番号 | 文献名1 | 文献名2 | 文献名3 | 著者 | 発表年 | 詳細 | 本文内のヒット件数 | プレビュー(最大 8 件まで表示) | 番号 |
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2001 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第2章 >2 あらたな胎動 | エスペラントとローマ字の採用 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 8 件/歌=8 | ...州の杖立温泉に滞在中、「記憶便法エス和作歌辞典」(大正13・2・4)の底本となった......4)の底本となった「記憶便法英西米蘭統作歌集」をつくりあげた。この作......歌集はわずか四日間でつくりあげたもので、「......ので、「只心に記憶し易からしめんために和歌の調などは省みず口から出任せに喋りおく」......王仁三郎らしい、人間性のあふれた奔放な作歌辞典である。その若干例をあげるとつぎのよ......寸マテーノ たくみな笑いをふくんだこの作歌集は、エスペラントにたいする王仁三郎のな......たり、ローマ字研究のため、百人一首の替え歌をつくって、ローマ字でそれを「明光」(大......ン卜講習会の参加者 p697○記憶便法エス和歌辞典 p698○エスペラント劇もさかんにおこ... | 2001 |
2002 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第2章 >2 あらたな胎動 | 新機運の動向 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 6 件/歌=6 | ...に滞在し、入湯のかたわらエスペラントの作歌集をつくったことは前述したとおりであるが......王仁三郎はいたるところで揮毫をなし、また歌をいろいろと詠んだが、それらの......歌は「西遊雑詠」として「神の国」に連載され......産としてもちかえった竹の杓子一六〇本に、歌をしたため、自署し拇印をおして役員・信者...... p705○一九二二─大正一一年から神劇・宣歌の合唱がはじまった(上)少女による宣伝......歌合唱(中)大正日日新聞の檄文(下)神劇─... | 2002 |
2003 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第3章 >2 満蒙をめぐる政治情勢 | 下工作 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 1 件/歌=1 | ...星の胡麻かけ喰ふ王仁口」という王仁三郎の歌を矢野宅でみて、おおいに共鳴したという。... | 2003 |
2004 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第3章 >3 王仁三郎一行の足どり | 奉天での準備 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 2 件/歌=2 | ...)軍兵をあつめるには、綏遠ほか三特別区の哥老会楊成業にあたること。(五)軍旗、司令......奉直戦のときに奉天軍閥に参加した宗社党(哥老会)の残党であり、いまは直隷軍閥正規軍... | 2004 |
2005 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第3章 >3 王仁三郎一行の足どり | 蒙古へ出発 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 1 件/歌=1 | ...てきた。 王仁三郎はこの夜から、「和蒙作歌辞典」の著述をはじめた。また周囲の蒙古人... | 2005 |
2006 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第3章 >3 王仁三郎一行の足どり | 索倫山 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 1 件/歌=1 | ...すでに、一一日に王仁三郎によってよまれた歌には、官兵の出馬と聞いて我同志索倫入りに... | 2006 |
2007 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第3章 >3 王仁三郎一行の足どり | パインタラ事件 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 1 件/歌=1 | ... このとき王仁三郎は、つぎのような辞世の歌をよんだという。身はたとへ蒙古の野辺にさ... | 2007 |
2008 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第3章 >4 入蒙の影響 | 社会的反響 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 1 件/歌=1 | ...解けにけりみろく三会の神音のひびきに」と歌が附記されていた。そこで指示のとおりに、... | 2008 |
2009 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第4章 >1 各宗教との提携 | 普天教と回教徒との関係 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 1 件/歌=1 | ...いし洮南で、大正一三年三月一八日よまれた歌に〝スサノヲの神の踏みてし足跡を辿りて世... | 2009 |
2010 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第4章 >2 人類愛善会の創立 | 規約改正と組織・活動 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 1 件/歌=1 | ...ここに「人類愛善会」と題された王仁三郎の歌を紹介しておこう。天の下四方の民草おしな... | 2010 |
2011 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第4章 >3 海外への発展 | 宣伝使の欧州派遣 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 1 件/歌=1 | ...待されている。出口王仁三郎著の『エス和作歌辞典』もすこぶる好評であって、各国の代表... | 2011 |
2012 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第4章 >4 あらたな建設譜 | 暁天の機運 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 7 件/歌=7 | ...ろこびにみちあふれた。聖師の開窟をいわう歌句集『暁天』(和......歌・俳句・冠句・漢詩・雑......歌)が湯川貫一ほかの選者によってえらばれた......日から朝夕の神前礼拝に、祝詞奏上後、讃美歌(神......歌)をとなえるなどのあらたな要素がくわえら......要素がくわえられていたが、また『大本宣伝歌集』(『霊界物語』より抜萃、四六判二五〇......行されて、諸種の会合や宣伝にさいし、宣伝歌の朗誦や合唱がさかんにおこなわれるように... | 2012 |
2013 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第1章 >1 現界的活動へ | みろく大祭 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 5 件/歌=5 | ...した。また宗教と芸術の一致をとなえて、和歌・冠句・俳句などの文芸活動をおこした。そ......る年である」とのべ、さらに三月三日には『歌日記』に、〝今日こそは五十六年七ヶ月五六......あけはなれ みろく三会の暁きよし〟という歌の朗詠がなされた。ついで聖師は手ずから神......する意味をもふくんでいる。 三月三日の『歌日記』によると、〝一切の教務を神に奉還し......め誠を尽して進みこそすれ〟と、六月一日の歌日記にも記されていた。 だか、その期待は... | 2013 |
2014 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第1章 >1 現界的活動へ | 大祭後の動き | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/歌=1 | ...ら約一ヵ年の歳月がついやされた。 聖師の歌には、〝霊界の姿をそのまま築きたる月宮殿... | 2014 |
2015 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第1章 >1 現界的活動へ | 聖師巡教の旅へ | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 5 件/歌=5 | ...・半紙画五〇枚が染筆されたほか、明光社の歌句の選もなされた。聖師は旅のさなか「見た......でも、いつも万年筆を手にして、つぎつぎに歌日記がつづられていった。四国巡教の......歌日記は二〇〇〇首にもおよんでいる。これは......一一月七日に綾部に帰着した。このたびの『歌日記』はつぎつぎに『東北日記』(全八巻)......におもむいて、二一日に帰綾した。 聖師の歌に、一九二八(昭和三)年の暮、〝琉球の島... | 2015 |
2016 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第1章 >2 教線の拡充 | 巡教活動 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/歌=1 | ...四月一三日には、別院建設敷地検分のため和歌山比井分所へ、三月二八日から四月一一日ま... | 2016 |
2017 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第1章 >2 教線の拡充 | 満州巡教と世界紅卍字会 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 3 件/歌=3 | ...、にぎにぎしく歓迎された。安東道院では道歌で迎えられ、さらに市長はじめ中国側有力者......一行は瀋陽道院へも参拝した。ここでも歓迎歌がつくらて歓迎の意があらわされ、面会者が......二月中旬には紀伊別院開院式にのぞんで、和歌山県下の各分所・支部を巡教した。 島根で... | 2017 |
2018 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第1章 >2 教線の拡充 | 海外の宣教 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/歌=1 | ...物とせず進みて行かな宣伝の旅〟など六首の歌をおくってその労と功をたたえた。 ブラジ... | 2018 |
2019 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第1章 >3 教団発展への動き | 宗教と芸術 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 43 件/歌=43 | ...がいであった。 聖師は青年のころから、狂歌・狂句・冠句・川柳などに趣味をもち、さら......に趣味をもち、さらに岡田惟平に師事して和歌の素養もふかかったし、浄瑠璃や浄瑠璃くず......のような文体で口述されたり、そのなかに長歌や短......歌がかなり多く、また『霊界物語』を朗読させ......つくられはじめた。四月からは日記がすべて歌でよまれることになり、「真如の光」に毎号......日には、聖師の提唱によって月光会という和歌と冠句の会がつくられ、月刊誌として「月光......よって信者の文芸的情操をそだて、冠句・和歌の入選者には、聖師から自筆の色紙や短冊が......閑坊喜楽宗匠)の選となっている。その後和歌については月明会がつくられ、第一回は「海... | 2019 |
2020 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第1章 >3 教団発展への動き | 本部の体制 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 6 件/歌=6 | ...り、「天恩郷だより」をのせたり、聖師の作歌や『霊界物語』の一部を連載して、宣教の一......四月に第七二巻までの出版をおわっている。歌日記は『二名日記』全一巻・『東北日記』全......一〇巻・『更生日記』七巻までが刊行され、歌集としては『花明山』・『彗星』・『故山の......、『道の大本』、『裏の神諭』、『大本讃美歌』、『祝詞略解』、『霊の礎』、『水鏡』、......二七(昭和二)年四月から礼拝のおりに讃美歌(神......歌)を奉唱することにさだめられ、一〇月から... | 2020 |
2021 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第1章 >3 教団発展への動き | 梅花運動 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/歌=1 | ...毎日夕拝後拝読するよう指示した。なお宣伝歌や自由節などをレコードに吹きこんで頒布し... | 2021 |
2022 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第2章 >1 満州事変と大本 | 人類愛善と青年の動き | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/歌=1 | ...」(今東光)のような論文もあれば、創作詩歌や「文壇内輪話」のようなものもあって、当... | 2022 |
2023 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第2章 >1 満州事変と大本 | 桶伏山の建碑 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 4 件/歌=4 | ...に朽るともやまと男の子の品は落さじ〟の和歌二首がきざまれた。二首のうちのまえの一首......ンタラにおいて死線に直面したときの辞世の歌である。 教旨のきざまれている教碑は、一......のまま伏せておかれたものである。神声碑と歌碑は一九三一(昭和六)年の八月八日から、......本宮山の碑 右は教碑 中央は神声碑 左は歌碑 綾部 p95... | 2023 |
2024 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第2章 >1 満州事変と大本 | 大本本部の指導態度 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 2 件/歌=2 | ...がっていたので、大祭を期しておこなわれた歌句などの応募は、きわめて多数にのぼり、秀......礎となるが故なのでありまして、聖師様の御歌にも〝満蒙の今日のありさま前知してわれは... | 2024 |
2025 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第2章 >1 満州事変と大本 | 昭和青年会の改組 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 2 件/歌=2 | ...はお筆先にも出ておりますが、愈々『瑞能神歌』に私か......歌つておいたことが実現する時期になつたので... | 2025 |
2026 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第2章 >1 満州事変と大本 | 一九三一年(いくさのはじめ) | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 4 件/歌=4 | ...には信じられていた。そしてそれは『瑞能神歌』に示されている状態へ発展していくと確信......。そのような状況を迎えて大本では『瑞能神歌』を再発刊した。その内容には「……シベリ......に当局の忌諱にふれることになり、『瑞能神歌』は一九三二(昭和七)年二月一日発売禁止......て活動するようになった。〔写真〕○瑞能神歌 p116... | 2026 |
2027 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第2章 >2 皇道運動と大本 | 非常時と愛国運動 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/歌=1 | ...す」。 この訓話のなかに信者は、『瑞能神歌』に示されてあった立替えの本舞台、日本対... | 2027 |
2028 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第2章 >2 皇道運動と大本 | 『天祥地瑞』の口述 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 9 件/歌=9 | ... 筆録者は、明光社員のなかから選ばれ、和歌に心得のあった人が筆記にあたった。その口......瑞』の表現は、「言霊解」による文章と、長歌形式のものと、大部分は三十一文字による和......形式のものと、大部分は三十一文字による和歌の形式であり、連......歌体や、問答体の和......歌で、人格的な神になぞらえて物語りの形式に......の形式に表現されている。したがって多少和歌の心得がないと言葉のあやなどがわからない......いところがある。しかし拝読すれば流麗な和歌のリズムが和やかに美しい情景を描きだし、......なっている。すべて愛善と信真にもとづく和歌の問答は、すみきったものであって、読むも... | 2028 |
2029 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第2章 >2 皇道運動と大本 | 挙国更生運動 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/歌=1 | ...る在郷軍人有志の要請にこたえて、『瑞能神歌』のなかの「よき支那物を奪はんとする英米... | 2029 |
2030 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第2章 >2 皇道運動と大本 | 昭和青年会と防空運動 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/歌=1 | ...と称へしは、昔の夢となりにけり……」の神歌に想いをはせて、昭和青年会は防空思想の喚... | 2030 |
2031 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第2章 >2 皇道運動と大本 | 諸運動の展開 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/歌=1 | ...起に大いに作用するところがあった。聖師の歌に、〝今日の世界の窮状前知して説き来りけ... | 2031 |
2032 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第2章 >2 皇道運動と大本 | 内外多事 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 7 件/歌=7 | ...郷の東光苑北側に南面して建てられた教碑・歌碑三基の除幕式がおこなわれた。碑文は聖師......に万代を教ふ〟ときざまれ、教碑の文は追懐歌で、右側に〝いとけなき頃は雲間に天主閣白......城のかたちを造りて遊びぬ〟とあり、左側の歌碑には、〝玉の井の池に湧き立つ真清水は美......また、天恩郷月照山麓にたてられた前田夕暮歌碑の除幕式も同時におこなわれ、これらの除......除幕式は本部・明光社関係者をはじめ多くの歌人が参列して、盛大に挙行された。 一一月......転車隊の活躍もめざましかった p152○東光歌碑 中央は教碑 左右は懐古......歌碑 亀岡天恩郷 p153... | 2032 |
2033 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第3章 | 創立にいたるまで | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 2 件/歌=2 | ...図にそう構想のねりなおしをした。 聖師の歌に、〝偉大なる民間有志の現はれてこの難局......別院 p166○世をうれいてよまれた出口聖師歌 p167... | 2033 |
2034 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第3章 | 声明・主義・綱領 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/歌=1 | ...勝彦、外務省嘱託細野軍治、文士倉田百三、歌人前田夕暮、評論家高田末吉、実業家喜谷市... | 2034 |
2035 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第3章 | 地方組織の拡大 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 2 件/歌=2 | ...津支部(公会堂)・一七日紀州地方本部(和歌山市公会堂)・一八日西牟婁支部(田辺町公......巻小学校講堂)・五日奥羽地方本部(青森市歌舞伎座)・六日弘前支部(公会堂)・八日山... | 2035 |
2036 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第3章 | 内外の反響 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/歌=1 | ...青年会の号令をかけての敬礼や、信者の宣伝歌合唱を嫌がること甚だしく、みんなに声を加... | 2036 |
2037 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第3章 | 指導精神の統一 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/歌=1 | ...を圧倒し、熱誠始めて能く人を化すべし、凱歌常に揚る神護の中、善戦宇宙の究極を清めん... | 2037 |
2038 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第3章 | 創立一周年 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 2 件/歌=2 | ...移入者は一木喜徳郎博士であつた。それを謳歌しそれを祖述したものが即ち美濃部達吉博士......やすむまもなくつづけられた。二月一〇日和歌山県勝浦をかわきりとして、一一日木本・一... | 2038 |
2039 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第4章 >1 巡教 | 聖師の巡教と歌碑 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 104 件/歌=104 | ...日に東北別院にはいり、秋季大祭につづいて歌碑完成式がおこなわれた。......歌碑には、〝北海の旅路遙けしわれは今出羽の......野の雨聴きてをり〟とうたわれてあり、神声歌碑と命名された。 そのとき聖師は「神代の......た涙ぐましい縁の深いところで……北海道の歌碑はすでにできあがり、宮原山の......歌碑が最近できあがるので、いよいよ両......歌碑を結びつけるここの......歌碑を開くためにわざわざ出て来た。......歌碑の歌は私のよんだ歌でなく神様の歌である... | 2039 |
2040 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第4章 >1 巡教 | 日出麿師の宣教と教化 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 4 件/歌=4 | ...まで別院で講話がなされた。五日聖師の神生歌碑除幕式には直日夫人と列席した。一一日か......九日には喜界島の宮原山にたてられた聖師の歌碑除幕式に参列し、帰途種子島や鹿児島・熊......まで名古屋へ、同月一八日から二五日まで和歌山県下を、ついで四月二三日から二六日まで......日には大分県速見郡中山香村にたちより聖師歌碑の除幕式に臨席している。 一一月九日に... | 2040 |
2041 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第4章 >2 教団の充実 | 本部での動き | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 2 件/歌=2 | ...大学則・四大綱領・四大主義、裏には聖師の歌が、昭和一〇年にきざまれてたてるところま......座、信仰座談会、祭式講習会、弁論大会、和歌・冠句の会、エスペラントとローマ字の講習... | 2041 |
2042 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第4章 >2 教団の充実 | 神苑の造営と祭事 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/歌=1 | ...芸術会館にすることになり、常時神劇・神聖歌劇や映画が上演でき、また各種会合にも使用... | 2042 |
2043 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第4章 >2 教団の充実 | 文書宣伝 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 22 件/歌=22 | ...物語編上・霊界物語編下・言霊解・入蒙記・歌集・我が半生の記)、王仁文庫(皇道我観・......)、王仁文庫(皇道我観・国教論集・瑞能神歌・記紀真解・道の大原・多満の礎・記紀真釈......・五色草・随感録・皇道大意・記紀解説)、歌集(花明山・彗星・故山の夢・霞の奥・東の......白童子・青嵐・公孫樹・浪の音・山と海)、歌日記(二名日記一巻・東北日記八巻・日月日......鏡)、霊の礎、道の茱、道の大本、大本宣伝歌、祝詞略解、惟神の道、エス和作......歌辞典○ 出口日出麿著─ひとかかし、信仰雑......道大本祭式、善言美詞、おかげばなし、讃美歌、大本略史、大本開祖伝、大本の出現とその......真大観、王仁書画集、大本の面影、出口総裁歌碑集(一)、天恩郷修行記念写真集、かるた... | 2043 |
2044 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第4章 >2 教団の充実 | 二代教主と鶴山織 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 19 件/歌=19 | ...死にするのやないかと思ふわ。この間こんな歌が出来たんや……夜も昼もわが魂は鶴山の織......は鶴山の織り行く錦の中にすむなり……この歌の通りやね。私はこれさへしとつたらええの......いた。一九三〇(昭和五)年に綾部を訪れた歌人の前田夕暮は、当時の三代直日を評して「......助につくすとともに、つとにはじめていた短歌・茶道・謡曲・八雲琴や書道・染織工芸など......統芸術に精進してひたむきであった。ことに歌の道は、梅田信之のあたえた『歴代御製集』......之のあたえた『歴代御製集』や『勤皇志士和歌集』の書物によって入門の緒をえ、湯川貫一......の緒をえ、湯川貫一の古今集講座によって和歌の手ほどきをうけていた。その後日出麿師の......た。その後日出麿師の万葉集釈講によって短歌の精神を会得したといわれ、「明光」の木の... | 2044 |
2045 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第4章 >3 教勢の拡大 | 諸団体の活動 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 61 件/歌=61 | ...たいしては、宇知麿会長を派遣し、大阪・和歌山主会と協力して慰問に従事した。四月の静......概要』『実用エスペラント会話』『エス和作歌辞典(第三版)』『基本エスペラント講話』......展した。一九三三(昭和八)年からは聖師の歌日記のつづきをすべて「明光」に掲載するこ......〇号となり、これを記念して翌年一月より短歌は同人組織にあらためた。 一九三五(昭和......大本の秋の大祭に明光社において第一回の「歌祭り」が盛大にもよおされた。......歌祭りについては「明光」(昭和10・12)......「仁徳天皇の御宇までの古典を調べますと『歌垣に立つ』といふことが時々見当る。……......歌垣といふのは、歌を書いて、それを垣にして... | 2045 |
2046 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第4章 >3 教勢の拡大 | 海外での発展 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/歌=1 | ...は歓喜し感動した。また明光支社を設置し和歌・冠句など文芸活動もおこなっている。 大... | 2046 |
2047 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第4章 >3 教勢の拡大 | 昭和一〇年ごろの教勢 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/歌=1 | ...06○5、教碑 p306○6、出口王仁三郎聖師の歌碑 p306... | 2047 |
2048 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第1章 >1 弾圧の動機 | 内部における予感 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/歌=1 | ...かしそれからの聖師の日課は、映画・神劇・歌祭り・神苑の整備などに専念をみるようにな... | 2048 |
2049 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第1章 >2 検挙への準備 | 大津会議 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/歌=1 | ...映画撮影、また『天祥地瑞』のなかから神聖歌劇を上演することに没頭していた。そのうち... | 2049 |
2050 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第1章 >2 検挙への準備 | その前日 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 2 件/歌=2 | ...閣に招き、「今晩は無礼講だ。みんな喰うて歌って騒いでくれ、しばらくお別れになるかも......た多数の信者に面会し、大祭後上演する神聖歌劇につき、亀岡から指導応援にきていた南靖... | 2050 |
2051 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第2章 >1 昭和一〇年一二月八日 | 綾部と亀岡を急襲 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/歌=1 | ...東石の宮⑮工芸館(機場)⑯教碑⑰神声碑⑱歌碑⑲機場 p387○建物はただちに警察の管理... | 2051 |
2052 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第2章 >1 昭和一〇年一二月八日 | 出口聖師と幹部らの検挙 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 7 件/歌=7 | ...を中心に午前一〇時より大祭、午後一時より歌祭り、夜七時より神聖......歌劇をとどこおりなくおこなった。その情景を......和10・12・9)と伝えている。すみ子は歌祭りをおえてその夕方松江を出発し、九日未......クともせずに大祭を滞りなくすませ、あとの歌まつりまで順調にやってきました。誰ひとり......し出口聖師を検挙した ①三六亭②対岳亭④歌碑④松風荘④開明殿⑤安生館 p389○聖師は......衆 p390○異様な静寂と緊張…厳戒裡に大祭歌祭 神聖......歌劇がおこなわれた 中央は二代教主 松江 ... | 2052 |
2053 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第2章 >1 昭和一〇年一二月八日 | 「邪教」との断定 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/歌=1 | ...しき人を悪しざまに見て〟(内田良平遺稿『歌袋』)の二首を詠んでおり、さらに、昭和一... | 2053 |
2054 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第2章 >2 警察の強圧と取調べ | 信者の動き | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/歌=1 | ...一巻)・『出口王仁三郎全集』(八巻)・『歌集』(九巻)・『壬申日記』(八巻)が発売... | 2054 |
2055 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第2章 >3 大本抹殺の命令 | くずれゆく教団 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/歌=1 | ...全八一巻・『出口王仁三郎全集』全八巻・『歌集』全九巻・『壬申日記』全八巻、二七日に... | 2055 |
2056 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第2章 >3 大本抹殺の命令 | 建造物破却の命令 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 17 件/歌=17 | ...母也成仏は願ひたまはず〟(『ちり塚』)と歌われ、さらにまた、「衆人に頭を踏まさねば......におさめられた。神苑の鶴山山頂では教碑・歌碑の破壊がはじまった。 部分的破却をおわ......誰の眼にもあきらかである。〈別院・分院・歌碑の破却〉 本部や京都府下の教団施設の破......王仁三郎と直接の関係があった別院・分院・歌碑にたいしては、痕跡をとどめないまでに徹......教主殿は片山津の温泉旅館へ売却された。 歌碑の破却はおおくの場合、建物の破却と一括......第五十三号墓地及埋葬取締規則第十七条」を歌碑の破却に適用した。ここでもかびくさい太......ることが注目させる。北は北海道山部の神生歌碑から、南は喜界島宮原山にたてられた神声......碑から、南は喜界島宮原山にたてられた神声歌碑にいたるまで、のこらずノミで碑面をけず... | 2056 |
2057 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第2章 >4 弾圧の嵐 | 徹底的掃滅へ | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 4 件/歌=4 | ...神社で転向の宣誓式をおこなわせた。また和歌山県では松下特高課長が県下を行脚し、田辺......(一)京都(一七)大阪(七)奈良(四)和歌山(一三)兵庫(三〇)鳥取(七)島根(一......た。当局は大本に隠語があるとし、ことに和歌や冠句などにその意味をふくましているとし......ぶれなばやまとおのこの血のいろをみよ〟の歌によってみても、その死がなにによってもた... | 2057 |
2058 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第2章 >4 弾圧の嵐 | 海外へも波及 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 2 件/歌=2 | ...とともに、台湾別院(台北州草山)は建物・歌碑などをのこらず破却され、土地も売却せら......別院(基隆)の土地・建物はとりあげられ、歌碑はこわされたうえ他に搬出された。台湾に... | 2058 |
2059 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第2章 >4 弾圧の嵐 | 冷たい社会の風 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 4 件/歌=4 | ...思ひ一日だも世に長かれと祈りこそすれ」の歌一首がよまれていた。ついで六月二七日の書......原の玉草は踏まれにじられながら花さく〟の歌にもにた、不屈の心境がつよくひめられてい......母の一生の信念われにあらしめ〟と祈り、作歌や習字は一日としておこたられず、きびしい......しい修業の態度をくずされなかった。また、歌友の西清子(郡是病院長夫人)は事件後も直... | 2059 |
2060 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第2章 >4 弾圧の嵐 | 起訴と起訴猶予 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/歌=1 | ...森長勉 (三重)岡房一郎 山田貞佳 (和歌山)島田頴 小川定夫 玉置安太郎 (大阪... | 2060 |
2061 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第2章 >4 弾圧の嵐 | 弁護活動への準備 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/歌=1 | ...しくわかち給はば〟と直日によって詠まれた歌のなかにも、神明にはじない信仰からほどば... | 2061 |
2062 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第3章 >1 予審 | 未決の生活 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 3 件/歌=3 | ...ぶり)に言葉をかけて飯つぶをあたえたり、歌をつくったり、夜には浄瑠璃をひそかにくち......を清めつつ渡り行くかも心すがしく〟などの歌がしるされているが、この書簡は昭和一一年......がえがかれていた 聖師の書簡にしるされた歌 p498... | 2062 |
2063 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第3章 >1 予審 | 予審終結決定 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/歌=1 | ... なお『霊界物語』に掲載した大本神諭や短歌数首、「瑞祥新聞」に掲載した大本神諭など... | 2063 |
2064 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第3章 >2 第一審の公判(京都地方裁判所) | 弁護人の弁論 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/歌=1 | ...する証拠の一つとされている「十二段返しの歌」には、「いまのてんしにせものなり」とい... | 2064 |
2065 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第3章 >2 第一審の公判(京都地方裁判所) | 第一審の判決 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/歌=1 | ...守はまさずやと思ふ〟と自己の心情を直截に歌にたくされているように、おおくの信者はこ... | 2065 |
2066 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第3章 >3 護教 | 信仰の護持 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 4 件/歌=4 | ...そかに大本式にあらためている例がおおい。歌集『塵塚』に、〝この道を年月ふかく崇めき......、錦織貞雄・臼井達らとはかり、王仁三郎の歌をあつめた......歌集『山ほととぎす』をつくり、聖師の保釈運......をもつについても、頼母子講であるとか、短歌の会、活花の会やお茶の会、その他講習会な... | 2066 |
2067 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第3章 >3 護教 | 弁護活動への献金 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 4 件/歌=4 | ...年九月に綾部から亀岡へうつった三代直日の歌に、〝のどのかわきに水欲る如く金ほしき思......太郎、大阪では山本祥三郎・野間田真道、和歌山・三重では大谷瑞淵・真砂幸一郎・岡房一......川の東又吉、石川の嵯峨保二・瀬領貞通、和歌山の大谷瑞淵らがあり、そのおおくは直日の...... 送金の布袋 小為替領収書など…… p561歌にたくした三代直日の献金にたいする礼状 ... | 2067 |
2068 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第3章 >3 護教 | 出口家の動静 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 13 件/歌=13 | ...はげました。 昭和一二年に詠まれた直日の歌には、〝天の如き心を持ちて裁き給ふ人無き......世のいつまでつづく(墓参にかえりて)〟と歌われている。しかしそうしたなかにあっても......ている。しかしそうしたなかにあっても、短歌・茶道・書道への修練はたゆみなくつづけら......の山や野を歩いたり、大和の史蹟をたずね和歌と歴史とにつながる、そこなわれない日本の......での茶会にまねかれている。「ごぎやう」の歌会に出席したこともあり、昭和一三年の夏ご......のもの、あるいはたずねてくる信者らにも短歌や茶道や書道への精進をすすめ、そのため「......〇人をこえるほどであった。信者にとっては歌誌や......歌会をとおして、三代直日にあえることはまた... | 2068 |
2069 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第4章 >1 第二次世界大戦の進行 | 治安維持法の「改正」 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/歌=1 | ...いついでおこなわれ、七月には、御国教(和歌山、一〇人検挙)、九月には耶蘇基督教之新... | 2069 |
2070 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第4章 >1 第二次世界大戦の進行 | 日米の開戦 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 2 件/歌=2 | ...った。 大本信者には、かねてより『瑞能神歌』(大正7・2月発表)に示されていた日本......いるところにもあきらかだが、局面がこの神歌の警告どおりに進んで行くことを感じた。「... | 2070 |
2071 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第4章 >2 第二審の公判(大阪控訴院) | 判決 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 5 件/歌=5 | ...ル証拠ト目セラ」れていた「十ニ段返ノ宣伝歌(被告人中野与之助事件第一号ニ掲載ノ......歌)」については、「王仁三郎ハ予審ニ於テ右......については、「王仁三郎ハ予審ニ於テ右宣伝歌ハ自己ノ作成シタルモノト詳述シ居レトモ ......や『昭和十年日記』に掲載された王仁三郎の歌六首が、皇室にたいする不敬と判定されたも......と判定されたものである。しかしそれらの短歌も、〝日の光昔も今も変らねど東の空にかか... | 2071 |
2072 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第4章 >3 王仁三郎らの保釈 | 保釈にいたるまで | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 4 件/歌=4 | ...れた。未決勾留中、すみによってつくられた歌として、「こころはひろく」と「まつりだい......せまいへやうちこころはひろく(『出口澄子歌集』)。 伊佐男はあいかわらず規則正しい......しみがふえた。のちに当時を回顧した聖師の歌には、〝愛とし子や知るべの人の送る文に我......で光をはなっていた 二代すみ子の未決での歌 p619○迫害にもめげず成長する子や孫の姿... | 2072 |
2073 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第4章 >3 王仁三郎らの保釈 | 中矢田農園 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 6 件/歌=6 | ...大検挙以来の第二次大本事件に関する回想の歌や、随想の......歌などを詠み、読書にもしたしんだ。また孫た......そろっての生活となった。そのころ詠まれた歌に、〝時にわれ死を願ひつる心もて幼らの為......ら「伊都能売会」と聖師によって命名された歌会が毎月ひらかれ、聖師が選者となった。出......家をはじめ、亀岡在住の信者たちによる応募歌は、毎月百数十首から二百数十首にのぼった......つくした木村一夫の墓参がなされている。短歌・茶道・書道の修練はそのあいだもたゆみな... | 2073 |
2074 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第5章 >1 再建への動き | 1 再建への動き | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 4 件/歌=4 | ...悠々自適の日々のなかで、数おおくの随想の歌をよまれている。 その随想の......歌のなかには、〝高山の頂き見ればまのあたり......けりこの行くさきは心ゆるすな〟など警世の歌がおおくみうけられるが、一九四三(昭和一......こころを〟などと詠まれている。 これらの歌は筆先に、「艮の金神は、この世を始めた神... | 2074 |
2075 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第5章 >1 再建への動き | 暗黒の世 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 9 件/歌=9 | ...の、巡りくるまの遠からず」とある『瑞能神歌』を、目のあたり見るおもいであった。 国......闇に顔、馬鹿者のみが行列に立つ」という狂歌は、その間の事情を物語っている。 聖師は......のちを愛しみはたらきたまへ〟という直日の歌がおくられたこともあり、また、〝北満に銃......れて、戦意昂揚への協力をよぎなくされた。歌人とても同様であった。昭和一七年の直日の......人とても同様であった。昭和一七年の直日の歌稿(ちりづか)に、〝時世の衣手ばやくきか......ちりづか)に、〝時世の衣手ばやくきかえき歌人のそのさかしさにあきれてわれは〟〝この......がはやるとよきそひてつくれ世の染物師「汝歌人よ」〟とよまれているのも注目される。こ......れとわが心ぬくめて世の隅にひとりひそかに歌つくらんを〟〝世の底にひとりなりともわれ... | 2075 |
2076 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第5章 >1 再建への動き | 荊棘をこえて | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/歌=1 | ...の研修のテキストには、『神諭』、『瑞能神歌』、『道のしおり』、『霊界物語』、ときに... | 2076 |
2077 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第5章 >2 事件の解決 | 大審院の判決 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 5 件/歌=5 | ...までをかかげ、不敬とされた神諭の二点と短歌六首につき、いずれも不敬の意味でないこと......ちがいで、問題にならない。不敬の方はあの歌が不敬になるなんて、すぐには理解できない......いうか神がかりですね。霊界物語の中に讃美歌がありましたが、あれはバイブルのそのまま......はバイブルのそのままをみな七五調の日本の歌にしてしまったのですね。それが三日位で出......。これらの作業には、熊本・広島・高松・和歌山・山形などから、木庭・土居重夫・出口融... | 2077 |
2078 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第5章 >3 新生への準備 | 3 新生への準備 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 5 件/歌=5 | ...れた色紙が信者にあたえられているが、その歌には新生の意気込みが躍動しているといって......聖師は昭和一七年保釈出所以来、数おおくの歌を詠まれたが、国内各地はもとより、外地か......たずねてくる信者などの氏名を読み込んだ和歌は七五〇〇首をこえ、そのほかに道......歌・随想......歌などをしるした色紙や短冊で現在本部に保管... | 2078 |
2079 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第5章 >4 大本事件の性格とその意義 | 事件の意味するもの | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 6 件/歌=6 | ...まも変らねど大内山にかかる黒雲」という和歌にしても、それはたんなる誤解に端を発した......誤解に端を発したものではない。多少とも和歌をまなんだものなら、がりにこの......歌が諷刺をふくんでいるとしても、「黒雲」は......のではなく、重臣などのありかたを意味した歌であることは、だれにも理解できるはずであ......解できるはずである。これを天皇を呪咀した歌として不敬とするのは、誤解ではなく故意と......、誤解ではなく故意というほかはない。この歌に類するものは、いわゆる愛国者とよばれた... | 2079 |
2080 | 大本七十年史 下巻 | 第7編 >第1章 >3 愛善苑の発足 | 両聖地の整備 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 2 件/歌=2 | ...て、献灯のうえ礼拝がおこなわれた。聖師の歌日記には、〝拝礼のすがどの設備ととのひて......一年ぶりで、聖師は神苑にはいった。聖師の歌日記に、〝天恩郷春雨そぼつすが庭に石つき... | 2080 |
2081 | 大本七十年史 下巻 | 第7編 >第2章 >1 出口聖師夫妻の巡教 | 出雲路の旅と鉢伏山 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/歌=1 | ...夢か夢のなかなる夢の世のなか〟との感懐の歌がよまれているが、第二次大本事件でとらわ... | 2081 |
2082 | 大本七十年史 下巻 | 第7編 >第2章 >1 出口聖師夫妻の巡教 | 紀州路の旅 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/歌=1 | ...朝日・大阪毎日・大阪時事・新紀州新聞・和歌山新聞・熊野タイムスなどの新聞記者団有志... | 2082 |
2083 | 大本七十年史 下巻 | 第7編 >第2章 >2 宗教活動の進展 | 本部と地方のうごき | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 7 件/歌=7 | ...った。この年の一月一日にはもと九州別院の歌碑再建が地元信徒によってはじめられ、五月......北・北関東・南関東・北陸・静岡・東海・和歌山・近畿第一・近畿第二・三丹・鳥取・島根......び礼拝用として日拝詞を制定する。その他神歌の斉唱、八雲琴の採用、讃美......歌の制定」などが提案され実施されることとな......などが提案され実施されることとなった。神歌の斉唱は、この年の六月、あらたに刊行され......年の六月、あらたに刊行された出口聖師の道歌集『愛善の道』によってはじめられており、......、一一月には、綾部梅松苑と亀岡天恩郷に和歌山県から献納された梅苗五六七本が植えられ... | 2083 |
2084 | 大本七十年史 下巻 | 第7編 >第2章 >2 宗教活動の進展 | 出版活動 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 2 件/歌=2 | ...になった。聖師は昭和二一年三月一五日から歌日記をふたたびはじめられたが、第三号(昭......は、かつて聖師によって詠まれた数おおくの歌のなかから、教えに関するもの五〇〇首を厳... | 2084 |
2085 | 大本七十年史 下巻 | 第7編 >第2章 >2 宗教活動の進展 | 芸術への精進 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 7 件/歌=7 | ...、愛善苑の新発足前から出口家を中心として歌会がおこなわれ、また謡曲・仕舞(宝生流)......曲・仕舞の会をもよおし、五月二九日には短歌会をひらいた。その後八月からは「アララギ......「アララギ」同人の夏山茂樹をむかえて毎月歌会をおこない、「愛善苑」には第二号以下毎......こない、「愛善苑」には第二号以下毎月愛善歌壇・愛善俳壇をもうけた。第八号以下、......歌壇の選者は夏山茂樹に、俳壇の選者は矢田挿......じめ約四〇〇人が参列した。 同日、苑主の歌集『愛善の道』のなかからえらんだ......歌を同志社高女教諭野村芳雄が作曲した。そし... | 2085 |
2086 | 大本七十年史 下巻 | 第7編 >第2章 >3 宗教提携のうごき | 愛善苑にたいする社会の反響 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/歌=1 | ...いに活躍したい」とのべている。〔写真〕○歌ごえは希望にあふれ…一つにとけあい…たか... | 2086 |
2087 | 大本七十年史 下巻 | 第7編 >第3章 >1 昇天 | 1 昇天 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/歌=1 | ...て非常によろこばれたという。また聖師の道歌をえらんで編集した『愛善の道』が出版され... | 2087 |
2088 | 大本七十年史 下巻 | 第7編 >第3章 >1 昇天 | 招魂祭と通夜 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 3 件/歌=3 | ...人が、あふれでる涙をぬぐおうともせず愛善歌を合唱した。庭外のくらやみでは、すすりな......た。『霊界物語』を交代で拝読したり、讃美歌や愛善......歌を奉唱したり、あるいは追憶談などで、しめ... | 2088 |
2089 | 大本七十年史 下巻 | 第7編 >第3章 >2 葬儀 | 告別式と遷柩 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 4 件/歌=4 | ...つづき、偉大なる業績をしのび讃える弔詞、歌壇の大家から寄せられた追悼......歌、各界名士からの数百通の弔電は、これを読......上を突破した。「三千世界の救世主」と宣伝歌の合唱がわきおこり、それに力をえて雪の山......おって午前11時には三ノ宮についた 宣伝歌に力をえてさらに榎峠 質山峠をこえて綾部... | 2089 |
2090 | 大本七十年史 下巻 | 第7編 >第4章 >1 道統の継承 | 二代の継承 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/歌=1 | ...まではあまり教団行政に直接タッチせず、短歌・書画・茶道・謡曲・仕舞などの芸術的精進... | 2090 |
2091 | 大本七十年史 下巻 | 第7編 >第4章 >1 道統の継承 | 二代苑主の指導精神 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 2 件/歌=2 | ...しかしこの頃、そんなことする必要はない、歌さえ作っていたら天国へ行ける、などといっ......道につくせばこの世天国〟(二代苑主作)の歌のこころににじみわたっていた。 以上によ... | 2091 |
2092 | 大本七十年史 下巻 | 第7編 >第4章 >2 教団体制の確立 | 造営と祭事 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 2 件/歌=2 | ...れ、日拝詞は適宜に用いることにした。 神歌は昭和二二年六月五日、『愛善の道』が発行......節分からは、あらたに発行された『大本讃美歌』(『霊界物語』第六〇・六一・六二巻より... | 2092 |
2093 | 大本七十年史 下巻 | 第7編 >第4章 >3 教勢の飛躍 | 委員長の全国遊説 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/歌=1 | ...島根・鳥取・近畿第一・近畿第二・三丹・和歌山および四国の各教区など、わずか一年間に... | 2093 |
2094 | 大本七十年史 下巻 | 第7編 >第4章 >3 教勢の飛躍 | 梅花運動 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 7 件/歌=7 | ...文化、(夜間)信仰座談会・祭式指導・愛善歌の......歌唱指導など、(第五日)綾部参拝、彰徳殿・......のしおり』(昭和23・2)、第三編『宣伝歌集』(昭和23・8)、第四編『道の光』(......「神言」「講話─真の信仰・思い出」「宣伝歌(思い出)」「花明山音頭─基本宣伝......歌・一の谷嫩軍記」、および出口総長の「宣伝......・一の谷嫩軍記」、および出口総長の「宣伝歌(綾の聖地行)」を頒布、つづいて『大本讃......綾の聖地行)」を頒布、つづいて『大本讃美歌』『大本愛善苑の大要』、『霊界物語抄四』... | 2094 |
2095 | 大本七十年史 下巻 | 第7編 >第4章 >3 教勢の飛躍 | 青年会・婦人会組織の確立 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 5 件/歌=5 | ...図書・リーフレットの頒布をおこなった。和歌山では一市二町の一五ヵ所で実施し、オート......神をめぐる宗教と科学』が刊行された。愛善歌についてははやくから合唱団をつくり、講習......つとめてきたが、この年の一月からは愛善聖歌隊を全国的に組織して、愛善精神の高揚がは......あげ、さらに北海道・山形・静岡・石川・和歌山・広島・岡山・徳島などの各連合会でも、......・京都・大阪・神戸・牛窓・金沢・松江・和歌山・東京・姫路・浦和・法勝寺の一三地区で... | 2095 |
2096 | 大本七十年史 下巻 | 第7編 >第4章 >4 人類愛善会の再出発 | 「人類愛善新聞」の再刊と運動の展開 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 2 件/歌=2 | ...る第一の神器は愛善新聞なりけり〟(聖師の歌、昭和7年)との自覚と情熱がよみがえり、......身をもってしめした。そのときの二代総裁の歌には、〝神ながら信者の誠に胸うたれわれも... | 2096 |
2097 | 大本七十年史 下巻 | 第7編 >第4章 >5 農事と芸術 | 愛善みずほ会の設立とその活動 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/歌=1 | ...九(昭和二四)年の秋には、宮崎・岡山・和歌山等の暖地では黒沢式稲作法がかならずしも... | 2097 |
2098 | 大本七十年史 下巻 | 第7編 >第4章 >5 農事と芸術 | 楽天社の発足宣言とその活動 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 22 件/歌=22 | ...運動の再興であります。しかし明光運動が短歌、俳句、冠句等の文芸だけの分野であったの......清らかな高い心境で作られたものである」。歌人の吉井勇はその感激を、〝今の世にありが......外の大き世界に〟〝そのむかし君が数千の秀歌見しこと思い出でてわん見るものか〟と詠ん......い出でてわん見るものか〟と詠んでいる。〈歌まつり〉 昭和一〇年、聖師によって復興さ......り〉 昭和一〇年、聖師によって復興された歌まつりは、大本事件によって中断されたまま......大阪住吉神社の住吉学園でとりおこなわれた歌まつりからである。このときはまだ地方的な......をつとめた。苑主は、〝有難や今日難波津の歌まつり瑞の霊のほほえみますらん〟のほか四......た。つづいて五月五日には、金沢分社主催の歌まつりが、金沢能楽堂でもよおされ、直日夫... | 2098 |
2099 | 大本七十年史 下巻 | 第7編 >第5章 >1 巡教 | 1 巡教 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 15 件/歌=15 | ...した。苑主は北海分苑に入り、東尾の霊前へ歌二首が電報で亀岡へ送られた。〝このみちを......わるころから気分が漸次快復した。その時の歌、〝母きみの伝えおかれし筆のしづく広島分......、鳥取県法勝寺分苑につく、四日は同分苑の歌碑除幕式に臨席した。一般参列者一五〇余人...... まつでおさまるみよぞかしこき〟の苑主の歌がきざまれている。先着の出口虎雄が苑主の......きざまれている。先着の出口虎雄が苑主の祝歌を朗詠し、夕食後余興のもよおしがあった。......て、一九五一(昭和二六)年一月一一日、和歌山県湯浅の紀州分苑堤清彦邸に入る。信徒へ......分苑(現東海本苑)に入る。分苑では苑主の歌碑除幕祭典がおこなわれた。参拝者三〇〇余......一(昭和二六)年静岡県吉原市における苑主歌碑除幕式にのぞむため、出口八重野・梅田や... | 2099 |
2100 | 大本七十年史 下巻 | 第7編 >第5章 >2 二代苑主の昇天 | 発病 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 2 件/歌=2 | ...。一二月の静岡県吉原市望月邸における苑主歌碑除幕式後は、地方からの要請かあっても出......みろく殿たつ日待たるる首をのばして〟の詠歌にも、その心情がうたわれている。完成の日... | 2100 |