文献名1惟神の道
文献名2よみ(新仮名遣い)
文献名3救世主義よみ(新仮名遣い)
著者出口王仁三郎
概要
備考出典不明
タグ
データ凡例
データ最終更新日----
ページ25
目次メモ
OBC B123900c009
本文のヒット件数全 0 件
本文の文字数1275
その他の情報は霊界物語ネットの「インフォメーション」欄を見て下さい
霊界物語ネット
本文
愛善主義は真の救世主義であります。悪人を悪人として罰し、善人を善人として賞するのは、現実界即ち自然界の人為的法則で、愛善そのものとは非常に遠いものであって、かうしたやり方では到底世を救ふことは出来ないのであります。現世相は日一日と悪化して、国と国、民族と民族間の軋轢や忌まはしい闘争がますます露骨に演ぜられ、産業、経済、思想、政治、一切の世相に一大変動は免れぬ状態にまでさし迫って来たのであります。この際この時、国民はしっかりと腹帯を締めてこの難局に善処しなければならぬ。それには先づ救世主義であるところの愛善主義即ち伊都能売主義に依らねばなりませぬ。伊都能売神の救世の主義は、第一に慈顔我が身を反省して罪悪の淵に自身を沈没せしめぬこと、次には慈顔我が一家を顧みて、以て常に平和と幸福を増進せしむること、次には慈顔我が一国を愛して国利民福の大精神を発揮し実行せしむこと、次には慈顔宇宙人類を愛善して内外東西洋の別なく福利せしめむとするの大精神を発揮すること、次には慈顔一切の蒼生万類を見て現世の汚濁を脱却せしめ、永遠無窮に大光明に入らしむること、次には天神の愛善と信真とを理解せしめて不老不死なる天国又は霊国に安住し復活せむと焦慮することであって、これ即ち慈顔衆生をみそなはす所以のものであり、この心を体得し得念した上は、人生は実に実に福寿無量にして歓喜悦楽の妙境に安住し得るのであります。
愛善主義なるものは、要するに、人生即ち現実の世界を中心として教ふる所の神教であって、この現世に即して永遠無窮の天国生活の真諦を味ははしむるもので、幽玄微妙不可言なる真理に住する秘奥を現生命に即して永遠の真生命を実得せしむる聖教であります。あくまでも現世をして妙楽の光明世界と為すの大楽天主義であって、厭世的隠遁的趣味は愛善主義即ち伊都能売主義には断じてないのであります。
観音経の「光明普く世界を照らし慈顔衆生をみそなはして化益一機を漏らすことなし」とあるは、これ即ち愛善主義にして、この信仰は非常なる楽天主義で、地獄的思想は微塵もない。またこの教義には恐ろしいとか、厭ふべきこととか、忌まはしきものは寸毫も包含してゐないのであります。
既成宗教には、実に厭ふべき一種の脅喝があり、方便があり、虚構があり、誘惑的言句が現はれてをりまして、総て人間を恐怖せしめ、至粋至純なる天成の大和魂を軟化し、立派なる男子の睾丸を抜取し、女子を罪穢の権化の如く軽蔑し、人間の勇猛心を挫折せしめ、弱国弱兵の原動力となったものばかりであります。
しかるに伊都能売信仰においては、現幽共に大光明境に住し、化益一機を漏らすことなく、触るるところ、往くところ、見るところ、聞くところ、一切ことごとくみな愛善の法悦と救ひの網の中に摂り収めてしまふといふ真の信仰であるが故に、楽天であり、大安心であり、憂苦する所なく、恐怖する所なく、愛善の徳と信真の光に依って固められたる難攻不落の堅城鉄壁であり、人生一切の後ろ楯であり、現界にゐながらにして一大光明世界に仮住する真の救世教であります。