文献名1座談会
文献名2よみ(新仮名遣い)
文献名3出口王仁三郎聖師と出口日出麿師を囲む座談会 第一夜 第二回 青年の使命よみ(新仮名遣い)
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データ最終更新日2016-12-02 16:49:23
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【林】 『じゃ次の問題に移ろう』
【高見】 『次は「青年の使命」について話し合いましょう』
【林】 『青年の使命! すべて青年は何事でもハチ切れる元気でやることだね。
今の若い奴は頭から元気がない。非常に消極的で日和見的の根性の奴ばかりだ。こまった事だね。どんどんやったらいいんだがなア』
【日出麿師】 『ワシもなア、いろいろ前には上になったり下になったりしてやってみたが、上の人のいう所も無理のない所があるよ。何でも自然にやるのでないといかんね。神様をお願いして自然に従ってやってゆく事は必ず、しばらくすると変わって来る、こいつは自分が、こう思うからといって一遍に理想をやろうと思えば頭を打ったり、石につまずいたりして失敗する。自然に、うまく来た時にパットやればよいが……』
【中井】 『しかし、そのタイムを見るという事は青年には先ず出来ない事ですね……神様でない限り』
【林】 『また神様論か』
【日出麿師】 『そうだね。どうも若い時には、もどかしくってね。何でこんな事をやらんならんかと思ったりしてね……。けれど、もっと上の事を考えねばならない。後になれば判るが……』
【中井】 『やっぱり若い者は兎に角やれるだけ、やるんだね』
【日出麿師】 『若い時は第一、力を養うておくんだなー』
【高見】 『青年という者は争闘力を養うんだね。絶えずその為に努力をすることだね』
【林】 『青年時代即ち人生の土台を作る時なんだからな』
【日出麿師】 『土台を作ろうと思えば、あらゆる万難を排して行かねばならない』
【高見】 『青年はやろうと思ったらやったら良いのだね。だが、そのやろうと思う事が何をやるのか判らないね』(笑声)
【林】 『結局やってみれば判るよ。しかし今は、大体若い者がやろうとする事を理解してくれないよ』
【中井】 『理解どころか、頭から押さえつけるんだ』
【林】 『大分憤慨するね』
【中井】 『憤慨など、もう通りこしてる。アホらしくなるね』
【日出麿師】 『ハヽヽヽヽヽ』(笑声)
【聖師】 『始めから善いか悪いか判らん……そんな事で仕事というものは成功しやへん。ワシは若い時はよほど考えてやった。考えてみて、それで決まったら、うんとやったらいい。何でもかんでも、やったらいいという事はいかん。嫌な人の意見も聞かなければならないし、どうしても年寄りにはいろいろな経験がある。だから年寄りの意見も参酌をせにゃならん。大体世情というものが判らなければいかん。若い時は生一本で正直過ぎる。年寄りはみんな、騙され切って来ているから、世の中の事がよく判るが、若い時には正直過ぎるから騙される……』
【林】 『亀の甲より年の功で、やっぱり年寄りはそうなんだろうなア』(笑声)
【高見】 『これからの青年は世の中と戦って行かんならんなア、どうしても』
【日出麿師】 『兎に角、人を得る力が無かったら、どんなに争闘力があってもいかんね』
【聖師】 『人の心を悟り、また社会の心に通じなければいかん。そして、人が味方となって自分について来るようにならな仕事は出来ん』
【高見】 『腹を養うんだね、自分が種々体験してみて……』
【日出麿師】 『体験せねばそりゃ判らん』
【聖師】 『それも甲の人がやった経験を乙の人がやって、うまく行くというわけのものでもない。その人その人で違う。甲がやって失敗しても、乙がその真似をして失敗するとも限らん。それはその人々の持ち前で言うに言われんやり方がある。
ワシは永いこといろいろやっているが、そのズーッと苦しんで来た中にも終始一貫して来た。もう三十余年間の終始一貫である。
嫌になったらやめる……それでやめてしまうと、始めに苦心してやって来た貴重な経験をほかす事になる。兎に角どうしても始めた事はどこまでも継続していかないかん、損や。そして目標というものを定めておかないかん。青年は二十八才までに目標を定めねばいかん。宣伝使をやったら宣伝ばかりやればよい。二十八才の時に商売をやるのやったら商売をやる。それから十年で基礎が出来、二十年目にようやく花が咲く。三十年目に、順調に具合よう行って成功する。
どんな事でも隠忍自重ということをやらねば、何にも出来ぬ。
ワシも三十何年かかっているが二十七年間迫害ばかりであった。総て大きな仕事ほど迫害が多い。まだなかなか思惑が立ってやへん。これからが大事業や……。
無一文からやって行く、人間もつくらないかん。力もこしらえねばならぬ。有志も同志も作らないかん。ワシの仕事とすれば、これからがいよいよというところだ。それで大本は今まで総ての人がやっていることや会議制にするとか……人は何とか理屈を立てるが、そんな事をとり入れても、成功することはない。
明治の元勲は一人でやった。それでこそ仕事が出来るのだ。
今の大本の信者に対してワシが無茶いうても、皆が承知して、ついて来るようになったらいい。指導者は一人あったらいい。二人も大将があったらいかん。だからワシはいざという時のために「無茶」に慣らさしておくのだ。指導者にゴテゴテいうようでは仕事は何にも出来んからなアー。
普通の人の智慧と、こちらの考えておる智慧とは違う。こちらが考えてそれから向こうが考えてやるようではそれだけ時期が遅れる。
何でもよいから、言うたらその時すぐ動く──それを素直に信じてやったらこっちの思う通りチャンとゆく。理智が勝ったらいかん。この練習が一番大切だと思ってやっている。もっともっと大きな仕事をやるには、みんなが、もっともっとこっちのいう通りに動かねばならぬ。無条件でやるという事にせねば団体力というものは出来ない。十人寄れば十人十腹といって、めいめい考えが違う。皆がワイワイ言うて、絶対服従して行く事を今の人は烏合の衆やというが、それは違う。烏がワイワイ言う、それが烏合の衆で、烏合ということは「烏鳴いて何ぞ合わんや」という事なんだ。ワアワア言う時にワアワア言うて、後は沈黙で一つに固まる。これで本当の力が出来る。
人類がみんな大本を敵にしても、何千万の信徒が一致せんと何にもならん。めいめい考えが違うから力がない。それより一万の力が固まったというたら、どんな事でも出来る。一万の団体と云えば非常なものだ。一万でなくとも、三千でも五千でも、それが固まったら、どんな事でも出来るが、その中へ支離滅裂な意見が出るといかん。理屈が出て来たら内から崩れる。そうなったらたちまちで、何も仕事は出来ない。平和な時は団結しているが、サアとなったらバラバラになる砂の山のようなものだ。世間では華族さんとか、何とかいう人をかついで総裁にしているが、皮袋に入れた砂のようで、袋が破れたらパッとなって何にもならん。主義者でも同じ事だ。
固まるほど大きな力はない。反宗教運動というものは──人の心の中にあるものが崩れると思ってやっている。あれは迂闊だ。
宗教の教理がいけないから改めようとか、また伝道の方針を改めよとか、民衆に解放してやれとかいう事は許されるかもしらんが、宗教全体をどうしようなんて事は出来ない。それは人の心の中から生まれてるものだから滅びない。地震の時とか雷が鳴った時にはどんな無信仰論者でも手を合わすもんや。
つまり金の問題やな、手を合わすより金やから……デモ幹、ダラ幹の仕事や。あんなもんはしょうがない』
【高見】 『ああいうもんこそ神様の名で大いに弾圧すべきですなア』
【中井】 『つぶれかかって、もがいている彼ら自身の為にも、弾圧してやる方が功徳だ』
【聖師】 『自然に弾圧される。自然に滅びるよ、そんな事せんでも……』
【日出麿師】 『宗教などは人の力では潰れない。あんなものも神の仕組で出て来ているのだから──二重にも三重にも神様は使われていられるのだから……』
【聖師】 『……ちょっと見たら善いようでもまた悪うなるやら判らん。悪いようでも神様がみな、こさえておいたのや。蝮にしても、かまれたら命を取られるけれども、酒にしたら長命の薬になるでのう。一概に悪くは言えない』
【林】 『本当に神様の道から言ったら蝮酒は長命だといっても、飲むのは間違っていると思うな』
【高見】 『それは信仰の問題だね』
【林】 『この間呑んで酔ったんで負け惜しみだな』(笑声)
【聖師】 『そんなこと言ったら鰌や鰻を食っても随分いやらしいものだが、あれも昔から食べるもんやと習慣づけられているから何とも思わんのだが、あれを食えんもんじゃとしてあったら食えやへん。鯰なども何がなしに食っている。ナマコなんてものはまるで蛇のようなものやが、あれもみな喜んで食っている。習慣づけられているからこそ食っているんだ。蛇は畑鰻と言って、鰻より蛇の方が料理法に依ってはうまいんやぞ。ウドンでも一番うまいのは蛇の粉が入っている。蛇を蒸してカシャカシャにしたその粉が入っている。それでウドンがうまいんや。ウドンが無茶にうまいのは蛇を入れてあるのや。味の素にも入っているでよ』
【皆】 『ウエー』
【林】 『ソバにも入れてあるんでしょうか』
【聖師】 『そりゃ、あれを入れねば本当にうまいという味が出んからのう』
【林】 『うまい話はそれくらいにして、じゃどうだい高見氏、次に移ろうか』
【高見】 『そうだなア、次は「国家の将来」っていう、ちょっとうるさい問題なんですがね』
(以下次号)
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本号には『青年の使命及び国家の将来』の二つの問題を掲載する予定でありましたが、『国家の将来』の原稿を今、聖師様が御校閲中ですので、遺憾ながら本月号に間に合いませんでしたから、本月号は『青年の使命』だけにしました。来月号を大いに期待をかけてお待ち下さい。(英)