文献名1二名日記
文献名2よみ(新仮名遣い)
文献名35月16日 於高松市新港町嶋中氏方よみ(新仮名遣い)
著者月の家(出口王仁三郎)
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データ最終更新日2018-08-19 19:26:14
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本文
朝の空隈無く晴れて風清く汽笛の音さへ澄める徳島。
半切紙頼まれ今日も例破り拾数枚の揮毫せしかな。
何事か知らねど徳島某署より栗原総務を呼出し来る。
紀州より熊々島田宣伝使ゴキゲンホウシと来電ありたり。
出来島を清く流るる助任の川の面に波の穂高し。
午後の二時数多の信者に送られて徳島後に讃岐に向ひぬ。
仁心橋 船場橋など打渡り佐古町行けば車に塞がる。
佐古の町讃岐街道の四辻に猪津公園清く映えたり。
風清く陽は麗かに吉野川十一丁の川幅渡る。
珍らしく昭和の代にも吉野川渡る車に橋銭を取る。
限りなき広き桑園縫ひ乍ら大寺橋を渡るすがしさ。
大寺町矢を射る如く通り抜け大阪峠のふもとに進む。
左手なる八坂神社を後にして四里の上下の坂にかかりぬ。
面白く葛のからみし老松の幹青々と林に立つ見ゆ。
太郎橋 鎧橋など打渡り登れば風光そろそろ美はし。
松林木蔭に所狭きまでも咲ける躑躅の美はしきかな。
上り行く坂道の辺に薪の束赤くなれるを積み重ねあり。
大曲り坂を上りつ見かへれば白布の道の長く曳く見ゆ。
頂上に登りて見れば瀬戸の海波の光りの美はしく見ゆ。
徳島と香川県との境まで来りて見れば風光妙なり。
海原を見下ろす刹那の楽しさよ沖の島山波に浮かびて。
九十九折四国第一峻坂を車に乗りて降る愉快さ。
九十九折坂下り詰め海辺をつたひて大川橋に乗り入る。
引田橋渡れば山に包まれて海辺の景色見えずなりけり。
塩屋橋渡れば左右の森林に八日躑躅の群がり咲く見ゆ。
中山池小波立ちて水青く双眼鏡の如く並べる。
白鳥の社の鳥居潜り抜け白鳥橋を渡りて町行く。
午後の四時白鳥支部に安着し疲れ医せんと少時休らふ。
白鳥の神社に岩田栗原氏吾に代りて参拝を為す。
午後六時二十分前前原を背景として小照を撮る。
龍灯の松の姿の珍らしさ梢に灯籠ありと伝ふる。
千年の老松太く苔の生す白鳥松原見ればさやけし。
湊川橋を渡りて三本通り与太川橋を渡る迅さよ。
眼鏡池岸辺に小供三四人小魚を漁りてささやき遊べり。
津田湾に点々と浮く群嶋の眺めはさながら画の如くなり。
鶴羽根の村を走れば路の上に枝振り妙なる老松の立つ。
風清き津田の松原別け行けば石清水の宮木の間に光る。
老松の林すかして海の面に白帆の影の見ゆる凉しさ。
斎庭を塞ぎて樹てる一本の臥龍の松の面白きかな。
津田川橋渡りて見れば川岸に肥えたる牛の草食める見ゆ。
加部側の堤走れば初夏の風車の窓を吹きて肌冷ゆ。
鴨の庄進めば田家の軒高く風におよげる鯉幟見ゆ。
源平の戦争に其の名聞こえたる屋島の山姿清く眼に入る。
聖天を祀れる讃岐の五剣山雲間に高く雄姿現はす。
弁天橋渡れば近き海上に弁天島の清く浮く見ゆ。
謡曲に名を知られたる志度寺を通れば海士の偲ばるるかな。
五剣山雲の彼方に三剣を吾眼の前に抜き放ちたり。
房崎を過ぐれば五剣残りなく御空に高く現はれにけり。
走り行く道の左右の草中に赤黄色なす月見草咲く。
屋島山近けくなりて道の辺に塩田広く開かれてありき。
田の面に暮色包みて春日川橋渡れば老松並木茂れる。
詰田川橋是より屋島を眺むれば夕べの雲に山は映えたり。
沖松島町の千代橋渡る頃家々の軒電灯つきたり。
電灯もてトンネル造りし片原の町を通れば城趾眼に入る。
高松港海岸通り島中氏事務所に一同安く来にけり。
県内の宣使まめ人八十余名島中邸にて吾迎へ待ちぬ。
紀貫之がものせし土佐日記を読みてより以来永年憧憬れたる土佐の風光を探り、かたがた熱心なる信徒に直接面会せん事を楽しみて、いよいよ今回の四国路巡遊の途に上る事とはなりぬ。貫之の昔の如く、文明の御代の有難さは、海賊のおそれも無く難船の心配も無く神戸港を夕方立ち出で、暖かき夢を結びつつ翌朝早くも目的の土佐浦戸湾の風光に接する事とは成りぬ。浦戸湾は土佐第一の良港にして山水の風光実に珍らしき眺めなりき。
開けたる御代のめぐみは憧憬の土佐へ一夜に着きにけるかな。
貫之を近寄り起し今の土佐見すれば如何に驚くなるらむ。
太平洋南に負ひし土佐国の山と水との豊なるかな。
一年に二度まで稲のみのるなる土佐は天地に恵まれし国。
高知市の山内公の城趾見て維新の志士を偲びぬるかな。
薩長土並びて瀑布を仆したる維新の勇気今見る由なし。
市中をば自由自在に船をやる工事起せし兼山偲ばる。
筆山や鏡の川や五台山吾たましひを洗ふ山川。
軒下に流るる鏡の清川をながめて土佐の風光見しかな。
足立氏の貴の館に身を休め思ひを遠く神代に馳せたり。
浦戸湾の風光にあこがれて半日の清遊を船に試み、副守護神を満足させたる其翌日高知より卅数里を隔てたる、日本新八景の第一位室戸岬に案内せんと、宣伝使信徒の好意辞するに忍びず、雨煙る土佐の平野海岸等を四台の自動車を連ねて一日の遊覧を試むべく、朝早くより出立し、室戸の勝地に到る。名にし負ふ太平洋の荒浪打寄する浜辺の事とて波に洗はれたる万年の岩石海岸に数限りなく碁布併立し、少しく旅情を慰むるに足るべし。しかるに此の附近は林中墓地多く亡霊充満して、霊感者の吾に取りては不愉快極まりなく、半時の間も駐まる事の苦しきを堪へ忍び、人々の好意を無視せまじ、と社交的に惜き時間を空費せり。記念の小照を、砕破せる巌上に立ちて撮りぬ。
日本一室戸の岬の景勝も醜しかりけり亡霊群れ居て。
空海が跡を遺せし室戸岬に今は悪霊のみぞ遺れる。
日本一勝地と聞けど吾眼には余り清しと思はざりけり。
四方に雨雲塞がり陰気なる高知の空を後にして高知分所長、徳島中央支部長に案内され、栗原、岩田両総務を始め、光の家吟月、玉の家満月の一行七人、いよいよ恋しき高知に離れ阿波路に向ふ。雨激しく風また強し。
高知市をあとに阿波路に進み行く別れ涙か雨降り頻る。
天地の恵み豊な土佐の国離るる時の心淋しも。
天恵豊にして樹木茂り合ふ土佐の山々、青く清く聳えて、河水最とも美はしき大坂山を越ゆれば、穴内川の清流吉野川の碧潭に注ぎ、水声淙々として川底透明なり。断崖絶壁を修理して川の左岸に国道を通じ、大歩危、小歩危の嶮も今は名のみ残りて自動車、馬車の通ふ事となりぬ。廿数里の渓路は大部分川沿ひにして、風光殊に麗しく、旅情を慰して猶余りありき。
土佐の山河波の山々の新緑のもゆるあたりに郭公啼く。
山清く河水澄める渓路の眺めは終生忘れざるらむ。
山々の頂きまでも畑作り国富計る国人愛ぐしも。
阿波の鳴戸十郎兵衛お弓にお鶴、大阪玉造など近松作の戯曲に由りて、幼時より深く印象されたる阿波の徳島市に始めて足を踏み入るる事とはなりぬ。人家稠密にして国の秀豊なり。徳島分所の二泊中、巡礼の歌耳に入りて倍々床しさの胸に湧く。忌部神社の参拝、猪津山城趾の巡覧、古川橋の広さ長さ、鳴戸支部の訪問、等何れも阿波旅行の気分にしたる。鳴戸支部の所在地近くなる撫養の町競馬場、若布の香り、百枚蓆の大紙鳶なぞ物珍らし。
此処より一里にして有名なる鳴戸あり、案内すべければ、一度その壮観に触れ玉はずや、と心良き人々の勧めをも固辞して、早々其日の夕暮、沖の洲支部長柏原花実子氏邸に入り、旅の疲れを養ふ事となしぬ。
神業の忙しき身には阿波鳴戸近しと聞けど訪ふ暇もなし。
競馬場鳴戸若布の薫りなぞ吾には別けて珍らしかりけり。
栲機の支部に一夜の宿りしていと珍しき煙火見しかな。
勝浦川清き流れを遡り小津森の淵賞観せしかな。
晴れ渡る初夏の空に三台の自動車に分乗し、徳島分所長、及高松市の稲村 大内の三氏に送り迎へられ、一行八人午後二時中央支部を立ち出で讃岐の高松市に向ふ。此処にも土佐同様に大阪峠あり。徳島と香川県との堺の山上より海面を見る。風光の絶妙なる九十九折の峻坂を下りたる時の爽快なる、四国路旅行中の第一印象たるべし。白鳥、津田の両松原の景色、五剣山、屋島山の勝景に送られ、夕刻無事高松市に入りぬ。
千年の苔生す松原海の面ながめつ楽しき今日の旅かな。