文献名1惟神の道
文献名2よみ(新仮名遣い)
文献名3天国の国体や如何よみ(新仮名遣い)
著者出口王仁三郎
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備考出典不明
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ページ290
目次メモ
OBC B123900c090
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予はかつて基督教の有名なる牧師達に、天国の国体や如何、天国の政体や如何、を詰問したことがある。しかし何人も、予の詰問に対して満足なる解答を与ふる者は無かった。「天国は近づけり」と教へ「天になる如く地にも成らせ給へ」と祈るといへども、その天国の状態が判らないでは、おそらく地上に天国が建設された時に狼狽するであらうと思はれる。
治乱興亡幾千載、総ての人類が翹望し、幾多の聖賢が胸に描いた理想天国の国体は、実に大日本皇国の神聖なる国体そのものであり、仰ぐも畏き神の御国の政体は、実に皇道日本マツリゴトの義にほかならない所以を覚るべきである。
心を空しくして神に祈り、吾らは天孫の臣であり神国の民であるてふ自覚に生きよ、しかしてありし日の日本、またあらしむべき日本の真の姿を凝視せよ。吾らは祖先に神を通じて同胞であり、頭上に日の御子を戴いて一体であるのだ。神は吾らの父であり皇室はその御本家にましますのである。
「海行かば水づく屍、山行かば草むす屍、大君の辺にこそ死なめ」と民歌へば「急ぐなる秋の褥衣にこそ夜寒の民の心をも知れ」と君詠じ給ひ「たらちねの親の守りと相添ふる心ばかりは関な止めそ」と親唱ふれば「父母も花にもかもや草枕旅は行くとも捧げて行かむ」と子これに和す美はしの至情、これをしも天国といはずして何れに天国を求めむとするか。
これに対して諸外国の状態や如何。君臣の義を解するに権利義務の規約を以て律し、国家の本姿を理するに利益主義の観念を以て基とする。かかる現実に立脚して理想の天国を求むる者が、雲より下るメシヤを祈り待つはまた当然である。
しかし吾々神州の民は、ありし日の正しき日本、あらしむるべき真の日本を建設することによって天国を地上に移すことが出来るのである。皇国の政体は祭政一致である。これが即ち天国の政体なのである。祭政一致の真意義は、神と国と君と民との「真釣ごと」である。度衡に物をかけて相等しく真釣合ふ神人合一の義である。
かるが故に大祓は国家治要の根本義であって、大嘗祭はまことにその至重の祭事たるべきものである。しかして大祓には大潔斎と中潔斎と小潔斎の三つがある。小潔斎は一身を清め一家を清める法にして、中潔斎は国土を払ふものにして、大潔斎は天地の妖気を払ひ乾坤を清むるものをいふのである。故に我が国のマツリゴトは最高天国の姿をそのまま移写したるものであって、地上天国とは皇国日本惟神の国体をいふのである。
されば天津日嗣天皇御即位の大典は、天地御継承の一大秘事であって、天津金木によって研鑽されたる御儀相は、その幽玄荘厳なる、実に天国自然の大神秘を示させ給へるものである。天国を説き神の国を口にする者は、先づ皇国日本の国体を研鑽しマツリの本義を究明すべきであって、然らざる地上天国論はことごとく蜃気の楼閣に等しきものである。