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文献名1出口王仁三郎全集 第2巻 宗教・教育編
文献名2【宗教編】第6篇 宗教雑感よみ(新仮名遣い)
文献名3第10章 墓場は揺籃よりも怖ろしくないよみ(新仮名遣い)
著者出口王仁三郎
概要
備考2023/10/05校正。
タグ データ凡例 データ最終更新日2023-10-05 17:16:38
ページ482 目次メモ
OBC B121802c177
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本文  モーリスマーテルリング曰く、
『全く意識を備へない生存といふものは、吾等が宇宙的意識を否定した場合に於てのみ可能なのである。たとへどんな形式に於てなりとも、一度この宇宙的意識を認むる以上は、吾等は必ずこの意識を分ち有することを承認しない訳には行かぬ。而して或点まで此問題は多少今迄とは変化した意識が連続するといふ問題と、不可分的の関係を有してゐる。現在の処では、此問題は到底これを解釈し得る望みは無い。されど吾々が暗中を模索するのは勝手次第である。而して此闇黒と雖も、総ての方面が一様に真闇だといふ次第でもあるまいと思はれる。
 此処から実に死といふ大海が開ける。光栄ある冒険、即ち人間の好寄心とすれすれになる唯一のもの、人間の最も高い憧憬と同じ高さを翔ける唯一のものが実に此処から始まるのである。先づ吾々が死といふものを、自分のまだ知らない生の一形式と考へ、吾々は出産を見るのと同じ様な見方で、死に対するとしたらどうであらう。然うすれば吾々の心は出産を迎へる様な喜びの期待を以て、死の後を追うて従つて行くであらう。
 仮りに先づ母の胎内に居る子供が、或種の意識を有してゐるとする。それで今、其子供が丁度双生児で、何か或る一種の方法を用ひて互に其見聞を交換し、其の希望や恐怖を語り合ふと仮定する。すると彼等は当然母の暖い胎内より外は、何も知らぬから難儀や不幸などは一切感ぜぬ。彼等は必ずや何の気苦労もなく、側から驚かされる憂ひも無い。この満ち足りた眠りの生活を、出来得る限り何時までも、継続したいといふより以外に、恐らく何の余念も有るまい。併し人間が早晩死ななければらぬといふ事を知つてゐるやうに、此の胎児が「何時か必ず自分は生れるもので、其時は忽然として、其暖い闇の隠れ家を捨て、囚はれては居るが平和な今の状態を永久に無くして了つて、全然違つた思ひも寄らぬやうな世界へ墜落するのである」と知つた時には、彼等の心配と恐怖とは如何ばかり大きなことで在らうぞ。然れども吾々の現在の心配や恐怖が、これよりも正当で且滑稽でないと云ふ道理が何処に在らうぞ。吾々の行くべき不知案内な世界が有する性質、精神、意思、慈愛或は冷淡等は、生れて来る世界と、死んで行く世界との間に、何等の差異は無いのである。吾等は何時も同じ無限、同じ宇宙の中に存在してゐる。
 「墓場は揺籃よりも怖しくは無いものだ」と吾々に説いて呉れる人があつても、それは全く道理に叶つた正当な説である。揺籃を墓場と解釈することさへも、蓋し正当な道理に叶つた解釈なのである。若し吾々が生れる前に、寂滅の大なる平和と、死を以てするも尚それだけでは終りを告げない生と云ふものと、其一つを随意に選択することを許されたとしたら、何も彼も知り尽してゐる吾々が、誰か敢て、何時まで経つても終局の神秘を突き止めることの出来ない此不安な生の問題を選むものがあらうか。若し吾々が「是非ともそれへ入らなければ成らぬ」と云ふことを知つて居ないとすれば、誰か敢て現在の世界を棄てて、尚夫れ以上学ぶ所があるか何うか少しも分らぬやうな、そんな世界へ入らうと願ふものが在らうか。此人生にとつて、一番都合の可いのは、早くから此の事を吾々に準備して置いて呉れることであつて、即ち吾々の行くべき唯一の道が自然と此魔術の門を通つて不可思議な神秘の中へ這入るやうに出来て居り、而も其時には、もう一切の不幸や苦痛の原因となつた肉体を失つてゐるが為めに、如何なる不幸や苦痛も無くなつてゐると云ふことである。唯其処で生ずるかも知れぬ一番悪いことは、此の地上で吾々が最上の天恵と考ヘてゐる「愛の無い眠」である。而して最後に述ぶべきは、思想と云ふものが引続き生存して、これが宇宙の実質即ち「無限」と混合せぬとは殆んど想像し得られぬと云ふことである。そして此「無限」と云ふものは無差別冷淡の広野にあらずんば、即ち歓喜の海に外ならぬのである。』
     ○
 彼の『青い鳥』の著者として文豪の聞え高きモーリス・マーテルリング氏は、死の問題に就て胎児の出産と人間の死との関係を比喩を設けて説明したる点は、実に巧妙を極めたものである。また墓場は揺籃よりは怖しくは無いものだ云々の語は、実に死後の生活の存在することを的確に証明して居る。併しながら吾々は大神の神示に依りて考ふる時は、マーテルリング氏の説に今少し飽き足らない感じがするのである──夢の無い眠──『思想と云ふものが引続き生存して、これが宇宙の実質即ち「無限」と混合せぬとは殆んど想像し得られぬと云ふことである云々』の点に至つては、稍物足りない感じがするのである。人は死後と雖も現世に在りし如く、相似の生涯を天国に於て完全に的確に送り得るものだと云ふことを、瑞月は証言したいのである。死後人間としての生活状態を知らむと欲する人は、是非とも瑞月の物語を一読され度きものであります。吾々は人間たるものの本分を尽し霊界に入りし時は、生前の如く必ず独自個性を保ちて永遠に生命を保持し、且御魂相応に天国の生涯を送り得らるるものなることを確言するものである。ア丶惟神霊幸倍坐世。
(大正一一、一一月稿、同一二月号 神の国誌)
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