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文献名1惟神の道
文献名2よみ(新仮名遣い)
文献名3信仰の異同よみ(新仮名遣い)
著者出口王仁三郎
概要
備考「神の国」大正一四年五月二五日号「信仰は異なるとも」とほぼ同じ
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ページ132 目次メモ
OBC B123900c042
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本文  宗教は芸術を生み、芸術は宗教を生む。芸術は人生の花である。人生に宗教及び芸術無き時は、世の中は実に寂寥な、そして無味乾燥なものである。そして変愛と信仰とは人生に欠くべからざる真実の果実である。
 神仏やその他の宗教を信仰すると云ふのも、要するに恋愛を拡大したものであつて、宇宙の元霊たる独一真神を親愛するのを信仰と云ひ、個人を愛するを恋愛と云ふ。ゆえに、恋愛と信仰とはその根底を同じうし、ただ大小の区別があるのみである。
 いづれの宗教も、社会人心の改良とか、人類愛の実行とか、霊肉の救治とか、天国の楽園を地上に建設するとか云ふ趣旨の外に出づるものでない。故に古往今来、幾多の宗教が現はれても、人生に光明を与ふるを以て目的としないものはない。期する所は同一の目的に向つて流れて居るものである。
  あめあられ雪や氷と隔つれど 解くれば同じ谷川の水
と古人が歌つたのは至言だと思ふ。いづれかの宗教を信じ一つの信仰を持って居る人は、どこともなく物優しく懐しみがあり、そして一種の光明に包まれて居るやうな感じがするものである。
 それ故自分は、宗教の宣伝使を以て自認して居るが、同じ宇宙唯一の大神霊に向つて同じ神霊の愛に浴せむとする目的をもって居る宗教である以上は、眼目点さへ同じければ、枝葉にわたる宗教的儀式や説き方などは次の次である。宗派および信仰を異にする人々と対立した場合の自分の心持は、春の花見に行つた時、一方には上戸が居つて酒に浸り「酒無くて何の己がさくらかな」と云うて一日の歓楽を尽す人と、竹の皮の握り飯を開いて食つて居る人や、芸者などの手を引いて花の下で他愛なく戯れて居る人があるやうに、いづれも目的は花見にあるのである。その人々の嗜好によつて、千種万様の自由自在の歓楽を尽して居るやうなもので、その目的さへ一つであれば別にいやな感じもせず、春風駘蕩として面をやはらかに吹くやうな感じがする。また同じ共同風呂に入つて、温かなゆつたりとした気分に浸り、一人は詩吟をやり、一人は浪花節を唸り、一人は浄瑠璃を語り、一人は端歌を唄つて居る。いづれも同じ風呂の中でありながら思ひ思ひの事を云つてゐる。
 しかし人々の嗜好は変つて居つても、温かい風呂に浴し、身体の垢を落し、爽快の気分を味はふ点においては一つである。また詩吟、浪花節、浄瑠璃、端歌など何を聞いても余り気分の悪いものでない。その時のやうな感じを自分はいつも持つてゐる。宗教を持たず、信仰の無い人に接した時は、たとへ自分の兄弟であらうが、親であらうが、妻であらうが、何とも云へぬ淋しみがあり、また自分との間に薄い幕が張られて居るやうな気分がするものである。
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