番号 | 文献名1 | 文献名2 | 文献名3 | 著者 | 発表年 | 詳細 | 本文内のヒット件数 | プレビュー(最大 8 件まで表示) | 番号 |
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1 | 霊界物語 第4巻 霊主体従 卯の巻 | 後付 | 附録 第二回高熊山参拝紀行歌 | 出口王仁三郎 | 1922刊 | DB・ RMN |
全 3 件/喜三郎=3 | ...曽我部穴太の宮垣内 (宮内喜助) 上田喜三郎の野呂助も 青鼻垂らした幼年野 (青......ま) 上田野家に生まれたる 年も二八の喜三郎 (上野豊) 豊国姫の教受け 吾家に......助) 曽我部の村に生れたる 幼名上田の喜三郎 神の助の命毛の 筆を揮ひて高熊の 山... | 1 |
2 | 霊界物語 第7巻 霊主体従 午の巻 | 後付 | 附録 第三回高熊山参拝紀行歌 | 出口王仁三郎 | 1922刊 | DB・ RMN |
全 2 件/喜三郎=2 | ...中嘉太郎) 修業なしたる物嘉太り 上田喜三郎が生家より 東にあたる川原條 内外の区......郎) 生れ付いたる健脚を 神使に次ぎて喜三郎 (藤岡しか) 藤蔓からむ神の岡 し... | 2 |
3 | 霊界物語 第15巻 如意宝珠 寅の巻 | 第1篇 正邪奮戦 | 第9章 薯蕷汁〔576〕 | 出口王仁三郎 | 1922刊 | DB・ RMN |
全 1 件/喜三郎=1 | ...の御供は最前ソツとあがれとも音はぬのに、喜三郎をなさいましたから、どうぞ辛抱して下さい... | 3 |
4 | 霊界物語 第38巻 舎身活躍 丑の巻 | 第1篇 千万無量 | 第3章 帰郷〔1040〕 | 出口王仁三郎 | 1924刊 | DB・ RMN |
全 6 件/喜三郎=6 | ...お呉れ、吾家の御先祖様が、只今の先、孫の喜三郎を殺して了うと仰有つて、長い刀を引ぬいて......長い刀を引ぬいて追かけまはして居られる。喜三郎は一生懸命に逃げまはす。見るに見かねて私......少し顔色を和らげて、……そんならお前から喜三郎に諭してやるがよい。上田の家は藤原の鎌足......現はし、此世を安楽な神の世にしたい為に、喜三郎を神様のお使として、一身を捧げて世の為に......とはいふものの、等閑にすることは出来ぬ。喜三郎も其心得で世の為に、神さまの御用を一心に......郎松やお政後家サンを伴うて帰り来り、母『喜三郎、お前に一寸相談があるから、今帰ることは... | 4 |
5 | 霊界物語 第38巻 舎身活躍 丑の巻 | 第1篇 千万無量 | 第4章 誤親切〔1041〕 | 出口王仁三郎 | 1924刊 | DB・ RMN |
全 2 件/喜三郎=2 | ...筈であるから別に百姓に差支へもあるまい。喜三郎は一時も早う内を出て、綾部で神さまの為に......られるか知らぬが今度丈は老人の頼みぢや、喜三郎のいふことを聞いてやつておくれ』と雄々し... | 5 |
6 | 霊界物語 第38巻 舎身活躍 丑の巻 | 第2篇 光風霽月 | 第10章 思ひ出(一)〔1047〕 | 出口王仁三郎 | 1924刊 | DB・ RMN |
全 3 件/喜三郎=3 | ...。 留守中に教祖様は此事を聞かれて、上田喜三郎(瑞月旧名)の所業は神勅に反く怪しからぬ......、時田、三牧などと云ふ連中であつた。上田喜三郎といふ者が家出をして行衛が分らぬから、何......皮を現はして、馬鹿な事を云へ、此人が上田喜三郎の本人だ、病気も何もしてゐない。吾々は新... | 6 |
7 | 霊界物語 第38巻 舎身活躍 丑の巻 | 第2篇 光風霽月 | 第11章 思ひ出(二)〔1048〕 | 出口王仁三郎 | 1924刊 | DB・ RMN |
全 1 件/喜三郎=1 | ...松林の四つ足の守護神は、もう憑らぬ。上田喜三郎の肉体は返上すると云ふ証文を書け』と云ふ... | 7 |
8 | 三鏡 | 月鏡 | お友達が欲しい | 出口王仁三郎 | DB・ RMN |
全 1 件/喜三郎=1 | ...を使ひ、態度を取つて呉れるので、私も上田喜三郎の昔にかへつて、シミジミと人間味を味はふ... | 8 | |
9 | 大本神諭 | 明治32年旧4月12日 | DB・ RMN |
全 1 件/喜三郎=1 | ...二日、皇神は出口開祖の御手を借りて、上田喜三郎茂穎に送り玉ひし御神文也左に謹録す 『艮... | 9 | |||
10 | 大本神諭 | 明治32年旧6月(日不明) | DB・ RMN |
全 4 件/喜三郎=4 | ... 上田喜三郎殿よう大望な御用を仕て下さりたぞよ。其方......成就致さんのじゃぞよ。夫れに付いては上田喜三郎殿、深い因縁ありて、上田殿に大望な御用を......は不思議な助けを致すぞよ。 出口直、上田喜三郎(教主旧名)どのと二人を世の調査改善を致......致さすぞよ。艮の金神万の神が、出口直上田喜三郎に憑りて参るぞよ。此の直は病気癒して、御... | 10 | |||
11 | 大本神諭 | 明治32年旧6月3日 | DB・ RMN |
全 1 件/喜三郎=1 | ...の経綸いたした事の、初発であるぞよ。上田喜三郎殿大望な御世話が能う出来たぞよ。御礼には... | 11 | |||
12 | 大本神諭 | 明治32年旧6月10日 | DB・ RMN |
全 1 件/喜三郎=1 | ...は末子のお澄殿であるぞよ。因縁ありて上田喜三郎、大望な御用を致さすぞよ。然る代りに御大... | 12 | |||
13 | 大本神諭 | 明治32年旧7月3日 | DB・ RMN |
全 2 件/喜三郎=2 | ...河の本部は御手柄いたさすぞよ。次には上田喜三郎殿大手柄者だぞよ。出口直は結構が解るぞよ......柄者だぞよ。出口直は結構が解るぞよ。上田喜三郎殿御世継、澄子殿修行なされよ。是から修行... | 13 | |||
14 | 大本神諭 | 明治36年旧6月4日 | DB・ RMN |
全 1 件/喜三郎=1 | ...子には筆先の代りに口で言はさすなり、上田喜三郎は出口王仁三郎と名を替へさして、神界の経... | 14 | |||
15 | 全集 第8巻 わが半生の記 | 【上巻】故郷の弐拾八年 | 03 上田の家庭 | 1935刊 | DB・ RMN |
全 1 件/喜三郎=1 | ...本の教主輔出口王仁三郎である。幼名は上田喜三郎と云ふ。王仁三郎と名告つたのは参綾後に神... | 15 | |
16 | 全集 第8巻 わが半生の記 | 【上巻】故郷の弐拾八年 | 10 祖父の再生 | 1935刊 | DB・ RMN |
全 3 件/喜三郎=3 | ...のである。 次に又祖父が遺言して、『孫の喜三郎は、到底上田の家を継がすことの出来ぬ因縁......の祖母の夢に、祖父さんが出て来て、『孫の喜三郎には蛙のやうな人間の形をした動物を食はし......な人間の形をした動物を食はしてはならぬ、喜三郎は神様の御用を勤むる立派な人間に為るのぢ... | 16 | |
17 | 全集 第8巻 わが半生の記 | 【上巻】故郷の弐拾八年 | 12 小学校時代 | 1935刊 | DB・ RMN |
全 5 件/喜三郎=5 | ...の言を忽ち打ち消して、満場の生徒に向ひ、喜三郎は彼は馬鹿だから彼様なことを言ふのである......徒に向つて、お前等よく見よ、今学者生徒の喜三郎さまの御父上がお通りだと、大声揚げて王仁......え、学校の雪隠を指して、アア其処に見よ、喜三郎さまの立派なお家が建つてあると、我家の倭......人などに途中で逢ふ時は、忽ち之を指して、喜三郎さまのお父さんが通る、お母さんが何処かへ......面白がつて侮辱し、倒けかけた雪隠があると喜三郎さまの立派な御宅だと嘲り笑ふのであつた。... | 17 | |
18 | 全集 第8巻 わが半生の記 | 【上巻】故郷の弐拾八年 | 逃牛 | 出口王仁三郎 | 1935刊 | DB・ RMN |
全 1 件/喜三郎=1 | ...ふ安養亭に逃げ入りにけり惟平翁驚きたまひ喜三郎何して来たか顔が青いと宣らす今日の日のあ... | 18 |
19 | 著作集 第1巻 神と人間 | 本教創世記 | 第一章 | 出口王仁三郎 | 1972刊 | DB・ RMN |
全 3 件/喜三郎=3 | ...郎の二称であった。その世継がすなわち余、喜三郎となるのである。上田まさの家は、余の代よ......的復仇の児戯に等しき論を持ち出したり、「喜三郎に暇を出して困らせてやったらよかろう。何......の源治が、平常に変わって柔和な面色で、「喜三郎に話がしたいからちょっと余が居間まで来て... | 19 |
20 | 著作集 第1巻 神と人間 | 本教創世記 | 第七章 | 出口王仁三郎 | 1972刊 | DB・ RMN |
全 1 件/喜三郎=1 | ...駐在所の受持巡査がある日出て来て、「上田喜三郎はお前か」と尋ねたので、余は「左様です」... | 20 |
21 | 著作集 第1巻 神と人間 | 本教創世記 | 第九章 | 出口王仁三郎 | 1972刊 | DB・ RMN |
全 1 件/喜三郎=1 | ...の末尾に「鬼三郎」と署名したのである。「喜三郎のキと鬼神のキと音が通うから、やはりキサ... | 21 |
22 | 著作集 第1巻 神と人間 | 本教創世記 | 第十章 幽斎修業 | 出口王仁三郎 | 1972刊 | DB・ RMN |
全 2 件/喜三郎=2 | ...とするの一刹那、一人の道者来りて、「上田喜三郎氏は当家なるや」と問うたので、余は「然り......り、明治三十一年四月十五日付を以て「上田喜三郎、任中監督」との辞令を郵送下付せられたが... | 22 |
23 | 著作集 第1巻 神と人間 | 本教創世記 | 第十一章 出発 | 出口王仁三郎 | 1972刊 | DB・ RMN |
全 3 件/喜三郎=3 | ...は左記の通りである。 中監督 上田喜三郎 講社規約第拾五条に拠り、鎮魂帰神の二科......三十一年五月二十五日 中監督 上田喜三郎 京都大阪両府下講社事務担任を命ず。 ......三十一年五月二十五日 中監督 上田喜三郎 京都府下において霊学会本部設置の件認可... | 23 |
24 | 著作集 第1巻 神と人間 | 本教創世記 | 第十二章 | 出口王仁三郎 | 1972刊 | DB・ RMN |
全 1 件/喜三郎=1 | ...襲撃するのは合点が行かぬので、「余は上田喜三郎であるが、汝に敵視さるる覚えなし。何の遺... | 24 |
25 | 著作集 第5巻 人間王仁三郎 | 第1部 自叙 野に生きる >故郷の二十八年 | 不幸の半生 | 出口王仁三郎 | 1972刊 | DB・ RMN |
全 1 件/喜三郎=1 | ...かけ、睨み散らして帰つて行くのであった。喜三郎は初めて強食弱肉の社会の無情を味わうて、... | 25 |
26 | 著作集 第5巻 人間王仁三郎 | 第1部 自叙 野に生きる >故郷の二十八年 | 生いたちの記 | 出口王仁三郎 | 1972刊 | DB・ RMN |
全 9 件/喜三郎=9 | ...の教主輔・出口王仁三郎である。幼名は上田喜三郎と曰う。王仁三郎と名乗ったのは参綾後に神......たのである。 次に又祖父が遺言して「孫の喜三郎は、到底上田の家を続がす事の出来ぬ因縁を......夜の祖母の夢に祖父さんが出て来て、「孫の喜三郎には蛙の如な人間の形を為た動物を喰わして......な人間の形を為た動物を喰わしては成らぬ。喜三郎は神様の御用を勤める立派な人間に為るのじ......言を忽ち打ち消して、満場の生徒に向かい「喜三郎は、彼は馬鹿だから彼様な事を言うのである......かって、「お前等能く見よ。今、学者生徒の喜三郎さまの御父上が御通りだ」と大声揚げて、王......の雪隠を指さし示して、「ああ其処に見よ、喜三郎さまの立派なお家が建ってある」と、我が家......なぞに途中で逢う時は忽ち之を指さして、「喜三郎さまのお父さんが通る。お母さんが何所かへ... | 26 |
27 | 著作集 第5巻 人間王仁三郎 | 第4部 歌譜心象 | 冠句・瑞句・狂句ほか | 出口王仁三郎 | 1972刊 | DB・ RMN |
全 1 件/喜三郎=1 | ...てる一本桜の清さ哉谷前の桜も香るや玉の春喜三郎夫婦もおそふ花の席すみゑには画師も手を組... | 27 |
28 | 大本史料集成 2 >第1部 明治・大正期の運動 | 第1章 出口王仁三郎関係文書 | 随筆『神霊界』大正8年8月15日号掲載 | 1982刊 | DB・ RMN |
全 1 件/喜三郎=1 | ...者ですが、不二の芙容峰さんの帰神で、上田喜三郎(王仁の旧名)と云ふ人の家へ出張せよと仰... | 28 | |
29 | 大本史料集成 2 >第2部 昭和期の運動 | 第2章 昭和神聖運動 >第4節 神聖誌(抄) | 随筆 | 1982刊 | DB・ RMN |
全 1 件/喜三郎=1 | ...竹製の刀を以て豆腐を切り掌を傷けず、鈴木喜三郎氏は正宗を以て大根を切り、久原房之助氏は... | 29 | |
30 | 大本史料集成 3 >第2部 第二次事件関係 | 第2章 裁判所資料 >第2節 地裁公判速記録(出口王仁三郎) | 地裁公判速記録(1) | 1985刊 | DB・ RMN |
全 1 件/喜三郎=1 | ...問 上田吉松の長男として生れ、旧名を上田喜三郎と言ひ、九歳の時より十三歳迄京都府南桑田... | 30 | |
31 | 大本史料集成 3 >第2部 第二次事件関係 | 第2章 裁判所資料 >第2節 地裁公判速記録(出口王仁三郎) | 地裁公判速記録(8) | 1985刊 | DB・ RMN |
全 1 件/喜三郎=1 | ...と言ふたのです、鈴木さんに──。問 鈴木喜三郎と云ふ人か。答 はい。 それからもう一人... | 31 | |
32 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第3章 >1 幼少のころ | 出生 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 6 件/喜三郎=6 | ...た。まもなく呱々の声をあげた初産の男の子喜三郎こそ、後年の大本聖師出口王仁三郎である。......そ、後年の大本聖師出口王仁三郎である。 喜三郎の生家上田家は、古くは、藤原を名乗り、八......ており、家紋のとりきめがなされていたが、喜三郎の生家の家紋は、藤原にちなんで三巴であっ......、北上田・南上田・平上田と称されていた。喜三郎の生家は北上田に属する。......喜三郎の家には、詳しい系譜があったようだが、......喜三郎の曾祖父の代に道楽息子があって、他家へ質... | 32 |
33 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第3章 >1 幼少のころ | 幼年期 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 14 件/喜三郎=14 | ...だけに、その誕生後六ヶ月目、祖父吉松は、喜三郎の両親を枕辺によんで、遺言し、一八七一(......あったという。昔は、富農だった上田家も、喜三郎が物心ついた時には、先祖の残した良田もす......上田家へ婿入りし、よねと結婚した。息子の喜三郎は、かねがね、祖父が遺言した「応挙からか......年一月四日、弟の由松が生まれた。そこで、喜三郎の養育は主として祖母にまかされることにな......は主として祖母にまかされることになった。喜三郎は四才のとき、痺疳(慢性の消化器病、大食......母宇能の夢に祖父の吉松があらわれ、「孫の喜三郎は神様のご用をつとめる立派な人間にするの......という。そこで、祖母はただちにそのことを喜三郎の両親につげたので、両親はすぐさま......喜三郎をゆり起こし、背におって、家から百メート... | 33 |
34 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第3章 >2 小学校の生活 | 偕行小学校 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 17 件/喜三郎=17 | ... 一八八〇(明治一三)年の春、喜三郎はようやく健康になり、偕行小学校下等第八......学年齢は、現在と同じく満六才であったが、喜三郎は、前述の事情もあって、三年おくれて満九......ら、すでに、祖母の教育で学力がついていた喜三郎は、半年ごとに一年進級し、下等の四年間を......ようにみられる半面もあったようである。 喜三郎は、この頃から祖母に言霊の妙用を説明され......、地主の子や自作農の子が多かったようで、喜三郎は、他の少年たちと同じように兵隊ごっこを......たのを、教師が「タダアイ」と読んだので、喜三郎は立って、「タダスケです」と注意したが教......正しいことはどこまでも通してゆこうとする喜三郎は、「タダスケ」を主張した。吉田教師は大......だ、懲戒にする!ちょっとこい」といって、喜三郎を無理やりに引ぱって行こうとした。喜三郎... | 34 |
35 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第3章 >2 小学校の生活 | 代用教員 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 4 件/喜三郎=4 | ...業者をもってあてることが規定されていた。喜三郎はもちろん正式な教員ではなかったのだが、......大意であった。 一躍生徒から先生になった喜三郎は、黒板に字を書くのにもふみ台が必要で、......いてくれるので、生徒のとりあつかい方は、喜三郎の方が、教授法を何冊も読んでいる他の教員......かったという。それにはなにも秘訣はなく、喜三郎は、ただ弟か妹のように生徒を愛し、寸分も... | 35 |
36 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第3章 >2 小学校の生活 | 神道への関心 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 5 件/喜三郎=5 | ... 喜三郎は、小学校の代用教員を一年あまり勤めたが......かんな所だけあって、神道に心をよせていた喜三郎は、周囲からせめたてられていたようである......これは一八八三(明治一六)年春のことで、喜三郎は、妙霊教会布教師の岸本勇助から「みそぎ......はらい」や「大祓」の素読をおしえられた。喜三郎は、すでにこの当時から、神道に強い関心を......々貧窮の度をましていた上田家の状態では、喜三郎の念願も思うようにはならなかった。... | 36 |
37 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第3章 >3 最初の反抗 | 久兵衛池事件 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 16 件/喜三郎=16 | ...して、とうとう月給二円の教職を棒にふった喜三郎は、一八八五(明治一八)年、一四才の秋か......しているので、たたり池ともよばれていた。喜三郎も六才のときあやまって落ち、危いところを......家の仕事をすませ、はきものをつくっている喜三郎の耳に、玄関の次の間で、聞こえよがしに、......ふかすのも面白かろう」などと語り合い、「喜三郎にも暇を出して困らせてやったらよかろう」......、村人たちは酔っぱらって引きあげたので、喜三郎は、家に帰って善後策をたてようと考えてい......るように、よく話してやってくれ」という。喜三郎は一言もこたえずに一心に神を念じ、「どう......ください」と祈った。ようやく決心がついた喜三郎は「こういう悪人どものばっこする村には住......ぬことのなりゆきにひどく心痛していたが、喜三郎は「いまに神さまのお助けをあおぎ、正邪を... | 37 |
38 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第3章 >3 最初の反抗 | 亀山城のあと | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 16 件/喜三郎=16 | ...にも困るような、どん底の生活がつづいた。喜三郎の人間形成のあとをたどってみると、このこ......くりひろげられていた。 久兵衛池事件後、喜三郎は父の農事を手伝い、かたわら近所の家の使......のだから、ひととおりの労苦ではなかった。喜三郎は、よく真夜中の老ノ坂峠道を車を引いて往......のせがれとして生まれ、貧苦の中に成長した喜三郎は、差別されている現実を身をもって体験し......ている現実を身をもって体験していった。 喜三郎は、幼少のころから青年期まで、いつも反抗......町内丸の小高い丘にきずいた居城であった。喜三郎が幼い頃にはまだ天守閣があったが、一三、......さんと雄たけびしたる若き日の吾〟がある。喜三郎は亀山城が心ない人の手でつぎつぎに破壊さ......ろ」と大声でどなったことがあるという。 喜三郎は神仏の力を信じたり、うたがったりしてい... | 38 |
39 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第3章 >4 労働と勉学 | 新事業の失敗 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 6 件/喜三郎=6 | ... 喜三郎の青年期は、日本の社会そのものが、資本主......る時代であった。 こうした動向のなかで、喜三郎は、小作百姓のみじめさから、一挙にぬけ出......ねばり強く、おのが生くべき道を歩んでゆく喜三郎の夢は、はてしなくひろがっていった。 明......な新しい職業がころがっているはずはない。喜三郎は生計のきりもりに追われながら、貧しい生......くるしみなやむ〟という回想があるように、喜三郎は毎晩、米搗きの夜なべをしていた。まだ、......たから、完全な失敗となった。村人からは「喜三郎らしいことをやる」といって笑われたという... | 39 |
40 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第3章 >4 労働と勉学 | 「喜楽はん」と冠句 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 5 件/喜三郎=5 | ... 喜三郎青年はよく働き、よく学んだ。けれども、そ......備兵に編入され、兵隊には行かなかった。 喜三郎は、当時流行した大衆文芸ともいうべき冠句......代文化が、徐々に根をおろしつつあったが、喜三郎の環境は、こうした新しい文化のうごきから......新しい文化のうごきからはへだたっていた。喜三郎は、江戸時代から連綿とうけつがれてきた大......目躍如たるものがある。 あるときなどは、喜三郎は、友だちと一円(当時の米一升の価格は四... | 40 |
41 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第3章 >4 労働と勉学 | 牧夫の生活 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 25 件/喜三郎=25 | ... 一八九三(明治二六)年七月、二二才の喜三郎は父母の許しをえて、獣医学を勉強すること......みこんだ。 園部の南陽寺わきの牧畜場で、喜三郎はまず牛乳の搾取から修練させられた。牧夫......りで、牧畜場の世話ばかりに追いまわされた喜三郎は、毎夜、うすい布団のなかで、なんとかし......、大分暇がえられるようになった。そこで、喜三郎は昼の労働のつかれもいとわず、毎夜、牧場......大阪府)川辺郡西谷村大原野の人であった。喜三郎はこのころから、翁の孫岡田和厚と無二の親......民間にあって国学の教育にあたっていた。 喜三郎は、古典の中に「歌垣の中に立たせ給う」と......立てならべた祭壇のことである。それ以来、喜三郎は優美な国風である歌祭を、機会ができたら......南陽寺で歌会をもよおしたが、そのおりには喜三郎も必ず出席した。喜三郎が、俳句に趣味をも... | 41 |
42 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第3章 >4 労働と勉学 | 書画と信心 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 5 件/喜三郎=5 | ... 喜三郎は、搾乳の仕事のかたわら、俳句・和歌など......と類似している部分があるようである。また喜三郎の従兄の田村月樵(画家)に習ったとの説も......、自習にこれつとめたようである。 ある日喜三郎はひどく歯が痛んだので、当時この地方にか......しないのか、次第に懐疑的になりかけていた喜三郎は、それを契機として妙霊教会の信者となっ......いるのをいやがってことわった。〔写真〕○喜三郎の習画(上)電車内風景─明治28年京都で... | 42 |
43 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第3章 >4 労働と勉学 | ラムネとマンガン礦 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 3 件/喜三郎=3 | ... 園部から穴太に帰った喜三郎は、獣医試験を受けるよう井上にしきりにす......ったが、そのうち学術試験合格者は五人で、喜三郎は二番の成績で合格した。ところが、蹄鉄術......しだ」と考え、一夏で廃業してしまった。 喜三郎はまたマンガン鉱を探すため、南桑田郡と船... | 43 |
44 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第3章 >4 労働と勉学 | 精乳館・上田牧牛場 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 8 件/喜三郎=8 | ... つぎには、喜三郎は船井郡桐の庄村垣内の上仲儀太郎の宅で搾......を設立することになった。 この事業には、喜三郎のほか村上信太郎と上田正定(小幡神社宮司......金は上田正定所有の田を担保として借りた。喜三郎は、牛を飼うことから搾乳・配達・経営など......のような状況にあったので、時代に先んじた喜三郎の搾乳事業は、成功をおさめた。最初はごく......増加し、精乳館は一時繁昌した。こうして、喜三郎も、どうにか一身をさせうる糸口をつかむこ......うる糸口をつかむことができた。 青年期の喜三郎は、恋愛も体験し、ときには失恋もしたが、......かさなかった。恋に生き、仕事に生きる青年喜三郎の日々は、きわめて多様であり、波瀾にみち......みちていた。〔写真〕○精乳館経営のころの喜三郎 p136○精乳館(穴太宮垣内第20番地)勘... | 44 |
45 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第4章 >1 入山にいたるまで | 父の死 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 18 件/喜三郎=18 | ... 喜三郎は精乳館の仕事で多忙をきわめ、したがって......もあるまいから、伐って薪を作ってくれ」と喜三郎にたのんだ。......喜三郎も、たたりなどあるものかと、屋敷の丑寅の......んだん病が重くなった。父の病状を心配した喜三郎は、病が早くなおるようにと、余部の大元教......会などに参詣した。けれども、祈願に行った喜三郎の眼には、民衆をいつわっている教会の内幕......なるほどであった。それから半年のあいだ、喜三郎の手あつい看護がつづけられたが、ついに、......)年七月二一日、吉松は五三才で帰幽した。喜三郎は力をおとし、悲嘆にくれた。 親類や友人......うかがってもらえ」といってきかなかった。喜三郎も、それをむげにすてておくこともできず、... | 45 |
46 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第4章 >1 入山にいたるまで | 入山の動機 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 11 件/喜三郎=11 | ... 喜三郎は父の死後、わずかの間に前後九回も、土地......日(旧二月八日)の夜におこった。二七才の喜三郎は、大石某の家で開かれた浄瑠璃の温習会に......、尼ヶ崎の段」を語った。この時、かねて、喜三郎が喧嘩の仲裁に入ったために顔がつぶれたと......て、藪垣をおし破ってあばれこんだ。そして喜三郎を高座から曳きずりおろして、近くの桑畑へ......を引きつれて割り込み、暴漢を追い散らして喜三郎を助け出し、精乳館へつれ帰った。これを聞......けたが、反対に打ちすえられてしまった。 喜三郎は、祖母や母にいらぬ心配をかけまいと、郷......人間になってくれ」と、痛みをこらえている喜三郎にじゅんじゅんとさとした。さすがの......喜三郎もはらにこたえ「改心します。心配をかけて... | 46 |
47 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第4章 >2 高熊山の修業 | 高熊山 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 1 件/喜三郎=1 | ...念して、大本ではその山を霊場としている。喜三郎の修業当時は山頂は小松林であり、中腹から... | 47 |
48 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第4章 >2 高熊山の修業 | 岩窟の修業 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 5 件/喜三郎=5 | ... 喜三郎は、人里はなれた高熊山の岩窟に静座してい......の無言の苦行を一週間にわたってつづけた。喜三郎は、この七日間の修業において、神人感合の......に懸けてゆくということが伝えられていた。喜三郎は、今夜こそこの熊に引き裂かれて死ぬかも......、谷に面して切り立った崖の中腹にあって、喜三郎の幼時には、奥ゆきは相当に深く、入口の上......。〔写真〕○高熊山修業の図(中央の人物は喜三郎) p146○1935(昭和10)年ころの高... | 48 |
49 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第4章 >2 高熊山の修業 | 家族の心配 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 5 件/喜三郎=5 | ... 母や弟たちは、喜三郎の姿がみえなくなったので、どこかへうさば......間目の三月七日(旧二月一五日)正午前に、喜三郎はひょっこり宮垣内の自宅にもどってきた。......行ってきた」と簡単に答えただけであった。喜三郎はにわかに空腹を感じたらしく、冷たい麦飯......を唱えたりするさわぎになった。皆の心配が喜三郎にはわかっていても、身体の自由がきかない......がいぶし攻めになるのをとめようとした時、喜三郎は、やっと身体が自由になり、言葉もでるよ... | 49 |
50 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第4章 >3 幽斎の研究と稲荷講社 | 喜楽天狗 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 22 件/喜三郎=22 | ... 高熊山から帰った喜三郎は、これまでの牧畜業をやめて、幽斎の修業......土神社にこもったりして、信仰の問題は強く喜三郎の心をとらえてはいたが、この高熊山での神......世の使命を自覚するようになり、こののち、喜三郎は宗教家としての新しい生活に入ることにな......家としての新しい生活に入ることになった。喜三郎は、自分の体得した信仰を友人や家族に説明......には雑多な神がかりや術者・祈祷者がおり、喜三郎は最初そのようなものの一人とみられていた......や「山子」として不信感をもっていたから、喜三郎がすぐれた霊力をえたことを自己宣伝するだ......能には、鋭い反発を示していたのである。 喜三郎は、このような信仰状況のもとで、活動をは......ぬが君にはその腕があるか」と尋ねたので、喜三郎は「自信がある」と答えた。すると斎藤は、... | 50 |
51 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第4章 >3 幽斎の研究と稲荷講社 | 布教活動と警察の干渉 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 12 件/喜三郎=12 | ... 喜三郎の目的は、精神上の病者を救済することにあ......とにあって、ただの病人相手ではなかった。喜三郎は多数の信者を集めて一つの団体を組織し、......といいだした。 三月下旬のある日の夕方、喜三郎は斎藤と二人づれで宮川の妙霊教会をたずね......諾してくれたので、その晩、月次祭の後で、喜三郎は「惟神の徳性」と題し、「日本臣民として......神社勤務)との交際は久しく絶えていたが、喜三郎は、後年西田が帰幽したとのしらせをうけて......った。この時の教会長は山田といい、副長は喜三郎の叔父佐野清六であった。 喜楽天狗の評判......巡査駐在所も無視することができなくなり、喜三郎の宅をおとずれ尋問した。......喜三郎の意図は、たんなる病気なおしではなく、当... | 51 |
52 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第4章 >3 幽斎の研究と稲荷講社 | 幽斎の修業 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 6 件/喜三郎=6 | ... 喜三郎は深夜家を出て、産土神社に参詣して祈願を......、二週間ばかり滞在して引きあげている。 喜三郎は審神者(神感を審判し神の正邪を見分ける......子は一五、六才が適齢である。最初多田琴(喜三郎を養子に望んだ侠客多田亀の娘、二二才)を......・斎藤たか(静の妹、一二才)・上田ゆき(喜三郎の妹、六才)・上田幸吉(......喜三郎の弟)の八人となった。毎回三〇分ずつ一日......わし、口を切って騒ぎまわる者もできたが、喜三郎は一々審神し、その正邪をみわけた。〔写真... | 52 |
53 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第4章 >3 幽斎の研究と稲荷講社 | 稲荷講社と本田親徳 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 19 件/喜三郎=19 | ... 一八九八(明治三一)年四月初旬、喜三郎は御嶽教太元教会の中教正松山昇のあっせん......役員三矢喜右衛門がたずねてきた。三矢は、喜三郎に稲荷講社に加入するようにとすすめた。三......村の大石友吉に旅費の工面をしてもらった。喜三郎の信者としては、この大石が最初の者だとい......矢の申請により、総本部から四月一五日付で喜三郎に中監督、斎藤仲一に副社長の辞令を下付し......、斎藤仲一に副社長の辞令を下付してきた。喜三郎は講社の主旨には賛成できても、名称につい......業のつもりででかけることにしたのである。喜三郎は留守中を斎藤に託して、四月二八日三矢の......都七条駅から新橋行の列車に乗り込んだが、喜三郎が遠国へ旅行するのも、汽車に乗るのもこれ......いで、幽斎や鎮魂帰神法をおこなっていた。喜三郎がはじめて総本部を訪ねた時、長沢は霊学の... | 53 |
54 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第5章 >1 喜三郎の参綾 | 初参綾への道 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 20 件/喜三郎=20 | ... 一八九八(明治三一)年五月、喜三郎は、第二回の駿河行きをおえて丹波に帰って......矢はその功をほこって、下司熊吉らと結んで喜三郎を排斥しだした。右の支所のうち、亀岡のも......支所は内藤半吾ら有力信者を中心に、ながく喜三郎の活躍の重要な基盤となった。 下司は博奕......銭横領で訴えられようとしているといって、喜三郎に泣きついたりもしていた。そこで、......喜三郎は一頭残っていた精乳館の牛を売って下司を......を失った弟の由松は、いきどおりのあまり、喜三郎の神は「めくら神」とののしって、......喜三郎がまつっていた祭壇をたたきこわしたことも......ていた祭壇をたたきこわしたこともあった。喜三郎の霊力はしだいに認められていったが、気の... | 54 |
55 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第5章 >1 喜三郎の参綾 | 開祖との対面 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 19 件/喜三郎=19 | ...二三日)、綾部の裏町(現在の若松町)で、喜三郎は、はじめて大本開祖とあった。その日の......喜三郎の姿は、陣羽織をきて、口にはおはぐろをぬ......されと申して、それがかかりでありたのざ 喜三郎の初参綾当時、開祖は、金光教側が大本の神......ていたことは事実である。しかし、開祖は、喜三郎のいう稲荷講社の「稲荷」から、この地方に......なわれていた稲荷下げを予想して、最初は、喜三郎にたいしてあまり好意的ではなかったようで......て〟というものであった。これにたいして、喜三郎は〝真心に暫しとどめて奥山のしかと語らむ......係りをしている中村竹蔵らも、若くて有能な喜三郎を排斥しなければ自分らの立場が危うくなる......る。足立と中村は開祖のもとに行き、開祖に喜三郎の追放を願った。しかし、開祖は、金光教側... | 55 |
56 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第5章 >1 喜三郎の参綾 | 霊学指導 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 13 件/喜三郎=13 | ... 綾部から帰ると、喜三郎は、とうぶん園部に落ちつくことにし、黒田......九八(明治三一)年の秋から翌年にかけて、喜三郎はいくつもの教会と憑霊者を訪ね、体験を重......自己の霊力に自信をますます深めていった。喜三郎がおとずれた憑霊者は、稲荷や狸などの単純......霊者は、稲荷や狸などの単純な霊がかりで、喜三郎は容易にその霊を見破った。出向いたところ......さまざまのあやしげな霊術を行なっていた。喜三郎は、これをことごとく見破ってみせたが、低......また、園部の黒田では瑞穂道会をつくって、喜三郎が会長になったが、そこでは横田稲荷の信者......関係である。園部を中心とした、この時期の喜三郎の活動に、もっとも熱心に協力した上仲儀太......度の神学体系と、すぐれた霊力をもっている喜三郎にひきつけられて、霊学会の発展に努力する... | 56 |
57 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第5章 >1 喜三郎の参綾 | 開祖の使者 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 12 件/喜三郎=12 | ...知っている「誠の人」が世界に一人いる、と喜三郎を暗示し、「金光殿の取次えらそうに申して......の動向を察知し、道への確信をいだいていた喜三郎は、園部の黒田から開祖にあてて、はじめて......おるから、よろしくたのむぞよという筆先が喜三郎に送られてきた。開祖の方では、金光教側と......は神さまが許されず、神さまのお示しの上田喜三郎を迎えて警察の許可をもらい、公然と開祖の......とも好まず、どうすれば表へでられるのか、喜三郎の意見をよく聞いておいてほしいとのことで......方平蔵は前もって、お迎えにゆきますからと喜三郎に手紙をだしておいた。七月一日のこと、......喜三郎が園部川で魚とりをしていると、綾部からや......ら綾部の様子や開祖の気持をくわしく聞き、喜三郎は再び綾部にでかけようと決意した。平蔵を... | 57 |
58 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第5章 >2 金明霊学会 | 金明会の発足 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 2 件/喜三郎=2 | ... 上田喜三郎の大本入りにたいしては、金光教の足立はも......命名された。つぎに、開祖を教主とし、上田喜三郎が会長となることに同意をもとめ、数人の役... | 58 |
59 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第5章 >2 金明霊学会 | 十曜の神紋 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 1 件/喜三郎=1 | ...て、さっそくつぎのような筆先がでた。上田喜三郎どの大もうなお世話ようできたぞよ。そなた... | 59 |
60 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第5章 >2 金明霊学会 | 金明霊学会 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 2 件/喜三郎=2 | ...尊の分霊とある)をかかげ、出口開祖・上田喜三郎を中心に、世話係りは、四方・足立をはじめ......、上田会長の霊力に感嘆した。福島は、上田喜三郎にこれまで開祖の審神をたのんでおきながら... | 60 |
61 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第5章 >2 金明霊学会 | 祭典と行事 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 1 件/喜三郎=1 | ...きかのように疑われて苦労した開祖も、上田喜三郎の登場によって、開祖の言動が、偉大なる神... | 61 |
62 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第5章 >3 上谷の修業 | 神々の登場 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 1 件/喜三郎=1 | ...駿河の本部は御手柄いたすぞよ。次には上田喜三郎殿大手柄者だぞよ」(明治32・7・3) ... | 62 |
63 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第5章 >4 上田喜三郎と出口すみの結婚 | 神定の結婚 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 6 件/喜三郎=6 | ...子のおすみどのであるぞよ。因縁ありて上田喜三郎殿はたいもうなご用いたさすぞよ。このおん......治32・旧6・23)これから出口直と上田喜三郎と二人で世のあらためをいたさすぞよ。直と......ぞよ。艮の金神、よろずの神、出口直と上田喜三郎にうつりて参るぞよ。(明治32・旧6・2......祖の提携がここに実現し、開祖をたすけて、喜三郎が宣教に専心することとなったのである。上......本質的基礎がなりたったとしている。 上田喜三郎が大本入りをした意義は、「大本の神」を世......。〔写真〕○左より 出口すみ 開祖 上田喜三郎(結婚のころ) p199... | 63 |
64 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第7章 >2 会長の研鑽と綾部の苦況 | 祭事の継承 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 1 件/喜三郎=1 | ...した大本は、一八九九(明治三二)年、上田喜三郎の大本入りによって、金明霊学会の名のもと... | 64 |
65 | 大本七十年史 上巻 | 第2編 >第1章 >1 大日本修斎会 | 創立の状況 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 1 件/喜三郎=1 | ...、その年一月二五日の御嶽教大本庁から上田喜三郎の名で、吉田竜治郎にあてられた書簡には「... | 65 |
66 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第1章 >1 現界的活動へ | 大祭後の動き | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/喜三郎=1 | ...中義一・頭山満・小川平吉・望月圭介・鈴木喜三郎・平沼騏一郎・勝田主計・阪谷芳郎・久原房... | 66 |
67 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第1章 >2 教線の拡充 | 海外の宣教 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/喜三郎=1 | ...ワワ州バラール市へも宣伝におもむき、山崎喜三郎が入信して支部が設置された。 翌年の一〇... | 67 |
68 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第3章 >2 第一審の公判(京都地方裁判所) | 事実審理 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/喜三郎=1 | ...田啓介・元文相勝田主計・前政友会総裁鈴木喜三郎・元警視総監宮田光雄ら政界大物の証人につ... | 68 |
69 | 東京日日新聞 | 昭和10年12月8日 号外 | 1935刊 | DB・ RMN |
全 1 件/喜三郎=1 | ...長男として明治四年生れで六十五歳本名上田喜三郎、幼少から神童といはれ学校教育も終へずに... | 69 | ||
70 | 開祖伝 | 22 聖師綾部へ | 愛善苑宣教部・編 | 1948刊 | DB・ RMN |
全 2 件/喜三郎=2 | ...誰あろう……出口王仁三郎聖師の前身、上田喜三郎さんでした。この時開祖様は六十三才、聖師......の神示を受けて、決然故郷を出発された上田喜三郎さんでありました。 久子さんはこの人こそ... | 70 | |
71 | 聖師伝 | 1 御誕生 | 大本教学院・編 | 1953刊 | DB・ RMN |
全 3 件/喜三郎=3 | ...一八七一年)旧七月十二日男の子が生まれ、喜三郎と名づけられました。この......喜三郎さんが後の出口王仁三郎聖師であります。 ......れました。御生母は世根子といいました。 喜三郎さんの生まれた明治四年といえば、明治新政... | 71 | |
72 | 聖師伝 | 2 穴太の里 | 大本教学院・編 | 1953刊 | DB・ RMN |
全 1 件/喜三郎=1 | ... 喜三郎さんの生まれた穴太は西国二十一番の観音の... | 72 | |
73 | 聖師伝 | 3 祖父の話 | 大本教学院・編 | 1953刊 | DB・ RMN |
全 2 件/喜三郎=2 | ... 喜三郎さんの祖父・吉松さんは、聖師の誕生後六ヵ......十七日に亡くなられました。その臨終の時、喜三郎さんの御両親を枕辺に招いて次のように遺言... | 73 | |
74 | 聖師伝 | 5 祖父の再生 | 大本教学院・編 | 1953刊 | DB・ RMN |
全 3 件/喜三郎=3 | ... 喜三郎さんは七歳になる頃までは山へ行くにも、川......も遊びに行かなくなったことがありました。喜三郎さんが六歳のとき、過っていろりの火の中に......野路へ捨てる癖がありました。 ところが、喜三郎さんの弟の由松さんが生まれた時に、吉松さ... | 74 | |
75 | 聖師伝 | 6 幼少年時代 | 大本教学院・編 | 1953刊 | DB・ RMN |
全 9 件/喜三郎=9 | ... 喜三郎さんは幼少の頃から「喜三やん」と愛称され......人達もみな驚いたということであります。 喜三郎さんが七歳のとき、父の吉松氏は船岡の産土......は船岡の産土神社の祭礼に参拝するために、喜三郎さんをつれて生家へ帰って行きました。その......の家に立ちより、無病息災のためといって、喜三郎さんの腹部へ十数点の漆をさしてもらいまし......家に生まれたので、言霊学の造詣がふかく、喜三郎さんは十歳ぐらいの時から祖母の口から厳霊......り、発狂人と誤られたこともありました。 喜三郎さんは、少年時代は他の少年らと同じように......たり、相撲をとったりして遊ばれました。 喜三郎さんは十二・三歳の頃から、おぼろげながら......上の児童や百姓や地主から、しいたげられた喜三郎少年の姿は、その「破衣」と題する詩の一節... | 75 | |
76 | 聖師伝 | 7 小学校時代 | 大本教学院・編 | 1953刊 | DB・ RMN |
全 11 件/喜三郎=11 | ... 喜三郎さんが小学校在学中に一つの事件が起りまし......ところ、先生は「タダアイ」と読んだので、喜三郎さんは立って「タダスケです」と注意をされ......されました。先生はききませんでしたので、喜三郎さんはどこまでも「タダスケ」を主張されま......教師に反抗するとは不都合な奴だ」といって喜三郎さんの手首をぬけんばかりに引っぱって行こ......モ少ししらべておき給え」といいました。 喜三郎少年の小さな胸はおさまりましたが、吉田先......はおさまりましたが、吉田先生はそれ以来、喜三郎さんを非常に憎みました。一字でも一句でも......ました。そればかりでなく、乞食が通れば「喜三郎さまのお父さんが通る、お母さんが通る」と......る」と指さし、倒れかかった雪隠があると「喜三郎さまのリッパなお宅だ」と嘲るので、他の生... | 76 | |
77 | 聖師伝 | 8 久兵衛池事件 | 大本教学院・編 | 1953刊 | DB・ RMN |
全 7 件/喜三郎=7 | ... 喜三郎さんは小学校の代用教員を一年ばかり勤めて......人がこれまで七人もこの池で溺死しました。喜三郎さんも七歳のとき誤って落ちこまれ、危いと......て催促して、一泡吹かすのも面白かろう」 喜三郎さんは村人の相談を、別の間で無念をこらえ......間で無念をこらえて聞いておられました。 喜三郎さんは村人たちが酔っぱらって引きあげるの......暇を乞い、家へ帰ろうとされますと、主人が喜三郎さんを自分の部屋へ通して、 「お前はさっ......てやってくれ」ということでありました。 喜三郎少年は一言も発せず、一心に瞑目されながら......寺の広間で村の総寄合が開かれましたので、喜三郎さんは父の代理として出席し、堂々と戦いま... | 77 | |
78 | 聖師伝 | 9 青年時代 | 大本教学院・編 | 1953刊 | DB・ RMN |
全 11 件/喜三郎=11 | ... 喜三郎さんは山で薪を刈り、それを京都市まで荷車......るのですから、その苦労は思いやられます。喜三郎さんは真夜中の道を車を引いて帰られました......が当時を想起して詠まれた歌であります。 喜三郎さんは近所の夜学にかよって漢籍や経文を習......を勉強されたりしました。 十八歳の春から喜三郎さんは村で発行された「あほら誌」という雑......たというのも、この頃のことであります。 喜三郎さんは少年の頃から敬神の念があつく、二十......眼をしのんで毎夜参詣されました。ある夜、喜三郎さんは「われを世に立たせ給え」と祈願をこ......のせがれとして生まれ、貧苦の中に生長した喜三郎さんが青年時代に青年特有の覇気をもたれた......は、むしろ当然であったでありましょう。 喜三郎さんが幼少年の時代から青年時代になっても... | 78 | |
79 | 聖師伝 | 10 獣医学の研究 | 大本教学院・編 | 1953刊 | DB・ RMN |
全 5 件/喜三郎=5 | ...治二十六年七月、二十三歳の時であります。喜三郎さんは園部の従兄で獣医をしている井上直吉......もたれたのも、この頃のことであります。 喜三郎さんは学校教育としては小学校の三年までし......本を離さなかったということであります。 喜三郎さんは獣医学の研究に従事されましたが、明......取場を穴太に設立されることになりました。喜三郎さんは牛を飼うことから搾乳、配達、経営な......あります。 こうした労働生活の中にあった喜三郎青年を、いつも慰めたものは文芸でありまし... | 79 | |
80 | 聖師伝 | 11 父の死 | 大本教学院・編 | 1953刊 | DB・ RMN |
全 11 件/喜三郎=11 | ...力で父の病気を治したいというところから、喜三郎さんは看護のかたわら付近の教会に通われま......護のかたわら付近の教会に通われました。 喜三郎さんは昼のうちは精乳館の仕事に忙殺されて......内の椋の木を薪にしたいから伐ってくれ」と喜三郎さんに頼まれました。 ところが、この椋の......方、すなわち鬼門にあたっていたのですが、喜三郎さんは長い梯子をかけて椋の木の心を伐りは......支えられて落ちつかなかったものですから、喜三郎さんはその引っかかっている椋の木の心へ飛......けれども、例のバクチにふけって、吉松氏や喜三郎兄さんの説諭も馬の耳に風で、少しも聞き入......から、病勢がにわかにつのって参りまして、喜三郎さんの六ヵ月にわたる手篤い看護も甲斐なく......日五十四歳で亡くなられてしまいました。 喜三郎さんはこの時ほど力をおとされたことはあり... | 80 | |
81 | 聖師伝 | 12 青年時代の煩悶 | 大本教学院・編 | 1953刊 | DB・ RMN |
全 6 件/喜三郎=6 | ... 喜三郎さんは青年時代には誰にもあり勝ちな思想動......た。 富者を見ても、貧者を見ても、当時の喜三郎さんの胸には常に一つの疑問が去来しました......なのであろうか。──こうした疑問が絶えず喜三郎青年の胸中に去来していたのでありました。......もなかったのであります。今日であったら、喜三郎さんは左翼の運動にでも走りかねまじき疑惑......は村の風紀を乱したりすることがあります。喜三郎さんは父吉松氏の死後一ヵ年の間に、そうし......されたり、喧嘩の仲裁をされたりしました。喜三郎さんの度胸がいいのをみて、ある侠客は自分... | 81 | |
82 | 聖師伝 | 13 高熊山出修の動機 | 大本教学院・編 | 1953刊 | DB・ RMN |
全 14 件/喜三郎=14 | ... 明治三十一年喜三郎さんが二十八歳の時であります。旧二月八日......内で浄瑠璃の温習会がひらかれましたので、喜三郎さんも参加し、裃をつけて絵本太功記尼ヶ崎......智光秀……」とやっておられますと、かねて喜三郎さんに恨みをもっていた宮相撲取りの若錦を......モ侠客が数名、いきない高座へ飛び上って、喜三郎さんを引きずり出し、附近の桑畑へかつぎ行......らフクロたたきの目にあわせました。そこへ喜三郎さんの友達の勝公が二三人の手下をつれて来......えられ、頭に血を出して帰って来ました。 喜三郎さんはその夜、郷神社前の喜楽亭という小さ......夜具をかぶって寝ておられました。 そこへ喜三郎さんの名を呼びながら、御生母があわただし......と、他人さんの子を恨んでおられました。 喜三郎さんはこれを聞かれると、気の毒でたまらな... | 82 | |
83 | 聖師伝 | 14 高熊山の修行 | 大本教学院・編 | 1953刊 | DB・ RMN |
全 2 件/喜三郎=2 | ...間にわたって行われたもので、この修行中に喜三郎さんは天眼通、天耳通、自他心通、天言通、......とごとく知ることが出来たのであります。 喜三郎さんの破天荒な修行中の状況は、聖師の著、... | 83 | |
84 | 聖師伝 | 15 使命の自覚 | 大本教学院・編 | 1953刊 | DB・ RMN |
全 8 件/喜三郎=8 | ... 喜三郎さんの肉体は、高熊山の巌窟の上に端坐して......一週間にわたって行われたのでありまして、喜三郎さんは、はじめて自己の救世の使命を自覚さ......の使命を自覚されたのであります。この時、喜三郎さんが神使より受けた教訓は大略左の通りで......必要な修業時代だ」 二月十五日の正午前、喜三郎さんは帰宅されました。 家族の者はもちろ......内近所の人々は大騒ぎをしていたところへ、喜三郎さんがひょっこり戻って来られたものですか......唐がらしと青松葉をくすべて、煙をウチワで喜三郎さんの鼻の穴へあおぎこもうとしたときに、......とをしないで」と泣いてとめられました。 喜三郎さんは母の眼から涙が自分の顔の上に落ちた......した状態が一週間つづき、その間に、やはり喜三郎さんの霊魂は霊界を逍遥されたのであります... | 84 | |
85 | 聖師伝 | 16 幽斎の修業 | 大本教学院・編 | 1953刊 | DB・ RMN |
全 12 件/喜三郎=12 | ...師の生涯における一大転換期でありました。喜三郎さんはこれまでの牧畜場その他の仕事を一さ......解をして、奥座敷を貸してくれましたので、喜三郎さんは幽斎の修行と病気の心霊治療を始めら......沢先生との面会をしきりにすすめましたが、喜三郎さんは稲荷講社という名称について、いささ......りました。 しかし、霊学の大家だと聞いて喜三郎さんは大いに心を動かされ、四月十三日出発......れて長沢翁を訪問されることになりました。喜三郎さんは京都まで徒歩し、生まれて初めて汽車......した。 翁の母堂に豊子という方があって、喜三郎さんにむかい、「お前さんは丹波から来られ......シ布教をしなされ」と二つの神器を出して、喜三郎さんに与え、また神伝秘書の巻物まで渡され......また神伝秘書の巻物まで渡されましたので、喜三郎さんは非常に喜ばれました。かつ、これまで... | 85 | |
86 | 聖師伝 | 17 開祖との会見 | 大本教学院・編 | 1953刊 | DB・ RMN |
全 7 件/喜三郎=7 | ...治三十一年の旧六月に入ったある日のこと、喜三郎さんが産土神社に参拝された時、左の神示に......こを立って園部の方へ向って行け」 ここに喜三郎さんは故郷を後に出発されました。旧六月の......した。旧六月の暑い日のことであります。 喜三郎さんは山陰道の八木の虎天堰というところの......軒の茶店に休まれました。茶店の女主人は、喜三郎さんにむかって 「あなたは何をなさる方で......なたは何をなさる方ですか」と尋ねますと、喜三郎さんは 「私は神さまを調べる役だ」と答え......バラバラの一枚書きの筆先でありました。 喜三郎さんはこれを手にとって御覧になりますと、......三女・福島久子さんだったのであります。 喜三郎さんは久子さんと約束をして八木を立ち去り... | 86 | |
87 | 聖師伝 | 18 聖師の大本入り | 大本教学院・編 | 1953刊 | DB・ RMN |
全 1 件/喜三郎=1 | ...が去られてから、自分の待っていたのは上田喜三郎であるという意味のことが、筆先にしきりに... | 87 | |
88 | 聖師伝 | 【附録】 出口王仁三郎聖師年譜 | 大本教学院・編 | 1953刊 | DB・ RMN |
全 1 件/喜三郎=1 | ...家・上田吉松の長男として生まれる。幼名・喜三郎。●明治13年(1880年)10歳 偕行小学校に入... | 88 | |
89 | 二名日記 | 5月26日 於道後鮒屋 | 月の家(出口王仁三郎) | 1928刊 | DB・ RMN |
全 1 件/喜三郎=1 | ...為さずば又も政局乱れむ。今代の政治は腕の喜三郎氏数多出でずば治まり難し。一月の間にも政... | 89 | |
90 | 故山の夢 | 逃牛 | 出口王仁三郎 | DB・ RMN |
全 1 件/喜三郎=1 | ...ふ安養亭に逃げ入りにけり惟平翁驚きたまひ喜三郎何して来たか顔が青いと宣らす今日の日のあ... | 90 | ||
91 | 青嵐 | 祖母 | 出口王仁三郎 | DB・ RMN |
全 1 件/喜三郎=1 | ...をみながら母上は祖母の看護にやつれ給ひぬ喜三郎かへりましたと耳もとにわが母上はささやき... | 91 | ||
92 | 浪の音 | 故山に帰る | 出口王仁三郎 | DB・ RMN |
全 1 件/喜三郎=1 | ...に相むかひひそかに生活状態を問はせ給ひぬ喜三郎は難儀をしてはゐませぬかとひそびそ木下に... | 92 | ||
93 | 浪の音 | 穴太へ帰る | 出口王仁三郎 | DB・ RMN |
全 1 件/喜三郎=1 | ...を寄せ呼はれば祖母は細き目開きて笑ませり喜三郎よく帰りしと力無き祖母の言葉に涙くづるる... | 93 | ||
94 | 百千鳥 | 改名 | 出口王仁三郎 | DB・ RMN |
全 2 件/喜三郎=2 | ...曽我部役場に書き直さしむ故郷の穴太に上田喜三郎なる青年が住まひゐたりき故郷の......喜三郎氏にかけ合ひて同姓同名なればと届けし漸く... | 94 | ||
95 | その他 | 明治期年表 | DB・ RMN |
全 4 件/喜三郎=4 | ...吉松・上田世祢の長男として出生。本名上田喜三郎1871年 明治4年 1歳 12月 祖父......9歳 7月 出口直の命を受け、四方平蔵が喜三郎を迎えにくる1899年 明治32年 29......899年 明治32年 29歳 7月3日 喜三郎綾部入り。ただちに金明会を結成1899年......99年 明治32年 29歳 7月 筆先に喜三郎を世継とすると出る1899年 明治32年... | 95 |