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キーワード: で王仁三郎文献を検索した結果を表示しています。
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番号 文献名1 文献名2 文献名3 著者 発表年 詳細 本文内のヒット件数 プレビュー(最大 8 件まで表示) 番号
2001 大本七十年史 上巻 第4編 >第2章 >2 あらたな胎動 エスペラントとローマ字の採用 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 8 件/歌=8 ...州の杖立温泉に滞在中、「記憶便法エス和作辞典」(大正13・2・4)の底本となった......4)の底本となった「記憶便法英西米蘭統作集」をつくりあげた。この作......集はわずか四日間でつくりあげたもので、「......ので、「只心に記憶し易からしめんために和の調などは省みず口から出任せに喋りおく」......王仁三郎らしい、人間性のあふれた奔放な作辞典である。その若干例をあげるとつぎのよ......寸マテーノ たくみな笑いをふくんだこの作集は、エスペラントにたいする王仁三郎のな......たり、ローマ字研究のため、百人一首の替えをつくって、ローマ字でそれを「明光」(大......ン卜講習会の参加者 p697○記憶便法エス和辞典 p698○エスペラント劇もさかんにおこ... 2001
2002 大本七十年史 上巻 第4編 >第2章 >2 あらたな胎動 新機運の動向 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 6 件/歌=6 ...に滞在し、入湯のかたわらエスペラントの作集をつくったことは前述したとおりであるが......王仁三郎はいたるところで揮毫をなし、またをいろいろと詠んだが、それらの......は「西遊雑詠」として「神の国」に連載され......産としてもちかえった竹の杓子一六〇本に、をしたため、自署し拇印をおして役員・信者...... p705○一九二二─大正一一年から神劇・宣の合唱がはじまった(上)少女による宣伝......合唱(中)大正日日新聞の檄文(下)神劇─... 2002
2003 大本七十年史 上巻 第4編 >第3章 >2 満蒙をめぐる政治情勢 下工作 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 1 件/歌=1 ...星の胡麻かけ喰ふ王仁口」という王仁三郎のを矢野宅でみて、おおいに共鳴したという。... 2003
2004 大本七十年史 上巻 第4編 >第3章 >3 王仁三郎一行の足どり 奉天での準備 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 2 件/歌=2 ...)軍兵をあつめるには、綏遠ほか三特別区の老会楊成業にあたること。(五)軍旗、司令......奉直戦のときに奉天軍閥に参加した宗社党(老会)の残党であり、いまは直隷軍閥正規軍... 2004
2005 大本七十年史 上巻 第4編 >第3章 >3 王仁三郎一行の足どり 蒙古へ出発 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 1 件/歌=1 ...てきた。 王仁三郎はこの夜から、「和蒙作辞典」の著述をはじめた。また周囲の蒙古人... 2005
2006 大本七十年史 上巻 第4編 >第3章 >3 王仁三郎一行の足どり 索倫山 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 1 件/歌=1 ...すでに、一一日に王仁三郎によってよまれたには、官兵の出馬と聞いて我同志索倫入りに... 2006
2007 大本七十年史 上巻 第4編 >第3章 >3 王仁三郎一行の足どり パインタラ事件 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 1 件/歌=1 ... このとき王仁三郎は、つぎのような辞世のをよんだという。身はたとへ蒙古の野辺にさ... 2007
2008 大本七十年史 上巻 第4編 >第3章 >4 入蒙の影響 社会的反響 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 1 件/歌=1 ...解けにけりみろく三会の神音のひびきに」とが附記されていた。そこで指示のとおりに、... 2008
2009 大本七十年史 上巻 第4編 >第4章 >1 各宗教との提携 普天教と回教徒との関係 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 1 件/歌=1 ...いし洮南で、大正一三年三月一八日よまれたに〝スサノヲの神の踏みてし足跡を辿りて世... 2009
2010 大本七十年史 上巻 第4編 >第4章 >2 人類愛善会の創立 規約改正と組織・活動 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 1 件/歌=1 ...ここに「人類愛善会」と題された王仁三郎のを紹介しておこう。天の下四方の民草おしな... 2010
2011 大本七十年史 上巻 第4編 >第4章 >3 海外への発展 宣伝使の欧州派遣 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 1 件/歌=1 ...待されている。出口王仁三郎著の『エス和作辞典』もすこぶる好評であって、各国の代表... 2011
2012 大本七十年史 上巻 第4編 >第4章 >4 あらたな建設譜 暁天の機運 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 7 件/歌=7 ...ろこびにみちあふれた。聖師の開窟をいわう句集『暁天』(和......・俳句・冠句・漢詩・雑......)が湯川貫一ほかの選者によってえらばれた......日から朝夕の神前礼拝に、祝詞奏上後、讃美(神......)をとなえるなどのあらたな要素がくわえら......要素がくわえられていたが、また『大本宣伝集』(『霊界物語』より抜萃、四六判二五〇......行されて、諸種の会合や宣伝にさいし、宣伝の朗誦や合唱がさかんにおこなわれるように... 2012
2013 大本七十年史 下巻 第5編 >第1章 >1 現界的活動へ みろく大祭 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 5 件/歌=5 ...した。また宗教と芸術の一致をとなえて、和・冠句・俳句などの文芸活動をおこした。そ......る年である」とのべ、さらに三月三日には『日記』に、〝今日こそは五十六年七ヶ月五六......あけはなれ みろく三会の暁きよし〟というの朗詠がなされた。ついで聖師は手ずから神......する意味をもふくんでいる。 三月三日の『日記』によると、〝一切の教務を神に奉還し......め誠を尽して進みこそすれ〟と、六月一日の日記にも記されていた。 だか、その期待は... 2013
2014 大本七十年史 下巻 第5編 >第1章 >1 現界的活動へ 大祭後の動き 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 1 件/歌=1 ...ら約一ヵ年の歳月がついやされた。 聖師のには、〝霊界の姿をそのまま築きたる月宮殿... 2014
2015 大本七十年史 下巻 第5編 >第1章 >1 現界的活動へ 聖師巡教の旅へ 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 5 件/歌=5 ...・半紙画五〇枚が染筆されたほか、明光社の句の選もなされた。聖師は旅のさなか「見た......でも、いつも万年筆を手にして、つぎつぎに日記がつづられていった。四国巡教の......日記は二〇〇〇首にもおよんでいる。これは......一一月七日に綾部に帰着した。このたびの『日記』はつぎつぎに『東北日記』(全八巻)......におもむいて、二一日に帰綾した。 聖師のに、一九二八(昭和三)年の暮、〝琉球の島... 2015
2016 大本七十年史 下巻 第5編 >第1章 >2 教線の拡充 巡教活動 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 1 件/歌=1 ...四月一三日には、別院建設敷地検分のため和山比井分所へ、三月二八日から四月一一日ま... 2016
2017 大本七十年史 下巻 第5編 >第1章 >2 教線の拡充 満州巡教と世界紅卍字会 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 3 件/歌=3 ...、にぎにぎしく歓迎された。安東道院では道で迎えられ、さらに市長はじめ中国側有力者......一行は瀋陽道院へも参拝した。ここでも歓迎がつくらて歓迎の意があらわされ、面会者が......二月中旬には紀伊別院開院式にのぞんで、和山県下の各分所・支部を巡教した。 島根で... 2017
2018 大本七十年史 下巻 第5編 >第1章 >2 教線の拡充 海外の宣教 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 1 件/歌=1 ...物とせず進みて行かな宣伝の旅〟など六首のをおくってその労と功をたたえた。 ブラジ... 2018
2019 大本七十年史 下巻 第5編 >第1章 >3 教団発展への動き 宗教と芸術 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 43 件/歌=43 ...がいであった。 聖師は青年のころから、狂・狂句・冠句・川柳などに趣味をもち、さら......に趣味をもち、さらに岡田惟平に師事して和の素養もふかかったし、浄瑠璃や浄瑠璃くず......のような文体で口述されたり、そのなかに長や短......がかなり多く、また『霊界物語』を朗読させ......つくられはじめた。四月からは日記がすべてでよまれることになり、「真如の光」に毎号......日には、聖師の提唱によって月光会という和と冠句の会がつくられ、月刊誌として「月光......よって信者の文芸的情操をそだて、冠句・和の入選者には、聖師から自筆の色紙や短冊が......閑坊喜楽宗匠)の選となっている。その後和については月明会がつくられ、第一回は「海... 2019
2020 大本七十年史 下巻 第5編 >第1章 >3 教団発展への動き 本部の体制 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 6 件/歌=6 ...り、「天恩郷だより」をのせたり、聖師の作や『霊界物語』の一部を連載して、宣教の一......四月に第七二巻までの出版をおわっている。日記は『二名日記』全一巻・『東北日記』全......一〇巻・『更生日記』七巻までが刊行され、集としては『花明山』・『彗星』・『故山の......、『道の大本』、『裏の神諭』、『大本讃美』、『祝詞略解』、『霊の礎』、『水鏡』、......二七(昭和二)年四月から礼拝のおりに讃美(神......)を奉唱することにさだめられ、一〇月から... 2020
2021 大本七十年史 下巻 第5編 >第1章 >3 教団発展への動き 梅花運動 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 1 件/歌=1 ...毎日夕拝後拝読するよう指示した。なお宣伝や自由節などをレコードに吹きこんで頒布し... 2021
2022 大本七十年史 下巻 第5編 >第2章 >1 満州事変と大本 人類愛善と青年の動き 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 1 件/歌=1 ...」(今東光)のような論文もあれば、創作詩や「文壇内輪話」のようなものもあって、当... 2022
2023 大本七十年史 下巻 第5編 >第2章 >1 満州事変と大本 桶伏山の建碑 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 4 件/歌=4 ...に朽るともやまと男の子の品は落さじ〟の和二首がきざまれた。二首のうちのまえの一首......ンタラにおいて死線に直面したときの辞世のである。 教旨のきざまれている教碑は、一......のまま伏せておかれたものである。神声碑と碑は一九三一(昭和六)年の八月八日から、......本宮山の碑 右は教碑 中央は神声碑 左は碑 綾部 p95... 2023
2024 大本七十年史 下巻 第5編 >第2章 >1 満州事変と大本 大本本部の指導態度 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 2 件/歌=2 ...がっていたので、大祭を期しておこなわれた句などの応募は、きわめて多数にのぼり、秀......礎となるが故なのでありまして、聖師様の御にも〝満蒙の今日のありさま前知してわれは... 2024
2025 大本七十年史 下巻 第5編 >第2章 >1 満州事変と大本 昭和青年会の改組 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 2 件/歌=2 ...はお筆先にも出ておりますが、愈々『瑞能神』に私か......つておいたことが実現する時期になつたので... 2025
2026 大本七十年史 下巻 第5編 >第2章 >1 満州事変と大本 一九三一年(いくさのはじめ) 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 4 件/歌=4 ...には信じられていた。そしてそれは『瑞能神』に示されている状態へ発展していくと確信......。そのような状況を迎えて大本では『瑞能神』を再発刊した。その内容には「……シベリ......に当局の忌諱にふれることになり、『瑞能神』は一九三二(昭和七)年二月一日発売禁止......て活動するようになった。〔写真〕○瑞能神 p116... 2026
2027 大本七十年史 下巻 第5編 >第2章 >2 皇道運動と大本 非常時と愛国運動 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 1 件/歌=1 ...す」。 この訓話のなかに信者は、『瑞能神』に示されてあった立替えの本舞台、日本対... 2027
2028 大本七十年史 下巻 第5編 >第2章 >2 皇道運動と大本 『天祥地瑞』の口述 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 9 件/歌=9 ... 筆録者は、明光社員のなかから選ばれ、和に心得のあった人が筆記にあたった。その口......瑞』の表現は、「言霊解」による文章と、長形式のものと、大部分は三十一文字による和......形式のものと、大部分は三十一文字による和の形式であり、連......体や、問答体の和......で、人格的な神になぞらえて物語りの形式に......の形式に表現されている。したがって多少和の心得がないと言葉のあやなどがわからない......いところがある。しかし拝読すれば流麗な和のリズムが和やかに美しい情景を描きだし、......なっている。すべて愛善と信真にもとづく和の問答は、すみきったものであって、読むも... 2028
2029 大本七十年史 下巻 第5編 >第2章 >2 皇道運動と大本 挙国更生運動 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 1 件/歌=1 ...る在郷軍人有志の要請にこたえて、『瑞能神』のなかの「よき支那物を奪はんとする英米... 2029
2030 大本七十年史 下巻 第5編 >第2章 >2 皇道運動と大本 昭和青年会と防空運動 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 1 件/歌=1 ...と称へしは、昔の夢となりにけり……」の神に想いをはせて、昭和青年会は防空思想の喚... 2030
2031 大本七十年史 下巻 第5編 >第2章 >2 皇道運動と大本 諸運動の展開 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 1 件/歌=1 ...起に大いに作用するところがあった。聖師のに、〝今日の世界の窮状前知して説き来りけ... 2031
2032 大本七十年史 下巻 第5編 >第2章 >2 皇道運動と大本 内外多事 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 7 件/歌=7 ...郷の東光苑北側に南面して建てられた教碑・碑三基の除幕式がおこなわれた。碑文は聖師......に万代を教ふ〟ときざまれ、教碑の文は追懐で、右側に〝いとけなき頃は雲間に天主閣白......城のかたちを造りて遊びぬ〟とあり、左側の碑には、〝玉の井の池に湧き立つ真清水は美......また、天恩郷月照山麓にたてられた前田夕暮碑の除幕式も同時におこなわれ、これらの除......除幕式は本部・明光社関係者をはじめ多くの人が参列して、盛大に挙行された。 一一月......転車隊の活躍もめざましかった p152○東光碑 中央は教碑 左右は懐古......碑 亀岡天恩郷 p153... 2032
2033 大本七十年史 下巻 第5編 >第3章 創立にいたるまで 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 2 件/歌=2 ...図にそう構想のねりなおしをした。 聖師のに、〝偉大なる民間有志の現はれてこの難局......別院 p166○世をうれいてよまれた出口聖師 p167... 2033
2034 大本七十年史 下巻 第5編 >第3章 声明・主義・綱領 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 1 件/歌=1 ...勝彦、外務省嘱託細野軍治、文士倉田百三、人前田夕暮、評論家高田末吉、実業家喜谷市... 2034
2035 大本七十年史 下巻 第5編 >第3章 地方組織の拡大 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 2 件/歌=2 ...津支部(公会堂)・一七日紀州地方本部(和山市公会堂)・一八日西牟婁支部(田辺町公......巻小学校講堂)・五日奥羽地方本部(青森市舞伎座)・六日弘前支部(公会堂)・八日山... 2035
2036 大本七十年史 下巻 第5編 >第3章 内外の反響 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 1 件/歌=1 ...青年会の号令をかけての敬礼や、信者の宣伝合唱を嫌がること甚だしく、みんなに声を加... 2036
2037 大本七十年史 下巻 第5編 >第3章 指導精神の統一 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 1 件/歌=1 ...を圧倒し、熱誠始めて能く人を化すべし、凱常に揚る神護の中、善戦宇宙の究極を清めん... 2037
2038 大本七十年史 下巻 第5編 >第3章 創立一周年 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 2 件/歌=2 ...移入者は一木喜徳郎博士であつた。それを謳しそれを祖述したものが即ち美濃部達吉博士......やすむまもなくつづけられた。二月一〇日和山県勝浦をかわきりとして、一一日木本・一... 2038
2039 大本七十年史 下巻 第5編 >第4章 >1 巡教 聖師の巡教と 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 104 件/歌=104 ...日に東北別院にはいり、秋季大祭につづいて碑完成式がおこなわれた。......碑には、〝北海の旅路遙けしわれは今出羽の......野の雨聴きてをり〟とうたわれてあり、神声碑と命名された。 そのとき聖師は「神代の......た涙ぐましい縁の深いところで……北海道の碑はすでにできあがり、宮原山の......碑が最近できあがるので、いよいよ両......碑を結びつけるここの......碑を開くためにわざわざ出て来た。......碑の歌は私のよんだ歌でなく神様の歌である... 2039
2040 大本七十年史 下巻 第5編 >第4章 >1 巡教 日出麿師の宣教と教化 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 4 件/歌=4 ...まで別院で講話がなされた。五日聖師の神生碑除幕式には直日夫人と列席した。一一日か......九日には喜界島の宮原山にたてられた聖師の碑除幕式に参列し、帰途種子島や鹿児島・熊......まで名古屋へ、同月一八日から二五日まで和山県下を、ついで四月二三日から二六日まで......日には大分県速見郡中山香村にたちより聖師碑の除幕式に臨席している。 一一月九日に... 2040
2041 大本七十年史 下巻 第5編 >第4章 >2 教団の充実 本部での動き 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 2 件/歌=2 ...大学則・四大綱領・四大主義、裏には聖師のが、昭和一〇年にきざまれてたてるところま......座、信仰座談会、祭式講習会、弁論大会、和・冠句の会、エスペラントとローマ字の講習... 2041
2042 大本七十年史 下巻 第5編 >第4章 >2 教団の充実 神苑の造営と祭事 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 1 件/歌=1 ...芸術会館にすることになり、常時神劇・神聖劇や映画が上演でき、また各種会合にも使用... 2042
2043 大本七十年史 下巻 第5編 >第4章 >2 教団の充実 文書宣伝 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 22 件/歌=22 ...物語編上・霊界物語編下・言霊解・入蒙記・集・我が半生の記)、王仁文庫(皇道我観・......)、王仁文庫(皇道我観・国教論集・瑞能神・記紀真解・道の大原・多満の礎・記紀真釈......・五色草・随感録・皇道大意・記紀解説)、集(花明山・彗星・故山の夢・霞の奥・東の......白童子・青嵐・公孫樹・浪の音・山と海)、日記(二名日記一巻・東北日記八巻・日月日......鏡)、霊の礎、道の茱、道の大本、大本宣伝、祝詞略解、惟神の道、エス和作......辞典○ 出口日出麿著─ひとかかし、信仰雑......道大本祭式、善言美詞、おかげばなし、讃美、大本略史、大本開祖伝、大本の出現とその......真大観、王仁書画集、大本の面影、出口総裁碑集(一)、天恩郷修行記念写真集、かるた... 2043
2044 大本七十年史 下巻 第5編 >第4章 >2 教団の充実 二代教主と鶴山織 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 19 件/歌=19 ...死にするのやないかと思ふわ。この間こんなが出来たんや……夜も昼もわが魂は鶴山の織......は鶴山の織り行く錦の中にすむなり……このの通りやね。私はこれさへしとつたらええの......いた。一九三〇(昭和五)年に綾部を訪れた人の前田夕暮は、当時の三代直日を評して「......助につくすとともに、つとにはじめていた短・茶道・謡曲・八雲琴や書道・染織工芸など......統芸術に精進してひたむきであった。ことにの道は、梅田信之のあたえた『歴代御製集』......之のあたえた『歴代御製集』や『勤皇志士和集』の書物によって入門の緒をえ、湯川貫一......の緒をえ、湯川貫一の古今集講座によって和の手ほどきをうけていた。その後日出麿師の......た。その後日出麿師の万葉集釈講によって短の精神を会得したといわれ、「明光」の木の... 2044
2045 大本七十年史 下巻 第5編 >第4章 >3 教勢の拡大 諸団体の活動 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 61 件/歌=61 ...たいしては、宇知麿会長を派遣し、大阪・和山主会と協力して慰問に従事した。四月の静......概要』『実用エスペラント会話』『エス和作辞典(第三版)』『基本エスペラント講話』......展した。一九三三(昭和八)年からは聖師の日記のつづきをすべて「明光」に掲載するこ......〇号となり、これを記念して翌年一月より短は同人組織にあらためた。 一九三五(昭和......大本の秋の大祭に明光社において第一回の「祭り」が盛大にもよおされた。......祭りについては「明光」(昭和10・12)......「仁徳天皇の御宇までの古典を調べますと『垣に立つ』といふことが時々見当る。……......垣といふのは、歌を書いて、それを垣にして... 2045
2046 大本七十年史 下巻 第5編 >第4章 >3 教勢の拡大 海外での発展 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 1 件/歌=1 ...は歓喜し感動した。また明光支社を設置し和・冠句など文芸活動もおこなっている。 大... 2046
2047 大本七十年史 下巻 第5編 >第4章 >3 教勢の拡大 昭和一〇年ごろの教勢 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 1 件/歌=1 ...06○5、教碑 p306○6、出口王仁三郎聖師の碑 p306... 2047
2048 大本七十年史 下巻 第6編 >第1章 >1 弾圧の動機 内部における予感 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 1 件/歌=1 ...かしそれからの聖師の日課は、映画・神劇・祭り・神苑の整備などに専念をみるようにな... 2048
2049 大本七十年史 下巻 第6編 >第1章 >2 検挙への準備 大津会議 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 1 件/歌=1 ...映画撮影、また『天祥地瑞』のなかから神聖劇を上演することに没頭していた。そのうち... 2049
2050 大本七十年史 下巻 第6編 >第1章 >2 検挙への準備 その前日 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 2 件/歌=2 ...閣に招き、「今晩は無礼講だ。みんな喰うてって騒いでくれ、しばらくお別れになるかも......た多数の信者に面会し、大祭後上演する神聖劇につき、亀岡から指導応援にきていた南靖... 2050
2051 大本七十年史 下巻 第6編 >第2章 >1 昭和一〇年一二月八日 綾部と亀岡を急襲 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 1 件/歌=1 ...東石の宮⑮工芸館(機場)⑯教碑⑰神声碑⑱碑⑲機場 p387○建物はただちに警察の管理... 2051
2052 大本七十年史 下巻 第6編 >第2章 >1 昭和一〇年一二月八日 出口聖師と幹部らの検挙 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 7 件/歌=7 ...を中心に午前一〇時より大祭、午後一時より祭り、夜七時より神聖......劇をとどこおりなくおこなった。その情景を......和10・12・9)と伝えている。すみ子は祭りをおえてその夕方松江を出発し、九日未......クともせずに大祭を滞りなくすませ、あとのまつりまで順調にやってきました。誰ひとり......し出口聖師を検挙した ①三六亭②対岳亭④碑④松風荘④開明殿⑤安生館 p389○聖師は......衆 p390○異様な静寂と緊張…厳戒裡に大祭祭 神聖......劇がおこなわれた 中央は二代教主 松江 ... 2052
2053 大本七十年史 下巻 第6編 >第2章 >1 昭和一〇年一二月八日 「邪教」との断定 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 1 件/歌=1 ...しき人を悪しざまに見て〟(内田良平遺稿『袋』)の二首を詠んでおり、さらに、昭和一... 2053
2054 大本七十年史 下巻 第6編 >第2章 >2 警察の強圧と取調べ 信者の動き 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 1 件/歌=1 ...一巻)・『出口王仁三郎全集』(八巻)・『集』(九巻)・『壬申日記』(八巻)が発売... 2054
2055 大本七十年史 下巻 第6編 >第2章 >3 大本抹殺の命令 くずれゆく教団 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 1 件/歌=1 ...全八一巻・『出口王仁三郎全集』全八巻・『集』全九巻・『壬申日記』全八巻、二七日に... 2055
2056 大本七十年史 下巻 第6編 >第2章 >3 大本抹殺の命令 建造物破却の命令 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 17 件/歌=17 ...母也成仏は願ひたまはず〟(『ちり塚』)とわれ、さらにまた、「衆人に頭を踏まさねば......におさめられた。神苑の鶴山山頂では教碑・碑の破壊がはじまった。 部分的破却をおわ......誰の眼にもあきらかである。〈別院・分院・碑の破却〉 本部や京都府下の教団施設の破......王仁三郎と直接の関係があった別院・分院・碑にたいしては、痕跡をとどめないまでに徹......教主殿は片山津の温泉旅館へ売却された。 碑の破却はおおくの場合、建物の破却と一括......第五十三号墓地及埋葬取締規則第十七条」を碑の破却に適用した。ここでもかびくさい太......ることが注目させる。北は北海道山部の神生碑から、南は喜界島宮原山にたてられた神声......碑から、南は喜界島宮原山にたてられた神声碑にいたるまで、のこらずノミで碑面をけず... 2056
2057 大本七十年史 下巻 第6編 >第2章 >4 弾圧の嵐 徹底的掃滅へ 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 4 件/歌=4 ...神社で転向の宣誓式をおこなわせた。また和山県では松下特高課長が県下を行脚し、田辺......(一)京都(一七)大阪(七)奈良(四)和山(一三)兵庫(三〇)鳥取(七)島根(一......た。当局は大本に隠語があるとし、ことに和や冠句などにその意味をふくましているとし......ぶれなばやまとおのこの血のいろをみよ〟のによってみても、その死がなにによってもた... 2057
2058 大本七十年史 下巻 第6編 >第2章 >4 弾圧の嵐 海外へも波及 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 2 件/歌=2 ...とともに、台湾別院(台北州草山)は建物・碑などをのこらず破却され、土地も売却せら......別院(基隆)の土地・建物はとりあげられ、碑はこわされたうえ他に搬出された。台湾に... 2058
2059 大本七十年史 下巻 第6編 >第2章 >4 弾圧の嵐 冷たい社会の風 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 4 件/歌=4 ...思ひ一日だも世に長かれと祈りこそすれ」の一首がよまれていた。ついで六月二七日の書......原の玉草は踏まれにじられながら花さく〟のにもにた、不屈の心境がつよくひめられてい......母の一生の信念われにあらしめ〟と祈り、作や習字は一日としておこたられず、きびしい......しい修業の態度をくずされなかった。また、友の西清子(郡是病院長夫人)は事件後も直... 2059
2060 大本七十年史 下巻 第6編 >第2章 >4 弾圧の嵐 起訴と起訴猶予 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 1 件/歌=1 ...森長勉 (三重)岡房一郎 山田貞佳 (和山)島田頴 小川定夫 玉置安太郎 (大阪... 2060
2061 大本七十年史 下巻 第6編 >第2章 >4 弾圧の嵐 弁護活動への準備 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 1 件/歌=1 ...しくわかち給はば〟と直日によって詠まれたのなかにも、神明にはじない信仰からほどば... 2061
2062 大本七十年史 下巻 第6編 >第3章 >1 予審 未決の生活 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 3 件/歌=3 ...ぶり)に言葉をかけて飯つぶをあたえたり、をつくったり、夜には浄瑠璃をひそかにくち......を清めつつ渡り行くかも心すがしく〟などのがしるされているが、この書簡は昭和一一年......がえがかれていた 聖師の書簡にしるされた p498... 2062
2063 大本七十年史 下巻 第6編 >第3章 >1 予審 予審終結決定 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 1 件/歌=1 ... なお『霊界物語』に掲載した大本神諭や短数首、「瑞祥新聞」に掲載した大本神諭など... 2063
2064 大本七十年史 下巻 第6編 >第3章 >2 第一審の公判(京都地方裁判所) 弁護人の弁論 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 1 件/歌=1 ...する証拠の一つとされている「十二段返しの」には、「いまのてんしにせものなり」とい... 2064
2065 大本七十年史 下巻 第6編 >第3章 >2 第一審の公判(京都地方裁判所) 第一審の判決 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 1 件/歌=1 ...守はまさずやと思ふ〟と自己の心情を直截ににたくされているように、おおくの信者はこ... 2065
2066 大本七十年史 下巻 第6編 >第3章 >3 護教 信仰の護持 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 4 件/歌=4 ...そかに大本式にあらためている例がおおい。集『塵塚』に、〝この道を年月ふかく崇めき......、錦織貞雄・臼井達らとはかり、王仁三郎のをあつめた......集『山ほととぎす』をつくり、聖師の保釈運......をもつについても、頼母子講であるとか、短の会、活花の会やお茶の会、その他講習会な... 2066
2067 大本七十年史 下巻 第6編 >第3章 >3 護教 弁護活動への献金 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 4 件/歌=4 ...年九月に綾部から亀岡へうつった三代直日のに、〝のどのかわきに水欲る如く金ほしき思......太郎、大阪では山本祥三郎・野間田真道、和山・三重では大谷瑞淵・真砂幸一郎・岡房一......川の東又吉、石川の嵯峨保二・瀬領貞通、和山の大谷瑞淵らがあり、そのおおくは直日の...... 送金の布袋 小為替領収書など…… p561にたくした三代直日の献金にたいする礼状 ... 2067
2068 大本七十年史 下巻 第6編 >第3章 >3 護教 出口家の動静 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 13 件/歌=13 ...はげました。 昭和一二年に詠まれた直日のには、〝天の如き心を持ちて裁き給ふ人無き......世のいつまでつづく(墓参にかえりて)〟とわれている。しかしそうしたなかにあっても......ている。しかしそうしたなかにあっても、短・茶道・書道への修練はたゆみなくつづけら......の山や野を歩いたり、大和の史蹟をたずね和と歴史とにつながる、そこなわれない日本の......での茶会にまねかれている。「ごぎやう」の会に出席したこともあり、昭和一三年の夏ご......のもの、あるいはたずねてくる信者らにも短や茶道や書道への精進をすすめ、そのため「......〇人をこえるほどであった。信者にとっては誌や......会をとおして、三代直日にあえることはまた... 2068
2069 大本七十年史 下巻 第6編 >第4章 >1 第二次世界大戦の進行 治安維持法の「改正」 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 1 件/歌=1 ...いついでおこなわれ、七月には、御国教(和山、一〇人検挙)、九月には耶蘇基督教之新... 2069
2070 大本七十年史 下巻 第6編 >第4章 >1 第二次世界大戦の進行 日米の開戦 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 2 件/歌=2 ...った。 大本信者には、かねてより『瑞能神』(大正7・2月発表)に示されていた日本......いるところにもあきらかだが、局面がこの神の警告どおりに進んで行くことを感じた。「... 2070
2071 大本七十年史 下巻 第6編 >第4章 >2 第二審の公判(大阪控訴院) 判決 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 5 件/歌=5 ...ル証拠ト目セラ」れていた「十ニ段返ノ宣伝(被告人中野与之助事件第一号ニ掲載ノ......)」については、「王仁三郎ハ予審ニ於テ右......については、「王仁三郎ハ予審ニ於テ右宣伝ハ自己ノ作成シタルモノト詳述シ居レトモ ......や『昭和十年日記』に掲載された王仁三郎の六首が、皇室にたいする不敬と判定されたも......と判定されたものである。しかしそれらの短も、〝日の光昔も今も変らねど東の空にかか... 2071
2072 大本七十年史 下巻 第6編 >第4章 >3 王仁三郎らの保釈 保釈にいたるまで 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 4 件/歌=4 ...れた。未決勾留中、すみによってつくられたとして、「こころはひろく」と「まつりだい......せまいへやうちこころはひろく(『出口澄子集』)。 伊佐男はあいかわらず規則正しい......しみがふえた。のちに当時を回顧した聖師のには、〝愛とし子や知るべの人の送る文に我......で光をはなっていた 二代すみ子の未決での p619○迫害にもめげず成長する子や孫の姿... 2072
2073 大本七十年史 下巻 第6編 >第4章 >3 王仁三郎らの保釈 中矢田農園 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 6 件/歌=6 ...大検挙以来の第二次大本事件に関する回想のや、随想の......などを詠み、読書にもしたしんだ。また孫た......そろっての生活となった。そのころ詠まれたに、〝時にわれ死を願ひつる心もて幼らの為......ら「伊都能売会」と聖師によって命名された会が毎月ひらかれ、聖師が選者となった。出......家をはじめ、亀岡在住の信者たちによる応募は、毎月百数十首から二百数十首にのぼった......つくした木村一夫の墓参がなされている。短・茶道・書道の修練はそのあいだもたゆみな... 2073
2074 大本七十年史 下巻 第6編 >第5章 >1 再建への動き 1 再建への動き 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 4 件/歌=4 ...悠々自適の日々のなかで、数おおくの随想のをよまれている。 その随想の......のなかには、〝高山の頂き見ればまのあたり......けりこの行くさきは心ゆるすな〟など警世のがおおくみうけられるが、一九四三(昭和一......こころを〟などと詠まれている。 これらのは筆先に、「艮の金神は、この世を始めた神... 2074
2075 大本七十年史 下巻 第6編 >第5章 >1 再建への動き 暗黒の世 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 9 件/歌=9 ...の、巡りくるまの遠からず」とある『瑞能神』を、目のあたり見るおもいであった。 国......闇に顔、馬鹿者のみが行列に立つ」という狂は、その間の事情を物語っている。 聖師は......のちを愛しみはたらきたまへ〟という直日のがおくられたこともあり、また、〝北満に銃......れて、戦意昂揚への協力をよぎなくされた。人とても同様であった。昭和一七年の直日の......人とても同様であった。昭和一七年の直日の稿(ちりづか)に、〝時世の衣手ばやくきか......ちりづか)に、〝時世の衣手ばやくきかえき人のそのさかしさにあきれてわれは〟〝この......がはやるとよきそひてつくれ世の染物師「汝人よ」〟とよまれているのも注目される。こ......れとわが心ぬくめて世の隅にひとりひそかにつくらんを〟〝世の底にひとりなりともわれ... 2075
2076 大本七十年史 下巻 第6編 >第5章 >1 再建への動き 荊棘をこえて 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 1 件/歌=1 ...の研修のテキストには、『神諭』、『瑞能神』、『道のしおり』、『霊界物語』、ときに... 2076
2077 大本七十年史 下巻 第6編 >第5章 >2 事件の解決 大審院の判決 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 5 件/歌=5 ...までをかかげ、不敬とされた神諭の二点と短六首につき、いずれも不敬の意味でないこと......ちがいで、問題にならない。不敬の方はあのが不敬になるなんて、すぐには理解できない......いうか神がかりですね。霊界物語の中に讃美がありましたが、あれはバイブルのそのまま......はバイブルのそのままをみな七五調の日本のにしてしまったのですね。それが三日位で出......。これらの作業には、熊本・広島・高松・和山・山形などから、木庭・土居重夫・出口融... 2077
2078 大本七十年史 下巻 第6編 >第5章 >3 新生への準備 3 新生への準備 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 5 件/歌=5 ...れた色紙が信者にあたえられているが、そのには新生の意気込みが躍動しているといって......聖師は昭和一七年保釈出所以来、数おおくのを詠まれたが、国内各地はもとより、外地か......たずねてくる信者などの氏名を読み込んだ和は七五〇〇首をこえ、そのほかに道......・随想......などをしるした色紙や短冊で現在本部に保管... 2078
2079 大本七十年史 下巻 第6編 >第5章 >4 大本事件の性格とその意義 事件の意味するもの 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 6 件/歌=6 ...まも変らねど大内山にかかる黒雲」という和にしても、それはたんなる誤解に端を発した......誤解に端を発したものではない。多少とも和をまなんだものなら、がりにこの......が諷刺をふくんでいるとしても、「黒雲」は......のではなく、重臣などのありかたを意味したであることは、だれにも理解できるはずであ......解できるはずである。これを天皇を呪咀したとして不敬とするのは、誤解ではなく故意と......、誤解ではなく故意というほかはない。このに類するものは、いわゆる愛国者とよばれた... 2079
2080 大本七十年史 下巻 第7編 >第1章 >3 愛善苑の発足 両聖地の整備 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 2 件/歌=2 ...て、献灯のうえ礼拝がおこなわれた。聖師の日記には、〝拝礼のすがどの設備ととのひて......一年ぶりで、聖師は神苑にはいった。聖師の日記に、〝天恩郷春雨そぼつすが庭に石つき... 2080
2081 大本七十年史 下巻 第7編 >第2章 >1 出口聖師夫妻の巡教 出雲路の旅と鉢伏山 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 1 件/歌=1 ...夢か夢のなかなる夢の世のなか〟との感懐のがよまれているが、第二次大本事件でとらわ... 2081
2082 大本七十年史 下巻 第7編 >第2章 >1 出口聖師夫妻の巡教 紀州路の旅 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 1 件/歌=1 ...朝日・大阪毎日・大阪時事・新紀州新聞・和山新聞・熊野タイムスなどの新聞記者団有志... 2082
2083 大本七十年史 下巻 第7編 >第2章 >2 宗教活動の進展 本部と地方のうごき 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 7 件/歌=7 ...った。この年の一月一日にはもと九州別院の碑再建が地元信徒によってはじめられ、五月......北・北関東・南関東・北陸・静岡・東海・和山・近畿第一・近畿第二・三丹・鳥取・島根......び礼拝用として日拝詞を制定する。その他神の斉唱、八雲琴の採用、讃美......の制定」などが提案され実施されることとな......などが提案され実施されることとなった。神の斉唱は、この年の六月、あらたに刊行され......年の六月、あらたに刊行された出口聖師の道集『愛善の道』によってはじめられており、......、一一月には、綾部梅松苑と亀岡天恩郷に和山県から献納された梅苗五六七本が植えられ... 2083
2084 大本七十年史 下巻 第7編 >第2章 >2 宗教活動の進展 出版活動 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 2 件/歌=2 ...になった。聖師は昭和二一年三月一五日から日記をふたたびはじめられたが、第三号(昭......は、かつて聖師によって詠まれた数おおくののなかから、教えに関するもの五〇〇首を厳... 2084
2085 大本七十年史 下巻 第7編 >第2章 >2 宗教活動の進展 芸術への精進 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 7 件/歌=7 ...、愛善苑の新発足前から出口家を中心として会がおこなわれ、また謡曲・仕舞(宝生流)......曲・仕舞の会をもよおし、五月二九日には短会をひらいた。その後八月からは「アララギ......「アララギ」同人の夏山茂樹をむかえて毎月会をおこない、「愛善苑」には第二号以下毎......こない、「愛善苑」には第二号以下毎月愛善壇・愛善俳壇をもうけた。第八号以下、......壇の選者は夏山茂樹に、俳壇の選者は矢田挿......じめ約四〇〇人が参列した。 同日、苑主の集『愛善の道』のなかからえらんだ......を同志社高女教諭野村芳雄が作曲した。そし... 2085
2086 大本七十年史 下巻 第7編 >第2章 >3 宗教提携のうごき 愛善苑にたいする社会の反響 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 1 件/歌=1 ...いに活躍したい」とのべている。〔写真〕○ごえは希望にあふれ…一つにとけあい…たか... 2086
2087 大本七十年史 下巻 第7編 >第3章 >1 昇天 1 昇天 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 1 件/歌=1 ...て非常によろこばれたという。また聖師の道をえらんで編集した『愛善の道』が出版され... 2087
2088 大本七十年史 下巻 第7編 >第3章 >1 昇天 招魂祭と通夜 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 3 件/歌=3 ...人が、あふれでる涙をぬぐおうともせず愛善を合唱した。庭外のくらやみでは、すすりな......た。『霊界物語』を交代で拝読したり、讃美や愛善......を奉唱したり、あるいは追憶談などで、しめ... 2088
2089 大本七十年史 下巻 第7編 >第3章 >2 葬儀 告別式と遷柩 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 4 件/歌=4 ...つづき、偉大なる業績をしのび讃える弔詞、壇の大家から寄せられた追悼......、各界名士からの数百通の弔電は、これを読......上を突破した。「三千世界の救世主」と宣伝の合唱がわきおこり、それに力をえて雪の山......おって午前11時には三ノ宮についた 宣伝に力をえてさらに榎峠 質山峠をこえて綾部... 2089
2090 大本七十年史 下巻 第7編 >第4章 >1 道統の継承 二代の継承 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 1 件/歌=1 ...まではあまり教団行政に直接タッチせず、短・書画・茶道・謡曲・仕舞などの芸術的精進... 2090
2091 大本七十年史 下巻 第7編 >第4章 >1 道統の継承 二代苑主の指導精神 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 2 件/歌=2 ...しかしこの頃、そんなことする必要はない、さえ作っていたら天国へ行ける、などといっ......道につくせばこの世天国〟(二代苑主作)ののこころににじみわたっていた。 以上によ... 2091
2092 大本七十年史 下巻 第7編 >第4章 >2 教団体制の確立 造営と祭事 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 2 件/歌=2 ...れ、日拝詞は適宜に用いることにした。 神は昭和二二年六月五日、『愛善の道』が発行......節分からは、あらたに発行された『大本讃美』(『霊界物語』第六〇・六一・六二巻より... 2092
2093 大本七十年史 下巻 第7編 >第4章 >3 教勢の飛躍 委員長の全国遊説 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 1 件/歌=1 ...島根・鳥取・近畿第一・近畿第二・三丹・和山および四国の各教区など、わずか一年間に... 2093
2094 大本七十年史 下巻 第7編 >第4章 >3 教勢の飛躍 梅花運動 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 7 件/歌=7 ...文化、(夜間)信仰座談会・祭式指導・愛善の......唱指導など、(第五日)綾部参拝、彰徳殿・......のしおり』(昭和23・2)、第三編『宣伝集』(昭和23・8)、第四編『道の光』(......「神言」「講話─真の信仰・思い出」「宣伝(思い出)」「花明山音頭─基本宣伝......・一の谷嫩軍記」、および出口総長の「宣伝......・一の谷嫩軍記」、および出口総長の「宣伝(綾の聖地行)」を頒布、つづいて『大本讃......綾の聖地行)」を頒布、つづいて『大本讃美』『大本愛善苑の大要』、『霊界物語抄四』... 2094
2095 大本七十年史 下巻 第7編 >第4章 >3 教勢の飛躍 青年会・婦人会組織の確立 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 5 件/歌=5 ...図書・リーフレットの頒布をおこなった。和山では一市二町の一五ヵ所で実施し、オート......神をめぐる宗教と科学』が刊行された。愛善についてははやくから合唱団をつくり、講習......つとめてきたが、この年の一月からは愛善聖隊を全国的に組織して、愛善精神の高揚がは......あげ、さらに北海道・山形・静岡・石川・和山・広島・岡山・徳島などの各連合会でも、......・京都・大阪・神戸・牛窓・金沢・松江・和山・東京・姫路・浦和・法勝寺の一三地区で... 2095
2096 大本七十年史 下巻 第7編 >第4章 >4 人類愛善会の再出発 「人類愛善新聞」の再刊と運動の展開 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 2 件/歌=2 ...る第一の神器は愛善新聞なりけり〟(聖師の、昭和7年)との自覚と情熱がよみがえり、......身をもってしめした。そのときの二代総裁のには、〝神ながら信者の誠に胸うたれわれも... 2096
2097 大本七十年史 下巻 第7編 >第4章 >5 農事と芸術 愛善みずほ会の設立とその活動 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 1 件/歌=1 ...九(昭和二四)年の秋には、宮崎・岡山・和山等の暖地では黒沢式稲作法がかならずしも... 2097
2098 大本七十年史 下巻 第7編 >第4章 >5 農事と芸術 楽天社の発足宣言とその活動 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 22 件/歌=22 ...運動の再興であります。しかし明光運動が短、俳句、冠句等の文芸だけの分野であったの......清らかな高い心境で作られたものである」。人の吉井勇はその感激を、〝今の世にありが......外の大き世界に〟〝そのむかし君が数千の秀見しこと思い出でてわん見るものか〟と詠ん......い出でてわん見るものか〟と詠んでいる。〈まつり〉 昭和一〇年、聖師によって復興さ......り〉 昭和一〇年、聖師によって復興されたまつりは、大本事件によって中断されたまま......大阪住吉神社の住吉学園でとりおこなわれたまつりからである。このときはまだ地方的な......をつとめた。苑主は、〝有難や今日難波津のまつり瑞の霊のほほえみますらん〟のほか四......た。つづいて五月五日には、金沢分社主催のまつりが、金沢能楽堂でもよおされ、直日夫... 2098
2099 大本七十年史 下巻 第7編 >第5章 >1 巡教 1 巡教 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 15 件/歌=15 ...した。苑主は北海分苑に入り、東尾の霊前へ二首が電報で亀岡へ送られた。〝このみちを......わるころから気分が漸次快復した。その時の、〝母きみの伝えおかれし筆のしづく広島分......、鳥取県法勝寺分苑につく、四日は同分苑の碑除幕式に臨席した。一般参列者一五〇余人...... まつでおさまるみよぞかしこき〟の苑主のがきざまれている。先着の出口虎雄が苑主の......きざまれている。先着の出口虎雄が苑主の祝を朗詠し、夕食後余興のもよおしがあった。......て、一九五一(昭和二六)年一月一一日、和山県湯浅の紀州分苑堤清彦邸に入る。信徒へ......分苑(現東海本苑)に入る。分苑では苑主の碑除幕祭典がおこなわれた。参拝者三〇〇余......一(昭和二六)年静岡県吉原市における苑主碑除幕式にのぞむため、出口八重野・梅田や... 2099
2100 大本七十年史 下巻 第7編 >第5章 >2 二代苑主の昇天 発病 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 2 件/歌=2 ...。一二月の静岡県吉原市望月邸における苑主碑除幕式後は、地方からの要請かあっても出......みろく殿たつ日待たるる首をのばして〟の詠にも、その心情がうたわれている。完成の日... 2100
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