文献名1皇道大本の信仰
文献名2よみ(新仮名遣い)
文献名3三 大本四大綱領よみ(新仮名遣い)
著者出口王仁三郎
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データ最終更新日2026-05-06 14:43:47
ページ58
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大本教旨によつて、皇道の真髄とも称すべき神と人との関係が一通り明瞭となつた訳でありますが更に人生行路即ち処世の指針が左の如く四大綱領として神示されてゐるのであります。
祭………惟神の大道
教………天授の真理
慣………天人道の常
造………適宜の事務
此の綱領は天界に於ける神々の処世法の伝達であつて、治国安民斉家の神則でありますから、一日も早く現社会への実現に努力すべきものであります。
祭………惟神の大道
祭は天上(天界)の儀と地上(現界)の儀とを一致させる方法であります。所謂天になる如く地にもならしめよと云ふやうに、天国の姿を地に移写する方法であります。
元来まつりと云ふ意義は、真釣り合はせる、調和させる、合一すると云ふことであつて、一切の相対に対して行はるべきものでありますが、中にも神と人、天界と現界との相対の真釣り合はせが一切の祭の根本となるのであります。
神と祭り合せをする、天界と祭り合せをすると云ふことは、神の御心を拝察し、天界の真相を悟了することであつて、そして之を自己に人に社会に移写実現することが政(まつりごと)でありますから、祭と政は引き離すことも出来ず亦矛盾があつてもならないのであります。之が祭政一致であつて、我日本は神代の昔より最大最貴の行事として敬神崇祖の国風を成就し、歴代天皇常に聖慮をここに注がせ給ふことは周知のところであります。我国神社の数は十一万余、又四方拝、元始祭を初め一年間祭日の多いのを見ても、神国のありがたさに気づくのであります。
祭祀は感謝と祈願の精神と、幽斎と顕斎の方法によつて完うさるるのであります。幽斎と云ふのは心を以つて神を念ずる──霊を以て霊に対することであり、顕斎と云ふのは宮殿があり御神体があつて供物を献げて神を斎くことでありますが、感謝と祈願の精神が不可分の発露であると同様、幽斎も顕斎も亦一方に偏してはならないのであります。宗教によつては幽斎にのみ偏して、顕斎を迷信視するものがありますが、大なる誤りであります。
神の祭祀と共に祖先を祭ることの当然であることは申迄もありませぬ。大本では又守護神を祭ることになつてゐます。
教………天授の真理
処世上の便宜のため永い間の経験によつて立てられた教であつて、一見どんなに立派に見えても、それが人間頭脳の産物である以上は決して真の教といふことは出来ないのであります。どうしても真神の御神格を直接又は間接に享受して、之を伝達したものでなくてはならないのであります。各宗の宗祖達は斯うした関係の下に教を説かれたのであらうが、その教典なるものは大抵は弟子達が如是我聞の下に綴つたもので、神の伝達者たる宗祖の真意を誤り伝へた場合が尠くないのであります。
真の教と云ふものは古今に通じて謬らず中外に施して悖らざるものであるから、時代々々に応じたもの即ち精神文明や物質文明の成長に一致したものであることは勿論、常に時代に先んじて指導する権威があるものであります。何故なれば真の教は即ち皇道(惟神の大道)の伝達であるから、物質文明にせよ精神文明にせよ正しき進展は皇道の発揮に副ふからであり、又不良なる社会相は皇道に違反した結果であるからであります。それで直言すれば、真の教は宗祖のみが偉大なる神格者であるばかりでなく、後継者がやはり神の伝達者として常に時代を教ふるを要する訳であります。又真の教としては徹底的に神の愛善を説くのであるから、徒らに罪悪を説き戒律をきびしくし又難行苦行に重きを置くのは間違であります。
大本が天授の真理として生ける真の教を伝達する所であることは、既に序を逐うて述べたところであります。
慣………天人道の常
慣性はものの性質のことであつて、性質に適した役目又は本分に順応する天賦的の意志といふ意味であります。それで慣は天道人道の常経であつて、天道と云ふのは要するに神の力徳の発動であり、人道と云ふのは天道が人によつて行はれることであります。一例をあぐれば、樹木の生成──これは天道であり、之を伐採して柱となし板となし、或は種々の製品となすのは人道であります。
慣性は国土にも動植物にも皆あるのでありますが、人間で云へば君臣(義)、父子(親)、夫婦(別)、長幼(序)、朋友(信)、の間の五倫の道や、仁義礼智信の五常の道といふやうな人間として有つて生れた神性であり、当然守るべき道であります。そしてこれは時代や地方や或は民族によつて根本的に差異があるものではないのであります。
すべての慣性、就中人間としての慣性を明かにし之を助長し善導して行くことによつて人性の本分を尽くさしむるのは、実に宗教家や教育家の職責であります。
造………適宜の事務
造は適宜の事務であつて、実業家の職責であります。人は皆それ相応の天職使命を有つて生れて居るのであります。天職と云ふのは、総ての人に共通してゐる天地経綸の司宰者としての仕事であり職業と云ふのはやはり利用厚生、生成化育の道に従ひながら生活のためにする世間的の仕事であります。要するに造は慣性の活用であつて、人間の外面的生涯を完うするための手段方法として所謂士農工商に従事することでありますから、之を正しく勤むることは間接に天職を尽くすこととなるのであります。
それで欲を離れた別天地に住み、或は霊的の生涯を送るとて世間的業務を斥くる隠遁生活は、神の道より見れば決してよいことではないのであります。