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文献名1聖師伝
文献名2よみ(新仮名遣い)
文献名3【附録】 出口王仁三郎聖師年譜よみ(新仮名遣い)
著者大本教学院・編
概要
備考
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ページ 目次メモ
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本文 (年齢は数え年)

●明治4年(1871年)
 旧7月12日京都府南桑田郡曽我部村字穴太小字宮垣内の農家・上田吉松の長男として生まれる。幼名・喜三郎。
●明治13年(1880年)10歳
 偕行小学校に入学。
●明治16年(1883年)13歳
 小学校の代用教員として教鞭をとる。
●明治18年(1885年)15歳
 奉公を励む。
●明治26年(1893年)23歳
 船井郡園部の獣医・井上氏の書生となる。
●明治27年(1894年)24歳
 岡田惟平翁に就き始めて敷島の道を学ぶ。
●明治29年(1896年)26歳
 郷里穴太に牛乳搾取場精乳館を設置。
●明治30年(1897年)27歳
 父・吉松、帰幽、享年54歳。
●明治31年(1898年)28歳
 旧2月9日より一週間、郷里高熊山にて修行をなす。
 旧8月23日、参綾。初めて大本開祖と会見。翌々日、綾部を去る。
●明治32年(1899年)29歳
 7月3日、開祖の迎えによりて再び参綾。
●明治33年(1900年)30歳
 1月1日、出口澄子と結婚。
 4月2日、金明霊学会を設置。
●明治35年(1902年)32歳
 3月7日、長女直日、誕生。
●明治36年(1903年)33歳
 この秋「筆の雫」「霊の礎」等の執筆を始める。
●明治37年(1904年)34歳
 12月「道の栞」脱稿。
●明治39年(1906年)36歳
 9月、京都の皇典講究所に入学。雑誌「このみち」を創刊。
●明治40年(1907年)37歳
 4月、皇典講究所卒業。
 5月、別格官幣社・建勲神社の主典となり12月辞任。
●明治41年(1908年)38歳
 8月1日、金明霊学会を大日本修斎会と改称。
●明治42年(1909年)39歳
 3月、雑誌「直霊軍」創刊。
●大正3年(1914年)44歳
 8月、「敷嶋新報」創刊。
 9月25日、直霊軍を組織。
●大正5年(1916年)46歳
 3月9日、直霊軍の別働隊なる白虎隊、少年隊を組織。
 4月、大和畝傍山に参拝。
 6月25日、播州高砂沖の神島を開く。
●大正6年(1917年)47歳
 1月、大本機関誌「神霊界」創刊。
 12月、機関紙「綾部新聞」創刊。
●大正7年(1918年)48歳
 4月、大和三山を巡る。
 11月6日(旧10月3日)開祖出口直子刀自昇天。享年83歳。
●大正8年(1919年)49歳
 9月、「綾部新聞」を廃刊し新たに「大本時報」を発刊。
●大正9年(1920年)50歳
 5月、大和龍門嶽に登山。
 9月、大正日日新聞社を経営。
●大正10年(1921年)51歳
 2月12日、大本事件起きる。
 同日、京都監獄未決監に収容され、
 6月17日、責付出獄を許される。この間の獄中生活126日に及ぶ。
 8月、「神霊界」を「神の国」と改題。
 10月5日、京都地方裁判所に於て大本事件の公判判決言い渡しあり。不敬罪として懲役5年を言い渡される。直ちに控訴。
 同月、本宮山神殿取毀命令下り、官憲の手により破壊される。
 同月18日(旧9月18日)より松雲閣に於て「霊界物語」の口述開始。
●大正11年(1922年)52歳
 2月4日、大日本修斎会を大本瑞祥会と改称。
●大正12年(1923年)53歳
 7月、国際語エスペラントを採用。
 10月、続いて日本式ローマ字を採用。
 この年、支那道院との提携成る。
●大正13年(1924年)54歳
 2月13日、払暁ひそかに綾部を立ちて数名の同志と共に入蒙の途に就く。
 3月3日、奉天を出発。洮南を経て公爺府(コンエフ)に入る。
 6月21日、白音太拉(パインタラ)に於て捕らえられる。
 7月、官憲に護送されて帰国。
 同27日、責付取消により再び大阪刑務所北区支所に収容される。
 11月1日、保釈許可となり帰綾。
 12月15日、再び「霊界物語」の口述を始める。
●大正14年(1925年)55歳
 1月20日、大本及び大本瑞祥会の規約組織の大改革を行う。
 5月11日、最高点にて綾部町町議に当選。
 同月20日、世界宗教連合会を創立し、北京に於て発会式を挙げる。
 6月9日、人類愛善会を設立。
 7月15日、大審院に於て大本事件は事実審理と決定。従来の判決は破棄される。
 10月、「人類愛善新聞」発刊。このほか「瑞祥新聞」「真如の光」エス文「大本」(後に国際大本と改題)文芸誌「明光」等続々発刊の運びに至る。
●大正15年・昭和元年(1926年)56歳
 2月頃より楽焼の製作を始める。
 5月より歌日記執筆。
 この間、亀岡に於ては神苑の造営大いに進捗。
●昭和2年(1927年)57歳
 5月17日、大赦令により7ヵ年にわたる大本事件解消。
 12月、渡台。
●昭和3年(1928年)58歳
 2月1日、長女直日、高見元男(日出麿)と結婚式を挙げる。
 5月、四国地方巡教。
 7月、東北地方巡教。
 この間、亀岡にては月宮殿をはじめ諸種の建築物の竣成。
●昭和4年(1929年)59歳
 3月、四国巡教。
 4月、伊勢神宮及び香良洲神社参拝。
 同月、甲斐、信濃地方巡教。
 10月、渡支、一ヶ月余。
 11月、「北国夕刊新聞」大本の経営となる。
 この年より全国各地に於て聖師作品展を開催。
●昭和5年(1930年)60歳
 3月、京都にて開催の宗教博覧会に参加し大本館を特設して出品。
 6月4日、開島30周年に際し沓島、冠島参拝。
 9月、山陰及び壱岐対馬巡教。
 同月、人類愛善新聞社及び人類愛善会東洋本部を亀岡より東京に移転。
 12月、再び台湾巡教。
●昭和6年(1931年)61歳
 8月、満60歳の還暦を迎え更生祭を行う。
 歌壇に進出し、80有余の結社に加入。
 数ヶ月に歌集数冊を発刊。
 9月8日、綾部鶴山山上に神声碑建立。
 同月下旬、山形、更に北海道に巡教。
 10月18日、昭和青年会を結成し、雑誌「昭和青年」(後に昭和と改題)を発刊。
 12月、四国地方巡教。
 同月、人類愛善会、支那の聖道理善会(在理会)と提携。
 愛善主義による各種精神運動団体との提携の歩は着々として進み、既に提携せる主なものは支那の道院、救世新教悟善社、ドイツの白色旗団、ブルガリヤの白色連盟等々あり。
●昭和7年(1932年)62歳
 2月、開教40周年祭を挙行。
 同月、「丹州時報」大本の経営となる。
 同月、大阪にて開催の満蒙博覧会に参加して愛善館を特設。
 4月、京都満蒙支那大博覧会にも参加し愛善館を特設。
 6月18日、人類愛善会と喇嘛教との提携成る。
 7月、東京満州国大博覧会に参加出品。
 8月13日、大日本武道宣揚会創立。
 11月1日、昭和坤生会を結成。
 同月、北海道地方巡教。
●昭和8年(1933年)63歳
 旧1月1日付を以て大本を皇道大本と復帰し、これまでの大本瑞祥会を解消。
 3月、紀州官幣大社熊野神宮に参拝。
 同月、伊勢神宮ならびに香良洲神社に参拝。
 同月20日、生母・世根子刀自帰幽。
 10月4日、亀岡天恩郷にて霊界物語「天祥地瑞」の口述を開始。
●昭和9年(1934年)64歳
 7月22日、昭和神聖会創立。全国遊説。
●昭和10年(1935年)65歳
 12月8日、第二次大本事件起こる。聖師松江より拘引、京都市中立売警察署に収容される。
●昭和11年(1936年)66歳
 3月13日、起訴される。
●昭和15年(1940年)70歳
 2月29日、京都地方裁判所において判決、治安維持法違反及び不敬罪として無期懲役を言い渡される。直ちに控訴。
●昭和17年(1942年)72歳
 7月31日、控訴審の判決あり、治安維持法違反は無罪不敬罪は原審通り有罪の言い渡し。
 8月7日、夫人澄子、出口伊佐男と共に保釈出獄、6年8ヶ月ぶりにて亀岡へ帰る。
●昭和20年(1945年)75歳
 9月8日、大審院の判決下る。治安維持法違反は無罪と確定し、相次いで不敬罪も解消。
 10月、第二次事件によって綾部、亀岡の両聖地は当局の手により綾部、亀岡両町に売り渡され、法廷で争い続けていたが、町との円満な解決によって無条件にて返還される。
 12月8日、事件解決奉告祭を綾部彰徳殿にて執行。
●昭和21年(1946年)76歳
 2月7日、聖師の提唱により「愛善苑」新発足。
 8月7日、突如発病、血圧昂進のため絶対安静。
 12月5日、中矢田農園より、落成した瑞祥館に移り静養。
 12月8日、愛善苑会則改正により聖師は苑主となる。愛善苑趣意書を改正し愛善苑主意書発表。
●昭和22年(1947年)77歳
 1月22日、宗教法人令による法人組織の手続き完了。
 8月27日(旧7月12日)喜寿を祝う瑞生祭を亀岡にて執行。
 12月8日、新生記念祭執行。病勢やや悪化。本部事務所竣成。
●昭和23年(1948年)78歳
 1月18日(旧12月8日)容体急変。
 1月19日、午前7時55分昇天。
 1月30日、綾部へ遷柩。
 2月2日、葬儀を愛善苑苑葬として執行。天王平に埋葬される。
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