文献名1惟神の道
文献名2よみ(新仮名遣い)
文献名3敬称の精神よみ(新仮名遣い)
著者出口王仁三郎
概要
備考「神霊界」大正八年一一月一日号所収「随筆」の抜萃
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ページ173
目次メモ
OBC B123900c058
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本文
日本は古来言霊の天照国と称へ、上下共に善言美詞を使用し、毫も悪言暴語する事なく、実に至善至真至美の国体が確立してあつたのである。
畏くも天祖天照大神様が皇孫二々岐尊を豊葦原水穂国の主として天降し賜ひし時の御言葉に、我皇御孫命は云々と仰られてあります。皇も御も命も全部敬称である。当世外国思想の侵入した人民の耳には、何故に謙譲なる大神の御口から、現在自分の孫様をマゴと仰せられずに、沢山に頭にも足にも敬称を附けられるのであらうかと、疑ふでありませうが、これが即ち日本神国の神国たる所以で、外国の如くに虚偽空式を使用されず、天地の神則に随つて、かくは仰せ遊ばしたのであります。
要するに、神も人もみな天地の分霊分体である以上は、霊魂は天之御中主大神の分霊であり、肉体そのものは大国常立尊の分体であって、霊体共に天地の先祖様の直々の尊いものであるから、たとへ自分の生んだ子といへども、決して自分の力で出来たものではない、みな天地の神の御経綸によつて、一時の形式を採つて、人体を生成遊ばしたのである。だからこれを敬ひ尊ばねばならぬのが当然であるからであります。
実に天地の真理に合致した美はしい国体であると云ふ事は、大神のこの神勅の一片にも明白に現れて居るのであります。誠に四海同胞、神人一如にして、外国の如く自他の区別が無い、天ケ下に他人も無ければ外国人も無い、天地間の生物は、たとへ禽獣虫魚といへども、天地の神の宮たる吾々と同じ分霊分体を、その分に応じて賦与されて居るといふ真相を知悉した以上は、他人視したり、劣等動物視しては、天地の神に対して実に不敬の罪を重ねるのであります。
しかるに中世、儒仏の渡来してより、国民の風俗は日に月に悪化し、虚礼、虚式等盛んに行はれ、つひには飾言偽語を以て一種の礼式と心得るやうになつてしまつて、国家はますます乱れ、神国の精神は何処へか飛び去つてしまうたのである。故に平素の言語は虚偽ばかりになつて、友人や下僕を呼ぶにも君と称し、またクンと軽く唱へ、自分を称するに僕とか拙者とか、坊主なら愚僧とか称して、普通の事と思ふやうに堕落して来たのである。君主にあらざるものを君と称し、僕婢にあらざる自分を僕と称する等は、実に虚偽の骨頂にして、人の天賦的職掌を忘却した不敬といはねばならぬ。また他人の妻を称して御賢室、御内室、御令室など称しながら、自分の妻を称して荊妻、愚妻などといふは、今日の習慣であつて、何れも知つて嘘を吐いて居るのであります。日本人は神の選民であるから、ひとしほ吾が身の霊魂肉体を敬ひ奉ると共に、他人も同様に敬ふこと神明の如くに致さねばならぬのである。