王仁DBβ版 出口王仁三郎と霊界物語の総合検索サイト 文献検索 画像検索 単語検索 メニュー開く
サイトの全面改修に伴いサブスク化します。詳しくはこちらをどうぞ。(2023/12/19)

文献名1聖師伝
文献名2よみ(新仮名遣い)
文献名35 祖父の再生よみ(新仮名遣い)
著者大本教学院・編
概要
備考
タグ データ凡例 データ最終更新日----
ページ 目次メモ
OBC B100800c05
本文のヒット件数全 0 件
本文の文字数787
その他の情報は霊界物語ネットの「インフォメーション」欄を見て下さい 霊界物語ネット
本文  喜三郎さんは七歳になる頃までは山へ行くにも、川へ行くにも隣家へ遊びに行くにも、腰のまがった小さい爺さんが自分のそばについているので、自分の家にはお祖父さんもお祖母さんもいるものだと思っておられました。ところがにわかに見えなくなったので、ものを言わぬ祖父さんはどこへ行ったかと祖母に尋ねると、祖母はおどろいて「それは祖父さんの幽霊が、祖父さんは坊の一歳の冬に死なれた」といわれ、こわくなって一人で隣りの家にも遊びに行かなくなったことがありました。喜三郎さんが六歳のとき、過っていろりの火の中にころげこんだことがありますが、その時にもお祖父さんがどこからとも知らず走って来て、火の中からひき出して助けてくれたということであります。
 吉松さんは至って潔癖で、野良へ出て畑を耕すにも、草切れ一本生やさぬようにした人で、たまたま一株の雑草があると、それをその場でぬいて土の中に埋めてしまえばよいものを、わざわざ口にくわえて、東から西まで一あぜを耕し終るまで放さず、あぜの終点まで行ったところでこれを畑の外の野路へ捨てる癖がありました。
 ところが、喜三郎さんの弟の由松さんが生まれた時に、吉松さんの顔にそっくりなので、家の人たちはお祖父さんの生まれがわりであろう。また大きくなったらバクチ打ちになって、両親や兄弟を苦しめるのではないかと心配していました。由松さんが四歳になった夏、畑へ父母が草ひきにつれて行って畑の中に遊ばしておきますと、四歳の由松さんは畑の草を引きぬいては口に喰わえ、口に一ぱいになると、畑の外へもって出て捨てるのを見て、いよいよ吉松さんの生まれがわりに間違いないということになったのであります。この由松さんは十三・四歳の頃から、そろそろと小バクチを打ち出し、一旦は屋敷も小町田も全部なくなり、小さな家は明治三十四年旧二月、火事にあって財産全部灰にしてしまいました。
霊界物語ネットで読む 霊界物語ネット
オニド関係の更新情報は「オニド関係全サイトの更新情報」を見れば全て分かります!
王仁DB (王仁三郎データベース)は飯塚弘明が運営しています。 /出口王仁三郎の著作物を始め、当サイト内にあるデータは基本的にすべて、著作権保護期間が過ぎていますので、どうぞご自由にお使いください。また保護期間内にあるものは、著作権法に触れない範囲で使用しています。それに関しては自己責任でお使いください。/出口王仁三郎の著作物は明治~昭和初期に書かれたものです。現代においては差別用語と見なされる言葉もありますが、当時の時代背景を鑑みてそのままにしてあります。/ 本サイトのデータは「霊界物語ネット」掲載のデータと同じものです。著作権凡例 /データに誤り等を発見したら教えてくれると嬉しいです。
連絡先:【メールアドレス(飯塚弘明)
プライバシーポリシー/0/
(C) 2016-2024 Iizuka Hiroaki