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文献名1出口王仁三郎全集 第2巻 宗教・教育編
文献名2【宗教編】第5篇 宗教と政治よみ(新仮名遣い)
文献名3第4章 宗教と政治よみ(新仮名遣い)
著者出口王仁三郎
概要
備考2023/10/04校正。
タグ データ凡例 データ最終更新日2023-10-04 21:40:33
ページ411 目次メモ
OBC B121802c163
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本文  余輩前章に於て現代既成宗教は、悉く小乗教の域を脱せないと論破した。火星に人類若しくは人類類似の生物が生存するとせば、彼等は苦辛惨憺して空気の保存に腐心して居ると云ふ学説がある。然るに地球上に生存して居る吾々は、空気の保存に一度も腐心した事がない。殆んど吾人は無意識に空気中に生存して居るのである。空気の保存なんかは、毫も顧慮しなくて好い問題である。
 寒くば火鉢に暖まれといふ、火鉢で足らねば暖炉にせよといふ、暖炉を設けて重ね着して尚ほ寒くば何とする、酒でも飲んで炬燵に暖まれと云ふ、実に注意周到な御教示である。併し私には炭火も有り、重ね衣する衣服もあれど、貧困者は何としよう。私は炬燵に這入て居つて暖くとも、隣の杢兵衛は夫れが出来ない。大家の旦那は酒を呑んでストーブに暖まつて居るが、私には暖炉の設備が出来ませぬ。酒も嫌ひです。そんな事は世の中に何程もある。
 大風呂を沸かして向ひ三軒両隣の人々を招いて、素裸にしてその大風呂ヘブツ込んで見給へ。十人でも二十人でも一時に暖まつて、誰彼の差別なしに同様に暖いから着物を重ねる世話もなく、炭火を購ふ要もない。裸体ほど一親平等のものはない。誰の羽織が絹物で、誰の衣服が木綿だと議論する必要がない。一様に温かい湯は誰にも同様に温かいに相違ない。吾人は炭火を用意せよ、着物を重ねよと云ふ教を小乗と謂ひ、風呂へ入れる教を比較的大乗だといふて見たいと思ふのである。
 ヤレ修養だとか、ヤレ修行だとか、ヤレ道徳だとか、ヤレ宗教だとか謂つて、種々の事柄を強ひらるるのが吾々の全体を通じた仲間に出来ようか。出来得る人もあらう、出来得ない人も沢山あらう。彼の桃源に鋤犂を採つて働いて居たといふ人々が、毫も悪事をせなかつたと云ふのは、渠等が幾多の修養を為し、幾多の修行を為した結果であらうか。
 周囲の空気が悉く花の香を含んで、春の光が普く人の上に輝く場合に、誰が悪念を抱くものがあらうか、抱かむと欲するも得べけんやである。無意識に善人が集団して、自然の天国が茲に開けるのだ。社会が混濁した時に個人の修養が叫ばれ、世の中が乱れてくると、個人の修徳が重んぜらるるものである。古書や、古人の言を引用するまでもない事である。
 世を悲観する際に宗教が起つたのである。現界の不満に対して幽界幽事の願求が現はれるのである。真実の生活には顕幽の別隔がない。顕幽の別れめが人間の堕落の第一歩である。
 現代の既成宗教が説く所は、悉く堕落した教義であり、個人に修養を勧める所の小乗教である。一つとして大乗がない。大風呂ヘブツ込み桃源を実現する用意がない。換言すれば政事を忘却して居る所の閑人間の仕事である。
 平天下が修身斉家に初まるとは、大学の謂ふ所である。修身斉家が出来ずして、平天下が望めないのが当然かも知れぬが、本が乱れて末治まるものは非ずと、言語も深く味つて見ねばならない。
 火星の人類は空気の保存に、痛く腐心せるかは知らないが、吾人は空気の存在を意識せぬ程に、楽しく生活が出来て居るのである。
 無上の政事、理想の政道が世に施かるる事となつたら、どんなものであらうか。その時にも矢張り八釜敷く修身斉家を謂はねば成らぬものであらうか。老子の語だが、「大道廃有仁義。……絶聖棄智民利百倍。絶仁棄義民復孝慈。絶巧棄利賊盗無有」ではなからうか。
 上に政道が乱れて、下に修徳を強ひらるるより悲惨な世の中はないのである。政道が正に復して、万民修徳の必要を感ぜないより結構な世の中はないのである。
 宗教即政道、政道即宗教であつて、現土に創めて天国が来り、浄土が実現するのである。然らざれば幾千万載待つた所で、仙代萩の千松の様に、天国も浄土も実現するのではない。
 政道即宗教の本義を称して、祭政一致と謂ふのである。現代の宗教家に、一人も斯様な意義に心着くものは在るまい。
 大日本皇典(大本の教)は、畏くも祭政一致の御本義を説かせ給ふこと最も詳細を究めさせ給ふのであつて、宇内第一の惟神の宝典に渡らせ給ふのである。
 宗教家は直ちに反抗して謂はむ。政事なるものは、現在一応の事であつて、永遠の未来に亘つて効果があるものでない。現在は実に刹那の幻影にして、未来は永劫の実在であると。
 仏者仏教をしらずとは、善く謂つたものである。現在とか未来とかいふものが、切り離して別々にする事の出来得るものと為して居る。真言の即事而真(現象即実在)、天台の娑婆即寂光などは、皇典の真義を傍系的に伝へた確論である。
 加之皇典は顕幽不離の上に於ける、天壌無窮の祭政一致を立証し給ふが故に、諸宗教の根本地であり、諸宗教の統主なのである。
 大正と謂ふ御代の言義は、大に正すの御代である。大に本源を正し、大に国基を正すべき御代である。其大根本を正し得て、而して後に創めて政道が厳立するのである。
 神武天皇の御詔勅に曰く、
上則答乾霊授国之徳下則弘皇孫養正之心
 開祖の垂示に曰く、
『今までは大の字、逆さまの世でありたなれど、この大本から大の字を本様に正すぞよ。云々』
 正は政である。政は正を基となす。養正の二字に深く心を留めて拝誦すべきである。
 養正の御成立あつて、「然後兼六合以開都。掩八紘。而為宇。」の大理想に達し給ふのである。
 開祖の垂示に曰く、
『元の昔の神代に正すぞよ。都を開いて、三千世界の世の持ち方を大正すぞよ。これも天の時節が参りたのであるぞよ。時節には何も叶はぬぞよ。時節ほど結構なものはないぞよ。云々』
 日本国の使命を知れば、一切の宗教が蘇生するし、日本国の使命を忘却すれば、一切の宗教は滅亡するのである。
 日本の皇典は飽迄も経学である。自余の一切の学は緯学である。経緯相識りて燦爛たる日本錦は、織りなさるるのである。
 凡そ大乗なるものは、大乗の国に於て起るベきものであり、大乗の起るベき時に至つて起るのである。世界を救ふベき大乗の起るのは我日本からであり、開祖の神示の如く、「神も仏事も人民も勇んで暮す世になるぞよ。」と大正の御代なる事を忘れてはならぬのである。
 祭政一致の先駆を為す所のものは、右手に剣である。左手に経典である。右手の剣を草薙剣(艮金神)と謂ひ左手の経典を皇典古事記(大本の教)と謂ふのである。
 日本国民が草薙剣の御本義と、皇典古事記の御本義を了解し、其御本義のまにまに決行する時こそ祭政一致天国到来の秋である。国民たるもの何ぞ勇奮せざるや、奮励努力せざるや。
(大正七、五、一、神霊界誌)
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