文献名1惟神の道
文献名2よみ(新仮名遣い)
文献名3麻柱の道よみ(新仮名遣い)
著者出口王仁三郎
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備考出典不明
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ページ186
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OBC B123900c063
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近来「日本精神運動」が各方面の人々によって起されてゐるが、その目的に達するの道はただ一つしかない。即ち惟神の道、麻柱の大道あるのみである。
麻柱と云ふのは、至誠の全力を君に捧げて、わが功あるは直ちに君の功とし、わが一切をことごとく君御一人の御所有と為し、更に吾を誇らず、天下に君一人をのみ、光々と照臨し玉ふべく祈り奉る事を申すのである。大臣も小臣も民もみなことごとく御皇室の分身として、大君の手足となり、全身の部分部分となって、君御一人御皇室御一家を照り顕はし奉り、君も大臣も小臣も民もみな、全一大御至尊に麻柱奉るのが麻柱の本義であり、全体である。
かかる大義は、わが日本国の如く万世一系の御血統を継がせ玉ふ、千古不易の国柄でなければ諒解出来難いやうに、天上の大荘厳国は日本を通じて見なければこれを正観することは出来ないのである。
麻柱の道を守る者の心の中には、報恩の念のみ盛んであって、この一念以外には何らの存念もないのである。この報恩謝徳の念を忘却する時は、直ちに我慢、邪慢、増長慢と名づくる我執が出て来て自由妙果の霊身を堕落せしめ、全く罪悪の奴隷となり下がってしまふのである。清浄に身を持し、麻柱の中に安住するを得たならば、これ神の宮殿の中に住み、神の御衣を服とし、神の神室に坐し、総て神と倶にあるのであるから、これが誠の忠臣であり孝子である。もし少しでも、己したり顔に我が儘心を出すならば、たちまちその徳まりある所の位は消え失せて、世の罪屋となり、心くらみて人に見捨てらるるに到る。真に慎み慎むべきことである。
神の御光が玉の如く、鏡の如く、剣の如く照りますが如く、この道に住する人の身よりは、この三徳が白光となって発してゐる。しかし、これことごとく神力の応現であって、自己そのものには一分の力なきことを忘れてはならぬのである。
日本人がこの道に向ひ、この道に住するに立ち至った時、日本の光は赫々として全世界を照破し、この地上に天国を招来するのである。即ち日本の世界統一は武力や金力等によるものではなく、御皇室の御稜威により、麻柱の大道によって統べられるのである。