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文献名1開祖伝
文献名2よみ(新仮名遣い)
文献名335 昇天よみ(新仮名遣い)
著者愛善苑宣教部・編
概要
備考
タグ データ凡例 データ最終更新日----
ページ 目次メモ
OBC B100600c35
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本文  御昇天の一週間ほど前でした。大阪から春子太夫という浄瑠璃語りの名人が参りまして、是非開祖様に聞いて頂きたいと申しますので、そのことをおそるおそる申し上げますと、いつもなら、
「芝居を見いでも、この中に大芝居ができているではないか、いつも世界の大芝居を見せて貰うているのに、人の作ったものなど見いでもよい」
とおしかりになるのに、
「ああそうか、神様がわしに浄瑠璃を聞かしなさるのか」
と素直に仰せになりましたので、役員一同これは不思議なことである、いまだかつて芝居を見たり、浄瑠璃を聞かれたりしたことは一度もなかったのに、今日はえらい御機嫌のよいことである。早くお気持ちの変らぬうちに仕たくを頼むべしと、早速その晩、金竜殿でお聞きいただきました。
 浄瑠璃が終わってから、
「今日の浄瑠璃は日本一の浄瑠璃であるげなが、わしはどんなところが上手か、何を語っておるのやらサッパリ分らぬ。知らぬことを聞くのはなんぼ上手に語っても分らぬものである。ちょうど神様が世界の者に、この結構を口もかれるほど呼ばって聞かしなされても、ねっから聞く者がないが、ちょうどわしがこの浄瑠璃を分らぬのと同じことだなあ」
と仰せになりました。
 開祖さんは朝早くから終日、御神体とお守りと「おひねり」とがいそがしいと言って、夜は行灯を灯してお筆をとっておられました。
 二代様がこたつをしてあげられまして「早く御免こうむっておやすみ下さい」と申されますと、いつもでしたら「それどころか」と言われるのに、その日に限って「ハイハイ」と御返事され、行灯をつかまえて、
「さあさあこれでわしの御用も済んだ済んだ。お前の言うようにするわ」
と仰せになりました。
 このお言葉はあとで考えますと、現界における御用がこれで済んだと申されたのでありましょう。
 十一月五日、開祖様の第三女・福島久子さんが八木から来られ、種々物語りなどされていましたが、開祖様はことに御機嫌がよく、
「またと言うても何やから、今夜は泊って行きなされ」
と勧められました。しかし久子さんは用事があって退出され、ついで星田悦子さんが御機嫌うかがいに上りますと、
「今夜が峠やで」
と申されましたが、星田さんにはそれが何を意味するのかわかりませんでした。開祖様は
「今夜は夜が明けても話して聞かせるから」
となおいろいろ話をなされたい風でしたが、夜がふけたので星田さんはその他の人々と共にお居間を退出しました。
 間もなく用事を済して福島久子さんが帰って来られ、夜明け前に開祖のお居間に伺われ、こたつの加減を見ようとされたところ、開祖様は目をさまされて「水をくれよ」と申されたので、湯呑みに水を汲んで差し上げたところ、おかわきと見えて音を立てて一杯半も召し上がり、再び静かにおやすみになりました。
 翌六日早朝常のごとく起床されて、かわやに行かれる途中、「アーッ」と声を出されましたので、福島久子さんと星田さんが驚いて抱きかかえ、「おひねり」を差し上げますと、御自分で静かに頂かれ手枕して横になられ、急を聞いて馳せつけられた聖師様に何事か二言三言おっしゃったまま、すやすやと昏睡状態に陥られました。
 開祖様は以前にも昏睡状態に陥られたことがあったので、附き添う人々は今回もやはりそうした仮死状態に入られたものと思い、静かに居間にお移ししましたが、午後になっても依然として昏睡状態でしたので、万一をおもんぱかって各地に打電し、居合わせた役員信者一同は神様に祈念をこらしましたが、その甲斐もなくついにいとも静かに息を引き取られました。
 時まさに大正七年十一月六日(旧十月三日)午後十時三十分。御齢八十三歳。
 同夜十二時、金竜殿において、昇天奉告祭が執行され、超えて八日深夜、舟入式執行、翌九日御柩は金竜殿へ移されました。
 一方開祖様の聖骸を鎮めまつる霊地は、かつて開祖様が参籠された弥仙山をはるかに望む天王平一ノ瀬の山上と定められ、お山開き工事は十一月十二日より着手され、熱誠あふるる信徒の手によって、一塊の石、一握りの砂も敬虔の念をもって日に夜に運ばれ、工事は着々進行し、十一月二十七日霊柩は金竜殿より天王平の奥津城に移され、越えて十二月六日(旧十一月三日)いとも厳粛なる本葬式が執行され、開祖様は惟神真道弥広大出口国直霊主命として永久に鎮まりたまいました。
 しかしながら開祖様御一生の苦労と艱難は、八十三年の御生涯を持ってしてもなお足らずとされる神様の思し召しでしょうか、この崇高な奥津城は二度まで官憲の汚すところとなりました。
 大正十年の第一次大本事件に壊され、さらに昭和十年の第二次大本事件では共同墓地に移転を命ぜられ、十余年間は辛くも一本の松の小枝に御神霊を止めさせられて、時節の到来をお待ちになりましたが、いよいよ一陽来復の春はめぐり来たり、昭和二十三年聖師様の御昇天により、聖師様の御柩を同じ天王平の清処にお納め申し上げると共に、ついで同年十一月三日開祖三十年大祭を期して、聖師様と相ならんで厳瑞二霊の奥津城はめでたく完成し、永遠に神鎮まりますこととなりました。
 思えば天保七年十二月十六日下生したもうてよりうつし世のあらゆる試練を経たまい、明治二十五年入神以来神世出現の神示を垂れたもうこと二十有七年、ここに天命を全うして昇天したまい、瑞霊真如聖師また天の時いたって昭和二十三年一月十九日、静かに御昇天遊ばされました。
 厳瑞二霊共に現界における御用一切を終えさせられ、神業の基礎を全く固められて復活したもうたのであります。
 開祖様と聖師様は今も信仰ある人々の魂のなかには生き生きとよみがえって下さっています。
 厳瑞二霊の教統は厳として二代苑主に受け継がれ、今や御神業はさらに重大な新段階に進みました。開祖様聖師様は霊界からますます地上の世界を御守護下さり、未曾有の大苦難に直面している全人類にみ救いの手を差し伸べていられます。
 この二大教祖を人類は永久に光りの君、救いの主と仰ぎ奉ることでしょう。
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