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文献名1開祖伝
文献名2よみ(新仮名遣い)
文献名330 沓島における平和祈願よみ(新仮名遣い)
著者愛善苑宣教部・編
概要
備考
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ページ 目次メモ
OBC B100600c30
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本文  明治三十八年ちょうど日露戦争の真最中、日本国内は上を下への大騒ぎをして居る際でした。突然御神命が下り開祖様は七十才の御老体をもって前述の沓島に御祈願のため出修されることになりました。
 お供は許されぬはずでしたが、特にお願いして当時二十四才の後野市太郎氏と、二十九才の大槻伝吉氏の二人がお供申し上げ、旧四月十日午後聖師様をはじめ、近在から参集した多数信徒のお見送りを受けて綾部駅を御出発、舞鶴の船宿大丹生屋にお着きになったのが日没前、ここにしばらく休んで居られますと、後野市太郎氏の父がかねて用意の、このたびの出修の御用品と食料品を担いで来ました。
 御用品は半紙一締、筆、墨、紙、種油一升、灯芯、ホクチ、火打石に火打金、茶碗三個、サジ三本、食料品はイリ米三升、ハッタイ粉三升、タナ米三升、白砂糖一斤半とお水(直径三寸五分長さ一尺六寸の竹筒に一杯)これが三人四十日間の食糧品です。
 その夜十一時に、一行を乗せた船は例の橋本六蔵、田中岩吉の二人の船頭によって漕ぎ出され、波静かな海上を無事に翌日の出時に冠島に到着しました。
 一行は一旦上陸して冠島の社前に祝詞を奏上し、終って直ちに沓島に向かわれ、約三十分の後舟はいよいよ沓島に着きました。
 開祖様は船頭に向かって、
「大変御苦労でした。ちょうど今日から四十日したら舟をもって迎えに来て下さい」
と云われますと、船頭はいぶかしげな面持ちにて、
「この島には大きな長物が居ると云うので昔から恐れて人の来たことのない島、わけて水もなし、五日は愚か一夜たりとも寝ることはできません」
と云いました。開祖様はニッコリとお笑いになり、
「神様が四十日とおっしゃる故、どうしても四十日は居らねばならん」
と申されますので船頭は、
「それではどなたも御機嫌よう」
と言葉を残して再三再四後振り返り振り返り舞鶴さして漕ぎ帰りました。
 開祖様は上陸されると直ちにお岩の上に御神号をお書きになり、祝詞を奏上され、行場の岩の上にゴザをお敷きになって端座され、その後は昼夜を分たず一心に禊をして御祈願を捧げられますし、お供の二人も時々海水に禊を修しては祈願を致しました。同時にお留守中綾部の本部はもちろん各地の分所、支部でも開祖様御一行の御無事と平和祈願をして居りました。
 さて随行の二人は上陸後第一に水行場と寝起きの場所を探しましたが、幸い水行をする場所としては時々海水が打ち上げる二畳敷くらいの水溜まりがあり、寝所としては島の頂上に生い茂っている椿の下に格好の場所を見出しましたが、開祖様は御老体のことでもあり、水行場の近くの岩の上にお休所を選びました。
 しかしその岩は牛の背のような岩で横になってお休みになることができませんから、寝所まの土台を作るために二人は自然に生えた菜種の軸や萓、椿の枝などを集めはじめましたが、若い盛りのこととて空腹を覚え、咽喉の渇きに堪えかねるようになりました。
 しかしながら前に記しましたように、水は竹筒一杯が四十日分でありますから飲むこともできず食物も思いのままに食べることができませんので、水の代わりにスイスイ草などをシガみました。
 二人は頂上に登り椿の枝を折り束にして上から投げ下ろしたところ、あやまって海に落ち沈んでしまいました。
 失望して二人はこれを眺めていますと、フトかたわらの岩間からポトリポトリと水が落ちているので、なめてみると意外にも塩気がなく真水でした。二人はいそいそとして開祖様の許に行き、この次第を申し上げますと、開祖様は、
「椿の木は竜宮の乙姫様にお供えしたので、水は神様から特に出して下さったのじゃ」
と申され、すぐお礼の祝詞を奏上されました。早速二人は竹筒に水受けの装置をし、再び椿や萓、菜種の軸などを集めて岩の上に安全な開祖様の寝所をこしらえ、夕暮には岩の窪みに油を注いでお灯りをあげ、夕の礼拝をして第一夜の寝に就きました。
 翌朝満々と筒に水が溜っていたので早速神様にお供えし、揃って祝詞を奏上しお礼をされました。
 これにて、水は頂けるようになりましたが、食事は一度に小さいサジにわずか三杯の粉を塩水で解いて頂くのですから空腹をみたすことはできず、さりとて一人は開祖様から沓島へ上陸早々、
「この島で虫けら一匹にせよ、生物の命を取ることはならぬ」
と厳命されていましたから、まさか魚貝や鳥の卵などを取って食べる訳にはゆかぬし、開祖様が平然として居られるのに、やたらに空腹を訴える訳にもゆかず、最初は我慢していましたが、二日三日と日を経るにつれて苦痛に耐えぬ大槻氏は開祖様に、
「もう私はやり切れません、開祖様や後野さんは三十日や四十日の行はできましょうが、私はまだそこまで御神徳をいただいて居りませんから、モウ十日も続けばかつえ死にます。どうしてもあの鴎の卵をいただかんと辛抱ができません。また後野さんもかわいそうです」
とお願いしました。開祖様は初めのうちは、
「あの卵も皆生きて居るのじゃで」
と云われてお許しになりませんでしたが、このとき目を閉じてしばらくお考えになった後、
「それでは仕方がない、神様にお願いして、いただくことにしましょう」
と云われましたので、二人はその後、朝昼晩三回の水行をして拝礼する外は薪取りと、お水受けと、卵獲りを日課とするようになりました。
 開祖様は依然として間断なく水行と礼拝、祈願を続けられ、そのかたわらお筆先をお書きになっておられました。
 ところが九日目になって食糧は残り少なくなるし、身体は自然に衰弱して歩行も困難になり、笑い声さえも出なくなり、またもや大槻氏が開祖様に、
「もう私はかないません、もう帰なして貰います」
と訴え出ました。
 開祖様はいささかのお疲れの模様もなく平然として居られましたが、この訴えを聞かれて、その顔をシゲシゲと御覧になり、
「お前は何を云うているのじゃ、私が連れて来たのじゃない、お前の方から随いて来て居って、いまさら愚図々々何云うているのじゃ。そんなら帰になというたらお前一人で帰んでか、船はなし、人はなし、便りはできず、どうしてこの海の上を舞鶴まで帰ぬのじゃ。折角来たんじゃで、そうお前のように愚図々々云わんと辛抱しな。わしは三十日や四十日はお水だけでも生きている故、腹が頼りなければ、わしの分をお前たち二人で分けて食べなさい」
とおっしゃいましたので、さすがに衰弱しきった両人も、開祖様のこのお言葉に畏れ多いやら、嬉しいやら、悲しいやら、感極まってグの音も出なかったそうです。
 その後二三日は辛抱できましたが、ちょうどお籠もりしてから十一日目の夕方またもや開祖様に愚痴をこぼしました。
「云うても駄目でしょうが、どうしても私はやりきれません、こんな無人島に居て死ぬよりも陸上でいくらでも国家のために尽くせましょう。どうぞ神様に帰れるようにお願いしてください」
と願いました。開祖様はしばらくお目を閉じてお考えになっていましたが、
「本当に困った者を連れて来たものじゃ、わし一人なら十分の行をさして貰うのじゃが、しかし神様はほぼ御用も済んだように仰せられる。それでは帰らして貰うようにお願いをするで、お前達もモット側へ来て一生懸命にお願いしな」
 その時こそ二人は帰りたい一心で本当に一生懸命にお願いをしました。
 ところが祝詞奏上の中ほどから俄に大風雨となり、奏上が済むと同時に、開祖様は天地にとどろくような声で、
「御苦労」
と叫ばれました。
 二人はしばらくアッケにとられて居ましたが、
「只今大きな声で御苦労とおっしゃったのは、どういう意味ですか」
とお伺いしますと、開祖様は、
「お前達は今のが判らなんだかい、いま竜宮の乙姫様が艮の金神に御挨拶に来られたのじゃ」
と仰せられて、お尋ねするままにそのお姿までも教えられました。
 かくてさしもの大荒れも次第に平静になり、東天が白む頃には波風の跡もなくなりました。開祖様は大変お喜びになられ、改めて神様にお礼をされた後、雨でズブ濡れになった衣類を乾かすために、薪を取りに行く二人の弱った後姿を御覧になって同情せられ、両人に向かって、
「御用も済んだゆえ明日は舟を呼んで帰らしてやる」
とおっしゃいました。
 二人は四十日の出修ゆえまだ舟が来るはずはないと考えつつも、嬉しくてたまらずその夜は一睡もしませんでした。翌日はもう来るか来るかと心待ちに待って居ますと、午後一時頃になって七八艘の舟が見えました。これは舞鶴鎮守府において海上警戒のため望遠鏡で沓島を見て白衣の開祖様と二名の青年の姿を認めて怪しみ、昆布取りの舟に様子を探りに来させたのでした。その舟から大声で開祖様らに向かって叫びかけました。
「お前たちはどこの者か」──「綾部の者じゃ」、「何をしに来たか」──「神様の御用で来た」「綾部の者ならば岩吉という者を知っておるか」──「知って居るとも、岩吉の家はわしの隣じゃ。毎日博奕ばかり打っている」……
 この問答によって初めて怪しいものでなく、綾部のものということが解ったので、舟は帰ろうと致しましたから、これを呼び止め交渉の結果、一行はこれに便乗して夕刻、舞鶴へ帰航されました。
 かくて開祖様御一行は無事に神命を果たされ、十三日目に帰綾されたのですが、お供をされた方は、
「第一日のお水の出たことといい、舟の迎いに来たことといい、ありありと神様の御守護のありがたいことを感ぜしめられた」
と述懐しました。
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