し、社内を退き懐淋しきまま、天満橋詰の空心町の実盛餌を目当に尋ねて行く事とした。
(大正一一・一〇・一〇 旧八・二〇 北村隆光録)
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