文献名1歌集・日記
文献名2よみ(新仮名遣い)
文献名3花明山よみ(新仮名遣い)
著者前田夕暮
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データ最終更新日2025-12-24 12:50:33
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私は昨年五月関西に旅行した。近江から大阪、京都などを経て、亀岡に天恩郷を訪れた。天恩郷内に私自身を見出した時に、其処にある異常ともいふべきある暗示をうけたのを感じた。
それまで、私は多くの人々から、また親しくは王仁三郎氏の仕事の一部を分担してゐる人から、氏の人となりとか、また氏の事業、芸術等に就いて、多少の予備的知識は与へられてゐたがそれはほんの、アウトラインだけであつて、山嶽でいへば窓の向ふに微かにその山らしい線のうねりをちらとみたに過ぎなかつたのである。
私の天恩郷に着いたのは五月末の薄暮であつた。もとの亀岡城趾に原図に依つて近代的に……といふよりは大本式に建造せられた建物は可成り厳しいものであつた。建てられたばかりの春陽亭といふ二階建の、名の如く麗明典雅な建物に一夜をとめていただいたが、屋外に素晴しい公孫樹の巨木があつて、夜なかに大風が起つて、その公孫樹が異常な叫喚をたててゐたのを、私は風が好きなのでよい気持できいてゐた。朝起きて窓を開いて展望した時、初夏の丹波の国をうねつてゐる保津川の光りと、切りそいだ窓下懸崖の下に青い青い光と陰とをたたんだ一面の大竹藪を瞰下して、これはよいと思つた。何だかこの殿上から下界を見渡してゐると、ある壮図、野望、事業に対する興奮─社会とか民衆とかを自分の掌の上にのせて、処理しまた観照するといふやうな気持が、おのづからにして了解されるやうな気持ちになつた。
と同時に私の記憶に鮮しい前夜の食堂で食べたメロンの香気がぷーんと来た。そして、いかにもこだはりのない童顔の巨人出口瑞月氏の朴素な親しみのある笑ひが私に意外な好感をもたせた。
この人ならば一日中二人きりで話をしても気づまりは感じないであらうと感じさせるものがあつた。然し、私はその時迄瑞月氏の本態がよく掴めなかつた。が朝食後、図書室に行つて四五年に書かれたといふ七十余冊の著書を観た時、鳥渡其精力に驚かされた。が更に私は氏の製作になる何百点かの自叙伝的絵画をみて、すつかり感動して仕舞つた。
さらに私は講堂に掲げられた額の一間四方大の巨大な文字に打たれた。
其処に明かに瑞月氏の芸術家としての非凡な閃きを観取出来たのである。書もよいが、ひようひようとして何等捉はれざるしかも氏特殊なタツチによつて、淡彩、水墨、線描の妙を尽した山水画は私にある不可思議な芸術味を感じさせたのである。
一箇貰つて帰つた青釉縁彩の楽焼の壺も亦私の愛するものである。
さて、歌のことになると、鳥渡ここで私はペンをおいて、考へさせれる。量の上からいへば恐らく独歩であらう。また其自由にして捉はれざる点、東西南北、天地玄黄的なところ、これは他の人の追従を許さざるところだ、が、今直ちに氏の歌に対して批評の筆をくだすべく、まだ早いやうな気がする。と同時に私にはつかまへどころがないほどその境地は曠野のやうに広いのである。さうだ、王仁三郎出口瑞月氏の本態は容易に捕捉出来ぬほどにまた未来があり、茫漠としてゐる。氏は現代のスフ井ンクスである。
昭和六年三月
楊の花の風に光る日
前田夕暮