王仁DBβ版 出口王仁三郎と霊界物語の総合検索サイト 文献検索 画像検索 単語検索 メニュー開く
サイトの全面改修に伴いサブスク化します。詳しくはこちらをどうぞ。(2023/12/19)

文献名1惟神の道
文献名2よみ(新仮名遣い)
文献名3天災と人震よみ(新仮名遣い)
著者出口王仁三郎
概要
備考月鏡所収「日本人の抱擁性」とほぼ同一
タグ データ凡例 データ最終更新日----
ページ34 目次メモ
OBC B123900c012
本文のヒット件数全 0 件
本文の文字数1076
その他の情報は霊界物語ネットの「インフォメーション」欄を見て下さい 霊界物語ネット
本文  日本の国民は古来抱擁性に富み、世界の文化をことごとく吸収して同化し精錬して更により以上美はしきものとしてこれを世界に頒与する所に日本人の生命があり、使命があり、権威があるのである。しかして緯に世界文化を吸収してこれを精錬すればするほど、経に民族性が深めらるべきはずだのに、現代の日本は外来文化の暴風に吹きつけられるほど固有の民族性の特長を喪ひつつある状態は、あだかも根の枯れたる樹木に等しいものである。日本人は日本人として決して何れのものによっても冒されない天賦固有の文化的精神を持ってをるのである。それが外来文化の侵食によって失はれむとする事は、祖国の山河が黙視するに忍びざるところで無くてはならぬ。
 かくの如き時に際して天災地妖が忽焉として起こり国民に大なる警告と反省を促したことは今代に始まつたことでなく、実に建国以来の災変史が黙示する所の真理である。近くは元和、寛永、慶安、元禄、宝永、天明、安政、大正に起った大地震と当時の世態人情との関係を回顧するも、けだし思ひ半ばに過ぐるものがあるではないか。
 さて、我が国の記録に存するもののみにても大小一千有余の震災を数へることが出来る。その中で最も大地震と称されてゐるものが、百二十三回、鎌倉時代の如きは平均五年目ごとに大地震があったのである。覇府時代には、大小三十六回の震災があった。しかも我が国の発展が何時もこれらの地震に負ふところが多いのも不思議な現象であるのだ。奈良が滅び、京都が衰へ、そして江戸が発展した歴史の過程を辿ってみれば、その間の消息がよく窺はれるのである。
 全体我が国の文化そのものは全く地震から咲き出した花のやうにも思はれる。天祖、国祖の大神の我が国を見捨て給はぬ限り、国民の生活が固定して、腐敗堕落の極に達したたびごとに地震の浄化が忽焉と見舞って来て一切の汚穢を洗浄するのは、神国の神国たる所以である。
 古語に「小人をして天下を治めしむれば天禄永く絶えむ、国家混乱すれば、天災地妖臻る」とあるのは、自然と人生の一体たることを語ったものである。人間が堕落して奢侈淫逸に流れた時は、自然なる母は、その覚醒を促すために諸種の災害を降し給ふのであった。しかも地震はその極罰である。
 我が国に地震の多いのも、神の寵児なるが故である。自然否天神地祇の恩寵を被ることの多いだけ、それだけにその恩寵に背いた時の懲罰は、一層烈しい道理である。もし地震が起らなければ人震が起ってその忿怒を漏らすに至る。近くは天草四郎や由良民部之介、大塩平八郎乃至西郷隆盛の如き、みなこの人震に属するものである。
霊界物語ネットで読む 霊界物語ネット
オニド関係の更新情報は「オニド関係全サイトの更新情報」を見れば全て分かります!
王仁DB (王仁三郎データベース)は飯塚弘明が運営しています。 /出口王仁三郎の著作物を始め、当サイト内にあるデータは基本的にすべて、著作権保護期間が過ぎていますので、どうぞご自由にお使いください。また保護期間内にあるものは、著作権法に触れない範囲で使用しています。それに関しては自己責任でお使いください。/出口王仁三郎の著作物は明治~昭和初期に書かれたものです。現代においては差別用語と見なされる言葉もありますが、当時の時代背景を鑑みてそのままにしてあります。/ 本サイトのデータは「霊界物語ネット」掲載のデータと同じものです。著作権凡例 /データに誤り等を発見したら教えてくれると嬉しいです。
連絡先:【メールアドレス(飯塚弘明)
プライバシーポリシー/0/
(C) 2016-2024 Iizuka Hiroaki