文献名1惟神の道
文献名2よみ(新仮名遣い)
文献名3愛善道の根本義よみ(新仮名遣い)
著者出口王仁三郎
概要
備考「神の国」昭和七年三月号所収「皇道大本は宇宙意志の表現」(於宣伝使会合講話筆録)の抜萃。「瑞祥新聞」昭和9年8月1日号所収「中道を行く」とほぼ同一
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今日までの既成宗教は霊界に偏し、現代の学説は現実界にかたより、特に哲学者は瞑想的な推理推論に走り、何れも中庸を得たものがない。そこで、宗教は科学を馬鹿にし、科学は宗教を軽蔑してゐる。しかも今日既成宗教の総ては、自ら唯心論的宗教の根本義を幾分軽視して科学に迎合するやうになって来た。
たとへば基督教の如き、中には奇蹟なんかをなるべく口にせぬ教派もある。さうしてこの種の教派の方がいはゆる知識、大衆にうけ容れられる傾向があるので、ますますこの風潮が高まって行くのである。奇蹟を語れば、今日の文明の世の中に馬鹿にされるから、これを避けるやうになってしまった。基督教のみならず、仏教の坊さん達も同様になって来た。
しかしながら、既成宗教において、今までの奇蹟を抜いたならば残るところは何にもない。教理の方面はみんな後の人々が勝手に理屈をつけて列べ立てたのであって、深遠なる教典は主としてその奇蹟に出発してゐるのであるから、それが無かったならば、宗教といふものは無い。即ち既成宗教は零になってしまふのである。この点が今日の既成宗教が通俗化して遂に低級なる倫理道徳の方便教になってしまった主因である。
かういふ世の中即ち科学万能に堕して宗教が新生命を失った世の中に、宗教も生かし科学も生かし、すべての哲学に生命を与ふるところの偉大なる大原則が樹立されねば、今日の思想の混乱を整理し指導する方法はないのである。
私のとなへる愛善の道は、既成宗教の重きを置いた霊と、近代科学の重きを説く体との間に奇蹟的な力があって、神秘的な結合作用を為すもので、この「力」こそ実に神から流れ来るもので、これを神力といひ法力ととなふるのであって、この霊、力、体の三元説の大原則を樹立し、この原則に出発した霊体の和合が行はれねば力ある真理は成り立たないと信ずるものである。この霊、力、体の大原則は私が神明のお導きに依って霊山高熊山に修業を命ぜられた時に、素盞嗚尊様の命に依って、小松林命様から神示を得、そこに断案を発見したのであるから、今日までの如何なる学者も唱へたことのない天啓の大原則であって、これに依ってはじめて一切の既成宗教の説と現代科学の説とが両立し、しかもこの二者共に真生命を与へらるることを覚ったのである。
これを更に解り易く言へば、男と女とは自づから霊と体とを具有してをるが、今一つ神秘なる力が加はる時に子供が出来るのだ。アインスタインの相対性原理説では足らないものが一つある。その一つは実に宗教と科学とを結合し完成するところの天啓の教理であるのである。この霊、力、体の三元説を見出さなければ、地上に思想的争闘の絶ゆることなく、思想的争闘が絶えねば、従って体的、即ち物質的争闘の絶ゆるはずはない。
今日いはゆる末世の相が日一日と濃厚にその悩みを深めて、精神的及び物質的行き詰りの極に達して来たので、この機会に愛善道の根本義を説いて、大方の考慮を煩はす次第であります。