文献名1出口王仁三郎全集 第5巻 言霊解・其他
文献名2【随筆・其他】よみ(新仮名遣い)
文献名3嗚呼歌人よみ(新仮名遣い)
著者出口王仁三郎
概要
備考2023/10/08校正。
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データ最終更新日2023-10-08 21:25:50
ページ573
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本文
昔から歌人と云へば十中の八九は何れも世捨人の寝言であつたかの感じがする。故に英雄豪傑と云はるる人の歌はあまり専門的に多作は無い様だ。併し乍ら日本は言霊の幸はふ国である以上、余り世捨人や坊主や医者にのみ任しておきたくない。それで自分は努めて和歌を作り新進の空気を社会に注入し、活発なる社会を造り万民の幸福をはからぬと明光誌を発行しつつあるのである。現代の歌壇を一通り見渡すに、何れも貧弱なる思想と生活にあえぐ小人鼠輩の集合で、一として豪放さも真面目さも無く、徒に世を呪ひ強者を敵視し外来思想にかぶれたるものばかりである。敷島の歌なぞと実に敷島の道が聞いて涙をこぼすであらう。自分は今迄日本現代の歌壇を買ひ被つて居た事を今更悔ゆる次第である。到底物にならないのは現代の歌壇だ。
貧乏生活をさらけ出して得意気に歌つて見たり、悲観的な辞句を際限もなく長々と羅列したり、細心的な小心翼々たる文句を並べ立てて、何処に日本男子の本領があるか。女々しい泣き言を上手に言つたのが佳作としてゐる現代の歌人なるものは決して正気の沙汰とは思はれない。活字から目を放せば皆目記憶に残らず、歌を誦読すれば舌を噛むやうな音律の乱れたるもの而已にして、其の心事の狭隘なる、卑劣なる、実に言句も出ない有様である。最早現代の歌壇に於ては、一人として吾恐るべき作歌者の無きを看破した自分は、吾明光社員の高尚優美なる歌に対して力強く感ずる次第である。
俗に曰ふ、牛は牛連れ馬は馬連れだ。なまじひに人間が牛の中へ飛んで出ても意志と想念に天地の差があるのだから、余りかれこれ言ふのも口の汚れだ、筆の損失だ。とは言ふものの惟神の大道を普く天下に宣布して理想天国を地上に建設し、世界万民永遠の幸福と安心を得させむとする機関明光社の歌と、人類の生活のみに即して不平を並べ立てる歌壇の人等とは、根本的にそりが合はないのは寧ろ当然だとすれば、現代歌壇に対して余りこき下ろすのも可愛相でもあり、また無理かも知れない。日本には立派な言霊が幸はつて居ながら努めてそれに遠ざかり且歓んで脱線せむとする現状は真に憐れむべき状態である。明光社人よ、必ず国風の粋を学びて大成されむことを切望する。
○
天下経綸の大神業に奉仕し、世界永遠の平和と幸福を希ふ吾々大本人に取つては、現代の歌壇の趨勢や歌の作意を見て忽ち心性の堕落を感じ、天国より急転直下、地獄道に墜落したる感念が起つて来る様で実に不快である。自分が今回歌壇に入つたのも、その新しきを憧憬してでも無く、現代の所謂歌人なるものの心理状態を探らむが為であつた。然し乍ら天下有用の材を今の歌壇に求めむとするは労して功なく、意志想念の概して地獄的であり、自己本意であり、生活のみに没頭して我が国体の精神を知らざるもの多く、否知りても知らぬ顔する小人の多きに愛想をつかして了つたのである。是から考へて見ても、吾明光社は国家の為、斯道擁護の為、層一層奮励努力せざる可からざるを切に感ずるものである。
(昭和五・七・三一 庚午日記 七の巻)