文献名1王仁文庫
文献名2第6篇 玉の礎よみ(新仮名遣い)
文献名316~31よみ(新仮名遣い)
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概要
備考2023/10/22校正。
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データ最終更新日2023-11-02 18:58:05
ページ7
目次メモ
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本文
(十六)艮の金神出口の守より出たる教を信ずる者のみ、高天原に到るべしとは思ふなかれ。只其御心に叶ふ正しき行ひと、誠実の心あるもののみこそ、高天原に到ることを得む。
(十七)人の病は総て罪より起るものぞ。罪ある人は至りて心弱きものなり。その弱きにつけ入りて悪魔ども襲ひ来り、その身を悩ますものなり。この悪魔を逐ひ出さんとするには、心を清むるより外に途なし。清き水には蛆の湧くことなし。心を洗ひて垢を除り、神の御側に集まり来りて、誠を磨くべし。鬼も蛇も影をひそめて消え失するものぞ。
(十八)この道を信ずるものは、下津岩根に建ちたる家の如くなれ。岩の上の家は動くことなく、砂の上の家は雨降り風吹きて洪水出づれば、覆ることあり、流失することあり。信仰も亦斯の如し。堅き心をもちて信仰の基を建て、いかなる雨にも地震にも、雷にも、暴らき風にも、動くことなく変ること無し。神の道を生命と頼みて、ただ一筋に守り行くべし。
(十九)明治三十三年八月の末つ方のことなりき。王仁大本に在りける時、郷里穴太より急電あり。元治郞危篤直ぐ来れとのことなりければ、直に出口の守に申上げたるに、余程の大病なれば、とく行きて助けよと仰せられたり。
(二十)乃ち木下慶太郎を伴ひて、草鞋脚絆に身を固め、未明竜宮館を立ち出で、十四里に余る道を辿りつつ、其日の黄昏に穴太の郷里に着きたりしが、其夜は二人とも疲労の余り、前後も知らず打ち伏たりき。
(廿一)翌朝夙く起き出でて、病人はいかにと見るに、全身熱と痛みとの為めに、一寸も身動きならずと、痛く苦しみ煩ひ居たれば、直に神前に向ひて、元治郞の病の癒ゆるやう祈願を籠めぬ。
(廿二)この時坤の金神懸り給ひて、教へ諭し給はく、この病は或者に職業がたきとして、呪はれたる故なり。必ず産土の神の御庭の生杉に、元治郞が姿を画きて、其上に釘を打ちあるべし。夙く行きて其釘を抜き取り、其跡に軟かなる餅を埋め置きなば、病は立所に癒なんとの御告を給はりたり。
(廿三)斯と聴きたる人々は、心の中に半ば怪しみ疑ひけるが、上田幸吉、木下慶太郎の二人は、下男幸之助を伴ひて、神の御告のまま、直に産土神小幡神社に到り見けるに、果して二本の大杉に、釘八本打ち込みあることを認め、急ぎ帰り来て審に其由を物語りき。
(廿四)かかる折から、村の衛生係が、巡査と医師とを伴ひ入り来り、此病は熱病にて伝染の虞あれば、今の間に予防の手当を為さんと言ひ出しけり。そは当時村内に熱病流行し、何れの家にも、一人二人の患者なきは無かりし有様なりければ、かくは推定しけるなりき。
(廿五)王仁も二とせ三とせは、医師の道を学びたることありしかば、病理上より伝染病にあらざる由を説明し、生霊の祟りなることを告げたりしに、医師等嘲ひて、今の世に祟りなど在るべき筈なしとて聴き入れねば、神の御告げを語り、且其釘を抜き来りて、詐りなき証左と為したりければ、医師を初め一同半信半疑の体にて、其儘に帰り行きぬ。
(廿六)不思議なるかな、病煩へる元治郞は、社内の杉より一本の釘を抜き取ると同時に、忽ち体の内涼しく覚え、やがて全部の釘を抜き取ると共に、熱も痛みも拭ふが如く去り、今迄身動きだに不能ざりし者が、起き上り歓び勇みて、モーこれにて大丈夫なりと、泣き笑ひを為したりければ、並み居るものども、何れも神徳の洪大なるに驚かざるはなかりけり。
(廿七)元治郞は鍛冶を職業となしける者なるが、下男の幸之助は、数多の鍛冶職人どもより金銭を貰ひて、釘を打ち込み、元治郞を呪殺さんとはなしたるなりき。されば神の威徳に由りて、其罪の発覚せんことを畏れ、其夜の内に、夫婦とも、何処ともなく逐電したりけり。後にて聴けば、彼は生国紀州に帰ると共に、重き病に懸りて苦しめるよし、遠近の風の便りに、丹波路まで伝はりければ、元治郞は彼の為に、幸多かれ、平癒させ玉へと大神に祈りぬ。
(廿八)王仁両三日穴太に逗りけるに、心篤き信者ども多く尋ね来りければ、乞はるるままに、くさぐさの病を癒やして、神の御力を現しけるが、やがて帰途に就くに当り、元治郞に教へていはく、ゆめゆめ爾の敵を恨むことなかれ。彼等が一日も早く真心に立ちかへりて、神の仁慈を受くるやうに祈るべし。爾に敵する者のみ悪しきにあらず、憎まるる爾も、それに過ぎたる罪はあるなり。宜しく己が心を顧みて真心に復へり、神に信仰を怠るなかれと、諭し置きて綾部に返りぬ。
(廿九)尚ほ重ねて曰く、爾の病は呪の釘を抜きたれば、一度は癒えたるやうなれども、爾の罪未だ消えざれば、再び苦痛あるべし。然れどさしたることなし。二ケ月ばかり過ぎなば、元の身体になりなむといひしに、其後果して六十日を過ぎたる時、体熱膿となりて流れ出で、病は全く癒えたりけり。信仰薄かりし元治郞、これより御神徳の有り難きを暁りて、朝夕神を拝する心にぞなりにける。
(卅)王仁竜宮館に在りけるに、台頭といへる村の一老媼、片山卯之助とて、今年十四歳になる一人の孫を、籠にかき載せて連れ来りぬ。卯之助は二年余蹇者となり、歩むことは固より這ふことさへ叶はぬ身となり居たるなりき。王仁神前に在りて遙かに之を眺めつつありしが、爾わが前に来れと命じぬ。
(卅一)卯之助、われは蹇者なれば、歩むこと能はずと答へたれば、王仁、爾の罪は天之を恕し玉へり。試に吾前に歩めといひけるに、蹇者は徐々籠を立ち出でて、神前に歩み来りしが、余りの嬉しさに、声張りあげて泣き出したり。其後一月を経て病は全く癒えたりけり。