文献名1惟神の道
文献名2よみ(新仮名遣い)
文献名3善悪の標準よみ(新仮名遣い)
著者出口王仁三郎
概要
備考「神霊界」大正九年九月二一日号所収「弥勒の世に就いて」(教主輔大先生御講演筆記)第一章の抜萃
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本文
美人とは読んで字の如く美しい人のことであります。美人には心の美しい人もあり形態の美しい人もあります。女は大抵美人と云はれますけれども、中には醜婦もあります。男が溺死すれば土左衛門と云ふけれども、女は必ず溺死美人と云はれます。しかし、美人善人と云ふと美しい人、また善人ばかりであるかと云ふに、必ずしもさうではありませぬ。先づ善悪の標準から考ヘて行かなければなりませぬ。
人を殺せば、国法によつて自分も殺されなければなりませぬ。しかし必ずしもさうではない、時と場合と所とによつて、勲章を戴くことがあります。たとへば一度宣戦の詔勅が下り、大君の御命令によつて出征をした際に、敵を斃して多数の人を殺す、その時は勲功者、殊勲者として、罪になるどころか勲章を戴くのであります。このやうに時と場合と所とによつて、同じことが、悪いことともなれば善いことともなるのであります。ここに至つて善悪に迷ふことが出来て来るのであります。宗教は人を殺す勿れとただ単に教へてあるが、これでは戦争が出来なくなつて了ひます。
この善悪の標準はどこにあるかと申しますと、日本人は皇祖皇宗の御遺訓及び明治天皇の下し給へる教育勅語ならびに戊申の詔書、五箇条の御勅諭、これに合致したものが即ち善でありまして、これに違反したものが悪であります。この標準の下に善を行つて行かなければなりませぬ。たとへば一家を円く治め隣人と親しみ、知己朋友の中に苦しんでゐる人があるならば、自分の力だけのことを尽して助けてやる、これ真の人であります。かういふ人を指して善人と云ふのであります。