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文献名1暁の烏
文献名2よみ(新仮名遣い)
文献名3第三章 今までの心得を改むべきことよみ(新仮名遣い)
著者井上留五郎
概要
備考
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ページ80 目次メモ
OBC B116500c03
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本文  これは今までの心得が全部間違っておったという意味ではないのであります。いよいよミロクの御用が始まり大本も世界的になって来ましたので、それに応ずる覚悟を持たねばならぬということでありまして、御神諭及び霊界物語等に訓示してある如く
   (一)神心
となりて心を広く大きく持ち
   (二)世界的眼孔
を開いてもらいたいとのお言葉であります。神心となり、また世界の見え透く眼を持つということは、身魂みがきの究極点ともいうべき緊要事でありまして、以下説くところの各項を会得実行して始めて到達し得るのでありますから、ここには神心に関する左の聖師様のご訓話を掲げておくだけとしておきます。

   智慧と証覚(神心)
「智慧は人が生まれながらにして神様から与えられたもので、即ち先天的、内分的、神的である。それで学問がなくても智慧はある。学問があっても智慧の働きのないものもある。外分的後天的の学問その他で出来たものは知識であって智慧とは違う。仏教等でいう善知識というのは外分的の記憶的知識で、真の心の救いとなるものではない。智慧の智とは日を知る(ヒジリ)、霊を知る、神を知るという事であって、慧とは天と地との主の神に従う心である。
 証覚とは覚りあかす、あかしをもって神を覚るという事である、日の昇り工合でたいてい今は二時頃だというのも覚りであるが、時計を見て何時何十分何十秒だと覚る事が出来るように、あかしをもって宇宙の真理に徹する事が出来るのが証覚である。霊界物語でたとえたならば、これを出されるのは智慧からであって、これのあらわれ即ち口述してつけとめられたものは証覚なのである。故に霊界物語は智慧証覚を得る唯一のものである。真善美愛はその証覚より顕れ出ずるものである。それで証覚は理解ともいえる。智慧は本体のようなもので、証覚は働きのようにもなる。仏の云う無上正覚とは正しく覚るの意にて、証覚とは違うのである」(神の国大正十四年新年号、六三頁、月の露参照)
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