文献名1惟神の道
文献名2よみ(新仮名遣い)
文献名3皇道経済我観よみ(新仮名遣い)
著者出口王仁三郎
概要
備考「人類愛善新聞」昭和九年八月中・下旬・九月上旬号に連載された「皇道経済我観」とほぼ同じ
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ページ234
目次メモ
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本文
皇道
畏くも万世一系の皇統を継承し給ひて、日本皇国に君臨し、地球上における主、師、親の三徳を具備し給ふ天津日継天皇が、天下を安国と平けく知食し給ふ、乾霊授国の御本旨を達し給ふ、大御経綸の神法神則を、皇道と称へ奉るのである。故に皇道に向ふ者は永遠に富み栄え、無限の歓喜に満たされ、これに反する者は行き詰り、底知れぬ暗黒無明と悲しみの破壊世界に置かれるのである。これは丁度太陽に向ふものが照らされ、反する者は絶対に照らされぬと同様である。
行き詰り
今の政治家や経済学者らには、皇道のコの字も判ってゐない、だからその云うこと、為すこと、ことごとくが国家に害毒を流し、国運の進展を害し、国民を益々困窮のドン底に陥れるやうな結果になるだけのことであって、一切万事行き詰り破壊されて行くばかりである。
皇道に反した総てのものが行き詰り破壊されて行くことは、当然すぎるほど当然なことである。故にどうあっても国民の上下が、先づ皇道に目醒めねばならないのである。
皇道政治
皇道政治とは、天津日継天皇の御親政であって、祭政一致、一大家族制の実現実行である。これによれば、日本人のみならず東洋人も西洋人も、ブルジョアもプロレタリアも、総ての人が歓喜し満足するのである。
この皇道政治は、皇道経済の確立より始まる。総て宗教を信ずるのも、仁義を守るのも、道徳を守るのも、根本は経済である。経済が行き詰ってゐると義理を欠いたり或ひは人に怨まれることもやむを得ず出て来るのである。
皇道経済
今日の経済学者、為政者は、総て外国の精神で頭が一杯になってゐるから、今の金銀為本のやり方より他に方法がないと思ってゐるが、西洋も、その経済方法を試みて行き詰った。その行き詰ったやつをまた日本がやってゐる、これではどうしても行き詰るにきまってゐる。然らば、何がこの金銀為本の政策に代るべきか、即ち皇道為本、御稜威為本、土地為本の政策である。
至貴至尊
そもそも我が国は世界無比の皇道国であって、万世一系天立君主立憲国であるが故に対立する何者もない絶対尊貴の国柄であり、世界にその比を見ざる絶対の天皇国である。
日本帝国と云ふは、根本的にあやまってゐるのである。すべてのあやまりは、ここから出発して来てゐるのである。外国には帝道国(立憲君主国)あり、王道国(専制君主国)あり、霸道国(弱肉強食国)あり、為に勢ひを得たときには、君となり、或ひは主権者となるが、勢ひを失った時には、奴となり家来となり、或ひは殺されてしまったりする。さういふ風に、ほとんど畜類に等しい政体を持ってゐる国々であるから、金とか銀とかいふやうな形のものがなければ、皆が承知しないのである。またそれが貴重なものとなるのである。これに反して、我が皇国には、万世一系、神様直々の御直系たる陛下があらせられるのである。世の中にこれより尊い御方は断じてないのである。その陛下の御稜威といふものを基礎として行ったならば、総てに行き詰りと云ふ事はなくますます栄えて行くのである。そこに皇道の絶対権威がある。即ち皇道政治、皇道経済は一の政策にあらず、実に天定の大政道なのである。
皇典古事記
畏くも天武天皇が「斯乃邦家之経緯、王化之鴻基焉」と詔り給ひし皇典古事記は、実に世界唯一の大神典であって、その中巻に曰く
「於是大后帰神。言教覚詔者。西方有国。金銀為本。目之炎燿。種々珍宝。多在其国。吾今帰賜其国」
と。皇祖の御遺訓は、明かに現代経綸の根本的変革を促し給ふといへども、黄金万能の弊政をこの上もなき最上の経綸策として心酔中毒せる現代日本の臣民が、神聖なる祖宗の御遺訓の大精神を了得感通せざる聾盲の輩のみなるは、実に恐惶の至りである。
土地為本
前にも述べたやうに、日本には金銀より尊い皇室の御稜威と云ふものがある。この陛下の御稜威によって紙幣をいくら発行しても国民は喜んで使用する。外国では出来ないが日本では出来る。即ち普天の下、率土の浜に至るまで皆ことごとく皇室のものであるからである。故に一旦これを全部皇室にお還しする、その土地が一千億円のものであったら、それだけの財産が皇室のものになる。皇室からは御稜威により五百億円でも一千億円でも紙幣をお下げになるから、国民にそれだけのお金が回って来るわけである。要するに御稜威為本、土地為本となるのである。
土地拝借権
国民が土地の所有権を云々するのは、西洋かぶれの弊風であって、いづれも皇上より拝借してゐるものたる真意義を了得しなければならない。即ち一言にして云へば従来の土地所有権を拝借権と改称すれば、それで別に複雑な手続きはせずともすむことである。
現在の大地主は、大土地拝借主となるわけである。明治初年にあたり、兵馬の権を陛下に奉還したるは皇国本来の使命に適してゐたが、経済権を奉還しなかったのが根本的な大きな誤りであったのである。
無限の宝庫
右の如く我が皇国は、金銀によらずして、陛下の御稜威の御徳によって無限に紙幣を発行することが出来るのであるが、実は金銀もまたほとんど無限に蔵されてゐるのである。即ち皇国固有の言霊の活用によって古典を読めば直ちに発見出来ることで、私はそれを発見し神様からも教へられ、実地に調べて見て確証を握ってゐるのであるが、これはある時期が来るまで漏すことは出来ない。
物価公定
金銀為本より土地本位となり、御稜威によって紙幣を発行すれば、物価の大変動を来すであらうとの虞れを持つ者もあるやうであるが、それには、米を主とした生活必需品の物価を公定すればよいのである。それによって他の物価は自ら定って来るから心配することはないのである。
海外貿易
海外との貿易は物々交換を原則とすればよい。元来我が皇国は典型的天産自給の国であるから、日本の人民が皇道にさへ目醒めたならば、奢侈品などは自ら減じ輸入は減少し、輸出入が自ら均衡がとれることになる。従って貿易についての金銀問題などは直ちに解消し、本位貨を準備して国際貸借の決済に充てると云ふ心配はなくなる。その結果為替の変動と云ふやうな事もなく、皇国の紙幣に対する信用も高まるから、後には自然外国にも流通するやうになるだろう。
大神約
この皇道経済は、万邦に比倫なき天立君主国にして世界の宗主国たる日本皇国をおいて、現在はほかには絶対に行ひ得ぬもので、皇国独自の天与の特権である。日本を単位として先づ行ひ得るものである。吾らは人類愛善の大精神に基き皇道政治、皇道経済の実現を固く信ずるものである。
私は多年皇道の研究をなし、一方試験的工作を行った結果、神典古事記において明示されたる大神約の寸分も誤りなき事を確証し得たのである。この皇道経済によれば、ブルジヨアもプロレタリヤもあたかも慈雨に甦る草木の如く、国民押しなべて平和と幸福の恵みの露に浴し得るのである。即ち高い所のものを低い所へ持って行き平均するのではなく、山は山のまま、谷は谷のまま、一様に恵まれるの政治、神政なのである。
軍農中心
日本の皇道政治は先づ軍農中心より始まらねばならぬ。これは『古事記』に明示されてあることである。即ち細矛千足の国であり、農を国本と定められた国であるから、それには
一、農民八十億円の債務を政府より弁償する事
一、軍民の生活安定を政府において保証する事
一、すべての税は皇道経済の独立するまで免除し国民の更生をはかる事
等を先づ実行して国の大黒柱を強固にしなければならない。
国防と産業
日本の国防は外国の国防と全然その意味を異にしてゐる。即ち日本は世界の中心であり親国であり要の国であるから、日本は率先して世界を誘導皇道化しなければならぬ大責任を負うてゐるのである。もし日本が国防の不備なるが故に、一朝敗北するやうな事があれば、神様の思召は立たぬ事になるので、全人類は永劫に塗炭の苦を嘗めねばならない。世界を救ふため、国防の充実は忽諸に附する訳にはゆかないのである。即ち例へば
一、国防及び産業発展のため全国に二十間幅の縦横大道路を急設すること
等々、これによってまた一方失業者を救済し、国民の元気を鼓舞し有事の用に備へねばならぬ。これぞ皇道経済実行に当って忘れてはならぬ一要素である。
宗教と教育
皇道経済を実行するには、皇祖の御遺訓たる皇国の宗教教育によらねばならぬ。先づ天地の大本義により、生死を往来し、始めなき始めより終りなき終りに至る、神人合一の大経綸の大道を明かにする国教を樹立し、教育は、国家経綸的天賦の恵を開発すベきものたるベきである。即ち
一、国教院の開設により宗教教育制度の改革を断行し、国教によりて国民思想の改善を図ること
であって、これによって皇国民天賦の大使命を自覚させねばならぬ。
秋は来れり
神約の秋は既に熟してゐる。皇道経済を確立して皇道政治を断行し、世界万民を和楽の世界に導く時は来たのである。皇道経済の細目に亘って述ぶれば際限なしといへども、要するに皇道経済実施の政治になれば、各方面ともに何らの不平もなく無理もなく、天下泰平に到達する事は火を賭るより明かな事である。