番号 | 文献名1 | 文献名2 | 文献名3 | 著者 | 発表年 | 詳細 | 本文内のヒット件数 | プレビュー(最大 8 件まで表示) | 番号 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
4701 | 新月の光 | 笑いのとまらぬ仕組 | 木庭次守・編 | 1988刊 | DB・ RMN |
全 1 件/王仁=1 | ...1 神獣1 神1 鹿1 守1 昭和十七年八月七日1 出口王仁三郎聖師1 置戸1 神業1 面会1 三十二年七月三... | 4701 | |
4702 | 新月の光 | 中外日報 | 木庭次守・編 | 1988刊 | DB・ RMN |
全 2 件/王仁=2 | ...十一年九月三日号1 四頁1 講演旅行中1 八段目王仁三郎翁病1 出口......王仁三郎翁1 先月二十六日突然血圧亢進1 症状1 要... | 4702 | |
4703 | 新月の光 | これが王仁の役 | 木庭次守・編 | 1988刊 | DB・ RMN |
全 1 件/王仁=1 | ...問1 早1 病気1 頂1 答1 時節1 細工1 仕上1 見1 下王仁1 役1 ... | 4703 | |
4704 | 新月の光 | 瑞生祭のはじまり | 木庭次守・編 | 1988刊 | DB・ RMN |
全 1 件/王仁=1 | ...走1 久々1 拝顔1 祝辞1 信者1 多1 思召1 祭1 頂1 王仁1 三十二1 言葉1 出口宇知麿氏1 如何1 伺1 事1 ... | 4704 | |
4705 | 新月の光 | 皆王仁だ | 木庭次守・編 | 1988刊 | DB・ RMN |
全 3 件/王仁=3 | ...王仁3 聖師1 指1 自分自身1 一々否定1 教務部長1 東... | 4705 | |
4706 | 新月の光 | 歌集『愛善の道』 | 木庭次守・編 | 1988刊 | DB・ RMN |
全 1 件/王仁=1 | ...前1 教典1 最初1 新発足1 拝読1 天祥地瑞1 出口王仁三郎著1 静養中最1 程1 本1 持1 右手掌1 大変1 ... | 4706 | |
4707 | 新月の光 | 聖師の御昇天(昭和二十三年正月十九日) | 木庭次守・編 | 1988刊 | DB・ RMN |
全 1 件/王仁=1 | ...1 呑1 無意識1 土手1 切1 溢1 物語1 胸1 打1 出口王仁三郎聖師1 今更1 聖体1 二十日1 晩1 十日間1 通... | 4707 | |
4708 | 新月の光 | 大本の火継の神事 | 木庭次守・編 | 1988刊 | DB・ RMN |
全 2 件/王仁=2 | ...紋服1 有合1 絵本苑1 来1 更1 用意1 墓前祭1 出王仁三郎教祖1 姓1 名1 女性1 開祖1 教祖1 炊1 継承...... 前1 更生車1 種油1 燈芯1 錻力1 容器1 一1 出口王仁三郎聖師1 用1 抱1 二代教主1 先供1 讃美歌1 昭... | 4708 | |
4709 | 新月の光 | 大本開祖の願い | 木庭次守・編 | 1988刊 | DB・ RMN |
全 1 件/王仁=1 | ... 木庭1 大本二代教主出口1 信者様1 子様1 出口王仁三郎聖師1 出口直子刀自1 御開祖1 度々教1 向1... | 4709 | |
4710 | 新月の光 | 梅花の芳香を放つ聖師 | 木庭次守・編 | 1988刊 | DB・ RMN |
全 1 件/王仁=1 | ... 全1 綾部1 奥都城1 埋葬祭1 天国1 昇天1 花匂1 王仁1 ... | 4710 | |
4711 | 新月の光 | 歌集『言華』 | 木庭次守・編 | 1988刊 | DB・ RMN |
全 1 件/王仁=1 | ...集1 東1 刊行1 月々1 昭和七年1 昭和十年1 出口王仁三郎著第十二歌集1 言華1 謄写製本1 約六千首... | 4711 | |
4712 | 新月の光 | 歌集『月照山』『神国の花』 | 木庭次守・編 | 1988刊 | DB・ RMN |
全 2 件/王仁=2 | ...1 第十三歌集1 七千五百首1 他1 花1 神国1 出口王仁三郎第十四歌集1 姓名読込歌七千五百首1 私1 ......自身1 渡1 半折1 色紙1 短冊1 面会者1 昇天1 書1王仁1 見1 日1 保釈出所1 謄写製本1 タイプ1 ... | 4712 | |
4713 | 新月の光 | 王仁校正本『霊界物語』 | 木庭次守・編 | 1988刊 | DB・ RMN |
全 4 件/王仁=4 | ...霊界物語5 校正4 最後3 上3 王仁校正本3 大本3 押2 神典2 拇印2 神勅2 執筆2 最2...... 世界1 宗教1 教祖自1 教典1 印刷1 口述1 神策1 王仁校正1 発表1 昭和九年1 十年1 三五教1 御教1 光... | 4713 | |
4714 | 新月の光 | 歌日記全四十五巻 | 木庭次守・編 | 1988刊 | DB・ RMN |
全 1 件/王仁=1 | ...語1 余白1 高野綱雄裁判長1 大正十四年1 陳述1王仁1 暴露主義1 大本第二次事件中1 通1 昭和八年... | 4714 | |
4715 | 新月の光 | 皇居園遊会 | 木庭次守・編 | 1988刊 | DB・ RMN |
全 1 件/王仁=1 | ...最中1 敬神尊皇愛国1 人類愛善1 権化1 御尊父1王仁三郎聖師1 生1 深1 思1 詠1 皇居春1 友1 ハ2 ... | 4715 | |
4716 | 新月の光 | 出口王仁三郎著『惟神の道』 | 木庭次守・編 | 1988刊 | DB・ RMN |
全 1 件/王仁=1 | ...1 横浜1 三千人1 仲士1 親分1 内海健朗氏1 出口王仁三郎著1 三千六百個1 昭和二十年1 ... | 4716 | |
4717 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第2章 >3 大本出現の意義 | 初発の神諭 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 1 件/王仁=1 | ...のことばや、初期の筆先を、のちに聖師出口王仁三郎がとりまとめて、一九一七(大正六)年... | 4717 |
4718 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第3章 >1 幼少のころ | 出生 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 1 件/王仁=1 | ...産の男の子喜三郎こそ、後年の大本聖師出口王仁三郎である。 喜三郎の生家上田家は、古く... | 4718 |
4719 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第4章 >3 幽斎の研究と稲荷講社 | 布教活動と警察の干渉 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 1 件/王仁=1 | ...先で「おにさぶろう」と命名されたので、「王仁三郎」と改めるようになる。〔写真〕○妙霊... | 4719 |
4720 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第6章 >3 弥仙山ごもり | 岩戸開き | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 4 件/王仁=4 | ...変わりて、善一すじの道へ立ち帰りて、出口王仁三郎と名をいたすから」とあって、これまで......とのときをきして、上田姓をあらためて出口王仁三郎とよばれることになった。その後稲荷講......神界へお願いいたして下されよ」とあった。王仁三郎の自筆で「明治三十六年四月二十八日、......ひ〟とみ名をたまわりしときのしるし(出口王仁三郎筆) p249○種痘の罰金を知らせた手紙... | 4720 |
4721 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第7章 >1 会長の教説 | 救いの教義 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 3 件/王仁=3 | ...作されたものであったが、それでも会長は「王仁は常に此等の役員信者の罪をゆるされんこと......くる。このことは『道の大本』の第六巻に「王仁、神の愛によりて生れくさぐさの苦しみ、な......があったとされ(『道の栞』1)、さらに「王仁のこころのうちにみづのみたまあまくだりて... | 4721 |
4722 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第7章 >2 会長の研鑽と綾部の苦況 | 祭事の継承 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 1 件/王仁=1 | ...た。内部のはげしい対立のなかで、会長出口王仁三郎の研鑽がすすみ、宗教活動合法化の準備... | 4722 |
4723 | 大本七十年史 上巻 | 第2編 >第1章 >1 大日本修斎会 | 創立の状況 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 10 件/王仁=10 | ...大日本修斎会に改めた再編成がそれである。王仁三郎は、その年の一月の末ごろより、すでに......そして翌月の『本教講習』には、中教正上田王仁三郎作の「感謝と祈願」と「祖先拝詞」が公......」が公にされ、祭式の充実がはかられた。 王仁三郎はかねてより、大本をいち早く独立教団......の名称を他方にかかげねばならぬところに、王仁三郎の苦心があった。御嶽教の方からは、九......正し、内部を整備して名簿を作成するなど、王仁三郎を中心に教団組織の体形化がこころみら......大本祭式がしだいに形をととのえていった。王仁三郎は、御嶽教大本教会は綾部から宮津に移......神話や日本人の心性にもとめていることは、王仁三郎の古事記解釈の観点と結びあわされてい......らぬというのである。この「創立要旨」は、王仁三郎の筆になると考えられる。 「創立要旨... | 4723 |
4724 | 大本七十年史 上巻 | 第2編 >第1章 >1 大日本修斎会 | 王仁三郎の帰綾 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 16 件/王仁=16 | ...本修斎会の本格的活動の開始にともなって、王仁三郎の役割はますます重要となってきた。と......」と、きびしく申渡され、会活動にとって、王仁三郎は不可欠の存在となった。......王仁三郎の帰綾の必要性は、日時の経過とともに......か二〇名に満たなかった実情とくらべれば、王仁三郎のはたらきが、いかに多く寄与したかを......かに多く寄与したかを知ることができる。 王仁三郎は、前にものべたとおり、亀岡から福知......が、それによれば、奥村は浅野に「あの方(王仁三郎)のいう世界統一たらいうホラのような......でござります」と語っている。そのように、王仁三郎の霊術に心服しているものが相当にあっ......霊術に心服しているものが相当にあった。 王仁三郎は、綾部に口丹波に、あるいは京都・大... | 4724 |
4725 | 大本七十年史 上巻 | 第2編 >第1章 >1 大日本修斎会 | 「直霊軍」の創刊 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 12 件/王仁=12 | ...(明治四二)年をむかえると、綾部に帰った王仁三郎の直接指導によって、大本の動きはとみ......版印刷所」に移された。編集兼発行人が上田王仁三郎になったのは、第六号、八月二三日発行......社会の耳目をあつめるのに効果があった。 王仁三郎が最初に着手したのは、開祖の筆先の中......告」を、解説的にだしてゆくことであった。王仁三郎は、「直霊軍」の創刊の辞でつぎのよう......つつあるのみ…… こうした時代に処して、王仁三郎はまず「敬神忠君愛国の志士は来って、......。その理由としてつたえられていることに、王仁三郎は、筆先のなまのままを発表することに......が、当時の古い役員や信者の中には、なお、王仁三郎にたいする微妙な反発感情が残っていた......一つには、「立替え立直し」を前提として、王仁三郎がもっていた思想をある程度示して社会... | 4725 |
4726 | 大本七十年史 上巻 | 第2編 >第1章 >1 大日本修斎会 | 造営と宣教 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 12 件/王仁=12 | ...〇坪の隣接地を三六〇円で買入れた。ついで王仁三郎は、同年七月一日(旧六月三日)大神様......)大神様お宮敷地の地鎮祭をおこなったが、王仁三郎が帰綾してから広前がにわかに活気づき......を招いて打合わせをし、その翌二七日には、王仁三郎と四方与平・大工の三人が、綾部町味方......見の瓦師安田庄太郎にその図面を送付した。王仁三郎はいったん造営に着手すると、早朝から......郎はいったん造営に着手すると、早朝から、王仁三郎はじめ役員・信者は総出で献労にはげみ......おこなった。いよいよ神殿が竣工したので、王仁三郎・梅田常次郎たち二五人は、一一月二一......その夜の二二日(旧一〇日)の一一時より、王仁三郎斉主のもとに神殿の落成式と遷宮式を挙......をいましめられたのである。 それだから、王仁三郎が、当時さかんに用いた「鎮魂帰神」の... | 4726 |
4727 | 大本七十年史 上巻 | 第2編 >第1章 >1 大日本修斎会 | 明治の晩期 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 19 件/王仁=19 | ... 一九一一(明治四四)年一月三日、王仁三郎は、竹原房太郎をつれて島根県の出雲大......ても、意義の深いことであった。このときの王仁三郎の大社訪問は一九〇一(明治三四)年の......(明治四四)年一月五日には、正式に、上田王仁三郎(三九才)と出口すみ(二七才)の婚姻......婚姻届が綾部町役場に出された。この日から王仁三郎は出口姓にあらためられる。長女の上田......重野(一才)も、同時に出口姓になった。 王仁三郎の改姓=婚姻届がおくれたのは、......王仁三郎が上田家の長男(嗣子)であって、他家......嗣子となるためには戸籍手続がむつかしく、王仁三郎が上田家から隠居した後でないと、他家...... 二月二三日、当主の開祖なおは隠居して、王仁三郎がいよいよ家督をついだ。土地・家屋(... | 4727 |
4728 | 大本七十年史 上巻 | 第2編 >第1章 >2 大正の初期 | 大本教の教規と信条 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 9 件/王仁=9 | ...になるのである。ここに「管長」とあるのは王仁三郎のことであり、このころから筆先では、......は、開祖のことを「おおかみさま」とよび、王仁三郎のことを「管長さん」とよぶようになっ......ことを「管長さん」とよぶようになった。 王仁三郎が小松林の守護といわれた明治三〇年代......(一八九七年以降)には、筆先でも、一時は王仁三郎を悪のかがみとしていましめられたこと......、明治の末期から大正期に入ると、変性女子王仁三郎は坤の金神のご用として確認され、開祖......郎は坤の金神のご用として確認され、開祖も王仁三郎をいっそう重視して、教団の運営につい......う重視して、教団の運営については、これを王仁三郎にまかせることとなった。 一九一三(......月、四二才で帰幽した。 同年八月二九日、王仁三郎の長男六合大が生まれたが、七ヵ月あま... | 4728 |
4729 | 大本七十年史 上巻 | 第2編 >第1章 >2 大正の初期 | 「敷島新報」と直霊軍部隊 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 6 件/王仁=6 | ...機関誌の再刊が実現したわけである。ことに王仁三郎は、印刷文書による宣教ということに前......へと発展した。 これらの事実によっても、王仁三郎がいかに文書宣伝の重要性と、時代の傾......人々が参集して、池の開掘がはじめられた。王仁三郎はその陣頭指揮にあたり、朝早くから日......殖し、事業に充当すべき計画として、会長(王仁三郎)其他有力なる会員社員となり、無限責......よりさきのことであるが、五月一六日には、王仁三郎は梅田教統をともない、滋賀県近江八幡......の四文字をみて帰綾した。この水茎文字は、王仁三郎が二七才の秋、大石凝真素美にともなわ... | 4729 |
4730 | 大本七十年史 上巻 | 第2編 >第1章 >3 皇道大本 | 改称の理由 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 1 件/王仁=1 | ...ました。 一九一六(大正五)年四月五日、王仁三郎は二〇余人をともない、橿原神宮および... | 4730 |
4731 | 大本七十年史 上巻 | 第2編 >第1章 >3 皇道大本 | 浅野の入信 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 4 件/王仁=4 | ...を感じ、やがて初参綾となったのである。 王仁三郎は四月二八日、浅野夫妻らと綾部を出発......た。そして浅野に審神者の資格をあたえた。王仁三郎は八日横須賀を引上げて京都に帰着し、......を確信するにいたった。一一月二八日には、王仁三郎は村野滝洲をしたがえて、ふたたび横須......人たちが連日参集している。一二月一〇日、王仁三郎は、さきに綾部移住を決意した浅野夫妻... | 4731 |
4732 | 大本七十年史 上巻 | 第2編 >第1章 >3 皇道大本 | 神島開き | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 19 件/王仁=19 | ...一九一六(大正五)年のある春の夜のこと、王仁三郎の霊眼に、坤の方面の沖あいの海のなか......この島をその後に「神島」とよんでいるが、王仁三郎の霊覚によれば、この神島に、坤の金神......るために、六月二五日(旧五月二五日)に、王仁三郎は直日・大二ら一行六〇人とともに、大......力で、出船の準備がすすめられた。その間に王仁三郎は「坤の金神」として女装した。準備が......無事神島に上陸することができた。 一行は王仁三郎を先頭にして、六尺あまりの矢竹が生い......トルばかりあがった平面の地を斎場にした。王仁三郎は竹で弓(つるは火縄を利用)矢をつく......離島した。午後七時すぎ高砂の浦に安着し、王仁三郎の一行は神戸三ノ宮の山口旅館に一泊、......坤の金神との対面にあると解されて、開祖と王仁三郎との間にお祝の盃があった。 九月八日... | 4732 |
4733 | 大本七十年史 上巻 | 第2編 >第1章 >4 「神霊界」の発刊 | 創刊の辞と檄 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 1 件/王仁=1 | ...的宣教にふみだそうということは、かねがね王仁三郎が意図するところでもあったので、浅野... | 4733 |
4734 | 大本七十年史 上巻 | 第2編 >第1章 >4 「神霊界」の発刊 | 神諭の発表 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 5 件/王仁=5 | ... 開祖の平がなばかりの筆先を、王仁三郎が漢字をあててその真意をわかりやすく......のを、大本では「大本神論」とよんでいる。王仁三郎は、すでに一九一四(大正三)年ころか......の魂をうつものがあった。それらの神諭は、王仁三郎がその都度選択して発表したものである......ことであった。その根本的な理由としては、王仁三郎が筆先を慎重にとりあつかい、かねがね......た後に、みろくの神の関係が明らかになり、王仁三郎の神業における位置が確定したというこ... | 4734 |
4735 | 大本七十年史 上巻 | 第2編 >第1章 >4 「神霊界」の発刊 | 海軍関係・知識層等の参綾 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 11 件/王仁=11 | ...、二月四日には武術大会を開催し、そのあと王仁三郎と浅野が大本講演をした。参集した町内......識人や海軍関係者のあいつぐ来訪によって、王仁三郎の日常が多忙をきわめたことはいうまで......神霊界」の一〇月号にはそのことについて、王仁三郎は次のように記している。 「間断なき......である。つぎに記すのはその一端である。 王仁三郎は浅野・大宮守子らの一行一一人で、四......事をおえて一行は二七日に綾部に帰着した。王仁三郎はじめ男子は、当時においては長髪の者......でも衆目をひいた。 四月二八日には開祖・王仁三郎・役員・信者数百人が、福知山の八幡宮......および一宮神社に参拝し、五月二五日には、王仁三郎は百余人とともに神島に参拝した。帰路......米」を多量にもちかえる。八月二五日にも、王仁三郎の一行七人は、風浪のなかを神島に参拝... | 4735 |
4736 | 大本七十年史 上巻 | 第2編 >第1章 >5 大正維新の主張 | 皇道論 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 9 件/王仁=9 | ...表とともに、社会の注目をあつめたものに、王仁三郎の「大正維新」の主張がある。......王仁三郎は年来研究していた皇道論を発表する時......道と神道とは同一視されやすかった。そこで王仁三郎は、「世俗往々にして我が大日本修斎会......玉・皇典古事記・大日本神国のことである。王仁三郎の論説によれば、崇神天皇は、「世界的......とり入れたのをはじめ、応神朝には百済から王仁が来て、論語・千字文をもたらし、欽明朝に......の主張が、皇道維新によって成就するという王仁三郎の論拠は、そのような前提にたっていた......ような前提にたっていた。そのことについて王仁三郎は、つぎの筆先を引用して「時節には神......ならないとした。〔写真〕○綾部新聞 p364王仁三郎の居室 1919-大正8年 教主殿竣... | 4736 |
4737 | 大本七十年史 上巻 | 第2編 >第1章 >5 大正維新の主張 | 大正維新論 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 2 件/王仁=2 | ...ものであるにすぎないと結論づけている。 王仁三郎の所論にみられる、大正維新の第一の前......教育制度の根本的改革を主張する。 なお、王仁三郎の「神政復古の本義」によれば「明治天... | 4737 |
4738 | 大本七十年史 上巻 | 第2編 >第2章 >1 昇天 | 昇天の前後 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 10 件/王仁=10 | ... 王仁三郎によって、教理の現代化と組織の整備を......の設立も順調に発展してゆく。三月下旬には王仁三郎が松江・鳥取に出張して宣教にあたった......おひねり」のご用をつづけられた。 ある日王仁三郎は、しだいに拡張されて美しくなってゆ......内にでてゆこうとされる様子がない。そこで王仁三郎は、老齢の身を案じ、みずから開祖を背......祖を背に負って巡覧してもらった。このとき王仁三郎に、開祖から「結構でした。ご苦労でし...... あけて、八月一八日(旧七月一二日)から王仁三郎は、七五日間、身魂の大洗濯として神界......が峠であるから是非聞いておくように」と、王仁三郎のこと、すみ(二代)のこと、ことに直......えはお礼をせずともよい。明日からは先生(王仁三郎)がお礼をするとおっしゃられる」との... | 4738 |
4739 | 大本七十年史 上巻 | 第2編 >第2章 >1 昇天 | 葬儀 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 3 件/王仁=3 | ...こない、すみ(二代)・直日(三代)・教主王仁三郎・出口家の親族・信者総代浅野和三郎ら......ていた霊前の灯の神火が持ち帰えられ、教主王仁三郎とすみに、古式にのっとった道統継承の...... 絹傘 霊輿 霊輿 大梅花 大真榊 喪主王仁三郎 喪婦すみ 直日 親族 p382○霊輿天... | 4739 |
4740 | 大本七十年史 上巻 | 第2編 >第2章 >2 開祖の人柄 | 2 開祖の人柄 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 1 件/王仁=1 | ...れている。老齢になってからも、夜ふけに、王仁三郎がつくった梅の杖をコツコツと首をさせ... | 4740 |
4741 | 大本七十年史 上巻 | 第2編 >第2章 >3 道統の継承 | 世継ぎ | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 2 件/王仁=2 | ...たせよ」との遺言にしたがって、それを教主王仁三郎に手わたした。教主は、これを「神霊界......できない神定であると念がおされている。 王仁三郎は、坤の金神のご用をつとめて開祖をた... | 4741 |
4742 | 大本七十年史 上巻 | 第2編 >第2章 >3 道統の継承 | 信者への影響 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 6 件/王仁=6 | ...ごそかに開祖の一周年祭を執行した。そして王仁三郎は教主の地位を二代すみ子にゆずり、自......子にゆずり、自分は教主輔の地位についた。王仁三郎は、当日付の「随筆」に「此大本は代々......神霊界」大正8・12・1)と記している。王仁三郎の教主輔は二代教主の後見であるが、事......もあって、大本では、教主輔とある「輔」は王仁三郎のみにかぎり、他の場合は「補」の字を......となっている。 このようにして、開祖から王仁三郎へ、......王仁三郎から二代すみ子へと、道統の継承は神定... | 4742 |
4743 | 大本七十年史 上巻 | 第2編 >第3章 >1 予言と宣伝 | 予言の強調 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 2 件/王仁=2 | ...年一二月一日号の「神霊界」に、出口教主(王仁三郎)は、教祖帰幽以来、非常に緊張してお......、帰朝後まもなく大本を知って参綾し、教主王仁三郎に面会して、世界覆滅の隠謀に関する「... | 4743 |
4744 | 大本七十年史 上巻 | 第2編 >第3章 >1 予言と宣伝 | 地方宣教 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 3 件/王仁=3 | ...のとして、開祖の筆先や、あるいはまた出口王仁三郎の随筆や論文などを、各人各流にうけと......一九一八(大正七)年八月、綾部にまいって王仁三郎に面会して入信し、一九一九(大正八)......心霊界につづけて紹介された皇道大本 p413王仁三郎自筆の心霊界発送の帯封 p414○地方か... | 4744 |
4745 | 大本七十年史 上巻 | 第2編 >第3章 >2 教勢の発展 | 本部の動き | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 7 件/王仁=7 | ...九一九(大正八)年の四月一七日には、教主王仁三郎夫妻・三代直日をはじめ一行約二〇〇人...... 一九一九(大正八)年の九月三〇日、教主王仁三郎は役員・信者の一行をひきいて、綾部の......を受けとるためであったという。五月六日に王仁三郎教主輔をはじめとする一行九七人が、綾......たが、ついで六月四日には、役員会において王仁三郎教主輔から、宣教のうえにおける予言に......二が就任した。 一一月二五日にいたって、王仁三郎は教主を二代すみ子にゆずり、自分は教......少年奉仕者たち p434○桃山御陵参拝 中央王仁三郎 p435○大台ガ原言霊踏査隊 p436○竜門......ガ原言霊踏査隊 p436○竜門岳参拝をしらせ王仁三郎の書状 p437○内事局内規 p438○皇道大... | 4745 |
4746 | 大本七十年史 上巻 | 第2編 >第3章 >2 教勢の発展 | 綾部神苑の拡張と整備 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 4 件/王仁=4 | ...本宮山である。本宮山のいわれについては、王仁三郎によって、「丹波は昔丹波の泥海といっ......り、七月一〇日には上棟祭がおこなわれた。王仁三郎は「神霊界」で、「いよいよ言霊閣の落......はこの黄金閣で六合拝がおこなわれ、教主輔王仁三郎は七五声の鈴をならして、天津神算木を......おきな建物である。二月四日の節分当日に、王仁三郎は斎主として竣成祭を執行した。そして... | 4746 |
4747 | 大本七十年史 上巻 | 第2編 >第3章 >2 教勢の発展 | 亀岡大道場 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 9 件/王仁=9 | ...っかりあれはてた状態になっていた。かつて王仁三郎は、〝吾がために何かゆかりのある如く......いるが、ありし日の亀山城の雄姿が、いつも王仁三郎の心をひきつけていたものであろう。 ......。 一九一九(大正八)年の一一月一八日、王仁三郎は青年隊員二人に早馬の用意をさせ、古......る最後の段階にあたっていた。その日夕刻、王仁三郎ゆかりの穴太小幡神社の社務所で買収の......。 大正九年一月一日号の「神霊界」には「王仁随筆」として、神諭に梅の局と松の局の御脇......そして六月一三日に亀岡万寿園の地鎮祭を、王仁三郎みずからが斎主となって執行した。その......名とどろく名城址 万寿神苑開かむと 斎主王仁副斎主 湯川教監諸役員 神籬建てて厳粛に......、講習科目および講師は、「皇道大意」出口王仁三郎・「日本の国体、皇道大本の教義」浅野... | 4747 |
4748 | 大本七十年史 上巻 | 第2編 >第3章 >2 教勢の発展 | 祭事 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 2 件/王仁=2 | ...拝詞」の五つが用いられているが、それらは王仁三郎の著述にもとづいたものである。朝拝の......一九一三(大正二)年一〇月発行された出口王仁三郎撰による「大本教日拝式」(A6判一四... | 4748 |
4749 | 大本七十年史 上巻 | 第2編 >第3章 >3 積極的宣教 | 内地宣教の展開 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 3 件/王仁=3 | ... 一九一九(大正八)年一〇月二日、教主王仁三郎は一行六人で綾部を出発した。そして三......健三郎邸に小憩したのちに西下している。 王仁三郎の東行を期として、東京では四谷区南寺......た 浅野・高木・谷村・吉原東北へ─仙台 王仁三郎・浅野・井上・高木・栗原・岩田山陰へ... | 4749 |
4750 | 大本七十年史 上巻 | 第2編 >第3章 >4 文書宣教 | 教説の刊行と「大本時報」 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 6 件/王仁=6 | ...とおりである。『大本神諭』(天の巻)・「王仁文庫』(第一編~第十編、これには......王仁三郎の論文・随筆、また裏の神諭・神歌など......れである。『大本叢書』・『亀岡叢書』には王仁三郎の談話および解説を浅野が整理したもの......は浅野の著作とされているが、そのなかには王仁三郎の解説を整理したものがふくまれている......。そして表の神諭・裏の神諭のほか主として王仁三郎の執筆したもののみが掲載されることと......ろの大本関係の出版書籍一覧 p472○執筆中王仁三郎 p474○大本時報 改題第1号 p475... | 4750 |
4751 | 大本七十年史 上巻 | 第2編 >第3章 >4 文書宣教 | 教内の論争 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 15 件/王仁=15 | ...攻撃で、浅野の著書や発言に異論をとなえ、王仁三郎がそれを「神霊界」誌上にとりあげた。......たいして、実質的に教団の最高権威であった王仁三郎は、どんな態度を示したのか。岸と浅野......。岸と浅野の対立についていうなら、多分に王仁三郎は浅野を擁護しながら、しかし決定的に......いる。たとえば岸の論文中、随所に「付言、王仁曰く」と挿入し、立替えの時期の問題につい......のであった。その機関誌「かむながら」は、王仁三郎が出京したさいの訓話やあるいは神諭の......実行を期す」と宣言した。 惟神会が神諭や王仁三郎の訓話に依拠して修斎会を攻撃したよう......の時代はおわり、「皇道大本の真髄即ち出口王仁三郎大先生の真の御主意を闡明する時期に」......御主意を闡明する時期に」なったと主張し、王仁三郎によって浅野の退陣をせまろうとした。... | 4751 |
4752 | 大本七十年史 上巻 | 第2編 >第3章 >4 文書宣教 | 社会の反応 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 2 件/王仁=2 | ...竹キネマの活動写真撮影隊とともに参綾し、王仁三郎教主輔をはじめ苑内の風物をつぶさにカ......務監督であった山田春三(宮中顧問官)も、王仁三郎のみちびきで一九一九(大正八)年に入... | 4752 |
4753 | 大本七十年史 上巻 | 第2編 >第3章 >5 大正日日新聞 | 日刊新聞の経営 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 4 件/王仁=4 | ...調印されたのである。 ついで八月一〇日、王仁三郎は全国の支部会合所長・有力信者・本部......で発刊の態勢をととのえた。 九月一七日、王仁三郎は大正日日新聞社の残留した旧記者一同......事は、およそつぎのとおりである。社主出口王仁三郎・社長浅野和三郎・副社長小林諦四郎・......491○新聞の必要を説き社債引受けを依頼した王仁三郎の書簡 p493○大正日日新聞社 大阪市... | 4753 |
4754 | 大本七十年史 上巻 | 第2編 >第3章 >5 大正日日新聞 | 新聞と信者の立場 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 2 件/王仁=2 | ...いに退陣することとなった。そこで社主出口王仁三郎が社長に就任し全責任を負って、その収......、その収拾にあたることとなった。すなわち王仁三郎は、一九二一(大正一〇)年一月一二日... | 4754 |
4755 | 大本七十年史 上巻 | 第2編 >第3章 >5 大正日日新聞 | 抵抗と閉社 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 3 件/王仁=3 | ... 出口王仁三郎社長が拘引されると、副社長高木鉄男以......に掲載せよと強く主張していた信者たちは、王仁三郎をはじめとする役員らの大検挙によって......強力な楯となった。 五月二五日、社長出口王仁三郎は「……雑誌、神霊界掲載記事に関し筆... | 4755 |
4756 | 大本七十年史 上巻 | 第3編 >第1章 >1 事件の背景 | 事件のあらまし | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 11 件/王仁=11 | ...発展しつつあった。この年の二月三日、出口王仁三郎は非常な決意をもって、人事異動をおこ......もって、人事異動をおこなった。すなわち、王仁三郎は、その異動によって、大日本修斎会会......、大阪梅田の大正日日新聞社に出務中の出口王仁三郎、および綾部に在宅していた浅野和三郎......の決定がおこなわれたあと、六月一七日には王仁三郎は責付出獄し、一二六日ぶりに綾部に帰......教」・「国家転覆の陰謀団」・「悪魔の如き王仁三郎」などというあくどい報道をおこない、......しかし、教団はつぶれなかった。けれども、王仁三郎らが第一審の判決を言渡されてから、第......大本」という名称が、「大本」と改められ、王仁三郎と二代教主すみ子が隠退して、直日が三......その一つであったが、『霊界物語』の発表や王仁三郎の入蒙、あるいは人類愛善会の発会、さ... | 4756 |
4757 | 大本七十年史 上巻 | 第3編 >第1章 >2 最初の警告 | 第一回調査 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 12 件/王仁=12 | ...批判と攻撃が、槍一〇万本を注文したとか、王仁三郎が二五万円の財産をつくったとか、主と......して、「神霊界」所載の記事について、出口王仁三郎や浅野和三郎らを尋問している。このと......いれることにあった。第一回調査にたいする王仁三郎らの回答は、ほぼつぎのようなものであ......本は宗教なりや」との質問にたいして、出口王仁三郎は「皇道とは統一の道にして、その内容......札には明かに皇道大本教なる文字を用ひ、又王仁三郎は「他の宗派につくことはいやですが、......二「世の立替とは何ぞや」の質問にたいし、王仁三郎は「日本対世界の戦争が起ると謂ふこと......町が帝都たるとは如何」との質問にたいし、王仁三郎は「世界の大戦乱が起った場合には、日......行等を禁止するのです」と詳細に陳述し、又王仁三郎も私有財産制度廃止の時期きたれるをい... | 4757 |
4758 | 大本七十年史 上巻 | 第3編 >第1章 >2 最初の警告 | 第二回調査 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 8 件/王仁=8 | ...一八日から二一日まで、四日間にわたって、王仁三郎と浅野を京都府庁に召喚し、第二回の調......見出しで、藤沼警察部長の尋問をうけた後の王仁三郎の談話が、つぎのように掲載されている......沼部長より取調べを受けたる大本教教主出口王仁三郎は、同日午後六時過ぎまで引続き訊問を......病臥して居て少しも知らなかったのです。(王仁三郎は七五日間の床縛りの行として臥床中で......考もありません。」 第二回目の調査では、王仁三郎ははじめの三日三晩は言を左右にしてす......既定せられおりしや」との質問にたいして、王仁三郎は「御筆先にもある如く、三千年以前よ......等とはなきにあらずや」の質問にたいして、王仁三郎は「書いてありません。只『みやこ』と......と陳述す。第三、世の立替後の状況に関し、王仁三郎は「神諭には私有財産制度の廃止、世界... | 4758 |
4759 | 大本七十年史 上巻 | 第3編 >第1章 >2 最初の警告 | 最初の警告 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 5 件/王仁=5 | ... ところで、王仁三郎はこのように三週間の後には、第一回調......た訓示などは、その具体化のひとつである。王仁三郎も浅野も調査の内容について報告はしな......に関しては、神示によって筆先をだしている王仁三郎には責任がないことを表明したものであ......霊の問題をふくんでおり、大本はこの立場で王仁三郎の無罪を主張した)。そしてその会議で......京都府警察本部は内務省の通牒にもとづいて王仁三郎を召喚し、最初の警告をだした。と同時... | 4759 |
4760 | 大本七十年史 上巻 | 第3編 >第1章 >2 最初の警告 | 言論界の攻撃 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 2 件/王仁=2 | ...学士はナゼ信者になった、才物か怪物か出口王仁三郎」などの小見出しをつけて、想像的な記......るる京都府警察部長の召喚により、教主出口王仁三郎氏は数日前より入洛、日々警察本部に出... | 4760 |
4761 | 大本七十年史 上巻 | 第3編 >第1章 >3 検挙への動向 | 第二の警告 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 3 件/王仁=3 | ...活発であるため、教団内部の動揺がおこり、王仁三郎を中心とする旧派と、浅野を中心とする......大本を検挙すべきであると考えていたので、王仁三郎らに諭達の趣旨を伝達しないで、あたか......を大本にあたえることにした。八月一七日、王仁三郎は綾部署に召喚され、京都府警察部の小... | 4761 |
4762 | 大本七十年史 上巻 | 第3編 >第1章 >3 検挙への動向 | 告発 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 3 件/王仁=3 | ...加藤は、松谷与二郎弁護士を代理人として、王仁三郎および浅野を不敬罪ならびに内乱罪で告......とが、ことこまかく記されていた。 その後王仁三郎の秘書の辞令をあたえられた高芝が表面......て起訴状が作成され、二月一二日の未明に、王仁三郎らを検挙すると同時に、必要な場所を家... | 4762 |
4763 | 大本七十年史 上巻 | 第3編 >第2章 >1 検挙 | 第一回家宅捜査 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 6 件/王仁=6 | ...本本部ほか数ヵ所を家宅捜査することもに、王仁三郎ら三幹部を検挙することがきめられた。......りと、修業者が散在するばかりであった。 王仁三郎は、九日以後大阪の大正日日新聞社に出......・手箱などにいたるまでが捜査され、とくに王仁三郎の机・手廻り品・写真・掛軸・扇子のた......押収された。黄金閣にふみこんだ捜査班は、王仁三郎の書斎としてもちいられていた一階の一......斎としてもちいられていた一階の一室から、王仁三郎の神諭原稿の合本全部のほかに、原稿・......でを押収した。〔写真〕○正月五日天 出口王仁三郎大正八年筆 検挙の日二月一二日は旧暦... | 4763 |
4764 | 大本七十年史 上巻 | 第3編 >第2章 >1 検挙 | 検挙 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 6 件/王仁=6 | ...日新聞社にむかった。藤原らは名刺を通じて王仁三郎に面会を求め、曽根崎署にたちより京都......より京都府警察部まで連行した。このときの王仁三郎は、「ちょっといってくるが、だれもこ......った高木鉄男は、さっそく駅頭にかけつけ、王仁三郎の護送される列車にのって、かげながら......ら京都府警察部の入口まで見送ったという。王仁三郎は、藤沼警察部長室にとどめおかれたが......令で出頭を求めたものである」といわれた。王仁三郎は藤沼にたいして「藤沼さん、不敬罪で......」ときいたが、京都地方裁判所に護送された王仁三郎は、その予感のとおり、加藤予審判事か... | 4764 |
4765 | 大本七十年史 上巻 | 第3編 >第2章 >1 検挙 | 第二回家宅捜査 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 2 件/王仁=2 | ...こして、機密の有無をしらべた。このときに王仁三郎の机および「神霊界」編集部の机や本箱......おびただしい書類と、明治四二年来、朝倉と王仁三郎との間に交換した文書三〇余通を押収し... | 4765 |
4766 | 大本七十年史 上巻 | 第3編 >第2章 >2 事件の影響 | 事件直後の大本 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 5 件/王仁=5 | ... おおがかりな家宅捜査と、王仁三郎ら幹部の検挙は、大本教団にとっては、......)という神諭もだされていた。変性女子とは王仁三郎のことで、「辛の酉の年」は大正一〇年......件がおきた翌月の三月二一日の春季大祭は、王仁三郎が収監中であったにもかかわらず、二〇......なかった。 一方、京都では収監されている王仁三郎が、羽二重の紋付羽織をきて、深編笠に......〔写真〕○三五明月 第一次大本事件直後の王仁三郎の揮毫 p578○弥仙山参拝(中央右)二... | 4766 |
4767 | 大本七十年史 上巻 | 第3編 >第2章 >2 事件の影響 | 予審決定 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 15 件/王仁=15 | ...京都地方裁判所ノ公判ニ附ス 理由被告王仁三郎和三郎ハ京都府何鹿郡綾部町出口直(天......ヲ作成シ艮ノ金神其他ノ神ヲ祭祀シ居タル処王仁三郎ハ明治三十二年直ノ末女すみノ婿養子ト......ノ職ヲ辞シ大正五年十二月綾部ニ移住シ爾后王仁三郎ト共ニ皇道大本ノ首脳者トナリテ口ニ筆......増シ一大集団ヲ形成スルニ至レリ而シテ被告王仁三郎、和三郎ハ其ノ主義宣伝ノ機関トシテ綾......ヲ発行シ之ニ主トシテ大本神諭(直ノ筆先及王仁三郎ノ神諭)ヲ掲載センコ卜ヲ諜リ......王仁三郎ハ大正六年一月ヨリ同年十二月迄其ノ発......於テ同雑誌の実際ノ編輯ヲ担当シタル処被告王仁三郎、和三郎ハ表面皇室中心主義ヲ標榜シ乍......為ヲ為シタルモノニシテ和三郎ハ右四ノ記事王仁三郎ハ其他ノ記事ノ原稿ヲ作成シ王仁三郎ハ... | 4767 |
4768 | 大本七十年史 上巻 | 第3編 >第2章 >2 事件の影響 | 大本教改良の意見 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 10 件/王仁=10 | ...折りしも、京都府警察部高等課は、五月四日王仁三郎が予審に差しだしたという「大本教改良......を愛すべし」と改正したき事一、出口直及び王仁に神憑りして、書きたる所謂神諭(筆先)な......無益の代物とより考へられず今の内に直及び王仁に憑りて書きたる筆先を全滅させたきものと......したる文章や論説の脱線気味あるものも出口王仁三郎及び浅野和三郎以下役員信者の著作物も......義と改める覚悟に御座候一、出口直及び出口王仁の神憑りの作物なる筆先は全部焼却して向後......ります。 大正十年五月四日 出口王仁三郎(拇印) その「意見」によれば、これ......波紋はおおきかった。 責付出獄後の八月、王仁三郎は「弁護士のために」という小冊子をだ......の三点にまとめることができる。 第一に、王仁三郎の陳述は憑霊現象にもとづくものである... | 4768 |
4769 | 大本七十年史 上巻 | 第3編 >第2章 >2 事件の影響 | 内訌と凋落 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 8 件/王仁=8 | ...教改良の意見」にのべるところについては、王仁三郎の真意をきいたうえで決定するというこ......情をみておこう。教団の体制は、表面的には王仁三郎と浅野和三郎を中心とするまとまりをみ......る「八木派」とよばれた信者のグループと、王仁三郎・浅野和三郎を中心とする信者グループ......していったことはいうまでもない。しかし、王仁三郎・浅野を中心とするグループも、さらに......ぎのように大別することができる。つまり、王仁三郎を無条件に支持する「大先生派」、浅野......なったのである。 「大先生派」の信者は、王仁三郎は「大化物」であるから、この改良意見......ために、大本から離脱した。 五月二一日、王仁三郎は獄中において、修斎会会長および大正......横浜の豪商上滝七五郎がなった。〔写真〕○王仁三郎自筆の弁護資料 p595○弁護士のみた大... | 4769 |
4770 | 大本七十年史 上巻 | 第3編 >第2章 >2 事件の影響 | 信者の態度 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 1 件/王仁=1 | ...教の悪口を言ひふらせた加藤確治は、先生(王仁三郎)や私がピストルであの人を脅迫したと... | 4770 |
4771 | 大本七十年史 上巻 | 第3編 >第2章 >2 事件の影響 | 記事解禁と批判 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 1 件/王仁=1 | ...致命的な欠点が証明されたやうに思はれる。王仁三郎が所謂『大化物』としての、この口述を... | 4771 |
4772 | 大本七十年史 上巻 | 第3編 >第2章 >2 事件の影響 | 信者への迫害 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 1 件/王仁=1 | ...ところをみても、特高が信者の宅にきて、「王仁三郎・浅野の入獄をどう思ふか」などと、ひ... | 4772 |
4773 | 大本七十年史 上巻 | 第3編 >第2章 >2 事件の影響 | 責付出獄 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 11 件/王仁=11 | ...る。 二月一二日、藤沼は検挙したばかりの王仁三郎に、はやくもこの問題をもちだしていた......長は出口すみ子にその旨をつたえたところ、王仁三郎が不在であるので六月三日まで猶予して......ち六月の一七日、在監一二六日にして突然、王仁三郎と浅野が責付出獄してくることになった......の社殿問題などが起って来た矢先であるし、王仁三郎本人にも、信者と否を問はず危害を加へ......七日の午後一〇時すぎ、信者にむかえられた王仁三郎と浅野は綾部に帰ってきた。夜一一時半......すぐ神前において責付出獄の奉告をなした。王仁三郎の帰綾は、信者の心に火を点じ、複雑化......に対応して神懸りでかいたものであるとする王仁三郎のと弁明は、おおくの信者にうけいれら......者にうけいれられた。しかしそれによって、王仁三郎らの責任を追求し、幹部の辞職を要求す... | 4773 |
4774 | 大本七十年史 上巻 | 第3編 >第2章 >3 公判 | 教団の改革 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 9 件/王仁=9 | ... 責付出獄してきた王仁三郎が最初にぶっつかった難関は、墓地問題......部の官権濫用」であると信者は憤激したが、王仁三郎は事態の切迫をみてとって、「教祖奥都......のものであった。 あいつぐ圧迫のなかで、王仁三郎は、事件後のあたらしい情勢に即応する......信者の信仰内容の改革にあった。 つまり、王仁三郎の理解によれば、大正一〇年の立替えは......あらためられたことを意味した。 こうして王仁三郎は信仰の立替えのための指導をつよめて......は敬神であると主張した。 このようにして王仁三郎は、「大本の立替え」のために信者の反......公判の結果をおもんぱかったのであろうか、王仁三郎自身は役職にはつかず、教主輔としてと......くもととのえられた。 八月二五日になって王仁三郎は、事件後の教団活動の中心舞台を亀岡... | 4774 |
4775 | 大本七十年史 上巻 | 第3編 >第2章 >3 公判 | 第一審 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 7 件/王仁=7 | ... 九月にはいると各新聞は連日、王仁三郎の予審調書を連載しだした。公判を目前......二〇〇余人の信者に見送られて綾部をたった王仁三郎の一行は、修斎会京都支部におちついた......は、修斎会京都支部におちついた。その日、王仁三郎ば新聞記者に、「敬神愛国の吾々が不敬......るされた八項目の起訴事実をのべ、第一日は王仁三郎の審理にあてられることになった。しか......の審理にあてられることになった。しかし、王仁三郎が責付出獄後に執筆して、予審の陳述を......各禁銅二ヵ月、罰金五〇円を、不敬罪として王仁三郎・浅野にたいし懲役五年の求刑がなされ......。 こえて一〇月五日、裁定がおこなわれ、王仁三郎にたいしては、懲役五年(不敬罪)、浅... | 4775 |
4776 | 大本七十年史 上巻 | 第3編 >第2章 >3 公判 | 本宮山神殿破壊 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 4 件/王仁=4 | ...った。というのは、その一一日にいたって、王仁三郎と湯川が京都府庁に召喚され、高橋内務......し、翌一四日には、二代教主すみ子・教主輔王仁三郎は引退のやむなきにいだった。こうして......一九二五(大正一四)年七月一〇日の公判で王仁三郎にたいする原判決は事実の誤認を事由と......があり、一九二七(昭和二)年五月一七日、王仁三郎・浅野・吉田の三人は、「大赦令」で免... | 4776 |
4777 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第1章 >1 霊界物語の口述 | 物語の発表 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 15 件/王仁=15 | ...大正一〇)年の一〇月八日(旧九月八日)、王仁三郎にたいし、「明治三十一年旧二月に、神......霊界物語』の口述がはじまるのである。当時王仁三郎は、大本事件の中心人物として責付出獄......で、神殿破壊の騒音を身近かに聞きながら、王仁三郎による物語の口述が開始されたのである......のである。したがって、瑞霊の肉の宮である王仁三郎は、開祖昇天の後にあっては、開祖の神......神業をくりひろげるのである。開祖在世中の王仁三郎のつとめについては、筆先につぎのよう......いは「出口は将来のことを知らす役、海潮(王仁三郎)は、それを説いて聞かせて世界を改心......世界の立替え立直しをしらせる役であって、王仁三郎はその由縁を詳細に解説し、人民に理解......たがって筆先の真解者は、大本にあっては、王仁三郎その人であって、他のものが勝手な解釈... | 4777 |
4778 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第1章 >1 霊界物語の口述 | 口述の由来 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 7 件/王仁=7 | ...つぎのようにのべられている。本書は瑞月(王仁三郎)が、明治三十一年旧二月九日より同月......執筆された五〇〇有余巻の『霊界物語』は、王仁三郎に反対する当時の役員・信者の手で焼き......そしてその後の大本内部の情勢は、ふたたび王仁三郎がその執筆をなして発表することをゆる......調書(大正10・3・26)に附されている王仁三郎の手記「霊界の組織」には、国祖隠退の......の準備が、事件の進行中からなされており、王仁三郎はその入獄中から、高熊山における霊的......、筆先の内義をも解明した教典でもあった。王仁三郎によって『霊界物語』を、〝五十六億七......ていた p652○表現は平易でしたしみやすい王仁三郎自筆の原稿 第14編序歌 p655... | 4778 |
4779 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第1章 >3 霊界物語発表の影響 | 発表の経過 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 6 件/王仁=6 | ...らから強硬な抗議がでた。それにたいして、王仁三郎は右の全文を削除し、とれをかきあらた......っていた一九二二(大正一一)年八月には、王仁三郎によって、時に天声社(霊界物語発行所......よい抵抗があったことがうかがえる。しかし王仁三郎はそれにもかかわらず、つぎつぎと刊行......の信仰のみをとくものもあった。したがって王仁三郎によって、この機会に信仰の革新を断行......、入獄がながくなることも予想されていた。王仁三郎不在中の信者にたいする指導書としても......折不撓の精神は、全巻にみなぎっている。 王仁三郎が入蒙(本編第三章参照)にさきだって... | 4779 |
4780 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第1章 >3 霊界物語発表の影響 | 発表の影響 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 5 件/王仁=5 | ...つぎに大本を去った。そのために、いよいよ王仁三郎の意図は教団の運営に強力に反映される......は映画化がこころみられた。そのなかには、王仁三郎みずからが出演したほどである。 口述......九三四~三五(昭和九~一〇)年にわたって王仁三郎は全巻に目を通して、その文章の一部の......「口述者出口瑞月」とあったのは後に「出口王仁三郎著」とあらためられている。『霊界物語......いる。〔写真〕○蓄音機に吹込み中の口述者王仁三郎 p677○当局の検閲はきびしく発売禁止... | 4780 |
4781 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第2章 >1 一部の離反 | 社会への復帰 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 1 件/王仁=1 | ...。〔写真〕○み手代 一九二三─大正一二年王仁三郎が自署し拇印をおした竹の杓子 p681○... | 4781 |
4782 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第2章 >1 一部の離反 | 浅野和三郎 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 4 件/王仁=4 | ...立された。浅野のこうした行動にたいして、王仁三郎はいちおうの賛意をあらわし、「同氏の......二一(大正一〇)年の八月ごろから、公然と王仁三郎にたいする批判をおこなっていた。岸の......おこなっていた。岸のとくところによれば、王仁三郎が言霊学などのような霊学を大本にもち......とものべていた。岸が大本をはなれたのは、王仁三郎が筆先のみによらないで、『霊界物語』... | 4782 |
4783 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第2章 >1 一部の離反 | 谷口正治 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 7 件/王仁=7 | ...、月光菩薩五二才が重大なる時期を示すが、王仁三郎は、筆先によれば月の大神の霊魂なのだ......、筆先によれば月の大神の霊魂なのだから、王仁三郎五二才のとき、つまり一九二二(大正一......くるときだというのである。谷口によれば、王仁三郎こそキリストの再臨であり、教祖なおは......三郎こそキリストの再臨であり、教祖なおは王仁三郎出現の先駆者であると結論づけられる(......九二一(大正一〇)年の秋のある日、谷口は王仁三郎をたずねたが、......王仁三郎が不在であったため、直日にたいし、大......に『霊界物語』にたいする批判者でもあり、王仁三郎の指揮に反発していった人々でもあった... | 4783 |
4784 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第2章 >2 あらたな胎動 | バハイ教徒の来綾 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 4 件/王仁=4 | ...ぎに大本を離反してゆく。こうしたなかで、王仁三郎は不眠不休の熱意と努力とをもって、連......語』の口述をつづけたのである。その結果、王仁三郎によるあたらしい指導原理のもとに、大......あい、一泊して、翌一〇日亀岡におもむいて王仁三郎と面会した。そして彼女は午後大道場で......〔写真〕○左より フインチ 二代すみ子 王仁三郎 ルート 通訳・西村 p694... | 4784 |
4785 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第2章 >2 あらたな胎動 | エスペラントとローマ字の採用 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 15 件/王仁=15 | ...まことに意義ある日となった。というのは、王仁三郎から国際語エスペラントを学習するよう......れらの状況についていちはやく注目していた王仁三郎によって、一九一八(大正七)年ころに......学習への意欲はいっそうたかまっていた。 王仁三郎の命令をうけた加藤は、その学習法がわ......三〇人ばかりあつまって学習した。そのとき王仁三郎によって、エスペラントに関するつぎの......毎夜日常会話の講習会をひらいた。 八月、王仁三郎は九州の杖立温泉に滞在中、「記憶便法......とまえがきに記されている。それはいかにも王仁三郎らしい、人間性のあふれた奔放な作歌辞......んだこの作歌集は、エスペラントにたいする王仁三郎のなみなみならぬ熱意を、信者たちにわ......って、エス語講習会が何回も開催されたが、王仁三郎は、その年の一一月にひらかれた第二回... | 4785 |
4786 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第2章 >2 あらたな胎動 | 道院・世界紅卍字会 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 2 件/王仁=2 | ...て、まず二代教主と面会し、さらに翌四日、王仁三郎と会見して、ここに二つの団体がたがい......がたがいに交流することとなった。そのため王仁三郎の意を体した北村隆光は、侯延爽の帰国... | 4786 |
4787 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第2章 >2 あらたな胎動 | 新機運の動向 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 19 件/王仁=19 | ...発表によるところがきわめておおきかった。王仁三郎は『霊界物語』の口述に日夜精魂をうち......ま脚本とした神劇がおこなわれた。これには王仁三郎みずからが西王母に扮して神劇が演じら......う。 一九二三(大正一二)年の八月七日、王仁三郎は教主補大二・宇知丸・加藤明子・河津......梅屋旅館(現在白水旅館)に旅装をといた。王仁三郎は、八月三〇日までここに滞在し、入湯......・大阪・台湾の新聞にいたるまで「大本教の王仁阿蘇に現はる」として、興味的な記事をさか......たてた。 八月三〇日、杖立温泉を出発した王仁三郎一行は、熊本市の奥村宅に二泊、九月一......泊し、六日下関駅で少憩をとっているとき、王仁三郎をみかけた乗客たちは、大震災は大本の......に放言したという。また西遊中、各新聞は「王仁」とか「王仁三郎」とかよびつけにして、茶... | 4787 |
4788 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第3章 | 第三章 王仁三郎の入蒙 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 0 件/王仁=0 | 4788 | |
4789 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第3章 >1 蒙古へ | 入蒙の決意 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 10 件/王仁=10 | ...三)年二月一三日、責付出獄中であった出口王仁三郎は、極秘裡に日本を脱出し、数人の部下......準備が秘密裡にすすめられていた。 かつて王仁三郎は、一九二一(大正一〇)年の二月一二......(大正一三)年甲子の節分(二月四日)に、王仁三郎は更始会を創立した。はじめはこの会の......信者間にもわかるようになってくる。さらに王仁三郎によって「み手代」数十体が用意され、......り、事の成否は天の時なり、煩慮を要せず、王仁十年の夢今や正に醒めんとす。と記されてい......の夢今や正に醒めんとす。と記されている。王仁三郎によってのべられた三年来の夢とはいっ......はるか北蒙の天地をあおいで漢詩に託された王仁三郎の心境が、いきいきと描かれている。「......だから随分愉快だ」とも語っていたように、王仁三郎の巨大なひととなりが、なにびとも意図... | 4789 |
4790 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第3章 >1 蒙古へ | 入蒙の目的 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 18 件/王仁=18 | ...の第一歩が「日支親善」として把握される。王仁三郎によれば、日中両国は地理上・国防上・......日支親善の第一」大正13・2・2─『出口王仁三郎全集』1巻)という決意となる。それに......立しないのだ」と記されている。 こうした王仁三郎の考えにもとづいて紅卍字会との提携も......卍字会との提携もおこなわれたのであるが、王仁三郎の意図では、入蒙もその目的実現のため......現のためということになる。そのことは、『王仁蒙古入記』に「宗教的、平和的に蒙古を統一......きらかである。その第二の目的については、王仁三郎によってつぎのようにのべられている。......ためにも満蒙に進出せねばならぬと主張する王仁三郎は、その出発にあたって松雲閣でつぎの......出するのだ」ともいわれていた。 以上が、王仁三郎入蒙の目的とみなされるものであるが、... | 4790 |
4791 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第3章 >2 満蒙をめぐる政治情勢 | 蒙古の政治情勢 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 2 件/王仁=2 | ...ていた。 一九二四(大正一三)年、つまり王仁三郎の入蒙の挙がなされたその年に、モンゴ......おおいのである。 このようにみてくると、王仁三郎が入蒙した当時の外蒙は、大動乱からあ... | 4791 |
4792 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第3章 >2 満蒙をめぐる政治情勢 | 盧占魁の経歴 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 1 件/王仁=1 | ...ていたという。こうした経歴をもつ盧占魁と王仁三郎の間に連絡をつけたのは、のちにのべる... | 4792 |
4793 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第3章 >2 満蒙をめぐる政治情勢 | 中国の政治情勢 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 3 件/王仁=3 | ...作霖支配はさらに強化されることになる。 王仁三郎が入蒙した一九二四年の前半期は、この......可が是非とも、必要であったからである。 王仁三郎と盧占魁の一行が出発するまでには、四......とし、盧占魁は勢力挽回をはかる。そして、王仁三郎は「東亜の精神的統一の段階として入蒙... | 4793 |
4794 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第3章 >2 満蒙をめぐる政治情勢 | 下工作 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 6 件/王仁=6 | ...包し、また政治的な緊張の極にある満蒙に、王仁三郎がその挙を進めてゆくためには、慎重な......「日地月合せて作る串団子星の胡麻かけ喰ふ王仁口」という......王仁三郎の歌を矢野宅でみて、おおいに共鳴した......な考えが岡崎の腹だったといわれている(『王仁蒙古入記』)。岡崎は、一九二五年におこっ......もった大陸浪人であったといえよう。 なお王仁三郎と行をともにした日本人らはどのような......陸軍の諜報任務についていた人物である。 王仁三郎に随行した信者の人々は、どういう面々... | 4794 |
4795 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第3章 >3 王仁三郎一行の足どり | 3 王仁三郎一行の足どり | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 0 件/王仁=0 | 4795 | |
4796 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第3章 >3 王仁三郎一行の足どり | 奉天での準備 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 12 件/王仁=12 | ...突発の日にかがやいたものと同じであった。王仁三郎は「満三ヵ年を経た同月同日の白昼に同......、翌一三日ひそかに綾部を出発した。一行は王仁三郎・松村真澄・植芝盛平・名田音吉の四人......各道院を訪問していたのである。 この日、王仁三郎と盧占魁との最初の会見がおこなわれた......治軍)をたてる黙契があったといわれる(『王仁蒙古入記』)。盧は張に軍建制委任状と、武......かいにしようと回答した。この回答は、盧や王仁三郎一行を満足せしめるものではなかった。......すべて中国名に変名し、中国服を着用した。王仁三郎は王文祥、松村は王文真、植芝は王守高......王天海をそれぞれに名のったのである。また王仁三郎はみずからダライラマを称し、松村をパ......うものである なお盧がつれてきた観相師が王仁三郎の相を観じて、王仁三郎の掌中は四天紋... | 4796 |
4797 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第3章 >3 王仁三郎一行の足どり | 蒙古へ出発 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 13 件/王仁=13 | ... 王仁三郎の一行は、三月三日に奉天をたって洮南......いうことであった。 同二五日、温の護衛で王仁三郎はラマ法服をつけ轎車にのって公爺府に......きいた人々があいついでたずねてきたので、王仁三郎は植芝を助手として人々に鎮魂をほどこ......、つぎつぎと神徳をいただいて治癒したと『王仁蒙古入記』はのべている。人々は「ナラヌオ......ロスン、イホエミトポロハナ」ととなえて、王仁三郎を思慕したという。翌三一日には、張作......張作霖の意図はどこにあったのだろうか。『王仁蒙古入記』はこれについて、張作霖は最近の......。だから、ウランパートルまでゆこうという王仁三郎の計画に反するだけでなく、盧占魁の内......地位は西北自治軍総司令・上将である。盧は王仁三郎にあって涙を出してよろこんだ。 こう... | 4797 |
4798 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第3章 >3 王仁三郎一行の足どり | 索倫山 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 24 件/王仁=24 | ... 王仁三郎と松村は宗教家として武器をもたず、そ......って、それ以上は禁じていた。いまや、盧と王仁三郎は、全蒙古を「独立」させるための軍の......た。太上将 ダライラマ 素尊汗 出口王仁三郎上将 パンチェンラマ 王文真 松村......楊崇山からの連絡もない。すでに、一一日に王仁三郎によってよまれた歌には、官兵の出馬と......人にもたらぬもので武器も充分ではない。『王仁蒙古入記』にのせられている、盧が東三省張......、「近ごろ聞くところでは『盧占魁は日本人王仁三郎とむすび、洮南から胡匪を招集して蒙境......と。盧が購入した武器とその経費は、すべて王仁三郎から供給され、ソーロンに根拠して蒙熱......を擾乱しやうとくわだてている。その一方、王仁三郎はまた人種・宗教などの説を利用し、も... | 4798 |
4799 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第3章 >3 王仁三郎一行の足どり | パインタラ事件 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 14 件/王仁=14 | ...わかに南方にかえられた。そして七日には、王仁三郎が途上の岩窟でにわかに神懸りとなった......されることになった。パインタラにはいった王仁三郎・盧の一行は、その後どうなったであろ......の一行は、その後どうなったであろうか。 王仁三郎は鴻賓館に案内されたが、その夜、盧占......っているから、脱出して再挙をはかることを王仁三郎につげた。だがしかし、全員は就寝中を......るのをみた。盧占魁も銃殺されたのである。王仁三郎らにも銃殺の刑がまちかまえていた。松......らにも銃殺の刑がまちかまえていた。松村・王仁三郎・萩原・井上・坂本・植芝の順にならば......ばせられ、機関銃がむけられた。 このとき王仁三郎は、つぎのような辞世の歌をよんだとい......れた。まさしく死刑囚のあつかいである。『王仁蒙古入記』によると、この間の事情について... | 4799 |
4800 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第3章 >4 入蒙の影響 | 再入監 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 17 件/王仁=17 | ... 王仁三郎が二月一三日の未明に綾部を出発したこ......からつぎつぎと連絡があり、三月二七日には王仁三郎より宇知丸にたいして、二代及び三代教......そのころ綾部署が入手した情報によると出口王仁三郎は一三日発、朝鮮普化教を訪ひ、三月六......大阪朝日新聞」は、入蒙問題をはじめて、「王仁の蒙古入り……大本教樹立の計画と豪語」と......は、六月二四日の「大阪都新聞」が報じた「王仁捕はる」の報道によって、教団もはじめてそ......報であるとして信じなかった。翌日さらに「王仁逮捕」のことが、全国の諸新聞で報道され、......上・岩田らの特別弁護人などば協議の結果、王仁三郎が不在であることを理由にして公判延期......、横田司法大臣および大阪控訴院長あてに、王仁三郎不在中公判延期の歎願書が提出された。... | 4800 |