番号 | 文献名1 | 文献名2 | 文献名3 | 著者 | 発表年 | 詳細 | 本文内のヒット件数 | プレビュー(最大 8 件まで表示) | 番号 |
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1 | 霊界物語 第73巻 天祥地瑞 子の巻 | 第3篇 東雲神国 | 第26章 主神の降臨〔1857〕 | 出口王仁三郎 | 1933刊 | DB・ RMN |
全 2 件/至聖殿=2 | ...拝し、自ら御尾前に仕へまつり、高日の宮の至聖殿上に招ぎまつりける。 顕津男の神は主の大......れ』 斯く大神宣を宣り終りて、主の大神は至聖殿上に消ゆるが如く神姿をかくし給ひぬ。茲に... | 1 |
2 | 全集 第1巻 皇道編 | 第4篇 日本精神の真髄 | 第7章 至聖殿落成所感 | 出口王仁三郎 | 1934刊 | DB・ RMN |
全 2 件/至聖殿=2 | ... 茲に至聖殿は落成を告げ、大神様が御鎮座坐します運び......が御鎮座坐します運びになりました。 此の至聖殿は我々役員信徒が、神様の御神徳を戴き、又... | 2 |
3 | 王仁文庫 | 第8篇 八面鋒 | (三)至聖殿落成所感 | 1921刊 | DB・ RMN |
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4 | 霧の海 | 尾上の月 | 出口王仁三郎 | DB・ RMN |
全 1 件/至聖殿=1 | ...見おくりつ怪訝の念にしばしかられし 至聖殿二はしらの女神は左右の手をとりて吾を導き... | 4 | ||
5 | 惟神の道 | 勤皇報国 | 出口王仁三郎 | 1935刊 | DB・ RMN |
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6 | 大本史料集成 2 >第2部 昭和期の運動 | 第1章 運動の概要 >第2節 運動の情況 | みろく大祭報告並びに概況 概況 | 1982刊 | DB・ RMN |
全 4 件/至聖殿=4 | ...殿にお帰りになつた。一同は引続き行はれる至聖殿の祭典に列せんと天王平を引揚げた。......至聖殿祭典 天王平から帰つて来た参拝者はみろく......白嶺(以上十四名次第不順)の諸氏を率ひて至聖殿に御昇殿、御先達のもとに一同神言奏上、終...... みろく三会の暁きよし。 次で(至聖殿にて)御手づから御神饌物をお下げになり、... | 6 | |
7 | 大本史料集成 2 >第2部 昭和期の運動 | 第1章 運動の概要 >第2節 運動の情況 | みろく大祭報告並びに概況 報告 | 1982刊 | DB・ RMN |
全 1 件/至聖殿=1 | ...であつたのであります。 三月三日聖師様は至聖殿に於て御拝礼の後左の神歌を御朗吟遊ばされ... | 7 | |
8 | 大本史料集成 2 >第2部 昭和期の運動 | 第1章 運動の概要 >第4節 随感録 >(一)八面鉾 | 第3章 至聖殿落成所感 | 1982刊 | DB・ RMN |
全 3 件/至聖殿=3 | ... 至聖殿落成所感 茲に......至聖殿は落成を告げ、大神様が御鎮座坐します運び......が御鎮座坐します運びになりました。 此の至聖殿は我々役員信徒が、神様の御神徳を戴き、又... | 8 | |
9 | 大本史料集成 2 >第2部 昭和期の運動 | 第2章 昭和神聖運動 >第2節 昭和青年誌(抄) | 聖師更生祭 歓呼祝呼に充たされた四日間 | 1982刊 | DB・ RMN |
全 1 件/至聖殿=1 | ...麿師令嬢、操様。三代に亘る縮図の交錯する至聖殿のスナツプ。○八雲琴が殿内をいよいよ荘厳... | 9 | |
10 | 大本史料集成 3 >第2部 第二次事件関係 | 第2章 裁判所資料 | 第1節 予審終結決定 | 1985刊 | DB・ RMN |
全 1 件/至聖殿=1 | ...諾したるを以て同年三月三日右綾部町本宮の至聖殿及みろく殿に於てみろく大祭を執行し、すみ... | 10 | |
11 | 大本史料集成 3 >第2部 第二次事件関係 | 第2章 裁判所資料 >第2節 地裁公判速記録(出口王仁三郎) | 地裁公判速記録(1) | 1985刊 | DB・ RMN |
全 1 件/至聖殿=1 | ...菩薩の一人として、被告人王仁三郎に従つて至聖殿に昇殿致しまして、相共に神殿に於てみろく... | 11 | |
12 | 大本史料集成 3 >第2部 第二次事件関係 | 第2章 裁判所資料 >第2節 地裁公判速記録(出口王仁三郎) | 地裁公判速記録(4) | 1985刊 | DB・ RMN |
全 6 件/至聖殿=6 | ...●至聖殿の国霊石午後三時三十六分開廷裁判長王仁三......ぬのですがな。見たことがありまへぬ。問 至聖殿の奥に入つて居つたのですがね。 之にはな......すか是は……ちよつと触らして下さい。問 至聖殿の中に入つて居つたのです、之を御祀して居......いて居ります。問 紋付を着て居るね、是は至聖殿の一番貴重な所に……。答 是は池の底から......霊の神として祀つて居つたのです。問 是は至聖殿の奥にあつたから、是は一番尊い神様ぢやな......尊い神様ぢやないのか。答 違ひます。是は至聖殿を守護して居る神です。問 ミロク大祭も此... | 12 | |
13 | 大本史料集成 3 >第2部 第二次事件関係 | 第2章 裁判所資料 >第2節 地裁公判速記録(出口王仁三郎) | 地裁公判速記録(7) | 1985刊 | DB・ RMN |
全 8 件/至聖殿=8 | ...面諸菩薩は参集者十七名なるを以て、「明日至聖殿に昇殿すべき旨、明日以後の大本は立替立直......とがあつたら…… 状況のことは先づ、この至聖殿には被告人及澄が先に述べた十七名の者を率......たかも知れまへぬ。問 出口家の家族の者も至聖殿に上つたのですか。答 昇つた者も昇らぬ者...... ずつと並んだと云ふのだが、被告人と澄は至聖殿の階段の上の方にか。答 階段の上はちつと......。答 八人づつ横縦陣を張つたのです。問 至聖殿に向つて。答 ......至聖殿に向つて、......至聖殿の中の神殿に向つて……それより場所が取れ......たので、私は其の十七名の者に対して、『今至聖殿に於て自分が林檎を三つ取つたのは、日、月... | 13 | |
14 | 大本史料集成 3 >第2部 第二次事件関係 | 第2章 裁判所資料 >第2節 地裁公判速記録(出口王仁三郎) | 地裁公判速記録(8) | 1985刊 | DB・ RMN |
全 4 件/至聖殿=4 | ...、此のミロク大祭に於ては出口家以外の者を至聖殿に昇殿せしめた、と云ふのは、このミロク大......今迄皆上つて居ります。問 祭主以外の者は至聖殿に昇殿したと云ふ者はないのでせう。答 な......五回の三問答の三千五百十六頁に、「従来、至聖殿には出口家の者及び祭典係以外の者は昇殿を......すか。問 うん。「三年三月三日以後、同日至聖殿に昇殿した私等十九名、大本の最高幹部信者... | 14 | |
15 | 神霊界 | 大正9年9月21日号(第127号) | 至聖殿落成式所感 | 教主輔大先生御講演筆記 | 1920刊 | DB・ RMN |
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16 | 大本七十年史 上巻 | 第2編 >第3章 >2 教勢の発展 | 綾部神苑の拡張と整備 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 3 件/至聖殿=3 | ...奥につくることとなり、渡り橋をへて別棟の至聖殿を造営する運びとなった。とうして一九二〇......竜殿に遷座されていた大本皇大神の神霊は、至聖殿の竣工とともにここに遷座された。あとの金......もの p441○人型 p443○(上)教主殿 (中至聖殿 (下)祖霊社 ──金竜殿 p444○本宮山... | 16 |
17 | 大本七十年史 上巻 | 第2編 >第3章 >2 教勢の発展 | 亀岡大道場 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 2 件/至聖殿=2 | ...らが講師となった。 九月一四日に、綾部の至聖殿落成式がおこなわれたのを期として、綾部で......は亀岡へうつされることになり、教務局は「至聖殿落成と共に綾部五六七殿に於ては御筆先の奉... | 17 |
18 | 大本七十年史 上巻 | 第3編 >第2章 >1 検挙 | 第一回家宅捜査 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 1 件/至聖殿=1 | ...た神宝数点が押収された。 みろく殿では、至聖殿の神体を点検し、筆先類を押収し、東石の宮... | 18 |
19 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第1章 >1 現界的活動へ | みろく大祭 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 2 件/至聖殿=2 | ...・桜井同仁・西村光月・栗原白嶺らとともに至聖殿に昇殿した。この日はいつものような大祭の......出口王仁三郎 右は二代教主出口すみ子 p5至聖殿 p8○昭和3年6月張作霖が爆殺された 奉... | 19 |
20 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第2章 >1 満州事変と大本 | 大本本部の指導態度 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/至聖殿=1 | ...葉は、強く信者に印象づけられた。宇知麿は至聖殿祭典後、五六七殿において「愈々覚悟すべき... | 20 |
21 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第4章 >2 教団の充実 | 神苑の造営と祭事 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 2 件/至聖殿=2 | ...部〉 一九三一(昭和六)年八月一九日には至聖殿の、ついで一〇月二九日には五六七殿の瓦屋......いった 亀岡 天恩郷 p233○五六七殿 右至聖殿 上方は本宮山の穹天閣と三六亭 綾部 p23... | 21 |
22 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第1章 >2 検挙への準備 | 閣議決定 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/至聖殿=1 | ...るという祭典をおこない、一〇数人の幹部が至聖殿に昇殿し、祭典を執行したのち新人事を発表... | 22 |
23 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第2章 >1 昭和一〇年一二月八日 | 綾部と亀岡を急襲 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/至聖殿=1 | ...(機場)⑦金龍海⑧大八洲神社⑨五六七殿⑩至聖殿⑪穹天閣⑫三六亭⑬長生殿基礎⑭東石の宮⑮... | 23 |
24 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第3章 >2 第一審の公判(京都地方裁判所) | 事実審理 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 2 件/至聖殿=2 | ...「結社」を組織したという昭和三年三月三日至聖殿に昇殿した一七人のうち、梅田常次郎・浅野......いうものであった。とくにみろく大祭のとき至聖殿に昇殿した被告人たち全員は、「国体変革の... | 24 |
25 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第3章 >3 護教 | 信仰の護持 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/至聖殿=1 | ...六七殿跡にたたずむ信者 一段高いところは至聖殿跡 うしろは本宮山 綾部 p549○廃墟には... | 25 |
26 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第4章 >2 第二審の公判(大阪控訴院) | 第二審 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/至聖殿=1 | ...日には昭和三年三月三日みろく大祭のおり、至聖殿に昇殿しておりながら起訴されなかった浅野... | 26 |
27 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第4章 >2 第二審の公判(大阪控訴院) | 判決 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/至聖殿=1 | ...」とし、「大祭前日ノ教主殿ニ於ケル会合 至聖殿ニ於ケルみろく祭典ヲ以テ国体変革ヲ目的ト... | 27 |
28 | 聖師伝 | 23 大本の発展 | 大本教学院・編 | 1953刊 | DB・ RMN |
全 1 件/至聖殿=1 | ...な大正八年であります。大正九年には綾部の至聖殿の工事が完成し、亀岡には大道場が落成して... | 28 | |
29 | 聖師伝 | 30 大正より昭和へ | 大本教学院・編 | 1953刊 | DB・ RMN |
全 1 件/至聖殿=1 | ...王平の奥津城に参拝後、幹部十数名とともに至聖殿に昇殿し、祝詞を奏上されて次のような歌を... | 29 | |
30 | 聖師伝 | 33 第二次大本事件 | 大本教学院・編 | 1953刊 | DB・ RMN |
全 1 件/至聖殿=1 | ...で、幹部十数名を諸面諸菩薩になぞらえて、至聖殿に昇殿し、いよいよこれから現実的、積極的... | 30 | |
31 | 暁の烏 | 第一章 | 井上留五郎 | 1925刊 | DB・ RMN |
全 1 件/至聖殿=1 | ...篇三三……六四の裏の神諭同、八篇三二……至聖殿竣成所感神霊界、大正七、一〇、一五号四、... | 31 |