文献名1惟神の道
文献名2よみ(新仮名遣い)
文献名3戦争と神意発動よみ(新仮名遣い)
著者出口王仁三郎
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備考出典不明
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ページ109
目次メモ
OBC B123900c035
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腐敗堕落の極に達した世界人類の思想、生活を根底的に大掃除する為に、神意による大戦ひが起るであらうことについては、吾人はしばしば予告して、注意もし戒めても来たのだが、現在の状勢は、つひにその時が近づいたのを具体的に物語るものである。
寿府会議の結果、四十二対一で日本の主張が通らなかった。時も時、熱河に事変が起った。これは世界の宗主国たる日本が神命によって、全人類のために正しき方向を示さうとするのに対し、邪悪の心を以て、私利私欲を遂げむとする者の、横車を押し切らうとする態度だが、いつまでも表に正義と平和の仮面をかぶって先進国らしい顔つきをしてゐた欧州各国人が、つひに馬脚を現はしたのであり、また精神文明に立脚して、久しく日本とともに亜細亜開発に協力して来た支那が、欧米の物質文明に降伏し、悪の仕組に共同したものである。これは一面、歎かはしい事であるが、大きな目を以て見るとき、これは自然の勢ひであると共に神意発動して、大建替に着手したまうたものと拝察すべきものである。
戦争は善であるか悪であるかについて、よく質問されるが、一概に云ひ切れない。単に人間の利害、国家と国家の利害のみによって戦争を起すとなると、それは醜い闘争であって、悲惨なる人類の惨禍にすぎない。しかし今度のやうに日本が、全人類の幸福を念願とし世界に神の意志を闡明せむとする対し、邪悪の力をもってその天意に反対しようとするものを討ちこらさむとする場合は、絶対の愛である。愛によって戦ふからこそ、皇軍の向ふところ敵なく、日々の新聞は熱河における日本軍の勝利を伝へつつあるものとおもふ。
支那はいま、欧米の、物欲にあくところ無き我執を遂げむとするものの手先になってゐるのであるから、支那を平定したからと云って必ず平和を招来せしめ得るとは思はれない。人類最高の目的たるものに醒め得ないが為に、国情に行き詰りを生じ、ただ経済的にのみ打開の策を講じようとしてゐる欧米各国は、そこから生ずる利害観念において、どの国も、戦争でもしなければ建直すことの出来ぬせっぱ詰ったところに追ひつめられてゐるから、何かの因縁をつけて日本に挑みかかるものと考へてよからう。したがって、日本がこれに応じて起つ時こそ、最後の公憤に起つものであり、神意を体して、世界永遠の和平のために起つ時である。いたづらに戦ひを口にするなかれ。しかして起たば堂々正義の軍たるべしである。神は常に愛と正義の上にいますのである。