文献名1惟神の道
文献名2よみ(新仮名遣い)
文献名3光は東方よりよみ(新仮名遣い)
著者出口王仁三郎
概要
備考出典不明
タグ
データ凡例
データ最終更新日----
ページ156
目次メモ
OBC B123900c050
本文のヒット件数全 0 件
本文の文字数808
その他の情報は霊界物語ネットの「インフォメーション」欄を見て下さい
霊界物語ネット
本文
宗教の起源については古今東西の学者間に種々の説がある。例へば啓示説、天賦説、詭計説、恐怖説、恐怖と希望の二元説、利己説、智力説、無限説、衝突説、良心説、想像説、絶対憑依説等であるが、何れもみなその正鵠を捕へたものとは言はれないのである。
惟神の道を宣布しつつある吾人をして言はしむれば、宗教なるものは、人間のこの地上に発生せし時において既にすでに生れてゐるのである。人間に知情意の三霊が存する以上、その内分的活動は絶えず宗教心となって現はるべきである。
神が人間に愛善の心、信真の心を与へ玉うたのは、現実界のみの為でなく、神霊界に永遠無窮に生活せしめむが為の御経綸である。故に宗教は現代の政治や倫理や哲学の範囲内に納まるやうな、そんな浮薄軽佻なもので無く、人間の真生命の源泉であって、人間は宗教によって安息し、立命し、活動し得るものである。如何なる無宗教家でも、スワ一大事と云ふ場合には必ず合掌し、天の一方を拝してその苦難を免れむとするに至るのはその実証であるといへる。
現代の宗教は政治の一部として取り扱はれ、天来の権威も信用も全然地を払ひ、わづかにその余喘を保つてゐるに過ぎない。実際の事を云へば、今日の世の中には宗教らしき宗教は皆無である。遠くの昔に宗教の生命は滅びその残骸が残ってゐるだけで、有害無益の厄介物となってしまったのである。吾人の唱ふる宗教なるものは、天地惟神の聖旨のままに愛善と信真の発達に向って進むのであるから、すべてに超然として立ってゐるものである。政治や倫理などは実は宗教の一部分の活用に過ぎないのである。
今や真の宗教の光は東方より輝きはじめた。すべての人間は本然の誠、即ち惟神の大精神に立ち復り、現界における最善を尽し、しかして後、天国永遠の大生命に入り、大元神の大意志に叶ひまつり、人としての本分を尽し、容易に会い難き人生をして酔生夢死に終らしむることなきを希はねばならぬのである。