文献名1幼ながたり
文献名2幼ながたりよみ(新仮名遣い)
文献名315 ひさ子姉さんよみ(新仮名遣い)
著者出口澄子
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およね姉さんの神がかりより一年早い明治二十三年に、八木にいっていたひさ子姉さんが神がかりになっています。この姉は教祖さまの三女で、これまでにも書いていますように、小さい時は岡の父の実家に奉公にやられ、父が病気になって床につきますと、教祖さまが、商いにでかけられた後、私とおりょうさんではたよりないので、家に呼び戻され父の看病をしました。少女のころから教祖さまの手助けをして、難じゅうな道を共に歩まされた姉であります。
父が亡くなりますと、ひさ子姉はまた、じきに八木の町へ奉公にやらされました。これは、たしかひさ子姉の十六才のころで、八木の桝屋という宿屋にいっていたということです。
そのころ、八木の町に福島虎之助と言う、いつも人力車をきれいにしてピカピカと光らせ、やたらに誰でも自分の車に乗せんという、一風変わった人力車夫がいました。
この福島虎之助から、是非ともひさ子姉さんを嫁にくれとせがまれ、ひさ子姉さんは虎之助さんの妻になりました。この二人には、よく似通った気持ちがありました。それは二人とも小さい時から貧乏の苦しみが身にこびりついていましたので、大きくなったら、とにもかくにも金を貯めて、世間の人からさげすまれないようになりたいという一念でありました。
二人は夫婦になると、よく気が合い虎之助さんも律義な人で、姉も一心に働き、何とかして金持ちになりたいと励みましたので、しばらくのうちに八木の銀行で信用をもたれるところまでになっていました。
ところが明治二十三年のこと、ひさ子姉さんに初子のフジが生まれ、そのお産の後に、ひさ子姉さんの神がかりが始まりました。
ひさ子姉はこの時のことを後になって私に、「産月も近くなってくるのに綾部の家は貧乏で、とても産着などは持って来てはくれまい。綾部までは十何里もあることだし、今のように汽車はないころで、行くにもゆけず、毎日産着のことばかり考えているうちに、血が頭に上って、急に大声が腹の中から出てきて、それがもとで神がかりになった」といっていました。
これは丹波だけに限られてない、どこの国でも同じ風習かも知れませんが、そのころ綾部方面では初子が生まれると必ず産着を親元から届けることになっていましたので、ひさ子姉は親元が来ないようでは恥ずかしいと思って、気に病み過ぎたのと、もう一つ、姉が神がかりになった原因があります。
福島の夫婦は熱心な金光教の信者でしたが、姉はある日、神様から世の終わりの、世界の人間が餓鬼道に落ちている、惨たらしい場面を見せられ、その状が頭から退かなかったことです。いよいよ食べるものも無くなった人間が、畳のへりを破って吾勝ちに口の中へ入れているところなど、そういう場面を見せられてからのひさ子姉は、この惨状から人間は脱れられるのであろうかと心配し、夜もオチオチ睡られず、考えつめたあげくにとうとう神がかりになったということであります。
姉の腹の中からは圧えてもおさえても大きな声が出て悲観しておりました。ある夜、夜半にふと眼を覚ますと、かわいそうに夫の虎之助が赤ん坊を抱いたまま睡っております。それをみて姉の頭の中には家計の悩み、自分の病いのことなどが思われ、さらに心が乱れてきて、
「いっそのこと自殺してしまおう」
と、ソッと家を抜けだしました。
八木の大川堤を降りて、袂の中に石ころを拾うては詰め、ザブザブと川の流の中にすすみましたが、水が浅うて死ねんので、黒住さんの下の深い淵にドブンと身投げしました。耳へ水が入り、鼻からも水が流れてきて呼吸苦しくなり、それから分からなくなってきたそうですが、思わず川の底を足でズンと蹴ったそうです。すると袂の石が少なかったのか運よくポッカリと首が川面に出て、眼をあけると、空中に四十くらいの男の黒い羽織を召した神様が現われて、声をかけられたそうです。神様は、
「お前は、こんなところへ何為に参りたか」
「私は余り死にとうて川へ陥りに参りました」
「お前の来るところではない、早く帰れ」
「帰のうにも、今さら近所の人に恥ずかしいで帰なれませぬ」
「今直ぐ帰ねば、そなたの主人もまだ目を覚ましてはおらぬ。ぐずぐずしておりたら近所から人が出て来て帰なれんようになる、早く帰ね」
「はい」
「お前はワシの言う通りにすれば、お前の病気も治る。しかしお前の病気が治ると、今度はお前の主人が病気になり、今日が日が食べられぬまで長患いする。その貧乏の苦しい時に、お前はもうこんな辛棒はいやじゃと言うて家を出てはならぬ。もしワシの言うことを聞かずに家を出ると、お前はヒポコンデルというタチヤマイに罹り、終いには乞食になって、主人の家に物乞いに出かけねばならん。よくよくワシの言うことを胸の奥にしまいこんで早く帰えるがよい」
川の面にポカッと顔を出していたほんの瞬間のまに、姉は中空に現われた男の神様とそんな長い間答をしていたのです。姉は吾に返るや、あわてて川土堤へ駈け上がって、急いで家に帰り、表で濡れた髪をギュッとしぼり、着物をソッと脱いで押入れへ入れておいて、着物を着換えていると虎之助さんが眼をさまされたそうです。
「おひさはそこで何をしているのや」と虎之助さんが聞かれたので、姉は「余り死にとうなって大川へ陥りにゆきましたら、神様が“早ういね”とおっしゃりましたゆえ帰ってきました」と言われますと、虎之助さんがびっくりして本家の人を呼び、近所の人を起こして心配したので、それがまた頭に逆上りました。
おなじ車夫仲間に和助という熱心な金光さんの信者がいて、虎之助さんに「こんどのことは神様にご利益をもらうより他にはない」と言うので、虎之助さんは姉さんをつれて中西という金光さんの先生に拝んでもろうことになりました。この時、初めて“艮の金神のご守護”と言うことばがでてきました、と言います。
丁度このさわぎの時に教祖さまにも通知がゆきました。