文献名1聖師伝
文献名2よみ(新仮名遣い)
文献名321 神苑の拡張と造営よみ(新仮名遣い)
著者大本教学院・編
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聖師が大本入りをされてから間もなく、開祖に神がかりされた艮の金神の金と、日の大神、月の大神の月日を合せて、金明会という会を組織しておられましたが、明治四十一年八月一日に大日本修斎会と改称し、それから「本教講習」「直霊軍」などの宣伝機関の雑誌が発行されました。
さらに聖師は神教宣布にあたって、言論機関の整備の、特に大切なことをお考えになり、「敷島新報」を創刊し、聖師みずから印刷所において活字を拾われたり組まれたりされました。
また明治四十二年十一月二十二日、弥仙山から国常立大神の神霊を奉迎し、翌四十三年神苑の拡張造営が始まり、大正三年には西のお宮、金龍殿が建ち、ひきつづき金龍海の工事がはじまりました。金龍海というのは、神苑内の大きな池で、池の中には大八洲、沓島、冠島、六合大島、矢的島などが造られたのであります。
すべて工事は聖師のお指図どおりに着手されましたが、綾部の町の人々は、「大本ではあんなところへ大きな空池を掘っているが、一体水はどうするつもりだろう」といっておったのであります。献労奉仕をしていた信者自身にも腑におちかねていたのですが、工事はぐんぐん進められました。
その時、綾部町の下水へ落す水道の話がもち上りまして、雨降りの時などに余り水を調節する必要上、大きなタンクをつくらねばならぬことになったのでありますが、予算がないので行きなやんでいました時に、大本の神苑内に空池があるから、それを使わしてもらったらよかろうというので、町から大本へ交渉がありました。こんなわけで、第一期の土木工事がすむと、水がまんまんとたたえられ、すべてのことがキチリキチリと箱さしたように進んだのには、町の人も信者も敬服したということであります。ひきつづき大正四年に第二期の工事、大正五年に第三期の工事というように進んで行き、完成したのであります。
すべて大本の造営工事は、神命のまにまに始められるのでありまして、世間のように予算があって始めるのではないのでありますが、それが箱さしたように運ばれてゆくのは不思議なくらいであります。