文献名1歌集・日記
文献名2よみ(新仮名遣い)
文献名3花明山よみ(新仮名遣い)
著者飯田兼次郎
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データ最終更新日2025-12-24 13:15:58
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本文
私はいま初夏の雪を鮮やかに、かがやかせて、朝の味覚をそそりたてる、五月の富士の淡緑色の裾野を特急列車で走つてゐる。
私の体にふれてくるものは、青い列車のクツションであり、お化粧をすませた旅の夫人の匂ひであり、列車ボーイの洗ひたての白服であり、まつ蒼な空を浸ませた朝風であり、富士がもつ少女の体の感触である。
しかし私の頭には、体とは、まるでかかはりもなく、台湾阿里山のべうべうたる雲海の上に抜きいでた、新高山脈が写されてゐる。
涯しない乳白色の雲海の上に、まつ赤な円形を鮮かにあらはした太陽と、蒼空と、浄められた空気とだけが天上界を創造し、地上からその巨体の上身を突きだした、新高主峰の幻像は、私をしてただちに、出口聖師を連想さすのだ。
明快な近代的感覚の発原帯であり、山の全貌を地上に露出してゐる富士に対して、新高はいつも、その主峰を雲海の上に没してゐる。しかも阿里山のある地点からのみ、雲霧の霽れ間に、その連峰の一部を仰ぎうるのみで、台湾の否地上の何地からも、その全貌をのぞむことは不可能である。
◇
私は出口聖師を知つてから十数年になる。同じ土地に住む人間として、大本教主と新聞記者との関係から、最近は歌人として、かなり親しく交際して頂いてゐるが、聖師の巨体は新高山のそれのやうに、はるかに雲海の上にその半身を没してゐたり、濃霧がかかつてゐたり、また私があまりに地上ばかりを凝視したりしてゐて、はつきりとその全貌を、のぞみえたことが無いのである。
ただ、その感覚は、富士のそれでなくて、新高主峰のやうに、熱帯、暖帯、温帯、寒帯と四つの気温を透して天上界に尖端を触れてゐる、巨体であることを感じてゐるのである。
◇
昨年四月新しき近代短歌の世界へ第一歩を印せられた聖師は、一年余にして早くも全歌壇六十余の結社に関係し、その作歌数は一ケ月二千首を突破し、歌壇のスフィンクスとしての存在を示した。
聖師の歌は、新高山が、熱帯、暖帯、温帯、寒帯に、山体を触れ、その気温にしたがつて、たとへば、麓の熱帯地には、びんらう樹の林が、すこやかな樹体を南風に吹かせてをり、中腹の暖帯地には、芭蕉が簇生してをり、温帯には、紅桧の原生林があり、寒帯には漢木が群生してをり、と種々な植物を持つてゐるやうに、プロレタリヤイデオロギーの歌があり。自由律があり。アララギズムがあり。定型律があり。大本イデオロギーがあり古今調があり、と、全短歌のもつ、あらゆるものを包容してゐて、スケールの大きさは、歌壇第一と言つてよいと思ふ。聖師の歌を観賞するものは、新高山が台湾にあるから、全体が熱帯だと思つたり、日本一の高山だから冬になると山体が全部雪に埋もれる寒帯の感覚をもつたりする様な、錯誤の上から観賞しては、根本的な誤謬におち入るものである。私は従来聖師の歌を批評するに、この新高熱帯病にかかつてゐる歌人が往々にあるのを散見して、歌壇における最初の新型式の歌集『花明山』を鑑賞される人々にこの一文をおくる。
五月五日、朝の特急車にて富士をのぞみつつ
飯田兼次郎