文献名1開祖伝
文献名2よみ(新仮名遣い)
文献名325 沓島開きよみ(新仮名遣い)
著者愛善苑宣教部・編
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OBC B100600c25
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さらに冠島よりもモ一つ難所といわれている古来人跡のない無人島で、開祖様の神示によりますと艮の金神様の御隠退されていたもっとも因縁深い神聖なる島──沓島へ渡られ、天神地祇を初め奉り生神艮の鬼門の大金神を奉祀して、天下の泰平を祈願されるため、お筆先の神示により、同三十三年陰暦七月八日ふたたび綾部を出立され、開祖様、聖師様、二代様と外に六人のお供と合わせて一行九人は、前回同様舞鶴の大丹生屋で舟を雇い、珍しく穏やかな海面を沓島に向かって進み行かれることとなりました。
海湾は波浪静かにして磨いた鏡の如く、実に得も言われぬ月夜の景色を眺めながら、午後八時、二隻の小舟に分乗し、前回通り橋本六蔵、田中岩吉の二人がこれを操り、声も涼しく船唄を唄いながら悠々と漕ぎ出しました。
博奕ヶ崎まで行った時、八日の半弦の月は海の彼方に傾き、経ヶ崎の灯台は明減して浪のまにまに漂うて見え、頭の上にも足の下にも銀河が横たわり、その真中を敏鎌の月が静かに流れて海の果で合するかと思われるばかり、実に珍しい静かさでありました。船頭達も、
「ここ三年や五年に今夜くらい穏やかな海上はありません。大方冠島沓島の神様の御守護でありましょう」
と喜び勇みながら夜通し漕ぎ続けました。
ようやく午前八時半、無事に舟は冠島の磯端に着きましたので、ひとまず上陸して老人島神社前に開祖様以下御一同打ち揃って天津祝詞を奏上され、終ってお伴の内、木下慶太郎、福林安之助、四方祐助、中村竹造の四氏は、冠島に残って神社境内の掃除役を承ることになり、御一行五人は直ちに沓島に向かって出発されました。
やがて舟は沓島に漕ぎ着けましたが、沓島はさすがに昔から人が恐れて近づき得ない神島だけあって、冠島とは大変に趣が異っております。今日は格別おだやかな海だというにもかかわらず、山のようなウネリがしきりに打ち寄せて来ます。鴎や信天翁、鵜などが岩一面に胡麻を振りかけたように止まって、不思議そうに見下ろしておりますし、波の上には数万の海鳥が浮きつ沈みつ遊んでおります。
何分名高い断岸絶壁で、上陸するにも小舟を漕ぎつける場所が見つからぬので、兎も角この島を一周して、適当な上陸地点を探そうと評定して居ますと、開祖様が、
「ぜひ釣鐘岩へ着けよ」
と言われますので、お言葉のまにまに釣鐘岩のすぐ下へ漕ぎつけてみますと、ちょうど人の背中のような険峻な断岸で、どうしてもとりつくことさえできぬのみならず、ぐずぐずして居ると激浪のために舟を岩に衝突させ破壊してしまう恐れがありますから、瞬時も躊躇しておられません。
このとき聖師様は危険を冒し、腰に八尋縄を結びつけたまま、舟が波に打たれて岩に近づいた一刹那、岩壁目がけて飛びつかれました。
幸い粗質な岩で手足がすべらず岩に攀じつくことができたので、一丈四五尺ほど上の方の少しばかり平面な所へお上がりになり、そこから舟を目がけて縄を投げ込まれ、船頭がこれを舟に結びつけますと、開祖様は手早くこの縄にお縋りになり、聖師様が上から縄にて引き上げられてようやく上陸されました。
続いて他の三人も同様に上ることができましたので、綾部から組み立てて来た神祠を解き、柱一本づつ船頭が縄で縛り、四方、福島の二氏がこれを引き上げました。
そしてようやく高さ百尺ばかりもある二畳敷ほどの平面の岩の上を鎮祭所となし、一時間余りもかかってようやく神祠を建てあげ、聖師様が遷座式の祝詞を奏上され、艮の金神・国常立尊、竜宮の乙姫(豊玉姫神)、玉依姫神を初め天地八百万の神々を奉斎して持参された山野河海の珍物を御前に供え終わり、開祖様は恭しく御前に静座されて、声音朗かに天下泰平の祈願の祝詞を奏上され、最後に御一同打ち揃って大祓の祝詞を奏上されました。このとき群鳥は静かに祝詞を拝聴するもののごとく実に荘厳を極めました。
さて神々様を奉斎し祈願を終えられた御一行は、この島を一周りして奇岩絶壁を嘆賞されつつ冠島へ再び舟を漕ぎ寄せ、居残った人達によって掃き清められた老人島神社の神前に、一行九人打ち揃うて供物を献じ拝礼を終り、この島を一周して九日の夕方つつがなく舞鶴へ御帰着、翌十日舞鶴の京口町で記念撮影の上、めでたく帰綾されました。
当時東京の富士新聞や福知山の三丹新聞はじめ諸新聞にも、開祖様が世界万民のために万難を排して渡島され、神々様を奉斎して天下泰平の祈祷をされましたことを、前代未聞の壮挙として感嘆した記事が載せられました。