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文献名1惟神の道
文献名2よみ(新仮名遣い)
文献名3神習の道よみ(新仮名遣い)
著者出口王仁三郎
概要
備考出典不明
タグ データ凡例 データ最終更新日----
ページ191 目次メモ
OBC B123900c065
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本文  皇典古事記は「斯乃邦家之経緯王化之鴻基」と、天武天皇の詔り給ふ所であって、大は以て天津日嗣天皇の天ケ下を安国と平けく知しめすべき大道であり、小は以て臣民の修身斉家の御遺訓であり実に千古不磨の活大経典である。その規模の神聖偉大にして無限なる、到底人智の測度すべからざるものである。故に後世欣慕讃仰のあまりこの道を神習の道と謂すのである。
 しかるに、物質文明のみに心酔累惑せる浅学者輩は、皇典古事記を荒唐無稽の神話くらゐにみなし、これを奉ずる者を嘲笑熱罵し、皇道の如何なるものなるかを知らず、大日本肇国の淵遠なる大御精神を解せず、祖宗父母の国に背き、本を忘れ末に走り、主客の位置を謬れることに気づかぬ聾盲者である。

そもそも天神勅して、諾冊二神に天沼矛を賜ひたるは、漂へる国を修理固成せしむるが為であった。
伊邪那岐の大神、命を天に承け給うたのは、天命を畏るるの源を見むとする為であった。
素盞嗚尊の航海を創め給ひしは、九夷八蛮を統一せむがためであった。
天照大御神の、皇孫を地上に降し給うたは、宇内の主権者を定めむが為であった。
武御雷之男神、経津主神の、残賊を撻伐するは、神国尚武の典を伝へむが為であった。
大国主神の、国土部下を挙げて皇孫に譲られたは、臣民が上に奉ずる忠良の典を表明せむが為であつた。
中臣、忌部二臣の祖たる、天児屋命、太玉命の祭祀を司り、以て政事を執ったは、治と教とを合一せむが為であった。
大名持命が、外国を経営し、かつ医薬禁厭の道を始められたは、億兆の夭折を救ふ為であり、蠢爾の民を教化せむが為であった。
保食神の蚕穀の種を化生せしは、万民衣食の源を開かむためであった。
五十猛神の八十の木種を播きしは、生を養ひ、死を喪するの材を賜はむが為であった。
大宮能売神の君臣の間を調和し給ふは、道徳を万世に伝へ導かむが為であった。
大己貴命の幽府を治むるは、人魂をして、憑帰する所あらしめむが為であった。

 その他、大歳神の年穀を利し、天目一神の鉄工を創め、手置帆負神、彦狭知神の工匠を始むる、井神の井戸を掘る、竈神の竈を造りたる等、みな天下蒼生の為にするに非ざるは無かったのである。
 わが肇国の由来はかくの如く淵遠であり、尊厳であり、深厚である。しかるに夷狄の心酔者が、この肇国の大御精神、皇道の教を以て無用の長物視することは、実に言語道断である。
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