| 番号 | 文献名1 | 文献名2 | 文献名3 | 著者 | 発表年 | 詳細 | 本文内のヒット件数 | プレビュー(最大 8 件まで表示) | 番号 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 霊界物語 第22巻 如意宝珠 酉の巻 | 第5篇 神界経綸 | 第17章 生田の森〔709〕 | 出口王仁三郎 | 1922刊 | DB・ RMN |
全 2 件/紀州=2 | ...若彦一件でお出になつたのですな。若彦は今紀州に居りますか』『ハイ、......紀州の熊野の滝で大変に荒行を致して居る事を聞... | 1 |
| 2 | 霊界物語 第23巻 如意宝珠 戌の巻 | 第1篇 南海の山 | 第2章 副守囁〔714〕 | 出口王仁三郎 | 1923刊 | DB・ RMN |
全 1 件/紀州=1 | ...と言ふのですか』魔我彦『杢助はお前さまを紀州下りまで追ひやつて置き、お前の女房玉能姫... | 2 |
| 3 | 霊界物語 第25巻 海洋万里 子の巻 | 第5篇 千里彷徨 | 第17章 森の囁〔763〕 | 出口王仁三郎 | 1923刊 | DB・ RMN |
全 1 件/紀州=1 | ...な御教訓を賜はりまして有難う御座ります。紀州に於て高姫様に夫婦対面の所を見付けられ、... | 3 |
| 4 | 霊界物語 第27巻 海洋万里 寅の巻 | 第3篇 神仙霊境 | 第9章 女神託宣〔791〕 | 出口王仁三郎 | 1923刊 | DB・ RMN |
全 1 件/紀州=1 | ...の片腕にお成り遊ばして御座るぞよ。其方は紀州の辺鄙に永らく蟄居致して居つた故、知らぬ... | 4 |
| 5 | 霊界物語 第27巻 海洋万里 寅の巻 | 第3篇 神仙霊境 | 第10章 太平柿〔792〕 | 出口王仁三郎 | 1923刊 | DB・ RMN |
全 1 件/紀州=1 | ... 紀州熊野の片畔 天地の神の御教を 朝な夕な... | 5 |
| 6 | 霊界物語 第37巻 舎身活躍 子の巻 | 第3篇 阪丹珍聞 | 第20章 仁志東〔1032〕 | 出口王仁三郎 | 1924刊 | DB・ RMN |
全 2 件/紀州=2 | ...造作に閾をまたげてヌツと這入り、男『私は紀州の者で三矢喜右衛門と申します。稲荷講の福......属、稲荷講社総本部の配札係で御座います。紀州を巡回の折柄、ここの噂を承り、すぐさま総... | 6 |
| 7 | 霊界物語 第38巻 舎身活躍 丑の巻 | 第5篇 正信妄信 | 第24章 呪の釘〔1061〕 | 出口王仁三郎 | 1924刊 | DB・ RMN |
全 1 件/紀州=1 | ...く逐電して了つた。あとにて聞けば幸之助は紀州の故郷へ帰ると共に元治郎と同じ重病にかか... | 7 |
| 8 | 三鏡 | 水鏡 | 本宮山は平重盛の居城 | 出口王仁三郎 | DB・ RMN |
全 1 件/紀州=1 | ...つた。本宮、新宮、熊野神社、那智の滝等皆紀州の地名と同じである。又舞鶴はもと田辺と云... | 8 | |
| 9 | 三鏡 | 月鏡 | 十和田湖の神秘 | 出口王仁三郎 | DB・ RMN |
全 2 件/紀州=2 | ... 南僧坊決心固く夜の間に 寺門を抜けて紀州に向へり。 扨て紀伊国熊野山は本地弥陀の......て了つた。 斯くて男装坊は高野の山を下り紀州尾由村といふ所に差し掛り嘉茂と云へる有徳... | 9 | |
| 10 | 三鏡 | 玉鏡 | 素尊と稚姫岐美命 | 出口王仁三郎 | DB・ RMN |
全 1 件/紀州=1 | ...なつたのである。 かくて稚姫岐美命は遂に紀州の和歌の浦で神去りましたのである。玉津島... | 10 | |
| 11 | 全集 第2巻 宗教・教育編 | 【宗教編】第4篇 神霊世界 | 第26章 神霊問答 | 出口王仁三郎 | 1934刊 | DB・ RMN |
全 2 件/紀州=2 | ...にも行かしたら、そいつは吃驚してその晩に紀州へ去んでしまつた。それから翌日釘の穴に餅......釘を打つた奴は、何うなるのですか』王仁『紀州へ行つて病気になつた。それから西田に「行... | 11 |
| 12 | 全集 第5巻 言霊解・其他 | 【言霊解】日本書紀と現代 | 神武天皇御東征之段 | 出口王仁三郎 | 1935刊 | DB・ RMN |
全 1 件/紀州=1 | ...ので、今では茅渟の海と申します。それから紀州の雄の水門へ船で行かれますと、五瀬命が、... | 12 |
| 13 | 全集 第5巻 言霊解・其他 | 【言霊解】謡曲言霊録 | 〔一〕西王母 | 出口王仁三郎 | 1935刊 | DB・ RMN |
全 1 件/紀州=1 | ...山会場とは、仏教真言宗の開山弘法大師は、紀州の高野山なりと曰ひ、伝教大師は比叡山なり... | 13 |
| 14 | 王仁文庫 | 第6篇 玉の礎 | 16~31 | 1921刊 | DB・ RMN |
全 1 件/紀州=1 | ...く逐電したりけり。後にて聴けば、彼は生国紀州に帰ると共に、重き病に懸りて苦しめるよし... | 14 | |
| 15 | 二名日記 | 5月16日 於高松市新港町嶋中氏方 | 月の家(出口王仁三郎) | 1928刊 | DB・ RMN |
全 1 件/紀州=1 | ...らねど徳島某署より栗原総務を呼出し来る。紀州より熊々島田宣伝使ゴキゲンホウシと来電あ... | 15 | |
| 16 | 著作集 第5巻 人間王仁三郎 | 第3部 日記と書簡 >日記 | 晩年の日記(抄) | 出口王仁三郎 | 1972刊 | DB・ RMN |
全 3 件/紀州=3 | ...幹子氏京阪なる弟子ともなひて訪ね来ませり紀州より吉田若野氏両人はわれ迎ふべく来亀なし......台の自動車に分乗し一行九人大阪に向へり(紀州へ)捕鯨船大黒丸に乗りうつり見送人にわか......間に画筆はこびぬ十九日大観望丘の上に立ち紀州路のまめひとたちに面会をなす見わたせば海... | 16 |
| 17 | 大本史料集成 2 >第1部 明治・大正期の運動 | 第1章 出口王仁三郎関係文書 | 随筆『神霊界』大正8年11月1日号掲載 | 1982刊 | DB・ RMN |
全 2 件/紀州=2 | ...月五日(旧八月十三日)台風○○○○の山麓紀州沖に現はれ、地動これに伴ひ、山系の能登に......船シャートル、スヒリット号(五八六二頓)紀州沖にて暴風雨の為推進器を破壊し、航行不能... | 17 | |
| 18 | 大本史料集成 2 >第2部 昭和期の運動 | 第2章 昭和神聖運動 >第4節 神聖誌(抄) | 回顧四十年 | 出口王仁三郎 | 1982刊 | DB・ RMN |
全 1 件/紀州=1 | ...を悔改めしめる運動であらねばならぬ。嘗て紀州頼宣公が孝の道を知らない罪人に対して儒官... | 18 |
| 19 | 大本史料集成 2 >第2部 昭和期の運動 | 第2章 昭和神聖運動 >第5節 総本部日記 | 総本部日記 昭和9年 | 1982刊 | DB・ RMN |
全 4 件/紀州=4 | ... 六七、〇〇〇 大阪 六三、〇〇〇 紀州 一〇、〇〇〇 岡山 一七、〇〇〇 ......雛子、松平富士、福田弘二 第四区 大阪、紀州、岡山、広島 準備員 松岡晴祥 同補 石......地方本部(キヨ) 大阪 同(サカ) 紀州 同(キヰ) 岡山 同(オカ) 広島......月十七日 統管臨席の下に和歌山市に於ける紀州本部発会式挙行、貴志中将出席、講師下位、... | 19 | |
| 20 | 大本史料集成 2 >第2部 昭和期の運動 | 第2章 昭和神聖運動 >第5節 総本部日記 | 総本部日記 昭和10年 | 1982刊 | DB・ RMN |
全 1 件/紀州=1 | ...鳥取県)喜多(愛媛県)大阪住吉(大阪市)紀州那賀(和歌山県)四支部発会式挙行。●三月... | 20 | |
| 21 | 神霊界 | 大正8年11月1日号(第97号) | 随筆 | 王仁 | 1919刊 | DB・ RMN |
全 1 件/紀州=1 | ...月五日(旧八月十三日)台風○○○○の山麓紀州沖に現はれ、地動之に伴ひ、山系の能登に反... | 21 |
| 22 | 大本七十年史 上巻 | 第2編 >第3章 >2 教勢の発展 | 綾部神苑の拡張と整備 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 2 件/紀州=2 | ...熊野神社と名づけられた。その後素盞嗚尊は紀州方面に御進発になり、......紀州にもまた本宮・新宮・那智といふ熊野三社を... | 22 |
| 23 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第3章 | 地方組織の拡大 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/紀州=1 | ...会堂)・一六日大津支部(公会堂)・一七日紀州地方本部(和歌山市公会堂)・一八日西牟婁... | 23 |
| 24 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第3章 >3 護教 | 出口家の動静 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 2 件/紀州=2 | ...の神〟と返歌が書かれた。その後この屏風は紀州の大谷瑞淵におくられたが、新発足後の......紀州巡教のさい聖師夫妻が染筆され、のち本部に... | 24 |
| 25 | 大本七十年史 下巻 | 第7編 >第2章 >1 出口聖師夫妻の巡教 | 出雲路の旅と鉢伏山 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/紀州=1 | ...かで、一九四六(昭和二一)年には、山陰と紀州へ出口聖師夫妻の巡教の旅がおこなわれた。... | 25 |
| 26 | 大本七十年史 下巻 | 第7編 >第2章 >1 出口聖師夫妻の巡教 | 紀州路の旅 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 12 件/紀州=12 | ...一年七月一六日早朝、中矢田農園を出発して紀州路の巡教の旅にのぼった。自動車で大阪にゆ......新宮で、大阪朝日・大阪毎日・大阪時事・新紀州新聞・和歌山新聞・熊野タイムスなどの新聞......二〇人に面会し、午後四時よりおこなわれた紀州地方信徒物故者の慰霊祭に参列した。二五日......すぎ亀岡に帰着した。 聖師は七月一五日、紀州へ出発の前日、高血圧のため休養していたの......じめ側近の者が旅行の延期をすすめたが、「紀州に行かねば、ご用のすまぬことがある」とい......予定どおり出発されたものであった。聖師の紀州巡教にはつぎのようないきさつがある。 一......発した翌朝のことである。大谷瑞淵は聖師を紀州熊野へむかえた夢をみた。「ふしぎなことだ......に面会にいったとき、聖師から「お前たち、紀州に行って来い。わしは霊でいつも行っている... | 26 |
| 27 | 大本七十年史 下巻 | 第7編 >第3章 >1 昇天 | 1 昇天 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/紀州=1 | ...制作中にも高血圧でしばらく床についたり、紀州旅行のおりにも二、三度、高血圧症状でフラ... | 27 |
| 28 | 大本七十年史 下巻 | 第7編 >第5章 >1 巡教 | 1 巡教 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 3 件/紀州=3 | ...徒に講話があって、七日綾部にかえった。〈紀州路へ〉 苑主は桜井重雄を随行として、一九......(昭和二六)年一月一一日、和歌山県湯浅の紀州分苑堤清彦邸に入る。信徒へのみちびきのな...... p918○地方の祭典で先達される苑主 和歌紀州分苑 p919○二代苑主歌碑と苑主 鳥取県法... | 28 |
| 29 | 大本七十年史 下巻 | 第8編 >第1章 >3 教主補 出口日出麿 | 大本入信 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/紀州=1 | ...翌大正九年四月には広瀬義邦にともなわれて紀州へ初宣伝の旅をし、熊野三山に参拝した。こ... | 29 |
| 30 | 大本七十年史 下巻 | 第8編 >第1章 >4 信徒の指導と巡教 | 巡教 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 3 件/紀州=3 | ...かに芸術をもとめることの幸福を説いた。〈紀州へ〉 一九五二(昭和二七)年七月一六日、......七月一六日、教主は伊藤栄蔵・日向の随行で紀州巡教にむかった。主会からのむかえの人々や......接や揮毫などきわめて多忙な旅であったが、紀州には綾部とおなじ本宮・新宮などの地名があ... | 30 |
| 31 | 聖師伝 | 35 晩年の聖師 | 大本教学院・編 | 1953刊 | DB・ RMN |
全 3 件/紀州=3 | ...語り合われました。 さらに聖師御夫妻は、紀州の信者たちの懇望にこたえて、七月十六日早......月十六日早朝、亀岡を出発し、大阪より船で紀州路の旅につかれました。 十七日新宮市三輪......の染筆、屏風の揮毫などに時を過され、また紀州地方の物故者の慰霊祭に参列されたりして、... | 31 | |
| 32 | 聖師伝 | 【附録】 出口王仁三郎聖師年譜 | 大本教学院・編 | 1953刊 | DB・ RMN |
全 1 件/紀州=1 | ...帰し、これまでの大本瑞祥会を解消。 3月紀州官幣大社熊野神宮に参拝。 同月、伊勢神宮... | 32 | |
| 33 | 座談会 | 出口王仁三郎氏を囲む神霊座談会(一) | 1932刊 | DB・ RMN |
全 2 件/紀州=2 | ...行かしたら、そいつはびっくりしてその晩に紀州へ去んでしまった。それから翌日、釘の穴に......った奴はどうなるのですか』【出口氏】 『紀州へ行って病気になった。それから西田に「行... | 33 | ||
| 34 | その他 | 本宮山について | 出口王仁三郎 | 1935発表 | DB・ RMN |
全 4 件/紀州=4 | ...熊野神社と名づけられた。その後素盞嗚尊は紀州方面に御進発になり、......紀州にもまた本宮、新宮、那智といふ熊野三社を......弉那美尊を表してゐる訳だ。 ○ 紀州に音無瀬川といふのは和知川のことであり、......ことであり、山家から下流をいふのである。紀州に田辺といふ所があるが、府下の舞鶴は昔、... | 34 |