文献名1惟神の道
文献名2よみ(新仮名遣い)
文献名3真理の三階級よみ(新仮名遣い)
著者出口王仁三郎
概要
備考霊界物語第五〇巻第一章の抜萃
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ページ208
目次メモ
OBC B123900c070
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本文
真理には三つの階級がある。
政治法律の大本を過たず、能く現実に処し、最善を尽し得るを称して、低級の真理に居るものと云ふ。
君臣、夫婦、父子、兄弟、朋友並びに社会に対し、五倫五常の完全なる実を挙げ得る時は、これを中ほどの真理に居るものと云ふのである。
しかしながら、いかに法律を解し、政治を説き、或ひは五倫五常を詳細に説示し了得するといへども、これを実践躬行し得ざる者はいはゆる偽善者にして、無智の賤人にも劣る者と霊界において定めらるるのである。
愛の善と信の真に居り、大神の直接内流を受け、神と和合し、外的観念を去り、万事内的に住し得るものを称して、最高の真理に居る者と云ふのである。
故に、現代において聖人君子と称へられ、或ひは智者識者と称せられ、高位高官とあがめられる人物といへども、最高の真理に居らざる者は、霊界においては実に賤しく醜く、かつ中有界または地獄界に群居せざるを得ざる者である。霊界に行つて、現界に時めく政治家、智者、学者または有力者といはるる者の精霊に出会し、その情況を見れば、何れも魯鈍痴呆の相を現はし、身体の動作全く不正にして四肢戦き慄ひ、少しの風にも吹き散りさうになつてゐる。これ凡てが理性的ならざるが故である。
現代の人間が、理性的とか理智的とか物知り顔に云つてゐるその言説や、博士学士などの著書を見ると一として理性的なるものはない。何れも不完全なる先賢古哲の所説や教義を基礎とし、古今東西の書籍をあさり、これを記憶に存し、その記憶を基として種々の自然的知識を発育せしめたるものである。故にただ記憶のみにして、決して理性的知識ではない。
現代の総ての学者は主の大神の直接または間接の内流を受け入るること能はず、何れも地獄界より来る自愛及び世間愛に基く、詐りの知識によつて薫陶されたるものなれば、彼らは霊体分離(死)の関門を経て精霊界に到る時は、生前における虚偽的知識や学問の記憶は全部剥奪され、残るはただ恐怖と悲哀と暗黒のみである。
凡て自愛より出づる学識智能は何れも暗黒面に向つて居るが故に、神のまします天界の光明に日に夜に遠ざかり、精霊界に入りし時は霊的及び神的生涯の準備は一もなく、魯鈍無智の人間に劣ること数等である。魯鈍無智なる者は常に朧気ながらも霊界を信じかつ恐るるが故に、驕慢の心なく、心中常に従順の徳に居りしが故に、霊界に入りし後は、神の光明に浴し、神の愛を受くるものである。