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文献名1聖師伝
文献名2よみ(新仮名遣い)
文献名330 大正より昭和へよみ(新仮名遣い)
著者大本教学院・編
概要
備考
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ページ 目次メモ
OBC B100800c30
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本文  第一次大本事件は前述のごとく、大正十五年十二月二十五日大正天皇の崩御のため、聖師は昭和二年五月十七日大審院において免訴となり、聖師は全く晴天白日の身となられました。
 聖師は大正十四年以来、旧亀山城趾を天恩郷と命名してその建設に着手されたことは前に述べましたが、さらに大本の宣伝機関を亀岡に移され、綾部をもって祭の中心地とし、亀岡をもって教の中心地とされることになりました。
 そしてまず大本大道場を設置して求道者の修行場となし、文書による神教宣布のため印刷所・天声社の設備をととのえ、一方、光照殿、高天閣、月宮殿、明光殿、更生館等を造営して建設にあたられましたので、永年荒廃見る影もなかった旧城趾は、たちまち面目をあらためるにいたりました。
 聖師は大正十五年二月から楽焼の製作をはじめられ、八月には文芸雑誌「月光」を創刊されました。
 昭和三年という年は大本として、まことに意義ふかい年でありました。旧一月十二日には、聖師の長女・直日さんと高見元男氏の結婚式が挙行され、元男氏は日出麿と改名し、三代教主補となられました。
 さらに三月三日(旧二月十二日)には、綾部、亀岡の両聖地において、みろく大祭が盛大に執行されました。
 みろく大祭は聖師が満五十六歳七カ月になり、弥勒菩薩として下生されたという、大本にとっては宗教的にきわめて意義ふかき行事でありました。
 開祖の筆先には「みろく様がお出ましになる」とか「みろくの世になる」とかいう意味のことが示されております。これは仏典に釈迦滅後五十六億七千万年の後に弥勒が下生して、この世の中を救うということが示されていることから来ているのでありまして、大本ではこの五十六億七千万年に因んで、五六七と書いて「ミロク」と読まれております。
 五十六億七千万年という意義については、釈迦滅後まだ三千年ほどしか経っていないので未だ遠い将来のことであると解釈している人もあり、大石凝真素美翁のごときは、この年というのは三百六十五日のことではなく、稔とか念とかいう意味で、一呼吸のことであり、すでに明治の時代が五十六億七千万年を得た時であると言っております。
 聖師は天地剖判からすでに五十六億七千万年の星霜を経て、いよいよ弥勒の下生する時が来たのであると解釈を与えられております。それで三月三日、聖師は天王平の奥津城に参拝後、幹部十数名とともに至聖殿に昇殿し、祝詞を奏上されて次のような歌を朗詠されました。

 万代の常世の暗もあけはなれ
       みろく三会の暁きよし

 引きつづき、亀岡においても大祭が行われ聖師は弥勒菩薩として下生し、諸面諸菩薩をひきいて地上に活動せられるということになったのであります。
 同じく昭和三年二月七日には、亀岡の高天閣が落成し、十一月十六日には月宮殿竣成式が挙行されました。
 翌昭和四年九月、各地道院の幹部十八名は壇訓によって出口聖師拝訪を兼ね、布道団を組織して日本に渡来しました。そして神戸、亀岡、綾部、大阪、東京などにおいて壇訓があり、これによって聖師の神格、天職がいよいよ明らかとなり、大本と道院、人類愛善会と世界紅卍字会は提携より進んで相合同するにいたりました。
 ちなみに聖師に関して、次のごとき壇訓が昭和四年九月、神戸道院において示されたのであります。

 「尋仁(出口聖師の道名)一団の和気は信衆に異り霊光の瑩は常人に倍す、誠に衆生の光明、濁海の導師なり(中略)尋仁の天に秉受するところは人と同じきのみ、その誠によるゆえに、よくその道を成し、その信によるゆえによくその心を成す。これわずかに大和一隅の明哲たるのみならず、また東亜大陸の先覚なり。その悟るところをもってすれば、わずかに東亜一方の安危に係るものにあらず、その行うところをもってすれば実に世界人群物類の平安を奠むるに足るなり。」

 なお道院と大本、世界紅卍字会と人類愛善会は全く一体であることが示され、「界域の念を除去してともに一道の修にむかえば、すなわち、いわゆる世界大同は必ずこれによってもってその本を得、いわゆる世界一家は必ずこれによってもってその基をさだめん」とあり、最後に「この日華の結合は大千世界相安をひらくの大本なり」と注意を喚起してあるのであります。
 聖師夫妻は昭和四年秋、前記布道団の一行が帰国するにあたって、四五の役員をともなって渡満され、彼我の親善関係はますます強固なものとなりました。
 東洋ばかりでなく、欧州諸国においても、聖師の出現について一度紹介さるるや、非常な注意を喚起し、ようやく聖師を讃美渇仰する声が高くなってきました。
 昭和二年大本事件の解決とともに聖師が晴天白日の身となられた当時、パリにおける欧州本部ではこの喜びを「国際大本」誌上に発表したところ、英、米、独、仏その他の諸国より祝詞賀状を贈られるものが少くありませんでした。その一、二を左に掲げることにいたします。

   ○光は東方より
   (大本総統出口王仁三郎聖師に奉る小詩)
東洋、東洋! 凡ての神の光の 神聖なる大本源
其中には大いなるスラーヴ人種もありて 難めるを記憶せよ
煙が空中に入るが如く、悪魔が此世界に侵入するは是れ人の罪なり
水滴石を穿つとかや……神の使の宣伝事業は 悪魔を征服せん
彼は清き四海同胞愛やまた神律を 世界に宣布す
憎しみを芟除する聖師に慎みて あらゆる衷心の御挨拶を申し上ぐ
地獄は一瞬時あるいは真理に打ち勝たん、併し遂に 真理は永久に打ち勝つべし。
   一九二七、九、二一、
      チェコスロバキヤ国プラーハ市
         マテイ・ルーダ

   ○出口王仁三郎聖師に奉る
神の使わし人たるあなたに衷心の御挨拶を申上げます。
あなたは私共に美しき福音を伝べんとしておいでになりました。
不信の者をもしいたげ給わず新救世主たる、あなたはいとやさしくまします。

あなたは恐ろしい剣をもって現われ玉わず却てあなたは愛善と平和の美しき教を説くに更に暴力を用ひ玉わぬのであります。
あなたから聞くものはただ嬉しき神の御言葉のみであります。

社会が不正にもあなたを苦しめます時にあなたは、キリストのごとく、無益に怒り玉わず、また嘆き玉わず、勇敢に黙して
すべてを赦して彼等を征服なさるのです。

されば我等ザメンホフの朋友はみな
奇しき大智識たる、大本人の総帥たるあなたに
エスペラントによって平和を宣伝せらるるあなたに
深厚なる同情を寄せます。
   一九二七、七、二四、
      フランス国アネシ市
         教授 ブーコン
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