番号 | 文献名1 | 文献名2 | 文献名3 | 著者 | 発表年 | 詳細 | 本文内のヒット件数 | プレビュー(最大 8 件まで表示) | 番号 |
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1 | 三鏡 | 月鏡 | 三子の命名(1) | 出口王仁三郎 | DB・ RMN |
全 1 件/寿賀麿=1 | ...の生れ替はりだからさう名づけたのである。寿賀麿は寿賀の宮即ち神素盞嗚尊が、櫛稲田姫と住... | 1 | |
2 | 三鏡 | 玉鏡 | 月宮殿の仁王様 | 出口王仁三郎 | DB・ RMN |
全 2 件/寿賀麿=2 | ...来たいと願つて居たので、偶々熊本に行つた寿賀麿にかかつたものだから、彼は長い間病気にな......た。願ひ叶つて天恩郷に来る事になつてから寿賀麿の病気はケロリと癒つて仕舞つた。熊本に居... | 2 | |
3 | 故山の夢 | 跋文 | 出口寿賀麿 | DB・ RMN |
全 1 件/寿賀麿=1 | ... 梅雨明けやらぬ東京にて 出口寿賀麿... | 3 | ||
4 | 大本史料集成 2 >第2部 昭和期の運動 | 第1章 運動の概要 >第2節 運動の情況 | みろく大祭報告並びに概況 概況 | 1982刊 | DB・ RMN |
全 6 件/寿賀麿=6 | ...あつた。 聖師様二代様、三代様日出麿様、寿賀麿様御夫婦、宇知麿様御夫婦、尚江様、住之江......時三十分頃二代様を始め、三代様日出麿様、寿賀麿様御夫婦、宇知麿様御夫婦、尚江様、住之江......り、二代様には大大根と頭薯を、日出麿様、寿賀麿様、宇知麿様に大根と頭薯を、前記十四名の......は白装束を召されて午後三時十分日出麿様、寿賀麿様、宇知麿様、八重野様、尚江様、住之江様......なし。 礼拝後聖師様、二代様、日出麿様、寿賀麿様、宇知麿様には御供ヘの菓子果物を参拝者......にて}点の雲影もない。二代様、日出麿様、寿賀麿様、宇知麿様には十時前自動車にて御到着。... | 4 | |
5 | 大本史料集成 2 >第2部 昭和期の運動 | 第2章 昭和神聖運動 >第2節 昭和青年誌(抄) | 聖師更生祭 歓呼祝呼に充たされた四日間 | 1982刊 | DB・ RMN |
全 1 件/寿賀麿=1 | ...が吾が天下ととびまわられる。泣き出される寿賀麿師令嬢、操様。三代に亘る縮図の交錯する至... | 5 | |
6 | 大本史料集成 3 >第2部 第二次事件関係 | 第2章 裁判所資料 >第2節 地裁公判速記録(出口王仁三郎) | 地裁公判速記録(7) | 1985刊 | DB・ RMN |
全 2 件/寿賀麿=2 | ...てあるが、聖師様は午後四時四十分着列車で寿賀麿様、宇智麿様、八重野様、御帰還と書いてあ......」と書いてあるがね。 三日の午後宇智麿、寿賀麿、八重野を連れて亀岡から帰つたやうになつ... | 6 | |
7 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第1章 >1 現界的活動へ | みろく大祭 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 2 件/寿賀麿=2 | ...主出口すみ子・三代直日・日出麿をはじめ、寿賀麿(遙)・宇知麿(宇知丸)の各夫妻・尚江・......二代教主には大きな大根と頭薯を、日出麿・寿賀麿・宇知麿にはそれぞれ大根と頭薯をわたし、... | 7 |
8 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第1章 >1 現界的活動へ | 大祭後の動き | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/寿賀麿=1 | ...暁の明星石を大国以都雄、宵の明星石を出口寿賀麿が捧持して月宮殿に入殿し、遷座鎮祭の式を... | 8 |
9 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第1章 >3 教団発展への動き | 宗教と芸術 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/寿賀麿=1 | ...和三年の一一月一六日には、明光社長に出口寿賀麿(秋の家玲月)が任命され、副社長には井上... | 9 |
10 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第4章 >1 巡教 | 聖師の巡教と歌碑 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 5 件/寿賀麿=5 | ...)年一〇月一日に聖師は二代教主とともに、寿賀麿・岩田久太郎を随行として山形県飽海郡西遊......一三日には、聖師は高木鉄男・平松福三郎・寿賀麿を随行として四国にわたり、一四日に愛媛県......たえる。一七日には北陸巡教のため、岩田・寿賀麿を随行として出発、金沢の金城分院にはいっ......にのぞんだ。同月二五日、松江の島根別院に寿賀麿・藤原勇造を随行として巡教した。二六日に......かえて天恩郷に帰着した。一九日には聖師は寿賀麿・岩田・加藤を随行として長沢夫妻一行六人... | 10 |
11 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第4章 >3 教勢の拡大 | 諸団体の活動 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/寿賀麿=1 | ...明光」の内容が一段と充実した。八月五日、寿賀麿にかわって大国以都雄が社長に、次長に井上... | 11 |
12 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第4章 >3 教勢の拡大 | 海外での発展 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 2 件/寿賀麿=2 | ...は八月綾部へひきあげた。そして一〇月には寿賀麿が渡満して宣教をかね、明光運動を展開した......れ、北村隆光が責任者となった。二三日には寿賀麿が来津し、北京方面への巡教もおこなわれ、... | 12 |
13 | 東京朝日新聞 | 昭和10年12月8日 号外 | 1935刊 | DB・ RMN |
全 1 件/寿賀麿=1 | ...達と落つきはらつた出口王仁三郎氏次女出口寿賀麿妻うめのさん(32)が留守をしてゐるが何も... | 13 | ||
14 | 座談会 | 出口王仁三郎聖師と出口日出麿師を囲む座談会 第一夜 第三回 国家の将来 | 1931刊 | DB・ RMN |
全 1 件/寿賀麿=1 | ...終わりました。八月号には改めて、聖師様と寿賀麿様を囲んでの座談会の記事が続いて連載され... | 14 | ||
15 | 座談会 | 出口王仁三郎聖師と出口寿賀麿氏を囲む座談会 第二夜(一) | 1931刊 | DB・ RMN |
全 5 件/寿賀麿=5 | ...【出席者】出口王仁三郎聖師出口寿賀麿師本誌側……井上荘三郎 中井勤 岡村祥三......の夜、前回に残された問題を提げて、今度は寿賀麿師の御出席を得て座談会を続けた。聖師は御......日の主人公、聖師が入って来られた。続いて寿賀麿師のスマートな姿が見える。「ドッコイショ......考えもんやね。俺は同情するよ』(笑声)【寿賀麿師】 『本当の不良少年や少女という者は形......って来いやが…………』 ……大笑い……【寿賀麿師】 『僕なら気が遠くなりますなア』 …... | 15 | ||
16 | 座談会 | 出口王仁三郎聖師と出口寿賀麿氏を囲む座談会 第二夜(二) | 1931刊 | DB・ RMN |
全 4 件/寿賀麿=4 | ...そういう時に無理に拝んでもあかんわい』【寿賀麿師】 『そんな時は神様を拝んでいても、あ......な、みな忘れて死んでしまう事とは違う』【寿賀麿師】 『神様を拝みながらいろいろ思い出し......や』【林】 『それで安心した』(笑声)【寿賀麿師】 『それで思い出しましたが、綾部の祭......を償うだけの事をせな許されないものや』【寿賀麿師】 『無二の親友になるという事と、以前... | 16 | ||
17 | 座談会 | 出口王仁三郎聖師と出口寿賀麿氏を囲む座談会 第二夜(三) | 1931刊 | DB・ RMN |
全 4 件/寿賀麿=4 | ...思います』【聖師】 『ハハヽヽヽヽヽ』【寿賀麿師】 『戦争なども公憤の一つだから、いく......それで人を殺しても恨まれへんがな……』【寿賀麿師】 『戦に行っては正当防衛なんですか、......』【林】 『橘左近は大石当時の方です』【寿賀麿師】 『島と違いますか、左近という名でし......そこで大将同志が果たし合いをやるんや』【寿賀麿師】 『こんな面白い話があります。信玄が... | 17 | ||
18 | 座談会 | 出口王仁三郎聖師と出口寿賀麿氏を囲む座談会 第二夜(四) | 1931刊 | DB・ RMN |
全 3 件/寿賀麿=3 | ...れを略してカマというようになったのや』【寿賀麿師】 『オカマを掘ると言いますなア』【聖......その方面では徳川家綱なんて有名やがな』【寿賀麿師】 『女を小姓に化けさして無理にやらし......ていないのは恥だ、くらいだったがなア』【寿賀麿師】 『綾部あたりでも、あそこの娘は固う... | 18 | ||
19 | 座談会 | 出口王仁三郎聖師と出口寿賀麿氏を囲む座談会 第二夜(五) | 1931刊 | DB・ RMN |
全 0 件/寿賀麿=0 | 19 | |||
20 | 座談会 | 出口王仁三郎聖師と出口寿賀麿氏を囲む座談会 第二夜(六) | 1931刊 | DB・ RMN |
全 9 件/寿賀麿=9 | ...だけで、他の仕事が出来るから同じ事や』【寿賀麿師】 『今はそういう無駄な事に使う時間が......当の自然の教育にしたら人間が良くなる』【寿賀麿師】 『軍備撤廃も世界各国がみな一緒にや......ようにさえすれば、いくらでもあるわい』【寿賀麿師】 『古ある大名が子供の持ってた、こん......二つ米粒二つか御神体として祭ってある』【寿賀麿師】 『はじめて葦原の中津国に米を降ろさ......無ければ失業者救済は出来ないのですね』【寿賀麿師】 『仕事のないって奴は随分困りますね......は、そうなると食に米なく困ったのやね』【寿賀麿師】 『北海道はとても素晴らしい沃野なん......ら草も何も一緒に石炭になっているのや』【寿賀麿師】 『あの泥炭などでも日が経つとピカピ......或いは痛烈なる○○を与えられ、日出麿氏、寿賀麿氏は特に今回が初めてである自画像まで御描... | 20 |