文献名1出口王仁三郎全集 第8巻 わが半生の記
文献名2【上巻】故郷の弐拾八年よみ(新仮名遣い)
文献名306 祖父の遺言よみ(新仮名遣い)
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データ最終更新日2023-10-01 18:24:07
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祖父の吉松は明治四年の冬十二月廿七日に帰幽した。王仁が誕生後六ケ月目である。祖父吉松は数年前より微恙を覚え、日夜ブラブラとして日を暮して居つたさうである。弥病革まり、到底恢復の見込立たずと自覚し、王仁の両親を枕頭に招いて遺言した。
『上田家は、古来七代目には必ず偉人が現はれて、天下に名を顕はしたものである。彼の有名な画伯円山応挙(本名は上田主水)は、我より五代前の祖先、上田治郎左衛門が、篠山藩士の女を娶つて妻となし其間に生れたものである。然るに今度の孫は丁度七代目に当るから、必ず何かの事で天下に名を顕はすものになるであらう。先日も亀山の易者を招んで、孫の人相を観て貰つたら、この児は余り学問をさせると、親の屋敷に居らぬやうになる。併し善悪に由らず、何れにしても異つた児であるから、充分気を付けて育てよとの事であつた。私の命は最早終末である。併しながら、私は死んでも霊魂は生きて孫の生ひ先を守つて与る。併しこの児は成長して名を顕はしても、余り我家の力にはならぬとの易者の占であるけれども、天下に美い名を挙げてくれれば祖先の第一名誉であり、又天下の為であるから、大事に養育せよ。これが私の死後までの希望である』
と言終ると共に、眠るが如く帰幽したといふ事である。王仁は生後僅かに六ケ月、祖父の顔も知らねば、その時の現状も知らない。只祖母や両親の口から伝へられたのを記すのみである。