文献名1開祖伝
文献名2よみ(新仮名遣い)
文献名32 幼女の頃よみ(新仮名遣い)
著者愛善苑宣教部・編
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OBC B100600c02
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桐村家のひっそくの最中、殊に稀有の飢饉年に危うく堕胎を免れて生まれられた開祖の前途には、悲惨なる運命と申しますか、大いなる神の試練と申しますか、幾多の艱難苦労が黒い手を広げて待っていました。
元来開祖様の父・桐村五郎三郎さんは一徹短慮の気質で、酒をたしなまれると妻子に対しても時々手荒いことをされ、開祖様が三才のとき何かお気に障ったことがあって、開祖様を簀巻にして裏庭の雪の中にほうり出されたことがあります。また五才のとき五郎三郎さんから酒を買って来るよう云い付けられた時、遊び盛りの子供のこととて、うっかり忘れておられましたため非常に立腹され、いきなり開祖様を布団にくるんで、押し入れに放り込まれたこともあります。
その代わり、御生母さんはまことによく出来たお方で、優しい中にも平素のしつけが実に行き届かれ、殊に姑のタケ子さんという方はなかなかむつかしい人でしたが「お殿様に仕えるつもりで仕えよう」と思って、至れり尽せりにお仕えになったので、さすがの姑さんも大変お気にいり「うちの嫁は嫁は」と、いつも人々に自慢されていたほどです。開祖様の立派な人となりは、一つにはこの幼い時代の御生母の薫陶の賜であると言えましょう。
暮らし向きは益々ひっそくして、五郎三郎さんはついには甘酒のかつぎ売りまでされましたが、弘化三年開祖様十一才のとき悪性のかくらん(食中毒)をわずらい、一日一夜苦しんでついに亡くなられました。さなきだに貧窮であったのに一家の大黒柱を失ったこととて、桐村家の当時の有様は全く想像に余りがあります。