文献名1出口王仁三郎全集 第1巻 皇道編
文献名2第3篇 国教論よみ(新仮名遣い)
文献名3第1章 国教樹立論よみ(新仮名遣い)
著者出口王仁三郎
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データ最終更新日2023-03-05 04:52:56
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(一)
皇道即ち大本教は、天地初発の時より大日本国に因縁し、肇国の本来より先天的に密合して離るる事の出来ない、根本の大教義であります。然るに我神国日本の歴史的事実が、「帝国憲法」の明文に示されたるが如く、信教の自由たらしめられたのは何故であろうか。之を簡単に謂うならば、我神国は天壌無窮に皇運の弥栄えに栄えます御国柄でありますから、二千年や三千年間の歴史的事実を見て、以て確固不変の論拠と為すのは、大なる誤謬で在ろうと思うので在ります。天壌無窮と謂す事は、将来の無窮を言うのは勿論であるが、無終は無始に対応して起るべき事実であって、無始の因無くては無終の果ては無いのであります。我神国は無始無終の大基礎の上に建国の本義を樹立する国体であって、僅に二千歳や三千歳の短かき歴史を以って論断すべき国柄では無いのであります。夏の虫は雪を知らずに、世の中は永遠無窮に熱いものと思って居るのと同じ如うに、『日本書紀』に「天祖降跡たまいて自り以逮、于今一百七十九万二千四百七十余歳を経たり」と載せて在る事すら、現今の学者は説明に窮して、半ば懐疑的の眼を以て見て居るという有様である。こんな事で到底、日本神国の宏遠なる意義を語る事は最も不可能であると云わねば成らぬ。日本神国の真実義を聴かんとするものは、天壌無窮の立脚地に立つ丈けの資格の有る者で無ければ成らない。皇宗崇神天皇以後二千歳の寛容的和光同塵の時代は、日本国教の寛容時代であって、国家本来の偉大なる包容性を示された、事実的立証と成る迄の事であります。
この寛容時代は、太古、国祖国常立尊が艮へ退隠遊ばされたる時に創まる所であって、世界未製品時代の趨勢として、万止むを得ざる次第で在ったのであります。降而、人皇十代、崇神天皇の御宇に至って、弥々「三種の神器」の大権威を深く韜蔵遊ばされ、広く世界の文物に自由自在の発展を為さしめ、幾多の文明を変遷せしめて、漸次に極東日本の神州に其文明の一切を輸入せしめられたので有りますが、従来、幾多の文明も一として最後の平和を樹立するの由無く、自由発展の結末が却て惨劇を世上に繁からしめ、不安劇烈の大修羅場を現出し、弱肉強食の堕落にまで到達して、人間悉く痛苦を病む現代に当って、退隠遊ばされし国祖を出現せしめ給い、且つ二千歳の間、深く韜蔵せられたる「三種神器」の発動を促し給い、天地神明の稜威八紘に充ちて、勿ち松の世の春光の凞々乎として来るの感あらしめん、皇祖の御聖慮に出でさせ給うたのであります。
(二)
斯く謂えば、何故に斯様な御神慮に出させ給うたかを疑う者もあるで在ろうが、是全く天運循環の自然の神律に循い給うたもので、開祖の『御神諭』の御明文の如く、「時節には神も叶わんから、神は時節を待って、世の立替立直しを致すぞよ。もう何彼の時節が参りたから、昔の元の先祖の経綸通りに致して、天下泰平に世を治めて、昔の神代に捻じ直し、松の代、ミロクの代と致すぞよ。今迄は態とに暗雲の世に致して、万古末代の経綸を致して在りたぞよ、云々」。
右の『御神諭』を伺い奉るも、永遠に転回し往く必然の順運を察し給いての、深甚なる御神慮に出させ給いし、難有き御聖慮であったので、其絶大なる御経綸は、人心小智の窺知し得ざる、幽玄なる真理の存する所であります。『古事記』の明文に曰く、
「此天皇之御世に疫病多に起りて人民死せ尽きなんとす。爾天皇愁歎而、神床に坐すの夜、大物主大神、御夢に顕れて曰く、『是者我之御心なり。故れ意富多多泥古を以て、我御前を祭ら令めたまわば、神の気起らず、国安く平ぎなん』」
と。是ぞ、世界大救済の神策を獲給うの御垂示であります。こは稍神秘的の様で在れども、此意義は、今に明白に分る日が来る事と確信するのであります。「天に風雲の障りあり。地に変動の妨げあり。人に疾病の煩いあり」と謂う事が古人の言に在るが、現今の人々は皆悉く霊肉共に重患に罹って居るのであります。肝腎の精神に本来の真光が失せて了って、思想が悉く病的である。身体も霊魂も共に重病に犯されて居るのが、現代の世界一般の人々の有様であります。一時も早く、片時も速かに『大本神諭』を喚起して、速に神宮を金輪際に遷座し、神祇を祭祀して、天下の疫気を悉く終息せしめ、国家安平の実を挙ぐる神事に努力せなければ成らぬ時運が、迫って来たのである。
(三)
皇道の大本は、長年月の和光同塵時代を直過して、「帝国憲法」までが信教の自由を標榜する迄に到ったけれども、之を広義に見れば毫末も其領域を犯かされたのでは無い。通俗的に考えて見ても、儒、仏、耶の伝来等の大なる思想、並に形式の伝来があったけれ共、日本の根本思想が比較的之に浸潤せず、極めて円滑に是等を消化し、日本化して了った所の、其消化力の偉大なる事、而して其本来の精神の、渾然として何物にも犯されず、常に他を化して自家の薬籠中のものたらしめたるは、全く国祖の隠護されたる結果にして、日本固有の大精神が金剛の威力を有し、神聖不可犯の権威と、而して大寛容性の中にも他に同化せられずして、悉く他を類化し、以って来るものをして、恰も本来の在所に帰着せしめたるが如き感在らしむるは、実に大したものでは無いか。思想の大宗家として、乃至は一切万有の本家、本元として、何物にも本来の居据り良い心持を与え、主君や親の膝下に到来するの情を起さしむるは、誰が考えても一種の驚歎を感ぜずには居られない。斯う言う一般史実的方面からだけ見ても、日本の根本教義を捜って見たい感を、何人にも与える次第である。日本の国体を論ずるものの説は、此点の詮鑿が根基となって、古記録の研鑚を積み、而して成立したものであるが、吾人の要求は、もう一段と深い所まで研究を為て貰いたいのである。
(四)
既に一言せし通り、帝国憲法第二十八条に、「日本国民は安寧秩序を妨げず、及び臣民たるの義務に背かざる限りに於て、信教の自由を有す」と有って、日本臣民は信教の自由を有して居るのである。然るに今新に大本教を樹立するに就ては、憲法の条文を破棄するに足るだけの確固不抜の論拠を有し、且つ帝国議会の翼賛を経なければならぬ、実に至大の問題であると謂わなければならぬのである。故に国教樹立に対しては、
第一、現代が日本国に執って、果して国教樹立の時期なりや、否やを論究せなければならぬ。
第二、国教に樹立すべき程の教義が、我国に在りや、否やを論究せねばならぬ。
第三、我国は果して国教樹立を本体と為す国柄なりや、否やを論究せねばならぬ。
第四、我国民が国教を理解し、之を承認し得るの識力に達し居るや、否や。其機質を論究せねばならぬ。
第五、憲法改定に対する論拠は正当にして充分なりや、否やを論究せなければならぬ。
如上五種の大間題に対して、明確なる解答を与えるに非らざりせば、国教樹立論は到底其実現を見るに至らないのである。
第一、国教樹立が日本現代の要用なる事件なりや、否や。
この事は、諸種の方面からして之を論究せなければならぬ事柄であって、吾人は国教樹立を以て大正維新の最大間題にして、且つ焦眉の急に逼れる問題なることを深く信ずる。大正の御代の大使命は、専ら国教樹立の大間題を中心と為し、一大整理を国の内外に施さねばならぬ事と信ずる。大正という御代の名が、彼の神武天皇の詔勅を切に思い起さしむるのは、吾人計りの感想ではあるまい。
「夫れ大人制を立て、義必ず時に随う。苟しくも民に利する有らば、何ぞ聖の造に妨わん。すべからく山林を披き払い、宮室を経営り、恭しく宝位に臨み、以て元元を鎮む。上は則ち乾霊国を授くるの徳に答え、下は則ち皇孫正を養うの心を弘む。然て後に六合を兼ね、以って都を開き、八紘を掩いて而して宇と為んこと、亦可からずや」
と。大正の大御代は当に「皇孫正を養うの心を弘め、然て後に六合を兼て以て都を開き、八紘を掩うて宇と為す」の大御代ではあるまいか。神武天皇の東征の御志を立て給うや、詔に曰く、
「昔我が天神高皇産霊尊、大日孁尊、此の豊葦原瑞穂国を挙て、我が天祖彦火瓊々杵尊に授けたまえり。是に火瓊々杵尊、天関を闢き雲路を披け、山蹕を駈け以て戻止。是時に運、鴻荒に属い、時、草昧に鐘れり。故蒙して以て正を養い、此西偏を治す。皇祖皇考乃神乃聖にして慶を積み暉を重ね、多く年所を歴たり。天祖降跡まして自り以逮、于今一百七十九万二千四百七十余歳。而るを遼遠之地、猶未王沢に霑わず。遂に邑に君有り、村に長有りて、各自彊を分ちて用て相凌ぎ礫わしむ。云々」
現代の思想界の有様を見ると、其封建割拠の様が、「邑に君有り、村に長有る」の有様ではあるまいか。仏教は仏教で、その信者を私領して一大豪族の有様を為して居るかと思えば、耶蘇教は耶蘇教、神道は神道で、相互に其の信者を分割私領して、覇を称して居る有様である。仏教の中が亦幾種かの割拠を為し、耶蘇教も、神道も、亦同じく其内部が幾多の部類に分れて居る有様は、大名、小名の土地、人民を私領し分割して居た有様と、毫も異る所は無い。斯様な状態が果して日本国本来の国柄であろうか。明治維新は実に七百有年間の武家政治を打破して王政に復古した、曠古の御大業が成就した御代であったが、大正の大御代は当に思想界の上に王政の復古を成就し、万邦統一の大使命を果すベき、実に天地開闢以来の御鴻業が成立すべき御代である。明治天皇は王政復古の御大業と倶に国教を樹立して、思想界に於ける神政復古を企図し給い、乃ち明治三年正月、祭政一致の詔旨を下し玉い、
「朕恭しく惟るに、天神天祖極を立て統を垂れ、列皇相承け之を継ぎ之を述ぶ。祭政一致、億兆同心、治教上に明かにして風俗下に美なり。而るに中古以降、時に汗隆有り、道に顕晦有り。今や天運循環し、百度維れ新なり。宜しく治教を明かにして以て惟神之道を宣ぶべきなり。因りて新たに宣教使を命じ、天下に布教せしむ。汝群臣衆庶、其れ斯の旨を体せよ」
と仰せ給い、国教樹立の大方針を建て給いしかども、宣教使に任ぜられたる人々に、惟神大道の本義が確実に了知せられず、時勢も未だ其の運に至らずして、早くも明治五年三月には神祇省が廃せられて教部省代り建ち、後ち仏教との合併院たる大教院が設立さるるに至り、明治八年五月、大教院の廃止と倶に、祭政一致の御聖旨が全く消滅するような有様に立ち到ったのは、時機の未だ到らなかった故とは云え、実に遺憾の極であった。
明治の大御代は未だ神政復古の時機では無かった。明治廿二年の憲法制定、明治二十七、八年戦役、同三十七、八年戦役等を経て、世界の知識は普く我邦に輸入し来り、威武益々海外に伸張して、帝国の稜威は日に月に隆盛に赴く場合となった。是に於てか、皇国の根本的大使命に向って更に歩武を進め、所謂神政成就の暁を覧わさんの大御心により、乃ち戊申の年に当って臣民に詔書を下し給い、「抑も我が神聖なる祖宗の遺訓と我が光輝ある国史の成跡とは、炳として日星の如し。寔に克く恪守し淬励の誠を輸さば、国運発展の本近く斯に在り。朕は方今の世局に処し、我が忠良なる臣民の恊翼に倚藉して、維新の皇猷を恢弘し、祖宗の威徳を対揚せんことを庶幾う」
と仰せ給い、君臣協同して皇典の研鑚に基き、皇祖皇宗の寄さし給える惟神の大道を宣べ、祭政一致の本義を復古して、以て国運の発展を期し、先天の使命を遂行せんとの御聖慮を披発し給いしかども、天は聖帝に年を藉ずして、治世四十又五年にして遽に登遐し給い、世界統理の大命を後継の陛下に譲らせ給うた。実に深遠幽妙の神業こそ、仰ぐもいとど尊き次第である。
斯くて御代は大正に替ったけれども、時運は益々逼迫し来り、曠古の御即位大典も首尾克く之を御挙げになり、神政復古の大命に向わせ給うべき第一着として、乃ち臣民に左の御沙汰書を賜わったのである。
「皇考夙に心を教育の事に労せられ、制を定め令を布き、又勅して其大綱を昭にしたまえり。朕遺緒を紹述して倍々其の振興を図らんとす。今や人文日進の時に方り、教育の任に在る者、克く朕が意を体し、以て皇考の遺訓を対揚せんことを期せよ」
(五)
此の時に際して、国民の緊張したる思想が内に溢れて、統一整理の実現を唱導する声が益々高くなり、外には暗膽たる隣邦支那並に露国の国体上の大問題あり、欧州の各国は悉く戈を執って立ち、全土修羅の巷と化し、実に氾濫を極めて居る有様である。斯様な列国の有様が、其の終局を何処に止むべきかは頗る疑問であるけれども、神則の至厳確実なる事を信頼して、我が国民が一大雄飛を試むるの舞台の接近したる事を深く信じて、この千載一遇の好機を逸するようなことがあってはならない所である。『旧約全書・但以理書』第二章に不思議な夢物語が載って居る。バビロンの王ネブカドネザルの巨人の像を見たという物語である。
「バビロンの王ネブカドネザルが或夜巨人の像を認めた。その像は首は金で胸と両腕は銀、其腹と腿とは銅で其の脛は鉄である。そして脚と趾とは、一部は鉄で一部は泥土で成立して居た。此像を王が見て居ると、一個の石が人手を藉らずして山より鑿れ落ち、巨像の足を撃ったので、共の巨像は夏の禾場の糠の如くに全く砕けて、風に吹払われて無くなって畢い、その石は大なる山となって全地に充ちたというのである。乍併ネブカドネザル王は、自分の見た像の事を全く忘れてしまったので非常に心を思い悩ました。而してバビロンを始め、天下の博士や法術士や魔術士等を召して其夢と其夢の解明とを求めましたが、誰一人として之を告げ知らす者は無かった。此に於て、大王は怒って彼等を殺すことを命じました。時に天の神様を信じた青年ダニエルは之を聞き、彼の同輩三名と心を合せて祈りました。神様は彼等の祈を聴き、ダニエルに其夢と其の夢の解明をお授けになったのである。ダニエルは王の前に出で、王に其の夢と其夢の解明とを申し上げた」。
今其の解明した所を聴くと次の如くであった。ダニエルは謂った。「王に示された此像の金の首は即ち爾君であると告げた。果せるかなバビロン帝国は、紀元前殆ど六百六年より同五百三十八年まで天下の諸王国を征服して共全権を握って甚だ栄えたのである。而して次の銀の胸と両腕とはバビロン帝国を滅して天下の権を握って、同三百三十一年まで栄えたメデヤとベルシャの同盟国を示したものであり、次の腹と腰との銅の部分は、ペルシャ帝国の後に起った、即ちアレキサンダア大帝が天下を征服して建たギリシャ帝国を示したもので、この希臘の栄えたのは紀元前百六十八年までであったのである。次の鉄の脛はギリシャ帝国を征服し、紀元前百六十一年に猶太国民と契約を結び、遂に天下を統御した羅馬帝国を代表したものであったのである。而して其脚及趾の鉄或は泥土であった部分は、羅馬の末世に於て北方の蛮族が来襲して、遂に紀元三百五十一年より同四百八十三年頃迄に分裂した羅馬の十の小王国である。天の神様はネブカドネザルに巨像を示して、而して共の巨像を以て予め二千五百有余年間に亘る所の天下の治乱興廃を告げ、大予言を垂れられたのである。歴史事実は不思議にもこの予言の侭に進んだのであった。史実が明に予告を立証したのであった。
さて次に起る問題は何であろうか。彼の十小国の未来の問題である。現今の欧州各国は是等十小国の末流である事は誰も知る所である。而して其趾の一部は鉄で、一部は泥土で、相互に合せざるは自然の天理である。彼等は其勢力に於て自ら強弱ありて、互に併合して世界の統一権を獲得せんと欲し、起て覇を唱えたものには、シヤーレマンがある、チヤーレス五世がある、ルイ十四世がある、ナポレオンがある。斯くの如く英雄豪傑が武力を以て他を圧し、之を併合せんと努めたけれども、遂に悉く失敗に帰したのである。以来是等の諸強国は「人草の種子を混えん」とある如く、欧州の諸強国王は、其血族相互の結婚を以て彼我の親善を謀り、又同盟を結びて一致和合を求め、世界の保全を企てて居ると雖ども、鉄と泥とが永遠に相合するの理なく、彼等は日々に軍備拡張に熱中し、世界最終の戦争に備えつつあったが、予言は飽まで之が現実されん事を主張して居るものか、今回端なくも塞比亜、墺多利間に葛藤を生じ、遂に墺独の両国が仏英露の強国を相手として雌雄を決すべき大袈裟な大戦闘を惹起し、欧州の全国は忽ち修羅の巷と化し、五か年に渉るも其の落着が何れに定まるか、分明せない有様である。実に恐るべき予言として、我等はネブカドネザルの巨像の夢を深く味わなければならないのである。耳をそば立てて聴け。詳に聴け。
「この王等の日に、天の神一の国を建て給わん。是は何時までも亡ぶる事なからん。此国は他の民に帰せず。却てこの諸の国を打破りて之を滅さん。是は立ちて永遠に至らん。」
何たる深刻な予言であろう。是は夫の人手に依らずして鑿れて落ち来った石が、巨像の足の趾を打て砕きしに対応して居るのである。この時に建てらるべき国とは如何なる国であるか。人々大に考ふべきである。謹みて『延喜式』祝詞を誦し奉れ。
「辞別きて、伊勢に坐す天照大御神の大前に白さく。皇神の見霽かし坐す四方の国は、天の壁立つ極み、国の退き立つ限り、青雲の靄く極み、白雲の堕り坐向伏す限り、青海の原は棹柁干さず、舟の艫の至り留まる極み、大海原に舟満ちてつづけて、陸より往く道は、荷の緒縛い堅めて、磐根木根履みさくみて、馬の爪の至り留まる限り、長道間なく立ちつづけて、狭き国は広く、峻しき国は平らけく、遠き国は八十綱打ち掛けて引き寄する事の如く、皇太御神の寄さし奉らば、(中略)また皇御孫命の御世を、手長の御世と、堅磐に常磐に斎い奉り、茂し御世に幸わい奉る故に、云々」
斯くネブカドネザル大王の夢物語の予言と予証とが、古記録に徴するも、事実の真相に鑑みるも、頗る我が大日本国に関連する事の深く且つ遠きを慮る時は、現在欧州の大戦乱が必然に何事かを我等に告知して居るが如き感が起きて来る。
日蓮上人の出生に対しては、『法華経』の予言として後五百歳上行出生が信ぜられて居るが、現今学者の立証する所の釈迦の誕生年月は、神武紀元三十八年に当り、後五百歳(二千五百年後)は実に今日に相当するのである。北条時代は六百六十年の前であって、『法華経』の予言には適合せぬ事となるのである。
後五百歳上行出生を真実なものとすれば、上行出生は日蓮の当時ではなくして、正に大正今日の時代である。『法華経』の学者、以て如何となす。日本の古典には、崇神天皇の御夢物語があって、大予言として伝えられて居るのだげれども、此は古典の専門的知識を要する事柄であって、今明白に解説する事が出来難いから、今は其詳解を省略するの余儀なき次第である。
時期間題に対しては一先ずこの位で切上げ、第二の間題に移る事とせん。
(六)
第二、我国には国教に樹立すべき程の教義ありや、否や。
この問題は一面国体論者の単純な考から謂えば、何の造作も無いような問題で、本居、平田翁の神道観を始め、現代ならば井上博士、筧博士等の所説を以てして善いかも知れないが、之を専門の宗教上から論ずる場合には、非常に重大な諸間題が其の間に起るべきである。先ず差当り左の諸項に対して解答を与えねばならぬ順序です。
一、大本教は現在行わるる所の諸宗教、諸教義を統一すべき資質ありや。
二、大本教は現在存在する諸宗教、諸教義以上に有力にして、善良なりや。
若しも大本教が現在存在する諸宗教、諸教義を統一するの資質がないならば、日本国教の統治力総攬権は不完全であり、欠陥ある事を免れないものと謂わなければならぬ。何ぜならば、諸宗教、諸教
義の一つでも統合し網羅する事が出来得なければ、当然其の包擁力以外に出ずべき或部類のある事を否定する訳には行かないからである。或は若しも統一力を充分に有して居たとしても、夫れだけで大本教が優秀なものでなければ駄目である。何ぜならば、如何に包擁力に富み、巧に統一したからとて、其のもの自体の資質が現在行わるる或物よりも、何等かの点に於て善良なるべき徳に欠け、乃至は権威の存在を認むる事が出来なければ、国の根本教義とし、国自体の全分の信頼を託する事が出来ない事となるのは、知れ切つた事柄である。能く出来上ったものが、古今に通じ中外を一貫して発揚さるべき性格を欠くような、偏狭固陋な教義を建てて得意がるような事があったり、乃至悪平等の主張に陥って、権威も無く、熱誠もない、茫漠たるものが出来たりなぞするのは、到底、変哲学者の妄想たるに止って、決して大本教の実現を見る事は無いのである。国教樹立は如上の諸問題に対して完全なる解決を有して居ねばならぬ次第である。
大本教は諸宗教、諸教義の統輔的資格を有し、且つ完全円満にして、国体の根本基礎をなし、中外を一貫し、古今に通じたる権威である事を要するのである。
大本教が如上の資質を有すべきに就ては、先ず最初に、国教樹立の根基を為すべき主典の穿鑿から創ねばならぬ次第である。
大本教は主典として何を採用するのであろうか。
大本教の主典としては、曰く『古事記』、曰く『日本書紀』、曰く『延喜式祝詞』等を重き典籍とし、次で『古語拾遺』、『旧事記』、『本朝六国史』、『万葉集』、『倭姫世記』等に至るまで、皆悉く依典とはするけれども、就中『古事記』並に大本開祖の『神諭』を主典と為すのである。『古事記』は其の序文に陳べたる如く、天武天皇の御詔勅を奉じて編述されたるものにて、序文の一節に、実に次の如き事が記されてあるのである。
「朕聞く、諸家の齎らす所の帝紀及び本辞、既に正実に違い、多く虚偽を加うと。今の時に当りて其の失を改めずば、未だ幾年をも経ずして、其の旨滅びなんとす。斯れ乃ち邦家の経緯、王化の鴻基なり。故惟、帝紀を撰録し旧辞を討覈して、偽を削り実を定めて、後葉に流えんと欲う」。
『古事記』を以て大本教の主典と為す事は、何人にても異存のあるべき筈が無いものと信ずるのである。「古事記大本教」は、実に我国教の唯一主典と申して善いのである。
(七)
今や世界の趨勢が、歩一歩と統一を欲求し、大教義の発現を切望し、大救世主の出現を冀待する事の切なる有様は、識者の之を洞察するに難しとしない所である。世界は修羅地獄のどん底までも堕落し行くのである。而して修羅地獄のどん底に到った時に、大救世の日の御旗は其上に輝くべきである。大本教に竢たなければ、世界は平和な楽境とはならない。大本教は、世界を救う所の唯一の根源であり、且使命である。
大本教の発揚さるる源は、『古事記』奥義の発揮である。『古事記』の真意義の発動である。『古事記』秘奥の解せられざりしは、時機が之を許さなかった為めである。天津金木、日本言霊法の発展、開祖の『神諭』に由て、『古事記』の真解されたは、全く時機相応の所以である。
『古事記』には、哲学的方面の解釈と、倫理的方面、宗教的方面の解釈がある。本題目としては比較宗教学の立場からして、既成宗教に対して些細の比較討議を為すべきであるが、紙面の狭隘なるが為に、比較の討議を可成的避けて、『古事記』の真義を略述するの傍ら、諸種の方面に些少の比較を試むるに止めねばならぬ次第である。其比較討議の如きは、各自専門の方面に於て、読者が個々になされんことを切望するの止むなき次第を御賢察が願いたい。大本教は我皇室と一体不離の教義なるが故に、御皇運の無彊なるが如く、斯道は一系綿々として、堅磐に常磐に栄え行くのである。古今を一貫し、内外を隔てぬ天上地上の権威である。大本教は、『古事記』主典の哲学的研鑚に歩を起し、漸次本塁に突進するのである。吾人をして、出発の当初に臨みて、先ず「教育勅語」の一節を拝読せしめよ。「斯道は実に我皇祖皇宗の遺訓にして、子孫臣民の倶に遵守すべき所、之を古今に通じて謬らず、之を中外に施して悖らず、朕爾臣民と供に拳拳服応して、咸其の徳を一にせんことを庶幾う」。
畏きかも、尊きかも。
(八)
宇宙の実在は神である。無量無辺の現象は即ち神の意思の発作である。現象は即ち実在である。故に無量無辺、時と場所との差別なく、一切の現象は即ち神の意志の表現である。発作である。而して神は唯一の実在である。現象の本源に、二も無く三も無いのは当然である。『古事記』に、
「独神成坐而、隠身也」
とあるのは、専ら如上の意義を顕わしたものである。「独神」は実在の唯一無二なるを示し、「隠身也」とは現象の本源根底神なることを示された語である。
以上の神に関する解説は、仏教でも、基督教でも、乃至現代の哲学でも、粗ぼ同じような事を謂うのであって、日本特有の説と見ることは出来ない。乍併『古事記』の「独神隠身」は、
「天地が初発つ時に、高天原に成る神名は、天の御中主神、次に高御産巣日神、次に神産巣日神。此の三柱の神は、並独神に成り坐して隠身たもうなり」
とあって、独神の上に並独神となるのである。高御産巣日神は神漏岐系の祖神にして、天御中主神の精神系である。而して神産巣日神は神漏美系の祖神にして、天御中主神の物質系である。精神と物質とは天御中主神の両面である。此三柱は並独神成坐すので、唯一の実在にますなる天御中主神の御内証が、忽ち分れて精神、物質の二系統を為すことを示された事に、深く注目せなければならぬ点である。されど此点も、日本特有の説と見ることは出来ないのである。乃ち真言密教は胎蔵、金剛の二大界を説いて居る。『法華経』は釈迦、多宝の並座を説いて居る。実在に二大系統の含蔵されることは、優れた宗教の哲学的方面の常に説く所である。けれども更に一歩を進めて、「何故に実在に二大系統が生れたのか。一体実在の本質というものは何であるか」というような所まで尋及して行く時は、所謂「果分不可説」という宗教哲学の熟語となって、曰く「不可称」、曰く「不可思議」、曰く「廃詮談止、言亡慮絶」という事になって了うのである。独り真言密教のみは「果分可説」と説破し、「阿字本不生」「阿字大日」という根本説を提供するのである。神がコトバであるという説は、埃及の神話にもあり、『新約全書・約翰伝』首章にも、
「太初にコトバあり。コトバは神と借にあり。コトバは即ち神なり。このコトバは太初に神と偕に在き。万物これに由て造らる。造られたる者に、一として之に由らで造られしは無し。之に生あり。此生は人の光なり。光は暗に照り、暗は之を暁らざりき」
という事も謂って居る。
コトバの真意義は頗る高遠である。茲に詳細の説明を要するけれど、余り長くなるから省略して、阿字の立脚よりする神の本体論を追及して行くことに致そう。神はコトバである。コトバは神の意思である。日本に於ては、神の御名に何々の命(尊)とあるのは、「御言」の義である。コトバは霊であるという見地からして、日本には言霊という語が古から存在して居るのである。『万葉集』に、
「神代より云伝げけらく。そらみつやまとのくには、すめ神のいつくしき国、言霊のさきはふ国と語りつぎ、伊比つがひけり。今の世の人もことごと、眼の前に、云々」
という歌があり、「言霊の助くる国」、「言霊の活き居る国」等の語も伝えられて居るのである。吾々が古典を正解したのも、専らこの言霊の力に因って其蘊奥を窺い得た次第である。現今の哲学は、「現象即実在」と説き、ベルグソンは「実在は流転す」なぞ謂って居るけれども、流転には発動の目的が無い、発作に必然の根本律が無い。実在は徒に流転に終るものであろうか。科学者は宇宙の創造説として、星霧説を唱導して居る。星霧が何等の源因に基いて、回転を始めたものであろう。偶然の回転が秩序ある宇宙の現象を何して形成したのだろう。哲学者も科学者も、宇宙の根本律に対しては、嘴を容るる資格は無いのである。神の意思はコトバ(言霊)の法則に基き、語法に由て発動し給う所以の秘奥の義は、彼等の毫も知る所でないのである。『約翰伝』首章も、「神はコトバである」とまで謂ったが、其コトバが何う発作して、万有が現出したかを解くことは出来なかった。真言密教はコトバの発作を詳細に解説したけれども、彼には大なる欠点が存在して居て、全く空虚な議論に畢ってしまった。只日本国の皇典のみ、天上天下に独尊な解説を与え、活きた事実を永遠に伝うる権威となったのである。実に日本の言霊ほど霊妙なものは、他に対比すべきを見出さ無いのである。
(九)
『古事記』の本文をもう一度掲げる。
「天地初発之時、於高天原成神名、天御中主神訓高下天云阿麻、下效之。」
古来の説明では、「天御中主神が高天原という霊地へ降臨遊ばされ」たとか、「鎮坐ました」とか解くのだが、大なる誤である。「高天原」とは天の事でも無い、土地の名でも無い。「成神名」とある「成る」という事も、「降臨」とか「鎮坐」とかいう事でも無い。「成ります」は正に「鳴りますしの語である。伊邪那岐神の黄泉行の段に、「八雷神成居る」とあるは、矢張「鳴り居る」の義である。天御中主神が「タカアマハラ」と鳴り出ました意義である。神は「コトバ」である。「タカアマハラ」と天御中主神が、「天地初発之語」として鳴りましたのである。高天原を、古訓に「タカマノハラ」(タカマガハラ)と訓んで居るのは、これは誤りである。「高の下の天を訓んで阿麻という」と、註に立派に掲げてあるではないか。正しく「タカアマハラ」と訓むべきである。「タカアマハラ」は、天御中主神の根本発動である。宇宙の始元は、この「タカアマハラ」の六声に基くのである。
「タカアマハラ」六声の言霊は、何事を意味して居るであろうか。専門的の解説を避けて通俗に之を解釈すれば、「タカアマハラ」の内部には四つの重大なる意義が含まれて居るのである。即ち共の四つとは、
「タカア」「タアマ」「カアマ」「ハラ」、これである。
「タカア」とは光明八紘に照り輝くという義である。「光明遍照」という語が当るのである。
「テッカリ」「テカテカ」等同語原の語である。
「タアマ」とは「円満具足」の義である。又た摂取不捨」とか、「至愛至護」とかいうような意義の語である。「カアマ」とは、「信賞必罰」という義、「金剛不動」という義等を含む語である。
仏教の発源地として、其当時、世界思想の華麗を極めた天竺の末路は何たる悲惨であろう。儒教を始め幾多の大思想を発源して、知識徳教の中華と誇った支那の現代は、何たる有様であろう。若し夫れ、西洋各国から基督教を控除したならば、彼等の国柄は野獣の群と択む所は無くなるだろう。今やその徴候がほの見ゆるではないか。
然るに肇国以来幾千年間、其の間に外来の強烈なる華麗なる幾多異様の思想を迎え容れ、変遷に変遷を重ね来ながらも、其根本思想、立国の精神、国体の大本が、厳乎として毫も犯さるる処なく、厳然として存在する大日本帝国の真道が、如何に尊きものであるか。彼等と相比して霄壌月鼈も啻ならぬ有様である。
天照大御神は万有統理の大君神として高天原の主体と為り給える事は、前に説く所である。『日本書紀』には、
「既にして伊邪諾尊、伊邪冊尊、共に議りて日わく、『吾已に大八洲国及び山川草木を生めり。何ぞ天下の主たる者を生まざらんや』。是に、共に日の神を生み大日め貴と号す。此の子光華明彩、六合の内に照り徹る。故、二神喜びて日わく、『吾息多ありと雖も、未だ若此霊異の児有らず。久しく此の国に留むべからず。自ずから当に早く天に送り、授くるに天上の事を以てすべし』」
とある。「カアマ」を標榜して高天原統治に当り給うが故に、「此子光華明彩」の語はあるのである。天照大御神の御名もあらせらるるのである。皇孫に地上統理の大権を授け給うにも、先ず鏡を執り給いて、
「即ち勅して曰く、『吾が児、此の宝鏡を視ること、当に猶吾を視るごとくなる。與に床を同じくし、殿を共にし、以て斎鏡と為すべし』」
の御詔詞もあったのである。須佐之男命の無礼を怒り給いて、天岩戸に隠れます際は、「天地闇黒となりて万妖悉く発す」とあるは、「タカマ」の経綸が傷ぶれて、光華の発動が停止し、反て闇黒の方面が跳梁する次第を示させ給うのである。
天照大御神は光華の神である。
天照大御神は至愛の神である。
天照大御神は真理の神である。
天照大御神は、真智の神である。
即ち、「たかあまはら」統理の御主体に在しますのである。祈年祭の祝詞に曰く、
「辞別きて、伊勢に坐す天照大御神の大前に白さく。皇神の見霽るかします四方の国は、天の壁立つ極み、国の退き立つ限り、青雲の靄く極み、白雲の堕り坐向伏す限り、青海の原は棹柁干さず、舟の艫の至り留まる極み、大海原に舟満ちつづけて、陸より往く道は、荷の緒縛い堅めて、磐根木根履みさくみて、馬の爪の至り留まる限り、長道間なく立つづけて、狭き国は広く、峻しき国は平らけく、遠き国は八十綱打ち掛けて引き寄する事の如く、皇大御神の寄さし奉らば、云々」
とあるのは、即ち至愛至慈の「タアマ」界の御神徳であらせらるるのである。この御神徳は専ら諾冊いろはの二尊より受けさせ給うたことは勿論である。『古事記』に曰く、
「此の時伊邪那岐命、大に歓喜まして、『吾は子を生み生みて生みの終わりに、三はしらの貴子を得たり』と詔りたまいて、即ち其の御頸珠の玉の緒、母由良に取りゆらかして、天照大御神に賜いて詔りたまわく、『汝が命は高天原を知らせ』と事依さし玉う。故、其の御頸珠の名を御倉板挙の神と謂う、云々」
と。今茲に御倉板挙神と申すは、父神の御頸の珠の御名である。「タナ」は天文の義、又は暦数の義を指すのである。「タナハタ」は天体運行の機織の義である。「タナバタヒメ」てう女神之御名は、天文暦数を掌る女神の意義である。「ミクラ」とは三座の義である。「ミクラタナ」は即ち三座の天文暦数の義である。恒天暦、太陽暦、太陰暦の三大暦儀こそ、全くこれが「みくらたな神」である。広池千九郎氏が『伊勢神宮誌』を著述した中に、「みくらたな神」を「棚上奉祀の創め」として居るのは、彼の無学を証明して居るのである。現代の古典学者、神学者の無学なる事は、実に憐むべき程である。彼等は「伊勢神宮」を著述する資格のある者ではない。
(十)
宇宙乾坤の間に存在して居る一切の天体は、「ミクラタナ」の玉の緒に一貫された、一聯の御頸珠である。天に輝く星宿は、皆悉く御くび珠の御緒に貫かるる顆々の美玉である。万有は一として此御緒に貫かれないものはない。此御緒を脱しては、其存在を保つことは出来得ないのである。無量の美玉は脈々綿々として一聯の条索に貫かれて、連鎖の美麗なる大頸飾を為して居るのである。この大頸飾が、いかに四維上下八紘に広がって居るかを想像し玉え。而して其大聯珠が、いかに美麗なる荘厳状態を呈するかを想像し玉え。尚お且つ其の聯珠緒の複雑無量なることに驚き、聯珠線の金剛力なる事に驚き、更に更に複雑無量の美玉が一聯の統理に総攬されて、撥々として活動して居る事に大に驚きの眼を見披き玉え。天上天下斯の如きの絶大絶美の現象があろうか。この一聯絶美の玉の御名は、天照大御神に伝わりまして、常に御頸に懸けさせ給う「五百津御須統珠」と申すが、これなのである。万有一聯の本義、万姓一元の根源を示させ給う五百津御須麻流の珠は、皇孫を地上統理の任に就かしめ給える時にも、必然に御授けありし大神宝であったのである。
形態の上から謂えば玉の相である。発作の活動から謂えば「タカア」である、鏡である。其活動の内容に行わるるは真理である、「カアマ」である。「タカアマハラ」の統治は、この三大権に帰するのである。
地球上面の人類を始め一切の万物は、大日本国天皇の神祖より賜う所の五百津御須麻流の珠の中に連鎖されて、先天的に統理されて居る次第である。天下何物か、皇孫統治の埓を逸することが出来得ようぞ。金剛力の御頸の珠の緒が一貫総攬して居る事に気のつかないものは、実に可憐なものである、無知なものである。或意味に於ては、不知恩のものである、罪悪の部類に入るべきものである。
万有万類は皆悉く五百津御須麻流の珠の緒の発動に基いて、発現して居ないものは無いのである。生命を「玉の緒」というは、生命魂線の脈絡を意味する語より出でたものである。『古事記』に、天照大御神と速須佐之男命との、「天之真名井の宇気比」と申すは、万有、万類、万神の御出生を営み玉う大神事である。
「奴那登母母由良に、天の真名井に振り滌ぎて、さがみにかみて、吹き棄つる気吹の狭霧に成る神、云々」
とある。「奴那登母母由良」は「玉音隆朗」の義である。玉音隆朗の響に由って、万神万有は発生するのである。古典の精しい説明を省略して、兎も角も、万有の統攬が「五百津御須麻流」に在る事は、何人も否定することは出来得なかろう。基督教でもこの意味の事は謂わんでない。仏教でもこの意味の事は謂わんでない。けれども其の天国統治の神律が、地上統治に移写されて、天上地上の一致の経綸を為す為めに、大日本国の皇位なるものがあるという一点に到ると、仏耶の二教は即ち共明を失って、空論を固着する為めに、此の真実を受け容るるの資格を失って了うのである。実に致方のない次第である。
(十一)
祭(マツリ)(マツル)という語は、「真釣り」「真釣る」の義である。「真釣る」とは、度衡の両端か、あいに重量を懸けて平衡さする意義である。天上の儀と地上の儀とを相一致せしむるの作法が「マツル」(祭祀)である、「マツリゴト」(政道)である。祭祀政道の大義は、これ以外に決してあるべきでは無い。『古語拾遺』に曰く、
「宜しく太玉命、諸部神を率いて其職を供奉し、天上の儀の如くすべし、云々」
とあり。天上の儀を地上に「真釣る」のが祭祀である、政道である。現代は祭祀も政道も全くその根本を失って、一片の形式に流れ、権謀を以て政道の本義とさえ思うように至ったことは、何たる大なる誤であろう。「願を冠と為した」というも同様である。故に、世界は日に険悪に赴いて、人類の苦痛は益々甚だしきを加え行く有様である。これは偏に祭祀政道が根本を失って、天上の儀が地上に殆ど跡を絶つに至ったより起った現象である。斯様な根本主義に着目せずして、世界平和だとか、政治の革新、社会改良といった所で何等の效果あるべきぞ。全く以て徒労に畢るべきは、火を睹るよりも明らかである。惟神(カミナガラ)の道というのは、天上地上の祭祀政道の、正しく行わるる有様をいうのである。神の示させ給うまにまに行い往くのが、惟神の道である。惟神の道は祭祀政道の根本義である。現代の如き形式的祭祀、権謀術数的政道は、決して惟神の道でない。天下は、尚お愈々益々乱れ往きて、殆ど底止する所を知らないまでにも成り行く斗りである。
(十二)
今や大本教の唱道は、之を一日も忽にすべからざる場合に立ち到ったのである。溺る者は草の葉にも縋るとかや。况や主師親の三大力徳を具備する所の実に帰らしむるに於ておや。
「五百津御須麻流之珠」は、万有を一貫して之を愛護撫育し給う神宝なる事は、前章説く所の如である。天照大御神の御頸珠の御緒に貫れないものは無いのである。この御珠の尊厳なることを縷述すれば、悠に大部の著述を為すに足る程である。天地は「五百津御須麻流」の玉音隆朗たる大音楽である。大御神楽界である。仏教に一念三千の如意宝珠」というのがある。「一念三千」とは『摩訶止観』第五に云う、
「夫一心に十法界を具す。一法界に又十法界を具すれば、百法界なり。一界に三十種の世間を具すれば、百法界に即ち三千種の世間を具す。此三千、一念の心にあり。若心なくんば已みなん。介爾も心有れば即ち三千を具す。乃至、所以に称して不可思議境となす。意此にあり。」等と云々、とあるのは、「五百津御須麻流」の御境界を伝えたものである。之を具体的に現わしたものが、本尊万陀羅である。
日蓮の大万陀羅を解くや、
「其本尊の為体、本師の裟婆の上に宝塔空に居し、塔中の妙法蓮華経の左右に釈迦牟尼仏、多宝仏、釈尊の脇士は上行等の四菩薩なり。文殊、弥勒等の四菩薩は眷属として末座に居し、迹化、他方の大小の諸の菩薩は、万民の大地に処して、雲閣月卿を見るが如し。十方の諸仏は大地の上に処す。迹仏、迹土を表わすが故也。云々」と。
「妙法蓮華経」は、梵語に「サダルマ、フンダリキヤ、ソタラン」という。これは「タカアマハラのコトバ」という語の転訛である。釈迦、多宝の二仏併座は、我が高天原の、
神漏岐命(神漏岐系)神漏美命(神漏美系)
を伝えたものであって、「宝塔品」の三変土田とは、大八州の国産みの本義を伝えたものである、神漏岐系は精神系統であって、神漏美系は物質系統である。岐は霊の義、美は身の義である。
真言宗には金剛界、胎蔵界の二大万陀羅を建てるのだが、これ亦神漏岐、神漏美二系の系譜であり、御神慮を伝えたものである。弘法大師の唱導した本地垂迹の説は、主客本末を誤ったものであって、空海の無知は去ることながら、和光同塵の然らしむる所として、大日本国教は宥容するのである。
(十三)
真言宗の「曷磨義」は、当に「カアマ」の義である。曷磨金剛杵は草薙剣の本義を訛伝したものである。真言の種の杵は、大日本神典に示す所の矛である、剣である。真言宗は大日本国の高天原から出でた教義の末である。大乗非仏説は学者の論議の八釜しい問題であるが、非仏説の勝利に帰すべきであろう。好しや仏説なりと見た所で、その「仏」の解釈が印度出来の釈迦牟尼という意義にはなるまい。木村鷹太郎氏の『日本太古史』は、釈迦牟尼を忍穂耳尊を伝えますと考証して居るが、『法華経』の釈迦牟尼の如きは、虚空会上に於ける神変不可思議の説相である。こは明に大八洲の伝説法を伝えたもので、高天原教の説示である。『法華経』も『大日経』も、皆悉く其の本源は高天原教に出でたことは明白である。其の証拠には、何れの経を見ても、或は「タカア」の義を説くに非らざれば「タアマ」の義を説くもの、然らずば「カアマ」の義、「ハラ」の義を説く以外に、決して他に出ずること無きに見ても知らるるのである。「ハラ」は「フラ」、「フラクラワア」、「フア」、「クワ(華)」、「ケ」である。また「ハナ」である。因果一体、即疾頓生を説く波羅密である。「花」の王は十六菊である。印度に移して蓮華がある。蓮華は大日本の鏡の相である、玉の相である。「五百津御須麻流」の摂取不捨の金剛力は、『法華経』には蓮華の即身成仏である。阿弥陀の四十八願も、要するに「御統玉」の御神徳を伝えたに外ならぬ。本居翁の狂歌に、
三尊の弥陀は二番叟じや三番叟じや 頼む衆生を外へはやらじ
というのがある。三番叟の舞は、「タータータラリ」の万有出世の義相を舞うのである。高天原の修理固成を本義とする岐美二神の行事を移した物である。十万億仏土に阿弥陀を求むるのは愚の至りである。真宗本願の義は、速に高天原の本来に立ち還りて、其領土領民とを、悉く大日本国教に奉還すべきである。真言、法華の教義は、頗る根本的であって、深遠であるけれども、其の伝統継承に事実的の立証がない。天上、地上の「真釣りしの義が、千古万古に伝えらるる事実の権威が無い。
理は等しゆうすと雖ども、事は自から本末の差がある、正傍の厳格なる差別がある。
(十四)
神漏岐、神漏美の無始本来の当時より、一系綿々たる君臣、上下の差別がある。宇内の君権は、決して何者の野望をも決して許さないのである。高天原の教権は唯我一人の相承である。大日本皇帝以外に、何ものも教権の権威を保つべきものは無いのである。
基督は神の子であるという事は、一切の衆生は悉く神の子であるという義であろう。基督一人のみ神の子であるという義ではなかろう。「今此三界皆我有、其中衆生悉皆吾子」という釈迦の言は、一切衆生が神に出でたることを謂うたものであろう。一切衆生は神より出で、一切衆生は神の子である。この義は仏耶両教の等しく認むる所である。神は一面に平等の愛である。同時にまた他面には差別の威力である。差別は本末を分かち、正邪を分ち、治者と被治者とを分ち、「カアマ」尊厳の信賞必罰である。「カアマ」尊厳の発動は、金剛の威力であって、何物も毫末微塵其威力を犯すことは出来ない。「カアマ」金剛座は血脈伝統の儀相である。万有、万姓、万類は悉く血脈の伝統を得て皆夫夫に発生し、生育し、活動するのである。微塵の末と雖も、伝統系脈のないものは無い。况や万物の霊長たる人間の上に於ておや。高天原は血脈伝統の大系統界である。複雑無限の発作発動も、一つとして伝統継述の意義を脱するものはない。之を平等観の上より見れば、一味平等の神事である。仏教や耶蘇の中には、悪平等観に陥る場合がある。平等は差別を俟て意義を有するのである。而して其の差別は血脈本来の根本から、天爾に発生する所の約束である、分限である、神約である。この神誓神約を犯すことが、根本の罪悪である。
(十五)
基督は曰く、「我は神の独子である」と。仏教は曰く、「我に直示の伝統あり」と。其の謂う所は、高天原血脈の総攬者を以て任じ、其の継承の正系なることを以て誇るけれども、彼は純友である。此は将門である。彼等が正系嫡伝を立証するに、何等の具象的事実的の事柄を以て為す考えであろうか。十万億土に極楽の消息ありや。大日は素、法身にして、法華本門の本縁は、印度に非らずして却て日本国なり。基督の教義は未だ血脈承継に就いて些細の研鑚にだも至らず、万陀羅の所立なく、本尊の為体に於て茫漠たるのみ。哲学者は実在の発作に大系統あるを知らず。現象の錯誤を見て、根本の系脈を知らず。未だ以て本義を論ずるに足らぬものである。宇内伝統の事実的立証を示すに足らない教義は、皆悉く正嫡の名を保つことは出来ない。各宗各派の祖師等が、伝承継述の上に苦心を重ねたことは、決して門外漢の知る所ではないのである。理証は何程もこれを為すの術があろう。けれども事証は決して容易の業でない。系譜を捏造して、天下を横領せんとした古の英雄等の苦心は、何程であったろう。一時を幻惑して子孫に栄華を誇らしめ得たとても、それが決して永遠に継続するものでは無い。天運の神律に通じて乱れないのである。正は正に復し、邪は邪に亡ぶ。未だ嘗て天壌無窮に、其の邪を貫徹し往くものを見ることが出来ない。
茲に「天壌無窮」に、「万世一系」に、天上地上の「真釣り」の本義を行わせ給うべき、天爾本然の血脈承継の国があるとしたならば、一切の万生は、皆悉く天来の大儀相の、目の当り拝せらるる心地して、大能の神力の偶然でない事を、深く深く讃嘆せなければならぬ次第ではないか。若や該の国が、本来の承継を伝えたりや否やを疑うならば、皇位の伝承に、「タカア」「タカマ」「カアマ」の伝ありや詮鑿せよ。而して其の承継伝統の事実が、国史の上に如何に発展し来れるかを更に調べよ。
諸の宗教哲学が、若し理証に止って、事証の承継を「徒事なり」と謂わば、彼等は速に討伐すべきである。若し彼等が、「事証の伝統我に在り」と誇らば、「カアマ」の剣を以て之を質せ。血脈伝統の意義の無限の尊厳なること、而して従来の信教が伝統の正系に触れざる事を自覚するものは、速に其誤を許して、忠実なる国民の中に之を入れよ。
(「神霊界」大正七年三月一日号、四月十五日号、五月一日号)